俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか
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43.証拠不十分
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――時は、アズ達がラッターの案内を受けてウィリスの居場所へ向かい始める頃に遡る。
ラッターは依頼を聞くなり仲間の集まりに向かって情報を仕入れ、僅か十数分でアズたちの下に舞い戻ってきた。
「ヘイ、エブリワン!予め言っておくことがあるんだが……今回そっちが情報を欲しがった『ウィリス』ってヤツな、どんなに調べても20年前の目撃証言しか出て来ねぇ。とりあえず例の場所は判明したが、多分もういないだろうな……何せ、その場所に未だに棲んでるんならいくらなんでも目撃証言がある筈だからな」
普通の人間は生きていくうえで食事を取らなければならないし、服を洗ったり娯楽を求めたりするのなら外出は必須だ。その外出に出ている姿を誰も見てないというのは、そこに住んでいないと考えるのが妥当な線だ。
「ここの通りでは借金取りから逃げるために使われるポピュラーな方法さ。予めこの辺の地理に詳しい『逃がし屋』を用意しておいて一度ここに入り込みし、態と目撃証言を残しつつも本人は全く違う場所から街をエスケープ………なにせこの迷路みたいな地理と人の多さだ。スピード勝負なら逃げ出せる公算が高いのさ」
「………指名手配犯みたいな悪い人もですか?」
「ヘイ、キュートガール?そんな疑いの眼差しを向けないでくれ。俺達が手を貸すのはあくまで善意の範囲までだ。根っからの悪人や人情のないクズまで助ける程飢えちゃいないさ」
今日ですっかり人を疑う癖がついてしまったレフィーヤの目線にラッターは肩を竦める。
「大きな組織に目ぇ付けられてるような連中はこっちの界隈にブラックリストが回ってくるから大抵はみんな関わろうとはしない。下手に触って余計なイザコザを俺達のテリトリーに入れる訳にはいかないしからな。それに、ポピュラーな手だと言っただろ?追う側もそこは当然警戒するさ」
「………ええそうでしょうよ。ギルドは特に警戒してますからねー」
何でも内容に説明するラッターの横で、未だに彼のことをしょっ引きたいトローネが地を這うような恨みがましい声を垂れ流す。その目線には暗に「なまじラッター達のような逃げ道が残ってるから余計なことが起きるんだ」と言わんばかりだ。
しかし、レフィーヤは貧乏ファミリアの話はよく聞くが、夜逃げの話はそれほど聞いたことがない。
「多いんですか、夜逃げ?」
「多いですよ~……パターンは多すぎて説明しきれないくらいですけど、ファミリア結成の見通しが甘い神が一体何人夜逃げしようとしたことか!特に極東系の神!!タケミカヅチ様によるとあと799万数千人ほど天界で暇を持て余しているそうですが!!」
「あっはっはっ!日本神話は多神教ってレベルじゃない神の数だからね~!比率的に偏るのもしょうがないんじゃない?」
「ニホンシンワ?タシン教?なんかまた聞き慣れない言葉が……」
「………そういえばこっちには神話の概念が無かったんだったな。こりゃうっかりだ、今のナシねー」
――後にレフィーヤがリヴェリアに教えてもらったことには、シンワとは「神の辿った筋道」のようなものであり、タシンは「同じルーツを持つ多数の神」という古い概念を表しているそうだった。
ついでに普通の人間なら耳にしたこともないぐらい古くて難しい言葉な上に、シンワに関しては神ぐらいしか知らない筈の内容らしい。アズライールという男はどれだけ自分をミステリアスな存在にすれば気が済むのだろうか――と呆れてしまう。
閑話休題。
