ヴィーナスの誕生
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第六章
「先輩にとってこの人は」
「ああ、ヴィーナスの誕生?」
「ご存知なんですか」
「彼がよね、声をかけて」
「プロレス技をかけられたんですよね」
「あの時だけじゃないの、他にもあれこれ声をかけてるの」
絵のモデルになってくれ、というのだ。
「何かとね」
「それでモデルになられたことは」
「まだないの、けれど」
「けれど?」
「まんざらじゃないから」
だからだというのだ。
「近いうちによ」
「そうですか」
「あんたが私をモデルに使うなんて一月早いわよ」
「何だよ、その例え」
見れば先輩達はまだ言い合っていた、それも強く。
「一月なんて待つ筈ないだろ」
「じゃあ何時だっていうのよ」
「今すぐに描かせろ、今度はお市の方だ」
「織田信長さんの妹さん!?」
「そのモデルにしてやる、今モデル探してるんだよ」
「誰がなるものですか、一月早いって言ってるでしょ」
「だから今すぐになれって言ってるだろ」
何か微妙な言い合いだった。
「オリジナルで描きなさいよ」
「そう言った時断っただろ」
「気が乗らなかったからよ」
「その前もその前もそう言っただろ、御前」
「裸とかすぐに言い出すからよ」
「御前以外には言ってないからな」
「そういう問題だけれどそういう問題じゃないでしょ」
何か本当にすぐわかる言い合いだった、それで、
僕はこっそりとだ、二人のことを話してくれたその人に小声で尋ねた。
「先輩にとってこの人がですね」
「わかるでしょ」
「はい、まさに」
「そういうことなのよ」
「だからボッティチェリなんですね」
「そういうことよ」
こう僕に話してくれた、そして。
お二人は猫と猫の勝負みたいに言い合っていた、その先輩を見てだった。僕も自然とやれやれとしたものでも笑顔になっているのがわかった、ヴィーナスと女神に出会ったボッティチェリを。
けれど先輩は部室に戻ってからもだ、僕にこんなことを言っていた。
「あいつ本当に乱暴だろ」
「そうですね」
「俺にだけあんな調子なんだよ」
「大変ですね」
「ったく、何が一月だ」
あの人に言われたことをまた言った。
「一月も待てるか」
「それでその一月の間どうされるんですか?」
「さてな、残念だけれどあいつとはいつも会うからな」
会いに行くかららしい。
「誘ってやるか」
「わかりました」
僕は内心笑いながら先輩の相手をした、何かお二人のことを応援したくもなった。このことは内緒にしていても。
ヴィーナス誕生 完
2015・5・26
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