雲は遠くて
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110章 信也と竜太郎たち、吉本隆明を語り合う
110章 信也と竜太郎たち、吉本隆明を語り合う
5月7日、気温は26度を超えてよく晴れた土曜日。
午後の6時過ぎ。川口信也と大沢詩織、そして、新井竜太郎と野中奈緒美の4人は、
渋谷駅から銀座線に乗って銀座駅に降り立った。
4人は、駅から歩いて2分の、BARのオーパ 銀座店へ行く。
11席あるBARのカウンターは、木目もきれい、いい木の香りもする。
BARのオーナーが、木材の町、新木場を探し回って見つけた、
カリンの巨木の一枚板でつくった、こだわりのカウンターだ。
土曜日は、18時から24時までやっている。
4人は、予約していた4人用のテーブルの、背もたれのある席でゆったりとする。
川口信也は、1990年2月23日生まれ、26歳。身長、175センチ。
早瀬田大学、商学部、卒業。外食産業の株式会社モリカワ・本部の課長をしている。
大学の時からやっている、ロックバンド、クラッシュ・ビートのギターとヴォーカルだ。
信也の彼女の大沢詩織は、1994年6月3日生まれ、21歳。
早瀬田大学、文化構想学部、4年生。身長、163センチ。
大学公認サークルのミュージック・ファン・クラブで結成したロックバンド、
グレイス・ガールズのギターとヴォーカルだ。
新井竜太郎は、1982年11月5日生まれ、33歳。身長、178センチ。
若くして、国内の外食産業の最大手のエタナールの副社長である。
2013年の12月、竜太郎の指揮によって、
信也の勤める会社モリカワを買収しようとしたが失敗に終わる。
それがきっかけで、竜太郎は森川家と交流を深める。
信也とも、考え方や好みが合って、親しい飲み友だちになっている。
竜太郎の彼女の野中奈緒美は、1993年3月3日生まれ、23歳。
身長は165センチ、可憐な美少女である。
奈緒美は、竜太郎のエタナール傘下のクリエーションに所属している。
モデル、タレント、女優として、茶の間でも人気でも、テレビの出演も多い。
「柑橘系の果物が美味しい季節ですから。あっはは」と笑って、
なじみのスタッフのバーテンダーが、旬のフルーツのカクテルを勧める。
信也たちは同じカクテルを注文した。、小粒の可愛らしい金柑の入っている、
明るいオレンジ色のウォッカ・トニックで、4人は乾杯をした。
つまみは、フルーツやチーズやソーセージの盛り合わせにする。
「おっ、このカクテル、美味いね!」
竜太郎が、そう言って、みんなに微笑んだ。
「うん、おいしい」とか「うまい、最高!」とか言って、みんなは、目を見合わせた。
「この前の、しんちゃんの『吉本隆明の芸術言語論についての講演』は、よかったですよ。
おれも、吉本さんには関心が高いよ。
吉本さんの仕事のポイント、重要な所となると、確かに芸術言語論になるんだと思いますよ」
竜太郎が、信也にそう言った。
「あっはは。竜さん、おれの未熟な考えに、お褒めを、どうもです。
まぁ、詩なんていうものは、書こうと思えば、誰でも書けるものですよね。
でも、実際の生活や仕事の役に立つものでもないわけで、子どもが書くならなら、
すばらしいと褒めることもありますが、大人が書くとなれば、
ほとんどの場合、大人が真剣になって取り組むものではないとかで、
ムダなもの、役立たないものとされてしまうわけです。
それでも、日本はまだまあ、世界有数の『詩』を愛する国なんでしょうけどね。
短歌や俳句をやっている人たちも数多くいますよね。
まあ、おれなんかも、親父が俳句をやっていたりして、そんな環境もあってか、
世界の人たちが平和で暮らしやすくなるのには、
みんなが詩人や芸術家になればいいやって、バカみたいなことを、いつも空想している、
まぁ、夢想家なんですよ。みなさん、ご存じのように。あっははは。
まあ、そんなおれなんですけど、そんなおれを勇気づけてくれるような本が、
最近、たまたま読んだ本にあったんですよ。あっははは。
中沢新一さんの『吉本隆明の経済学』という本なんですけどね。
それを読んで、急速に、吉本さんに親近感を持ったんです。
吉本さんは2012年にお亡くなりになってますから、その2年後くらいの本なんですけどね。