裏話や私怨はさて置いて、重要なのは何でもいいから手がかりを得ること。ウィリスが夜逃げしていようがいまいが、今の所彼に繋がる情報はラッターの仕入れた情報しかないのだ。ラッターの先導で隠し通路だらけの入り組んだ場所をひたすらに歩き続けた4人は、多数の小さな部屋が積み重なったような狭い空間にやってきた。
通路なのか建物なのか、壁や天井が所どころ存在せず、まるで既存の建物を無理やりこの空間にねじ込むためにあちこちを削ったような構造だ。ただ、アズだけはその空間をどこか懐かしそうに見つめながら歩いていた。
「分譲住宅か……結構な大きさだな」
「の、割に移動の便が悪くて日の当たりも最悪。おまけにダイダロス通りの建物でも指折りの部屋の狭さで人気はゼロだ。部屋数がやたらと多いし管理が面倒で誰も自分の縄張りにしたがらない塵溜めの中の塵溜めだよ、ここは。噂じゃこの部屋のどっかにファミリアの弱みや犯罪の証拠を放り込んで調査の手を逃れてる奴もいるらしい」
「まるでコインロッ……っとと、これもオーネストにしか通じないな」
「うわ、足元に穴が開いてる……!とてもじゃないけどここで生活する人の気が知れませんね、これは」
「吹き曝し状態のせいで風化が酷い……街はずれのオンボロ教会のほうがまだマシに思えます」
「だろう、ガールズ?だから常識的に考えれば何かから逃げるために使われたとしか思えないのさ……っとと、ウェイトエブリワン。この部屋だ」
4人の足が止まる。錆に塗れた金属のプレートには辛うじて数字であることが分かる文字が彫り込まれ、引けばそのまま壊れそうなほどに古びた扉。これと全く同じに見える扉がひたすらに並ぶ中でここだと断言できるのは、情報屋にしか読み取れない、間違い探しのような「何か」があるからだろう。
ラッターは懐から針金のようなものを取り出すと、かちゃかちゃとドアノブに突っ込んで掻きまわす。動かすたびに錆がぱらぱらと零れ落ちているが、それが「ピッキング」と呼ばれる行為であることをレフィーヤとトローネは知らない。
「アズさん、ラッターさんはさっきから何をしてるんで――アズさん?」
「気配がする」
アズが、黄金仮面を取り外して呟く。
その瞳は全てを吸い込みそうな深淵の如く、その場の人間には理解できない何かを見つめている。
「……『死』だ。それも、これは……」
「駄目だ、アズのダンナ。全く使われた形跡がないせいで中の錠まで完璧に錆びてる」
「とりあえず、ここに管理者がいるんなら『告死天使が修理代を出す』って言っておいてくれ」
「え、ダンナ……?」
緩やかな手つきでラッターを横に誘導したアズはふぅ、と息を吐き、とんとん、とつま先で地面を叩く。そして、目にも止まらぬ砲弾のような速度で扉に蹴りを叩きこんだ。
バキャン、と小気味の良い音を立てて酸化した扉の鍵が割れ、勢いよく扉が建物の中に飛び込んだ。幾ら錆びているからといって容易く蹴破れるものでもないだろうに、あれを人間が受ければ体を貫かれるほどの衝撃を受けるだろう。まるで黒い槍だ、とレフィーヤは顔をひきつらせた。
その瞬間、部屋のなかに押し込まれた空気が大量の埃を捲き上げて外に放出された。扉の正面にいたアズ以外の人間の足元からも吹き上がる埃に周囲が咳込む。
「けほっ、けほっ!!な、何ですかこの埃の量はぁ……ああ、制服が埃まみれに!!クリーニング代だって安くないんですよぉ~……?」
「こ、これはどう考えても長年放置されてた証ですよね……って、アズさん!?」
アズは埃をまともにうけて灰色になったお気に入りの黒コートを脱ぎ捨ててラッターに放り出し、有無を言わさず部屋の中に突入する。今まで温厚だった彼らしからぬ性急な行動に、思わず他の三人は焦って後ろをついてゆく。
部屋の中はとにかく埃だらけで、古くて、そして狭かった。罪人の放り込まれる檻とそう大差がない程度の大きさしかないその部屋には、机と椅子以外には何一つ家具がない。
そして――。
「え………う、嘘………!?」
そして――。
「………なるほど、やっとアンダースタンドしたよ。道理で誰も姿を見ていない訳だ」
そして――。
