例えばの話をしよう
ある世界、Aがあるとする。その世界には、限りなく近いが細部の違うaと言う世界が存在する。
しかし、その細部は違う世界は実は一つでは無く、bと言う世界もまた、存在する。
まああくまで、例えばの話だ。それは有るかも知れないし、無いかも知れない……所謂、仮定の話でしかない。
今貴方が居る、その場所に、同じ時代の同じ時間で、並行に並ぶ別の世界には貴方ではない、誰かが居るかもしれないように。
“有るかもしれない”しかし“確かめようもない”。話すことには意味もない、取り留めの無い例えばの話。
しかし……果たして其処で話を止める事は、正しいのだろうか?
もし、「別の世界が有る」事が“有り得る”とするのなら……例えば、貴方が明日死ぬ確率がけして0%ではないように。宇宙人が居る確率がけして0%ではないように。壁に向かって投げたボールが、“量子トンネル効果”に乗っ取って、壁の向こう側へと壁を透過して到達する確率が、例え限りなく0に近くともしかし確率上だけは決して0%ではないように。
本来交わる事のない二つの世界が“何かの拍子に交わってしまう”。そんな確率も、決して、0%では無い。つまり……“有り得る”のでは無いだろうか?
…………
『どうしたの?』
おや。
『ねぇ、違和感ない?』
噂をすればなんとやら。とは少し違うかも知れないが、どうやらお客さまがいらっしゃったようだ。
『違和感?』
では……仮定が仮定でなくなった話をしよう。
…………
これは、とある世界達の物語。
ある意味で極近く、ある意味で遥か遠くに隣り合う、二つの世界の物語。
ある二人の世界と、ある一人の世界が、偶然にも交わった。
そんなとある秋の日の、物語。