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ガールズ&パンツァー SSまとめ

作者:でんのう
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ドゥーチェ・アンチョビと西住みほ

 ピンポーン。西住みほの住むマンションのインターホンが鳴る。
(こんな夜遅くに誰だろう……?)
 宅急便を頼んだ覚えもない。誰かを呼んだ覚えもない。
 好ましくない――訪問者?
 みほは音を立てずに椅子を引き、本とノートをそっと閉じて静かに立ち上がる。
 抜き足差し足でインターホンのモニタに近づくと――。
 ピンポーン。2回目のインターホンが鳴った。
「……」
 小さなモニタには、見慣れない女の子が映し出されている。
 オリーブグリーンの髪の毛を後ろで三つ編みに結い、ベレー帽をかぶった少女。
 襟に飾りの入った白いブラウスの胸元に、三色(トリコローリ)のワッペン。
(あれ? アンツィオの……制服!?)
 丸い眼鏡をかけた彼女から、アンツィオらしからぬ地味な雰囲気が漂う。
「どなた……ですか?」
 みほはインターホン越しにおずおずと声をかけた。
 少し俯いていた少女がインタホンのカメラに目を向けると、眼鏡の奥の深いワインレッドの瞳が輝く。
 数秒間の沈黙の後――ドアの外の彼女が、一言呟いた。
「……ドゥーチェ」

「こんな夜中にどうしたんですか!? あ、あの、ペパロニさんとか、アンツィオの皆さんは……」
「みんな帰った。私とカルパッチョ以外」
「あと、その……あの……」
 みほはツインドリルを解いて後ろに三つ編みに束ね、丸眼鏡をかけた彼女の姿を、視線をせわしなく動かしながら眺める。
「? ああこの髪と眼鏡か、気にするな。いっつもあの恰好をしてるわけじゃない」
――黒リボンの目立つツインドリルと軍服姿――アンツィオ高校の隊長、総帥(ドゥーチェ)・アンチョビは、その派手で勝ち気な姿を一変させていた。
 アンツィオの生徒の中ではむしろ浮いてしまうほどの地味さ――ただし、その声と態度そのものは、ドゥーチェそのもの。
「西住みほ」
「は、はいっ!?」
 突然名前を呼ばれたみほが、びっくりして背筋を伸ばす。
「なんでしょう、安斎……さん」
「アンチョビと呼べ」
「あ、アンチョビさん、なんでこんな夜遅くにわたしの家に?」
「お前、今日はよく戦ったな」
 試合の後、試合後の宴会……アンチョビが3度目の握手を求め、右手を差し出す。
「アンチョビさんこそ」
 右手で握手しながら左手でみほの肩を抱き、両頬にキスをした。
「私は、本当に良く戦った相手とサシで飲むのが大好きなんだ」
 傍らの背嚢からイタリア語のラベルの貼られた、赤みを帯びた黒色の瓶(ボトル)を取り出す。
「明日も休みだ。今晩は飲み明かそう、みほ」
「え? あ、あの、それ、ワ――」
「大人のブドウジュース」
 ドゥーチェ・アンチョビはウインクしながらみほの唇に人さし指を当て、次の言葉を遮った。



「これ、飲むのは初めてか?」
「はい……」
「じゃ、最初は一口」
 目の前のワイングラスに、濃赤色を帯びたブドウジュースが少しだけ注がれる。
 アンチョビのグラスには、なみなみと。
「今日の大洗女子の勝利を祝し、そして、これから試合の勝利を願って……乾杯(チンチン)!」
 カチン! と2つのワイングラスが乾いた音を立てると、葡萄色の水面が波立った。
 みほの眼の前で、ゆらゆらと揺らめくブドウジュース。
 その先には、グラスをくいっと傾け、喉を鳴らすドゥーチェ・アンチョビ。
 葡萄色の液体を半分飲んだ彼女は勝ち気な釣り目を少しだけ緩め、頬を僅かに桃色に染める。
「ふうっ。……さ、みほも」
 みほは意を決してグラスに唇を付けた。
 グラスを傾けると、甘味と香り……爽快な味と、ぴりぴりとした心地よい刺激が、舌と喉を通り過ぎていく。
「あ、美味……しい?」
 アンチョビはワイングラスにブドウジュースのおかわりを注ぐ。
 今度は多めに口に含んでみると、みほの身体の芯がじわじわと熱くなってきた。
「ぷはぁっ!」
「フルーティーですっきりとして飲みやすいだろう? じゃぁ……今度はこっち」

