アライズ オルタネイテブ~三人の騎士と九人の女神~
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焼け焦げた臭いを、雨が洗い流していく。
洗い流すといっても、雨の臭いと混ざっているだけなので不快であることに変わりはないが、幾分かマシというものだろう。
特にこれといった収穫もなかった。
私は周りを一瞥して、踵を返す。
私を襲ってきたのは犬のような姿をした動物だった。首が三つある時点で、もはやそれは私が昔知っていた犬とは異なるものだ。
数にして十五匹、今の私ならどうという事はない数だ。
今日はギルドに来た依頼で、ある集落の近くに出没する獣を退治してほしいという仕事を片付けに来ただけ。
まるでファンタジーの世界観そのものだけど、これは紛れもない現実。
私、綺羅ツバサの世界は、あの日にすべて壊れてしまっていたのだ。
ラグナロク。
後にこうして呼ばれるようになった事態が起こったのは、今から約一年前の事だ。
ラグナロクとは本来、北欧神話の中に登場する最終戦争の事で、神々と巨人の戦いを表している。
その最終戦争の後、世界が新しく作られたのだという記述が残っていたようだが、これはあくまでも北欧神話での話。
中国や日本などに伝わる伝説や神話と異なるのにも関わらず、なぜそれがラグナロクと言われるようになったのかには確かな証拠が存在していた。
雨で薄暗くなった空の先、ここからでも見える大きな黒い影に、私は視線を向けた。
まるで山のようにそびえ立つそれは、山というよりはむしろ、大木のような姿をしている。
まだ実際に近くで見たことはないけれど、ここからでも十分にその大きさは窺がえる。
世界樹ユグドラシル。
そう表するに価する大木は、突如この世界に現れた。
あの日、妙な出来事の翌日に私が外で見た世界は、以前の面影をいくらか残すぐらいで、すっかりと変貌していたのだった。
電気もガスも停まり、当然公共電波なんて飛んでるはずもなく。
あまりの事態に気を失いかけたのを覚えている。
なにより、私自身の身に起こっている事が、それこそ信じられない事だったのだから。
依頼を終えた私は、そのまま帰路についた。
この世界での生き方はすでに習得している、衣食住の心配も今のところはない。
常に死と隣り合わせだという事を除けば、これといった不自由も感じなくなってきた。
人間の順応とは恐ろしいものである。
「帰って来たか」
「ええ、ただいま」
彼女の名前は英玲奈。以前私が通っていた学校の同級生だった少女だ。
長くて綺麗な髪。吊り上がった目じりと、左目の下の泣きぼくろ。どこか棒読みな話し方も、彼女なりの個性だなと理解はしている。
「今回の依頼、本当に一人で大丈夫だったのか?、どこか、怪我はしていないか?」
「心配性ね英玲奈は。私なら大丈夫っていってるでしょう」
「わかっている。お前があの程度の依頼ならばなんなくこなしてくるというのは理解はしているが、それでもやはり心配なのだ」
「ふふ、ありがとね」
英玲奈から差し出されたカップを受け取り、私は古びたソファーに腰を落ち着けた。
彼女の淹れてくれるお茶は、いつもどこか変わった味がするものの、それはそれで悪くないと思っている、けれど。
「あっつ……」
「む?す、すまない。またやってしまったようだな」
「いいわよ、別にこれぐらい。それに、雨に濡れたせいで身体が冷えてるし、熱いぐらいが丁度いいわ」
「そうか。そういってもらえると救われる」
「ホント、英玲奈って大げさなんだから」
たわいない話ができる事、これが何よりの幸福なんだという事を私は知っている。
正確にはわからなくても、今のこの世界では人間同士の戦争なんてものは起きてはいない。
起きていないというより、起こるはずがなかった。
何故ならそれは、人間と呼ばれる人種はほぼ、この世界から消えてしまっているのだから。
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