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或る画家の遺言。

作者:葉未
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前置き

『――やあ。初めまして。
私の名前は小野寺弘彦(おのでらひろひこ)
林弘彦の方が親しみやすいのかもしれないが、敢えてここでは本名を名乗りましょう。
この記述を読む君は私と既に知り合いかも知れないが、リアルに動き回っている日々の私が私の本性とは言い難いし、私が今書いている現在と君が読んでいる時間軸が違うのならば、私たちは正確には、例えどんなに親密な知り合いであろうとも、同じ時間を共有していない限りは初対面も同然だと思うのです。
ですからここに記す限りは、「初めまして」が適切だろうと思い、私はこれからの独白の出だしを、挨拶で始めました。
このノートは、文房具マニアの父から譲り受けた、特殊なノートです。
鍵は私がある場所へと隠しましたから、滅多なことではこの記述は読めないはずですが、私はこの記述を誰にも見られたくない、墓場へ持っていきたいと思っている一方で、誰かに見て欲しい、私の心を知って欲しいと願っています。
つまりは、どうでもいいというわけです。

しかし、君がこれを読んでくれているとしたら、それはそれで堪らなく嬉しい。
どこの誰かは知らないが、君を私の罪に巻き込めるかと思うと、それはずっと長い間切望してきたことのように思うのです。
君が他人であればある程良い。
または、親しければ親しいだけいい。
つまりは、誰であろうと構わない。

途中で挫折はしないように願います。
最後までどうか付き合って。


何てことのない学生生活を普通に送る日々が苦痛でならず、鬱憤も溜まり、頭がおかしくなりそうなとき、私はこうして感情を文章に認めてきました。
こうすることでストレス解消を計るということを、幼少時から繰り返してきた為なので、既に習慣付いているのでしょう。
昔は、可愛らしく四つ切り画用紙に大きく嫌なことをされた対象を思い浮かべながら、マジックで『バーカ!!』等と大きく書いてその後ライターを使って庭で燃やした程度だったけれど、多くの文字と言葉と言い回しと単語を覚えた結果、この様な文章になってしまったというわけです。
多くの動物の中で言葉を使ってコミュニケーションを取る人間の優秀な特質でも、まあ一介の個人が使う使い道なんて、他人とのコミュニケーションとこうした自己主張程度に留まることは仕方がないことだと思います。


…さて、私の鬱憤を記しましょう。
それはもう、随分前。
しかし忘れもしない時間。
私が高校三年になった年でした。あの頃が人生の節目だった。
話し始めとしては春がいいでしょう。
受験が本シーズンを迎え、周りは躍起になって勉強を始めていました。
付属大学があるのでそのまま上がってしまえるんじゃあないかとか、安易に思わないでいただきたいものです。
うちの学校は無駄に業績のある歴史ある男子校で、このご時世に未だにブランドプライドが高い為、内部試験はしっかりあります。情け容赦ない成績の振るい機が待っているのです。
私は昔から勉強が嫌いです。
必要だと思いますが、嫌いです。しますけれどね。
正しくは、勉強が嫌いなのではなく、“勉強に時間を取られること”が嫌いなのです。
何故なら、私は絵を描くことが好きだから。
できる限りそちらに時間を割いていたいと願ってきました。
学校の美術部に所属しており、小さい頃から絵が…特に、鉛筆絵と水彩が好きです。
好みとしてはこの二つが。
しかし、その年は趣味の時間を削り、嫌が応でもある程度勉強に徹しなければならなかった。
…とは言っても、当初の志望学部をクリアするにはそこまで力を入れずにもできる程度でありましたから、それまでと比べると些か勉強時間は増えはしたものの、実を言うとそこまで真剣に取り組んでいたわけでもありませんでした。
先程も記述したとおり、勉強をする時間があれば、私は絵を描いていたかった。
そして、大好きな友達との時間を過ごしたかった。