 目を輝かせて口を三日月みたいにして笑うアンチョビが、背嚢からもう1本の瓶をワイングラスを取り出す。
 瓶のラベルのイタリア語の中に「1982」の数字が見えた。
「学園艦秘蔵の30年物だ、こっちも飲んでみろ」
 コルク栓をポン! と開けると、部屋中にえも言われぬ不思議な香りが漂った。
「さっきのと飲み比べてみるといい。じゃぁ改めて……乾杯!」
 不思議な色。
 目の前のブドウジュースは更に濃く、やや焦茶色がかった――アンチョビの瞳を思わせる深い深い柘榴石(ガーネット)。
 その香りは、先ほどのそれとは異なっていた。爽やかさは無い。重く、さまざまな香りが絡み合った複雑なもの。
「い、いただきます……」
 西住しほが、産まれて2度目のブドウジュースを舌に乗せ、口の中でゆっくりと味わってからこくんと飲み干した。
「……」
「どうだ?」
「苦い様な、渋い様な――でもその奥にほんのりとした甘味が。あ、木の香りもします。……重くて、深くて、よく分からないけど、大切な……味が」
「ふん、初めてにしてはよく分かってるじゃないか。それが歳月を重ねた大人のブドウジュースの味さ。ちなみにお値段は――」
 アンチョビが悪戯っぽい笑みを浮かべた後、歯を出してニヤニヤ笑いながら、おいでおいでをする。
 口元に耳を近づけると、囁き声で言葉をつづけた。
「……円」
「!!!!」
 借りているマンションの家賃1ヶ月分が飛ぶ金額。
 聞いた瞬間、パジャマ姿のみほは後ろにひっくり返り、ベッドに上半身を沈めた。


「おい、大丈夫か?」
 みほが目を覚ますと、自分がベッドに寝かされていることに気付く。
 ベッドの隅で眼鏡を外し髪の毛をほどいたアンチョビが、頬杖をついて、みほの横顔を真剣な面持ちで見つめ続けていた。
 鋭く熱い視線に気づいたみほが首を横に向け、あ、と小さな声を上げる。
「初めてだったから……ちょっときつかったかなぁ。悪かった」
「あ、はい、大丈夫です……でも、なんでわたしにそんな高いワイ――」
「ブドウジュース。心底気に入った子と『いちばんいい奴』で杯を交わす。これが私の2番目の楽しみ」
「はあ」
「そしてとっておきは――これだっ!」
 いつの間にかパジャマに着替えていたアンチョビが立ち上がり、ベッドに潜り込んできた。
「え? え? ええっ?」

「あ! あのっ! 恥ずかしい……ですっ!」
「心配するな、別に恥ずかしいことはしない。ただ添い寝をするだけだ」
「お、女の子同士で1つのベッドに寝るのっておかしくないですか? わたしは床で寝ますからアンチョビさんがベッドに――」
「いーや、私は今晩みほと一緒に寝たい。……言っとくがいやらしい意味ではないからな、安心しろ?」
 そういうなり、細い手足をみほの手足に絡み付かせ、ぎゅーっと抱きつく。
「!!!!!!」
「うん、いい身体をしてる。さすがは黒森峰の副隊――もとい、2回戦を勝ち上がった大洗の隊長」
 顔を真っ赤にしてあわあわ慌てるみほを無視し、彼女のオーバーヒート気味の真っ赤っかな頬に、アンチョビが自分の頬をすり合わせた。