中沢さんは、宗教人類学者で、明治大学特任教授もしていて、
『チベットのモーツァルト 』という本では、解説を吉本さんが書いてるんですよね。
まあ、それだけ、思想的にも親密な関係の中沢さんと吉本さんなんでしょうけど。
『吉本隆明の経済学』は、そんな中沢さんが吉本さんの志を継いで、
吉本さんの思想をまとめたような本なんです。
まあ、その本の終わりのほうでは、簡単に要約すると、
≪世の中を良くしていくような、そんな未来の革命の実現は、
人間の脳、つまり心の本質であるところの、詩的構造以外の何物でもない、
言い換えれば、詩や芸術を愛する脳や心こそが、
より良き未来を実現する鍵である≫って言っているんですよね。
おれは、まったく、これしかないだろうな!って、吉本さんと中沢さんの考えに、
深く共感しちゃいましいたよ。あっははは」
「わたしも、共感しちゃうわ。しんちゃん!」
可愛らしいショートボブの、詩織がそう言った。
「わたしも、やっぱり、人間に必要なのは、詩とか芸術とかを大切に思う心だと思うわ」
ふんわりしたロブのヘアスタイルの、奈緒美もそう言って、ほほえんだ。
「おれも、まったく、共感しますよ、しんちゃん。それにしても、吉本さんは、脳や心には、
詩的なものや芸術的なものが不可欠だということを証明するために、
たくさんの論考とかを書いて、知的な格闘をし続けたんだよね。
でも、だからって、詩や芸術をやっている人を、特権階級とかって、
特別扱いするんじゃないわけですよね」
「そうなんですよね、竜さん。むしろ、吉本さんは、特権階級や権力とか権威とかを、
自由を阻むシステムや制度や幻想として、解体しなければと考えていましたからね。
そんな意味では、場合によっては、≪知識も悪だ≫って吉本さんは言ってますよ。
あっははは。
そんな思索の結果が、≪アフリカ的段階≫という考え方なんでしょうね。
≪アフリカ的段階≫という考え方は、人類の文明や精神の歴史を、
どこまで掘り下げることができるかが問われている、として生まれたんですよね。
そんな、国家もない、原始的な、アフリカ的段階な社会にとっても、鍵を握るのは、
人間の脳=心の本質であるところの、詩的構造以外の何物でもない、
と、中沢さんの『吉本隆明の経済学』に書いてます。
なんか、難しいお話して、すみませんね、みなさん。
あっははは。もうちょっと続けますと、
『吉本隆明の経済学』にはこんなことも書かれています。
・・・言語も経済も、マルクスの言う意味での≪交通≫であって、
少なく見積もっても、数万年の間、人間の脳=心が生み出した、って中沢さんは書いてます。
・・・その脳=心は、初め、詩的構造として生まれ、そののちも、
この構造を深層に保ち続けてきた、と。
・・・吉本さんは、その根源的な詩的構造の場所に立ち続けることによって、
稀有な思想家になった、と。
・・・そして、その≪詩人性≫は吉本さんの思想の揺るぎいない土台であった、と。
まあ、そんなことを中沢さんは述べています。
・・・おれは、これまで、吉本さんの思想が、巨大で、偉大で、大きすぎるので、
よくわからなかったのですが、かなり理解できた気持ちになりました。あっははは」
「なるほど、そういう事情で、吉本さんも、『芸術言語論』には、思い入れが強かったんですね」
竜太郎がそう言う。
「そうなんです。吉本さんは、『貧困と思想』という著書の中では、こんなことを言ってます。
≪芸術という概念、(吉本さんの場合は文学ですが、)それを普遍化してゆけば、
政治問題も経済問題も同じように解けるのだと考えているわけです≫って」
信也はそう言った。
「なるほど。吉本さんの思想に共感する、おれたちに、さて、
これから何ができるのか?ってことになりそうだね。
まぁ、まぁ、今夜は、飲んで、食べて、楽しくやりましょう!
最初から、難しい話になりましたけど、あらためて、みなさん、カンパーイ(乾杯)!」
そう言うと、竜太郎はグラスを持った。
「カンパーイ(乾杯)!」
4人は笑顔で、グラスを合わせた。
≪つづく≫ --- 110章 おわり ---
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