「…………俺達の探したウィリスという男はずっとここにいたんだな。但し――当の昔に魂は冥府へ旅立ったようだ」
そこには、天井から吊るされ先端が輪になったロープにぶら下がった『もの』があった。
かつては恐らく生物だったのであろう――水分は蒸発し、筋繊維や皮膚の残骸が辛うじてそれの原型を保っている。主成分はリン酸カルシウム、色は黄色に限りなく近い白、床には直径1M近くの茶色い染み。
レフィーヤは口元を抑えて嗚咽を漏らし、ラッターは静かに目線を下におろし、アズは瞑目する。そして、この中で唯一『それ』を見たことがなかったトローネが、埃まみれの部屋の床にぺたんと尻もちをつき、悲鳴を上げた。
「い………嫌ぁぁぁぁぁぁあああッ!!ほ、ほ、骨ぇ……人間の骨ぇぇぇえええッ!!」
そこには、ミイラと白骨の中間を彷徨う一つの亡骸が、首を吊った形でぶら下がっていた。
数分後、部屋にぽつんと残された日記帳に目を通したアズは、部屋を飛び出した。
直後、街に巨大な声を響かせる少年の罵声と地響きが起きた。
= =
某月某日
終わりを感じる。終焉だ。職人として、男として、もう俺には生きる意味が見つからなくなってしまった。食事さえ碌に喉を通らず、ウルカグアリ様に心配されてしまった。俺達の所為でファミリアの信頼だって大きく傾いたはずなのに、それでもウルカグアリ様は俺達の事を気遣ってくれている。その優しさが、今の俺達にとってはどうしようもなく辛い。
アルガードは、あれからまるで感情のない人形のような顔でひたすら工房に籠り、絶えず何かを作っている。その形相には狂気すら感じ、他人の声も碌に聞こえていないようだ。迸る衝動を処理できず、ひたすらに無我の境地に逃げ続けているのだろう。
俺も同じことをすれば気が休まるかと思い仕事道具の鎚を手に持つ。だが、原料の金属を持つ手が震えて止まらず、結局何も出来なかった。
俺達のこの手が、ピオを殺した。
彼岸の向こうへ。手の届かぬところへ。いや、死ねば届くか。
俺は自分の浅はかな考えを嗤った。ピオを殺す原因を作った男が、ピオと同じ場所に行けるものか。
某月某日
ファミリアを辞めた。ウルカグアリ様は止めなかった。ただ、とても悲しそうな目で、逃げ場が欲しくなったらいつでも来なさい、と囁いた。敏いお人だ。同時に慈悲深くもある。無理強いはされていないが、俺はその言葉を聞いた時に心が揺れるのを感じた。生きるのが辛くなったら逃げ場になってくれると、かの神は言うのだ。
だが、俺はもう準備を始めている。恐らくこれがウルカグアリ様と俺の末期の逢瀬となるだろう。
我らが美しき女神よ、貴方の眷属となり尊敬しながらも、その御元を去る不幸を赦し給え。
アルガードには会わなかった。会っても無駄だから、とその時は思ったが、今は違う考えを抱く。親友である彼も「同じこと」を考えないだろうか。俺が接触することで、それを自覚させてしまわないだろうか。なら、いっそ無心で鎚を振り続けたほうがあいつの為になるかもしれない。咎を負うべきはあいつじゃなくて俺なのだから。
アルガード、お前まで馬鹿に付き合うことはない。生きて神に仕え、ゆっくりと心の傷を癒し、いつか「あのバカが行方不明だ」と苦笑いしながらピオの墓前に花束を置く、そんな男になってくれ、と俺は厚かましくも願うのだ。
某月某日
ここなら誰にも見つかる事はなかろう。しかし、俺という存在を消し去るのにこの日記をこの世に残すという矛盾を捨て置いてもよかろうか、と疑問を抱く。死を前に筆とると思いのほかに書き残すことが思いつく。
信愛なる9人の職人と女神、そしてその眷属たちよ。先立つ不孝を赦し給え。お前達には未来がある。されど俺は背負った罪に耐えながら未来を目指す気概は残されていない。もしこの日記を見つけたら、そんなもので罪を贖ったことになるのか、と鼻で笑ってくれても構わない。
