銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百八十四話 再来
帝国暦 490年 6月 15日 ハイネセン ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「閣下、ココアを淹れましょうか?」
「そうして貰えますか」
トリューニヒト達が帰るとヴァレリーがココアを淹れてくれた。甘い香りが執務室に広がった。一口飲む、素直に美味しいと思えた。同盟産のココアも悪くない。フェザーンに遷都すればこのココアを飲む機会も増えるだろう。
レベロの政権が発足したら帝国へ戻れるな。同盟に居るのもあと僅かだ。
「フイッツシモンズ大佐」
「はい」
「新しい政権が発足するのを確認したら帰国します。そろそろ帰国の準備にかかってください」
「各艦隊に通知を出します」
ヴァレリーがホッとした様な表情をしている。何と言っても宇宙艦隊司令長官の副官だからな。議員、軍人、官僚、一般市民が情報を、便宜を得ようとして接触して来るらしい。リューネブルクにはそういう事は無いようだ。やはり女だからと甘く見ているのかな? それともリューネブルクの人徳、いや不人徳か……。
帰りはフェザーン経由で戻ろう。講和条約でガンダルヴァ星域は帝国領になった。惑星ウルヴァシーの様子も見なければならん。これからの帝国の最前線はあそこになるからな。フェザーンに着けばルビンスキーが接触しようとして来るはずだ。精々歓迎してやるさ、あと僅かな命なのだから。感動の親子の再会も用意してやる。ルパートが喜ぶだろう。自分の手でルビンスキーを殺す機会が掴めるって。頑張れよ、ルパート。相手は人気者だ、競争率は高いぞ。
……納得していなかったな。反論はしなかったがトリューニヒト達は納得はしていなかった。議会制民主主義を取り入れる事で皇帝権力をチェックさせる。理想はそうだろう。帝国でもリヒター、ブラッケが同じ事を考えている。しかしね、どんな政治制度でも運用するのは人間なんだ。それが分かっていない。現状で議会制民主主義なんて取り入れたら混乱するだけだろう。認められるのは地方自治までだ。惑星単位でなら認めても良い。但し歯止めはかけるがな。
ラインハルトは統治には公平な税制度と公平な裁判が有れば良いと言った。その通りだ、ついでに十分な食料とインフラが整備されていれば完璧だろう。国民の意思を政治に取り込む必要は認めるが議会制民主主義に拘る必要は無い。人類は民主政体を運用出来るほど政治的に成熟していない。判断力の無い子供に大量破壊兵器のスイッチを預けるような事はするべきじゃない。
大事なのは主権者である皇帝の権力に制限をかける事だ。こいつは憲法制定で行えば良い。そして統治階級を固定しない事。固定すれば内向きになり特権階級になり腐敗し易い。その事は門閥貴族が示している。常に新しい血を入れる事で統治階級に柔軟性と革新性を持たせる。現状ではブラッケやリヒター達が平民階級を代表する形で政権に参加している。問題は無い。問題が有るとすれば今後だな。如何いう制度で柔軟性と革新性を維持運営するか。
議会というのは政府閣僚候補者のプールでもあるわけだがそれを作らないとなれば代わりの機関が要る。俺が今考えているのは枢密院だ。皇帝の顧問官で組織される諮問機関、枢密院を設置する。そこには官僚、軍人、財界人、そして地方自治で成果を上げた政治家を皇帝顧問官として入れる。それによって人材をプールする……。世襲じゃないから特権階級にもなり辛い筈だ。
