竜のもうひとつの瞳
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第四十七話
風魔に抱きかかえられたまま空を飛んで二十分くらいは経っただろうか、
突然高度を落として落下したもんだから私は全力で悲鳴を上げてしまった。
下を見れば何処かの軍が陣を張っているのが見え、そこが伊達のだと気付いたのは大分地面が近くなった辺りだ。
だって、馬の数が半端じゃないもん。
地面に軽く着地をして下ろされたところで、腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
私だって空を飛んだり出来るけど、ここまで無茶はしない。
「い、いつもこんな無茶やってんの? 寿命縮まない?」
「『慣れている』」
さらりとそんなことを言われてしまったら、それ以上何も言えないじゃないの。
全く……いくら忍だからとはいえ、少しは自分の身体を労わった方がいいよ? 忍も武士も、身体が資本なんだから。
風魔は腰が抜けた私を軽々と抱き上げて、本陣へ向かって歩いていく。
伊達の兵達に囲まれたものの、私の顔を見た途端皆素直に道を開けてくれた。
今更帰ってきてどういうつもりだ、って表情ではなくて、やっと戻って来てくれた、って安心した顔をしてくれたのが嬉しい。
そりゃ、出て行った原因は政宗様だけどもさ。他の皆からすれば事情なんか知らないわけじゃないの。
「景継!?」
私の姿を見て驚いたように声を上げた政宗様は、軍議の途中だったのだろうか。
小十郎や他の家臣達を押しのけて私のところへと一目散に走ってくる。
遅れて小十郎もその後を追って来て、何だかその光景が懐かしいようにさえ思えて表情が緩む。
「お久しぶりです、政宗様」
一年以上ぶりに会った政宗様は、少し大人になったような気がした。
風魔に下ろしてもらって、どうにか力が入るようになった足腰を踏ん張って立ったところで、政宗様にしっかりと抱きしめられてしまった。
おいおい、まさかとは思うけど……大人になったのは見た目だけかい?
「Sorry、俺が悪かった。今までよく無事だった……!」
開口一番に謝られて、少しばかり手篭めにされるのではないかという心配が薄れたような気がした。
それに私の無事に喜んでくれている様子があるは嬉しいんだけどもさぁ……
「ちょ、ま、政宗様」
いや、喜んでくれるのは有難いけど、人目を気にせずにがっちり抱きしめるのは止めてもらいたい。
一応ほら、男だってことで通ってるわけだし。衆道とか言われたら洒落にならないし。
「姉上、よくぞご無事で」
「小十郎」
政宗様の腕をすり抜けて小十郎に駆け寄っていく私に、政宗様が何処か面白くないといった顔をする。
もうそれには気付かないふりをして、可愛い弟の頭を撫でながら様子を見ると、
こっちも少し痩せてはいるが最後に見た時のような調子の悪さは消えている。
「小十郎、もう祝言挙げちゃった?」
「いいえ、まだ挙げてはおりませぬ」
自信を持ってそう答える小十郎の頭を、私は思いきり平手打ちをしてやった。
「ちょっ……何やってんのよ。とっとと挙げてさっさと子作りしろっての!
一年も婚約者ほったらかしにして、何考えてんの!?」
本当、何を考えてるんだか。
夕ちゃんがいくら良い子だからって、ずっとほったらかしにして何を考えてんだか。
全く、待ってる方の身にもなってあげなさいよ。本当、こういうところ私に似て鈍いんだから。
「し、しかし……政宗様が身も固めておらぬうちに、小十郎が先に祝言を挙げるなどと……」
そんなことを抜かす小十郎に思いきり回し蹴りを食らわせて深く拳骨を叩き込んでやれば、
小十郎はそのまま地面に倒れ伏して悶えている。周りで見ていた人間の顔が引き攣っているけど、そんなことは気にしない。
「この大馬鹿たれ!! 政宗様と一体いくつ差があると思ってんの!?
十よ、十! 政宗様が祝言挙げるの待ってたら爺さんになるでしょうが!!
大体高齢になってからの出産ってのは大変なのよ!?