真実は、いつか誰かがアルガードに伝えることだろう。カースはお喋りだから、もう誰かに漏らしていてもおかしくはない。アルガード、これを読んでいるか。無責任な男だと憤って日記を投げ捨てるお前の姿が目に浮かび、思わず少しだけ笑ってしまった。
ピオへはここには書かない。彼女はこちら側にはいないのだから。
親愛なる女神様には、既に十分すぎる程に謝意を書き綴ったからもうよいだろう。
これ以上ペンを握っていると名残惜しんで躊躇いそうだから、ここで乱筆なる我が独白を絞めさせてもらう。
罪を償うのは、咎を負うのは、俺一人で良い。
「これが、現場から出てきた代物だ。お前さんの名前もあるぞ、カース」
次の瞬間、震える男の手がベッドに力の限り叩きつけられた。
「馬鹿野郎………馬っ鹿野郎があああぁぁぁぁぁぁーーーーッ!!」
容体が安定したばかりのカースは、その日記の内容を知るや否や、怒り狂って部屋の備品を片っ端から投げ飛ばし、子供の癇癪のように暴れ続けた。なんとか鎮静化した頃には、病室は何者かの襲撃を受けたようにボロボロになっていた。そんな中、彼のベッドの前で微動だにせず日記片手に座り続けていたヨハンが口を開く。
「落ち着いたか?」
「全く気は済んでないんだがね……暴れても意味がないという理性が働くぐらいには、冷めたよ」
項垂れるカースの顔には、酷い狼狽の色が見え隠れする。彼はやはり、この日記の意味に勘付いているようだ。
日記には不自然な部分がある。アルガードの証言内容を纏めると、ピオという冒険者が死んだのは改造した剣の強度が下がった所為。そしてそれを作ったのは誰か分からなかったらしい。だが日記の内容は少し引っかかる。
彼が自責の念に駆られて自害したことは想像に難くないが、気になる点は二つ。一つは、まるでウィリスが他の9人より遙かに重い責を負っているかのような独白。そしてもう一つは「真実は、いつか誰かがアルガードに伝えることだろう」という一文だ。
「真実とはなんだ。そして何故君がそれを知っているのか。その真実とやらを伝えたからアルガードはああなったのか、それとも否か……因果関係をはっきりさせておきたくてね」
「………ウィリスは」
「ん?」
「俺が出くわしたあのウィリスは誰だったんだよ……」
「少なくとも本人ではないだろうな。あの白骨死体の身元は状況証拠からしてウィリス本人だろう。部屋の合鍵は作られていないし、肝心の鍵は彼の腐った衣服の中に入っていたよ」
「……………………」
カースは呆然と床を見ている。まるで状況を処理できていないのか、あまりのショックに言葉が出なくなっているようだった。
そして、ヨハンはまだ彼に重要な事を伝えてない。今回のこれはあくまで『ウィリスの死因を究明する話』であり、彼はまだ自分を殺そうとしたのがアルガードであることを一言たりとも聞いていないのだ。
そんな残酷な現実が待ち受けている事も知らず、カースは記憶を整理するように、ぽつぽつと言葉を漏らした。
「他の連中は知らなかっただろうが、俺は知ってた。ウィリスが黙ってるんなら俺も墓まで持って行こうと……」
「何をだ」
「………『武器は完全だった』んだ。あいつが死ぬ必要がどこにあった……!!」
「………ちょっと待て、それは――」
「『舞牡丹』の剣は、あの時俺の担当だった。でも俺はその剣が誰のか直ぐに判ったから、こっそりウィリスと話し合って整備する剣をすり替えた。だから、『舞牡丹』が受け取った剣は、ウィリスがミスなく完璧に仕上げた剣だったんだ」
「馬鹿な。ヘラ・ファミリアとウルカグアリ・ファミリアはそれで騒ぎを起こし、ギルドの調査が入った!!そんな話は報告書にはなかったぞ!!」
「ああ、なかっただろうよ」
ふっと自嘲気味に笑ったカースは、真実を口にした。
「なにせ、『証拠がなかった』からな………俺とウィリスが作業を入れ替えたなんて帳簿には載ってない。そしてその頃、うちのファミリアでは改造時に強度が落ちていないかのチェックを行っていなかった。だから、立証されなかったんだ。それに、下手に事実を明かせば立証も出来ないままウィリスにだけ疑いの目が向けられる………あんた、自分の同僚を余所に売るか?」