リヒテンラーデ侯に話してみるか、爺さんも議会制民主主義には反対だった。或る程度俺とは考えが似ている筈だ。憲法制定も含め相談してみよう。何と言ってもこの手の問題は理想主義者には任せられない。爺さんの様な喰えない古狸の考えが一番参考になる。暫らく会っていないから妙に会いたくなった。多分気のせいだろうけど……。
宇宙暦 799年 6月 25日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
「行ったのかね、ホアン」
「ああ、行った。君に宜しくと言っていた」
「……そうか、……最後にもう一度会いたかったが……」
「仕事優先だ。その事はトリューニヒトも理解している」
ヴァレンシュタイン元帥が帝国への帰還の途についた。トリューニヒトもそれに同行している。ハイネセンではトリューニヒトを裏切者と罵る声も多い。今も最高評議会のビルの前でデモが行われている。そしてその有様をビルから二人で並んで見ている。遣る瀬無い気持ちになっているのは私だけではないだろう。
「ホアン、トリューニヒトは上手くやれるかな?」
「さあ、如何かな。相手はかなり、いや相当手強い」
あの会談で分かった事、それはヴァレンシュタイン元帥が軍人というだけでなくかなりの政治的識見が有るという事だった。そして明確な国家ビジョンを持っている。リヒテンラーデ侯の信頼が篤いというのも軍人としての能力だけでなく政治家としての能力も認めての事だろう。おそらく、これからの帝国は彼が率いて行く事になる……。
「先日の会談だがね、私は敢えて議会の設置を提議してみた。彼を怒らせてみたかったんだ。怒れば本当の彼の姿を見られるんじゃないかと思ってね」
「それで、如何見たんだ?」
隣りに居るホアンが“ふむ”と鼻を鳴らした。
「かなり人間を否定的に見ている。猜疑心が強いのかと思ったが亡命者を重用しているところを見ればそうとも思えない。個人は信用しても集団、いや群衆としての人間は信用していないのだと思う。国民主権、民主共和政など論外だな」
なるほど、群衆か。集団になると人間は付和雷同し易い特性が有る。理解は出来るな。
「彼はルドルフの再来だと思う。ルドルフも大衆は信じなかった。一部のエリートが国を統治すべきだと思った。ルドルフとの違いが有るとすれば自己を頼む気持ちの強弱、冷徹さだろう」
「……ルドルフ程自己を頼む気持ちが強ければ?」
ホアンが首を横に振った。
「簒奪を図るはずだ。そして冷徹さを失えばルドルフそのものになるだろう」
「……では今のままなら?」
今度は苦笑を浮かべた。
「専制君主制国家の有能な執政者になるだろう。どちらにしても我々には危険な相手だ」
溜息が出た。ホアンが笑い声を上げた。如何して笑えるんだ?
「トリューニヒトも苦労するな」
「覚悟の上だろう、もっとも新たな国創りだ、それなりに楽しみは有るんじゃないか。願いは叶わずとも」
「……そうだな、あれは根っからの楽天家、いや享楽主義者だからな」
「酷い事を」
ホアンが苦笑している。そして生真面目な表情になると“むしろ大変なのは我々だろう”と気遣わしげに言った。それに関しては全くの同感だが私を気遣っているのか?