夕ちゃんの為にもさっさと祝言挙げて子供産ませなさい!!」
「で、ですが……」
「口答えしない!!」
「は、はい」
末っ子の悲しい運命、上には絶対に逆らえない。
まぁ、姉が一番だけど、二番手は私だもんね。きっちり正座して説教を受けてる姿は、竜の右目からは程遠い姿なわけだ。
でもまぁ、こんな光景は日常茶飯事だから、周りもやっといつもの光景が戻って来たとほっとした顔をして見てるのが複雑な心境って奴なのね。
これじゃ、どっちが本当の竜の右目か分からないじゃないのよ。
「おいおい、そう言ってやんな。小十郎もお前に晴れ姿を見て欲しかったわけなんだからよ。
ずっとお前が母親の代わりやってたんだろ? 小十郎がうっかりお前に惚れたと勘違いするくらいに可愛がってたわけだし」
「そりゃ、まぁ……姉上があんなんだから、その分は……は? 勘違い?」
政宗様が一体何を言っているのかと思って小十郎を見れば、酷くばつの悪そうな顔をして見せている。
これはきちんと話を聞かなければならないと、眉を上げて小十郎を見る。
小十郎は首を竦ませて、非常に話し難いといった様子で恐る恐る口を開いた。
「……夕に惚れてみて、分かったことがございます。……小十郎は、姉上に恋情を持っていたわけではございませんでした」
……ちょっと待て、何だその急展開。序盤で腹切るとか言って泣いたのは何処の誰だ。
だったらあの流れは何だったんだっての。丸っきり無意味なやり取りじゃん。
小十郎の頭をしっかりと掴んで、顔を逸らせないように固定しておく。屈んでしっかりと目を見て
「どういうことだか、説明してごらん?」
と、優しく言ってあげれば、小十郎が酷く怯えた顔をしていた。
育ての親であったあの姉は常に怖い。それとは打って変わって私は優しい。けど、怒らせるとかなり怖い。
小十郎の認識はこうだから、明らかに怒っている私に怯えないはずがない。
ちなみに本気でキレた時の私は、小十郎の極殺よりも恐いと誰かが評価してくれたことがあります。
うっかり小十郎がそれに同意して、話していた連中と二人して葱で百叩きにしてやったのも良い思い出かなぁ。
二人揃って私に涙目で頭を下げて謝っていたのは……うむ、竜の右目形無しでした。
いやいや、今はそれよりもだ。
「……夕に惚れてからしばらく経って、気付いたのです。
夕に対して求めるものと、姉上に対して求めているものが全く違うと。
……夕には、その……男としての欲求を求めたくなるのですが……姉上には、そういう感情が……全く……」
どんどん尻すぼみになっていく小十郎に、正直苛立ちを覚えている。
この野郎……私の気も知らないで、んなこと抜かしやがって……。
「じゃあ、何? シスコンを恋愛感情だって思い込んでたってわけ?」
「しす?」
「お姉ちゃんが過剰に大好きで大好きで堪らない弟を指して言うんだよ、この馬鹿弟が!!」
ギリギリと頭を締め上げてやれば、必死に私の手を離そうと小十郎がもがいている。
無理だよ、婆娑羅の力と併用して締めてるからねぇ~。アンタの馬鹿力でもそう簡単に剥がれないよぉ~?
「も、申し訳ございませ……いっ……いたたたた!!」
「アンタどれだけ私が悩んだか分かってんの?
失恋して小十郎が泣いてるんじゃないのかとか、忘れようとして倒れるくらいまで無理して仕事したりしてるんじゃないのかとか、
政宗様の相手もしなきゃならないから円形脱毛症になったらどうしようとか、
最近生え際が少しずつ後退してきたような気がするし、父上も晩年地味に薄かったからいよいよヤバいんじゃないのかとか」
「生え際はまだ平気っ……痛っ!! すっ、全て小十郎が悪いのです!! ですから、どうかっ……姉上、お許し下さいっ!!」
あんまり苛めても可哀想なので手を退けてやれば、小十郎は涙目になって頭を抱えている。
周りもこれにはフォロー出来ずに引いてるし、っていうか小十郎が私に惚れてたって話は筒抜けなわけ?
驚いた様子の人が誰もいないんだけど。
大丈夫よ、小十郎。脳みそ出ない程度には抑えてやってるから。多分骨にも異常はないと思うけどもねー。
相変わらず頭を押さえて泣く寸前って顔の小十郎に、そう思ってやった。
「……気は済んだか」
「ええ、もう。帰ったら尻叩き二百回くらいで勘弁してやろうかと」
「Oh……俺はつくづくお前が実姉でなくて良かったと思うぜ」
まぁ、失礼しちゃう。この場でやらないだけマシだと思ってよ。
こんなところでやったら余計に竜の右目としての威厳が無くなるってのはわかってるんだからさぁ。
「で、状況は分かってんのか?」
「ええ、勿論。これから小田原城を攻めるんでしょ? 豊臣を倒すついでに」
そう言ってやれば政宗様はにやりと笑う。小十郎も頭を擦りながらこの様子を見ていた。
さて……ここからが勝負。何とか進軍をやめてもらわないと。
「だ、駄目だよ、勝手に話の筋を変えようとしちゃ」
政宗様に侵攻を止めてもらうよう説得しようと口を開いた瞬間、酷く懐かしい声が耳に響く。
突然揺れた視界に驚きつつ、眩暈かと思えば突然周囲が真っ暗になる。
意識を失くしたのかと思うが立っている感覚はあるし、普通に考えて意識を失えばこんなことを考えてる余裕もない。
何、これ……ってか、今の声って自称神様?
自分の身体すら見えないほどの暗闇が少しずつ晴れ、薄らと浮かび上がったのは三十年ぶりに姿を現した、自称神様だった。
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