「……納得した」
ギルドは今も昔も事件調査では証拠主義を取っている。だから事実が帳簿に残っておらず、強度チェックがされておらず、事実として剣が壊れていた場合、状況証拠と掛け合わせれば「ウグカグアリ・ファミリアの責任」となるのは事実だ。
「すると、なにか………あの事件は『舞牡丹』が普通に戦って死んで、その責任の所在をお前らに押し付けた……そんな事件だったというのか?」
「知るかよ。そうでもしないと怒りが収まんなかったのかもしれねぇし、あっちの神が慰謝料ぼったくる為に態と煽ったのかもしんねぇ。真相なんて……分かるものかよ」
ヘラ・ファミリアはとうの昔に壊滅し、主神は行方知れずになっている。当事者は恐らく全員がダンジョン内で死亡済み。ヘラ・ファミリアの所有していた土地や屋敷は軒並み売りに出され、冒険者の私物は金目の物を除いてすべて焼却処分されている。
どちらにせよ、当時立証できなかったような事実を覆す証拠を相手がずっと手元に置いているとは考えづらい。当時に彼がどれだけ頑張ったところで、責任の所在が誰にもなかったことを立証するのは無理だったろう。
「その事は、他の連中には伝えなかったのか?」
「当時はみんな疑心暗鬼だったから、言っても信用されないのが怖くて言えなかった。その後、あの頃のメンバーはバラバラになって……再会した何人かには伝えたよ。ただ、アルガードには言わなかった。職人として完全に復活してたあいつの心の傷を、今更になって穿り返したくはなかったからな……」
すれ違った真実。すれ違った想い。すれ違った結果。
全てが噛みあわないまま不協和音だけが響き、全ての人間を不幸にした。
始まりの事件での『敵』は消え、弾劾する相手も残されてはいない。
= =
取り調べを病室の扉の横に背を預けながら聞いていたアズとオーネストは、これ以上は聞く必要がないと判断してその場を後にした。
「カースが真実を伝えていたら、アルガードは事件を起こさなかったと思う?」
「アルガードが事件を起こしたんじゃない。起こすよう誘導されてあっさり乗せられただけだ。そいつを操ったクソ野郎の機嫌次第だな」
「本人の意志は無視かよ。悪党だねぇ、そいつ」
「この世に正義も悪もあるものか。あるのは、俺がそいつを許さないという事実だけだ」
「キレたか?」
「見つけたらとりあえず殺しておく」
オーネスト・ライアーという男は、洗脳とか信仰とか、とにかくそういうものが大の嫌いだ。人間の意志が別の大きな意志やイデオロギーに支配され、行動を制限されている光景を見るのが心底お気に召さないらしい。その判断基準は明瞭ではないが、オーネストは人間の尊厳に煩い。
自らの尊厳を捨てて他人の主義を振りかざす奴は「狗」。
自らの尊厳を諦めて流されるままの奴は「気に入らない」。
自らの尊厳を捨てずに泥の中でもがく奴には無言で手を貸す。
そんな彼が「許さない」と言ったのだ。犯人はオーネストに未来永劫許されることはないだろう。とても個人的で単調な話だが、彼にとってはその認識が重要なのだ。
病院の階段を下りて外に出る。鎧騒ぎの復興で忙しいのか、大通りはひっきりなしに馬車が行き来していた。
「アルガードは操られてたのか?確かに狂気は感じたが、彼自身の本音はピュアだったように思える」
「恐らくは特定の感情を偏らせる催眠術の類だな。人間、普通は特定の感情が存在しないことはない。憎しみだってあったろう。犯人がやったのは、そんな小さい感情ばかりを強く感じ、催眠をかけた本人をウィリスだと思い込ませるような……まぁ、複雑な催眠だ」
「確証はあんのかよ?言葉巧みに誘導したのかもしれないぜ?」
「牡丹の花だ」
曲がり角を曲がりながら、オーネストは露店にある牡丹の花を一輪つまみ、女性店員にコインを弾いて渡した。店員の女性はオーネストが『狂闘士』であることを知らないのか彼の美貌に釘付けになっているが、当然本人は無視して進み続けた。