「ホアン、やらねばならん事は?」
「先ず大使館の設置。そして帝国へ送る大使、そのスタッフの人選だな。それに領土が縮小される、移住希望者は同盟領内に引き取らねばならん。その準備だな」
思わず溜息が出た。有難うホアン、面倒な案件だけでなく比較的簡単な案件も入れてくれて、……感謝するよ。
帝国との講和条約でイゼルローン方面、フェザーン方面の領土をかなり帝国に割譲する事になった。もっとも辺境星域と言われる地域だ。発展はしていないし人口も少ない。同盟経済への影響が小さい事は試算済みだ。むしろ現状では御荷物が無くなって身軽になったと言える。地方譲与税も少なくなるだろう。だがその事も弱者切り捨てだと評判が悪い。
「それに軍備の縮小と人員の削減。失業者が溢れるな」
「公共事業を大規模に行う。……軍人の天下から土建屋の天下か」
禄でもない話だ、利権争いが勃発するだろう。だが戦死者が出ないだけましか。その事を言うとホアンが肩を竦めた。
「失業者は軍人だけじゃない、軍関係の企業も同様だ。軍需から民需への切り替えが上手くいかないと経営が傾くだろう」
溜息が出た。
「ホアン、明るい材料は無いのかな?」
「さっき君が言ったよ。これ以上戦死者は出ないってね」
「有難う、教えてくれて。忘れていたよ、酷い材料が多すぎて」
前途多難だ、また溜息が出た。
帝国暦 490年 7月 1日 オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ
陛下より薔薇園に来るようにと御召しが有った。急いで薔薇園に行くと陛下はアマーリエ様、クリスティーネ様と御一緒だった。
「陛下、お呼びと伺いましたが」
膝を着き頭を下げると楽にするようにとの言葉が有って立つ事を許された。
「如何なされました?」
「うむ、ちと相談が有っての。ヴァレンシュタインが戻って来るようだの」
「はい、フェザーン回廊経由で戻って来ます。遅くとも十月になる前に戻って来ましょう」
私が答えると陛下が頷かれた。はて、アマーリエ様、クリスティーネ様がいらっしゃるという事は公ではないな、私の事か。
「その後は遷都か、来年かの」
「はい、フェザーンの状況にもよりますが問題が無ければ」
「新しい都で新しい国造りか」
「はい、そういう事になります」
陛下が満足そうに頷いた。
「皇帝も新しくするというのは如何か?」
「は?」
皇帝も新しくする? 聞き間違いか? アマーリエ様、クリスティーネ様も訝しげな表情をしている。はて……。
「退位しようと考えているのだが」
「陛下!」
「お父様!」
私と皇女方の声が被さった。陛下が声を上げて笑われた。退位など一体何をお考えなのか!
「御戯れは成りませんぞ、陛下」
「戯れではない。予は本気でアマーリエに皇帝位を譲ろうと思っている」
アマーリエ様が“お父様!”と声を上げたが陛下は面白そうにしていた。
「帝国が変わるという事を如実に示すには代替わりこそ至当であろう。それに死ぬまで皇帝を務めるというのも難儀なものよ。もう三十年以上皇帝を務めたのじゃ、十分であろう」
三十年以上……。在位年数は歴代皇帝の中でも上位に入るのは間違いない。御疲れなのだろうか……。しかし退位、これまで退位された方などいないが……。
「ですがお父様、私はオットー・フォン・ブラウンシュバイクの妻でした。心ならずもでは有りますが夫は反逆者になった。その係累である私に皇帝になる資格が有るとは思えません」
陛下が首を横に振った。
「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も已むを得ず反逆者になった。その事はお前達にはなんの瑕瑾にもならん。だが確かにその事をとやかく言う者もおろう。だから予が健在の内に皇位を譲る。新たな帝国の皇帝に相応しい器量を持つ者としてじゃ」
なるほど、陛下もエルウィン・ヨーゼフ殿下の事を危惧しておいでか……。となるとただ反対という訳にはいかんの。
「畏れながら陛下、陛下の御考えは分かりました。しかしいかにも急であります。臣としましても如何判断すれば良いか判断がつきかねます。おそらくはアマーリエ様、クリスティーネ様も御同様でありましょう」
お二人に視線を向けるとお二人とも頷いた。
「退位はフェザーンに遷都してからじゃ。時間は十分に有る。ゆっくり考えるが良かろう。ヴァレンシュタインにも相談してみよ」