友達というのは、他でもない、新田由生(にったゆうき)です。
君は由生を知っている人間だろうか?
知っていたら、少し嬉しい。
彼との付き合いはもう長い。
初等部からの友達です。
どのような奴かと聞かれても困ります。
付き合いの長い間柄ですが、彼を誰かに紹介するとしたら、端的で分かりやすいのは“病弱な御曹司”でしょうか。
雰囲気が薄く、儚げで白が似合うようにできています。
いい奴です。夢見がちで。
彼は小学四年生の頃、難しい、何だか普通ではない希な病気と診断され、臓器を崩し、手術をして一度は治りましたが再発し、ドナー待ちの状態をもう約十年、続けていました。
元々、小学生の頃までのんびりとした性格でしたが、それ以降学校や社会にあまり触れることが無かったせいか、実におっとりとした、絵に描いたような爽やかさと穏やかさを持っています。
私や、普通に生きている人間は、小学校高学年とか中学を境に、それまできらきらとしていた夢に溢れた美しい世界を見る目が、じわじわと曇って膜が張ったように輝きを失い、鈍色化し、それを直視することも美化しようとすることにも冷め、疲れ、諦めを覚えますが、由生はそれがありません。
例として会話の題材をあげましょう。
由生が嬉しそうに話す日常の会話といえば、今日の空が青いだとか、雲が変な形をしているとか、誰々が花を持ってきてくれたとか、病院前のハクレンが綺麗だとか、小説が面白かったとか、デジタル時計の秒までのぞろ目の瞬間を見たとか、新しい私服を買ったとか、星が綺麗だとか…。
本当に、冗談抜きでそんな話ばかりなのです。
それから物欲が乏しくて、些細な物で喜びます。
今時、多少綺麗とはいえ、桜の枝一本で声を上げて喜ぶ男がいますか?
滅多に買い物に出ないから、病院近くのモールでちょっと服を見て回り、たった一着私服を買う為に出かけただけでそりゃあもう大騒ぎで、あれが似合うかこれが似合うかと行ったり来たり。
彼は私服を滅多に着ないので、由生にとって今時の私服は正装のような感覚なので気合いも入るのでしょうが、付き添いの私などは見ていてあんまりハイテンションにならないで欲しいとおろおろしてしまいます。
毒気も抜かれます。
私は彼が大好きです。
由生は、未だに夢と希望に満ちた“少年の世界”にいる。
彼といると、まるで聖域のような世界の中の特別美しいエリアに私もいられる。
であるから、彼に合わない臓器を持っている世の中の人間が嫌いで仕方ないのです。
こんなにわんさかいるんだから、一人くらい合っていろよと思うのが正直なところです。
医者も医者だ。無能め。
どいつもこいつも、役立たずのクズばかり。
勿論、私も含めてです。
彼といるのは楽しいけれど、時々無性に、この皮の内側にある臓器を彼にあげられないことが、本当に無念で口惜しい。
…大体、外部から検査するだけで本当に合わないんですか?
一回オペして取りだして、由生に填めてみて合わなかったら諦めますけど、一度やってみてほしいくらいです。
なんなら、関係者片っ端から切り開いて試してほしいくらいとか、考えています。
…ええ、勿論そんな馬鹿なことを真剣に思っている訳ではありません。八つ当たりであることもちゃんと分かっています。
けど、このままでは由生は近いうちに死んでしまう。
二十歳までは難しいかもしれないと、由生の母親はその年の頭に俺に話してくれました。その時の記述もたしか何処かに……いや、まあいいか。どうでも。
そんなことよりも、どうにか彼の時間を止められないだろうか――。
私の願いはそれだけでした。
本当は一緒に成長したいが、そこまでは望まない。
だからせめて、彼の時間を、ある日突然ぶっつりと切らないで欲しい。
細く連なる寿命の糸が切れてしまう日を、私はもうそれまでの何年も怯えて暮らしていました。私の寿命の半分でもいい。彼にあげたい。
そんな時です。その本に出会ったのは。
それを勧めてくれたのは、他ならぬ由生でした。
だから運命だったのだろうと思うのです。


私は、どちらかといえば非科学現象を信じない人間です。
自分で幽霊の一つでも見ればいいけれど、生憎経験が無いものですから。
でも、自分で見ればおそらく信じるのでしょう。
それが『幽霊』なのか、『幽霊と私の脳が認識した何らかの物体』なのか、『幽霊と私の脳が認識した幻覚』なのか、そこのどれなのかは別として、おそらく『幽霊っぽいものを見た』ことは信じるはずです。
私は何も堅物な学者ではありません。
一般人である私にとって、プロセスよりも“不可思議がある”という結果なのです。
であるから、生まれてから現在に至るまで、私の身が経験した不思議な現象はこれ一つ。
信じない人間に何を言っても無駄であることは分かっていますが…。
世の中に、不思議なことはあるものです。

さあ、話しましょう。
私の罪に君を巻き込む。
ちゃんと聞いていておくように。





【或る画家の遺言。】





 
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