「みほ」
 灯りを消して暗くなった部屋の中。カーテンの隙間から月明かりが射し込み、アンチョビの大きな瞳が微かに輝く。
「はい」
 いきなり抱きつかれた時のショックと興奮が落ち着き、今は素直に話が出来る状態にはなったが……両手をしっかりと握られ、足の先もぴったりとくっついたまま。
 みほより少しだけ高いアンチョビの体温。触れた手足の先が暖かくてじんじんしてくる。
 目線をしっかりと見据えたまま、アンチョビが小さく優しい声でささやいた。
「お前は優秀な隊長だ。戦車の性能も特性も、隊員の性格や長所短所も知りつくし、バラバラだった急増部隊を短期間で練り上げてあのサンダースと我がアンツィオを倒すまでに育てた」
 みほは黙っている――ここまでの試合は、もしかしたら『まぐれ』だったのかも知れない。
 次は強豪……おそらく、プラウダが相手となるだろう。
 プラウダ戦。
 心の傷はまだ癒えてはいない。脳裏に――去年の悪夢がよみがえる。
 思わずアンチョビの手を強く握り締め、視線を彷徨わせると……オリーブ色の髪の少女がみほにぐっと近づいてきた。
「アンチョビ、さん?」
「ところで、さっきのブドウジュースどうだった? どっちがおいしかったか覚えてるか」
「えっと……その、どっちも、美味しかったです」
「最初のは私たちがいつも飲んでる奴。次のは――本当は準決勝に進んだ時の祝杯用だった奴だ」
「え!? そんな大事なものを、なんでわたしに」
 薄明りの中でみほが戸惑いの声を上げると、アンチョビの手がそっと髪の毛に触れる。
「みほ、2つのブドウジュースの値段は積み上げた年数と同じ――30倍は違う。じゃあ聞こうか。2つめのは30倍美味しかったか?」
「いいえ、そんなことは無いです。確かに2つめのワイ――ブドウジュースは30年の時間を感じる深い味がしましたが、だからと言って最初のが不味いなんてことは……全然無かったです」
「そうだ。古ければいい、高ければいい。伝統があるものが正しい。……逆に、安ければいい、新しければいい――そんな単純な事じゃぁないんだ。色んな見方をすれば、どっちも『いいもの』なんだよ」
「はい」
「偉そうな事を言うが……戦車道も同じじゃないかな、って思うんだ。いろんな戦車が、いろんな子がいたっていいじゃないか。その子たちが精一杯頑張れるよう、助けとなり背中を押すのが隊長の役目。そうだな? みほ」
「…………」
 勝利こそ全て、統率、訓練に次ぐ訓練、隊長への絶対服従――みほは黒森峰と全く違う大洗の戦車道に思いを巡らせてから、はっきりとした声で答えた。
「はい!」


 ……眠れない。
 産まれて初めて飲んだ大人のブドウジュースのせいなのか、それとも、隣で女の子が寄り添って寝ているからなのか。
――最後に誰かと一緒に寝たのは、いつの頃だっただろう――。
 みほは隣のアンチョビの体温をじかに感じながら、子供の頃の思い出に浸る。
「お姉……ちゃん」
 目を閉じたみほが、優しかった頃の姉――まほの顔を瞼の裏に浮かべた時……アンチョビが異国の言葉をささやいた。
「ヌンク・エスト・ビベンドゥム。ヌンク・ペデ・リーベロー・プルサンダ・テッルース」
「ぬんく、えすと……?」
「『今は飲むときだ。今は気ままに踊るときだ』……ホラティウス、古代ローマの詩人だよ」
(あれ? ダージリンさんみたい……)
 彼女の口から、格言? いや、詩の一節が出てくるなんて――みほは、暗闇の中で目を丸くした。
「そして『メメント・モリ』……死を忘れるな。――ローマの将軍は、勝利を祝う凱旋のパレードの時にこの言葉を使った」
「凱旋? 死……? あの、戦車はカーボンで守れらてるから安全で――」
 薄暗い闇の中でアンチョビの瞳の光が消える。
 ちゅっ。彼女の唇がみほの額に軽く触れた。
 複雑で芳醇なワインの匂いと、甘いアンチョビの身体の匂い……ほのかに香る、上品な香水。
 目を見開く。大きな釣り目の中の瞳の光が戻ってきた――みほの鼻先で。
 ワインの香りのする息遣いが聞こえる。互いに数センチ顔を出せば唇が触れ合う、近い近い距離。
「ごめんな。目が悪いからここまで近づかないと、みほの顔がよく見えないんだ」
「ううん、大丈夫です。お話、続けて下さい」
「戦車道に限らなくとも、事故、病気――いつ何が起きるか分からない。いつか『死』が来るからこそ今日を大事にし、一生懸命生きて、飲もう、食べよう、踊ろう――夜にはああ楽しかったと寝床について、次の朝を迎えたい。そしてまた明日も一生懸命生きて楽しもう、もし明後日に死んでも悔いの残らぬように――それの繰り返しだよ。楽しむために、みんな笑って朝を迎えるために、一生懸命生きるんだ」
 みほの茶色い瞳が大きく見開かれ、カーテンの隙間に射し込んだ月明かりに照らされた。
「アンチョビ……さん」
「あの子たちに言っても分かってもらえないんだけど――みほなら少しは分かると思ってさ……ごめん。私ちょっとブドウジュース飲み過ぎたたかなぁ、なんだか説教臭い」
「いいですよ、もっとお話を聞かせて下さい」
「お前には足りないものは何もない。相手を冷静に分析し、自らの置かれた立場を理解し、仲間たちの力を信じ、みんなが納得できる命令を出し、臨機応変に作戦を変えることが出来れば――黒森峰だろうがプラウダだろうが負けない、いや勝つ」
「え、それはちょっと無理かも――」
 もう一度アンチョビが手足を絡め、とくっ、とくっと互いの心音が聞こえるまでの距離で身体を密着させる。
「……」
「まだ『あの時』を引きずっているな。……もういい――お前は何も間違ってなかった。行進を続けていればプラウダに勝てたかもしれないが――お前は『死』を思わない冷徹な機械になっただろう。それは西住流としては正しい行いだ。だが……人の心を失ってまで守るべき『道』じゃないって思うんだ。私は」
「……わたし……」
 小さく震えだしたみほを、さらにきつく抱きしめ、肩を抱きながら頭を静かに撫でる。
「わたし、今でもあれで良かったか分からないんです。私があそこで戦車から飛び出してなかったら……お姉ちゃんも、エリカさんも、みんなも……」
 うっ、ううっ、と、みほが小さな嗚咽を漏らす。
 頭を撫でながら、アンチョビが額をくっつけた。
 2人の顔の距離は――恋人同士。鼻先もくっつき、ほんの少し唇を、舌を伸ばせば――触れられる距離。
「でも、今のお前は大洗で皆から頼られる隊長。あのころよりもずっとずっと素敵な笑顔と、真剣な眼差しをしている」
 みほはしばらくの間、嗚咽を堪え、震え続ける。
 その間、アンチョビは怯えた子を落ち着かせるように、ゆっくりと優しくみほの髪を、背中を、頬を撫で続けた。
「お前は間違ってない、間違ってないんだ」
「…………」