「はっ、必ずや。それ故お願いがございます」
「うむ、何かな」
「暫くは御内密に。外に漏れては皆が混乱致しまする」
陛下が“分かった”と頷かれた。それを機に御前を下がる事の許しを得た。
さて如何したものか。感情に溺れてはならん、冷静にならねば。……確かに一つの区切りでは有る。併合まで三十年かけるとはいえ帝国はフェザーン、自由惑星同盟を下し事実上宇宙を統一した。遷都により過去の帝国と決別し新銀河帝国の成立を宣言する。誰もが新しい時代が来たと理解する筈じゃ。それを実績として退位、まさに陛下こそ銀河帝国中興、いや新帝国創成の名君と言えよう。
しかしこれから新たな国造りを行うとなれば色々と問題も出よう。アマーリエ様よりも陛下が皇帝の方が良くは有るまいか。皇帝としての重みはアマーリエ様では陛下には及ばぬ。特にフェザーン人、同盟人が如何思うか……。いささか不安じゃの。
皇位継承に混乱を及ばさぬようにするというなら陛下が皇帝に留まりアマーリエ様を皇太女とする手も有ろう。実務を皇太女アマーリエ様が行い陛下が後見する。皆も安心する筈じゃ。……ヴァレンシュタインは如何思うかの。退位に賛成するか、時期尚早として反対するか。
あ奴の文官への転身も考えねばならん。軍の混乱は避けねばならんし文官達の混乱も避けねばならん。となると退位問題と連動する様な事態は拙い、混乱が酷くなりかねん。やはりアマーリエ様を皇太女としヴァレンシュタインを国務尚書に持って来るか。そして時期を見てアマーリエ様の皇帝即位とヴァレンシュタインの宰相就任、そんなところか……。
帝国暦 490年 8月 5日 フェザーン 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
フェザーンに着くとキスリングがボイムラーを伴って訪ねてきた。どうやらこちらに来ていたらしい。遷都前に大掃除をしておこうとでもいうのだろう。艦橋ではなく自室で話す事にした。参加者は俺、キスリング、ボイムラー、ヴァレリー、それにトリューニヒト。なかなか豪華な顔ぶれだ。トリューニヒト君、君に帝国の裏の世界を見せてあげよう。だから皆、そんな胡散臭そうな顔でトリューニヒト君を見るんじゃない。彼は俺の大事な友人なんだ。そして君達の大事な友人にもなる。
幸いトリューニヒトは座談の名手だった。緊張がほぐれるまで時間はかからない。俺とキスリングがフランクに話すのにトリューニヒトは驚いたようだ。記憶のメモにキスリングを重要人物と記しただろう。
「エーリッヒ、ルビンスキーが死んだのは知っているな」
「ああ、彼が殺されたのは知っているよ」
一週間ほど前にアドリアン・ルビンスキーがフェザーンの隠れ家で殺されているのが発見された。例の政府所有の秘密地下シェルターのさらに下に有る隠れ家でだ。犯人は分かっていない。ルビンスキーの護衛も一緒に殺されているところから犯人は単独犯ではないらしい。残念だったな、ルパート。父親との再会は出来なかった、復讐も。
「御見事、ギュンター」
俺が冷やかすとキスリングが首を横に振った。
「残念だがこの件に憲兵隊は絡んでいない」
思わずキスリングとボイムラーの顔を見た。二人とも苦い表情をしている。どうやら嘘じゃないらしい。如何いう事だ? 疑問に思ったがトリューニヒトが驚いた表情をしているのが面白かった。トリューニヒト君、ヴァレリーを見習え。彼女は顔色一つ変えずにコーヒーを飲んでいるぞ。
「憲兵隊じゃない、では地球教かな、或いはフェザーン人? 裏切られた事への怒りでルビンスキーを殺したか」
「犯人はルビンスキーをかなり執拗に痛めつけてから殺しています。現場は酷いものでした、惨状と言って良いでしょう」
ボイムラーが俺の推理を認めた。顔を顰めている、かなり酷かったのだろう。吐いたのかもしれない。
それにしても隠れているルビンスキーを探し出して殺したか。あの隠れ家を探し出す事が素人の集団に可能かな? まず無理だろう、となると地球教か。恨み骨髄、必死に探したんだろう。そしてルビンスキーを殺す時は嬉しさの余りつい遣り過ぎてしまったというわけだ。……予想外の結末だが悪くない。帝国が手を汚さずに済んだ事を考えれば万々歳だ。俺は生まれて初めて地球教に感謝した。世の中は面白いね、不思議で満ち溢れている。
ページ上へ戻る