「花がどうしたよ?」
「あいつの工房にはこの花があった。定期的に補充していたらしい。そしてこの花を最初に工房に置いていった奴は、犯人だ」
「何だそりゃ。その花の香りに幻覚作用でもあるってのかよ?ケシの花でもあるまいに」
「違う。後催眠誘導だ。それと、ケシの花の覚醒作用は香りにはない」
指で花を弄ったオーネストは、もういらないとでも言うようにそれを近くを通りかかった冒険者の女の子にすれ違いざまに握らせた。渡された女の子が花とオーネストを交互に見て、顔から火を噴いて倒れる。本人には欠片も自覚がないんだろうが撃墜数2だ。
「病院に行く前、ウルカグアリの所でアルガードを見たろ。最初は無邪気にはしゃいでいたのに、モルドが牡丹の花を持ってきた途端に急に落ち着きがなくなった。元々一度の催眠で数週間もたせるのは難しい。おそらく催眠誘導は牡丹の花の香りによってスイッチが入るようになってたんだろう」
「だからあの時ウル達に『牡丹の香りを嗅がせるな』なんて忠告したのか……なるほどねぇ、催眠術のトリガーに利用されてたわけだ」
「犯人は感情を煽るのが上手い奴だよ。『舞牡丹』の為の復讐が建前だったからアルガードも隠喩として捉え、全く怪しまなかったろう。花の香りが切れれば精神の均衡が不安定になり、また花の香りを嗅ぎたくなる。一種の中毒性だな」
ふと対向車線を見ると、不思議な雰囲気の少年がこちらに笑いかけていた。軽く手を挙げて応えると、少年は満足そうに路地に消えて行った。何だあの少年、ちょっと幽霊みたいで不気味だな。このオーネストとの差はなんなのだろう。
「ただ、恐らくは犯人にも誤算だっただろうな……アルガードがウィリスをも殺そうと考えてたのは」
「確かにな……ウィリスを殺す事への執着は明らかにズバ抜けていた。それに犯人が自分を殺すよう誘導する訳ないしなぁ」
「自分の魂の一部を定着させたネックレスを手渡し、それを感知することで相手を追う……パラベラムの話だとそういうカラクリだったそうだ。それにあいつは本物のウィリスが死んでいる事を知らなかったし、工房から出発して以降誰かを追うように何度か進路を変更している。犯人は街の中にいた」
通り過ぎる人並みに避けられながら俺達は街外れの教会に向かっている。俺の提案で、ヘスヘスの新しい眷属の顔を拝みに行こうと提案したのだ。俺は既に面識があるが、オーネストはまだなのだから。
しかし、街の中にいたということは、今も潜んでいる可能性がある。魂の気配を感じ取れるアルガードの魂が逝ってしまった以上、別の方法で追跡するのは困難を極めるだろう。
「………何か犯人に繋がる目撃証言とかありゃいいんだけどな」
「犯人は周到だ。目撃者がいたらとっくに殺してる。もちろん殺した証拠も完全に抹消してな」
今回の騒動は終わりを告げたが、オーネストの表情はどこか険しい。
かくいう俺も、漠然とした靄が胸の中を渦巻いていた。
「どうも、これで終わりとは行かなそうだな。時代のうねりって奴か?」
「さざ波にしては大きそうだ。将来が不安か?」
「からかうなよ。俺達に未来はいらない……だろ?」
「そうだ、俺達に未来はいらない。その時目の前にある現実だけを、俺達は相手にしてればいい」
なら安心だ、と俺は思った。
俺とオーネストと、二人揃っていれば相手取れない敵などないのだから。
数分後。
「そうだアズさん、聞いてください!!この前の事件で首からネックレスかけたものすごく不審な魔法使いを見たんですよ!!」
ヘスヘスと2人で、危険人物に接触した馬鹿者を滅茶苦茶説教した。オーネストはふっと笑って「運のいい奴だ」と呟くだけで、あとは我関せずとソファでくつろいでいた。
後書き
ぼーっとしてたら「未来」が誤字って「未来」になってました。滅茶苦茶必要な人物なのに……。
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