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雲は遠くて

作者:いっぺい
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106章 落合裕子のバンド活動休止と誕生パーティー

106章 落合裕子のバンド活動休止と誕生パーティー

 3月4日、金曜日の午後の6時30分。
よく晴れて、南東の風で、気温も16度ほどで暖かい、一日だった。

 定時で仕事を終えた、川口信也、森川純、川口美結と落合裕子の4人が、
道玄坂(どうげんざか)にあるダイニングバーのビーエイト(BEE8)の、
個室のテーブルで、(くつろ)いでいる。

 ビーエイトは、JR渋谷駅ハチ公出口から歩いて5分の大和田ビルB1Fにある120席の、
おしゃれな落ち着いた空間の、イタリア料理で人気のバーラウンジ(バーの社交場)だ。

「じゃぁ、みなさん、きょうも、一日、お疲れ様でした!
今宵(こよい)は、(きゅう)にお集まりいただいたのですが、
ともかく、和気あいあい、楽しんで過ごしましょう!では、かんぱーい!」

 そう言って、モリカワの課長で、クラッシュビートのリーダーの森川純が、乾杯の音頭をとった。

 仲のいい4人は、琥珀色(こはくいろ)のシャンパンの入ったグラスを合わせながら、
笑顔で、目と目を合わせる。
テーブルには、ボリュームもたっぷりの鹿児島産和牛のローストビーフとかが(なら)ぶ。

「そう言えば、純ちゃん。今回の会社の書類の紛失の事件が、
真相が、愉快犯(ゆかいはん)で、アイツがやったことだったとはね。
まぁ、あんなに、しっかり管理してある書類が消えるわけがないもんね!」

 信也が隣の席の純にそう言った。

「まぁ、お(さわ)がせの、犯人が見つかってよかったよ。あっははは。
アイツは日頃から、おかしな言動にあったヤツだからね。
世の中には、おれらとちょっと違って、
逆切(ぎゃくぎ)れとか、逆恨(さかうら)みとか、嫉妬(しっと)とかで、
他者を困らせて、自分の鬱憤(うっぷん)やストレスを解消するしかない人間がいるんだよね、
しんちゃん、あっははは」

「社員が100人以上にもなれば、そんなヤツもいるわけか、純ちゃん。
おれも、勉強になったよ。愉快犯ってさあ、ネットで調べたんだけど、
自分の未熟さや劣等感の裏返しというか、その逆切れというか、
手段を選ばないで、他人を操作したりして、
自分の存在を主張して、快楽を得ようとするらしいよね、
それが愉快犯の心理らしいよね。
その愉快犯には、人格的に未成熟であるために、
基本的に、他人に対する思いやりや(いたわ)りの気持ちが欠落していて、
自分の行動に対しては、まるで他人事のように責任を持たないとか、
持ちたがらないとかの、傾向が見られるんだてっさ。純ちゃん。
そんなことじゃ、愉快犯も一般人もあまり変わらないところもあるじゃない、あっははは。
一歩間違えると、おれらも、そんな愉快犯になる可能性もあるかもしれないよね。
あっははは!」 

「しんちゃんの言うとおりだよ、あっははは。
おれも、社長や会社のみんなも、今回の事件は、他人事じゃないって、
いろいろと反省もしているんだよ。あっははは。
ま、今宵は、みなさんが、お疲れのところをお集まりいただいたのですから、
その話は、()めときましょう、しんちゃん。
おれたちが、()かれと思って、日々の仕事をしていても、
それを心よく思っていない人もいるってこともあるのかね。
人間なんて、ちょっと勉強して、教養を高めて、優秀を気取ったところで、
自己中心とか、自分の欲望とかが無くなって、無私の精神になるってもんじゃないんだから。
思いあがらずに、注意していくことも大切ってことなんだろうね。
今回の愉快犯では、つくづくそう思ったよ、しんちゃん!あっははは」

「まったくだよね、完全な人間なんていないんだ、純ちゃん。あっははは」

「ところで、裕子ちゃん。クラッシュビートのキーボードを、
お休みしたいというお話を、しんちゃんから聞いたんですけど・・・」

 純は、テーブルの向かいに座る落合裕子に、そう語りかけた。

「そうなんです。わたしの個人的なわがままなんですけど、お休みさせてもらいたいんです」

「裕子ちゃんのキーボードは、ロックンロールやブルースの難しいリズムにも、
バッチリと最高のノリで、おれとしては、いつも、とても感動していたんですけどね・・・。
しょうがないですよね。わかりました。また、いつでも、おれたちとやりましょうよ。
約1年間でしたよね。いろいろとありがとうございました!」

「純さん、(あたた)かなお言葉を、ありがとうございます!また、ご一緒に、
クラッシュビートで演奏することを、わたしも楽しみにしています!」

「よかったわね、裕子ちゃん。またクラッシュビートで演奏したくなったら、
いつでも、純ちゃんも、しんちゃんも、ほかのメンバーも、大歓迎よ!」

 そう言って、川口美結は隣の落合裕子に(やさ)しい眼差(まなざ)しで微笑む(ほほえ)。

・・・きっと、しんちゃんと裕子ちゃんには、(なに)かあったんだわ。
きっと、しんちゃんに夢中の裕子ちゃんのことだから、何かが。
裕子ちゃんは、きっと、感極(かんきわ)まって、(ほほ)に涙とかで。
お兄ちゃんは、女性の涙に弱いからなぁ。
そんなことで、何かあったから、裕子ちゃんもクラッシュビートのキーボードも、
お休みすることになったんだわ、きっと・・・

 美結は、隣にいる裕子の、きれいで(ととの)った横顔をちらっと見ながら、そう思った。

 川口美結は、1993年4月16日生まれ、22歳。
2014年の5月から、新井竜太郎が副社長をするエタナール傘下の、
芸能事務所のクリエーションでアーティスト活動を始めていた。

 落合裕子は、1993年3月7日生まれ、もうすぐに23歳。
エタナールの芸能事務所のクリエーションの、
新人オーディションに、最高得点で合格した才女だ。
現在、裕子は事務所を移籍して、
祖父(そふ)の落合裕太郎の芸能プロダクション、トップに所属している。

 美結と裕子は、2年ほど前から、クリエーションの同期でもあって、無二の親友であった。 

「さーて。裕子ちゃん、お誕生日、おめでとうございます!」

 純が、そう言った。

「裕子ちゃん、ハッピー・バースデー!」

 信也が、そう言った。

 信也と純と美結の3人で、クラッカーの(ひも)をひっぱり、打ち上げた。

 パンッという音と共に、赤や白や青のカラフルな花吹雪(はなふぶき)が空中に()った。

 満面の笑顔で店のスタッフが、メッセージと裕子のかわいらしい似顔絵付()きの、
イチゴと生クリームが盛りだくさんの、バースデー・ケーキをもって部屋に入って来た。

「わーっ、(うれ)しいわ。ありがとう!純ちゃん、しんちゃん、美結ちゃん」

 裕子は、思いもしなかった祝福に、(ひとみ)(うる)ませて、(よろこ)んだ。

≪つづく≫ --- 106章 おわり ---
 
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