 みほの震えが止まった。
「こんな事言えた立場じゃないかも知れなけど――最後に一言だけ、気になることを言おう」
「はい」
「まだ、自分ひとりの力だけでどうにかしようとしていないか? 鉄の掟、鋼の心と絶対服従、そんな事は大洗では無理だろう」
「うん、たぶん」
「だとしたらだ。ただの仲良し集団じゃ困るけど……みんなの意見を聞き、いい所があれば自分の想いも変える柔軟さと、いちど決めたことを迷わずやり通す決断力」
「柔軟さと……決断力」
「そして、ただひたすらに冷静沈着だけではない。――えーと、言い方は難しいけど――仲間を奮い立たせるには、力強い弁舌や冷静さとも違う。他の方法が取れるかもしれない――これも柔軟さかな?」
「わたし……口下手で、みんなの前では上手く喋れなくて」
「逆境……『死』を切り抜けるために、今を楽しもう。明日を楽しむために今を頑張ろうよ――そんな簡単な事でもいいじゃないか。その簡単さからきっと答えは出てくる」
「……」
「私はあの子たちが怪我をしないように注意しながら、楽しく生きて、勝とう。また明日楽しく生きる為に。……私と一緒に頑張れば、きっと強くなれるぞ! ってみんなに言い続けて――ここまでやってこれた」
「アンチョビさん」
「今のお前は西住の名を忘れて、自分のやれることをしろ。逆境に陥った時何ができるか考え抜き、みんなが付いてきてくれる――そんなやり方でいいんだよ」
「……っ」
 また泣き出しそうになったみほの背中に腕を回し、胸に顔を埋めさせ、ぎゅーっと抱きしめる。
「よしよし……泣くな。もう寝よう、みほ」
「はい、アンチョビさん」
「おやすみ、みほ」
「おやすみなさい」


 真夜中――アンチョビは、耳に入ったみほの微かな言葉で目を覚ます。
「みほ?」
「――お姉ちゃん」
「ん? 寝言か……」
「……お姉ちゃん――ごめん」
 両目からほろりとこぼれた涙を、アンチョビが指で拭う。
「今晩だけ、私はお前のお姉ちゃんだよ、西住みほ」
「んふ……。……お姉ちゃん」
 涙を拭った指で、そっと頬を撫でる。
 そして柔らかい唇に指を触れると――口元を緩ませたみほが、軽く、指に、キスをした。 
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