豹の報恩
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1部分:第一章
第一章
豹と金細工
タイの古い話である。バンコクにランチャラーンという中年の医者がいた。
わりかし腕のいい医者であり客がひっきりなしであった。この日はバンコクの外まで出て診察に出ていた。その帰りのことであった。
道を一人歩いているとふと豹が一匹現われた。やけに大きく毛並みの立派な豹であった。見ればその口に何か包みを咥えている。ランチャラーンはその豹を見て思わず身構えたが特に襲い掛かってくるわけでもなく包みを置いて道の端に来た。そのまま蹲ってしまった。
「何だ、一体」
ランチャラーンがいぶかしんでいると彼を見てきた。そのうえで包みに目をやる。
「それをくれるというのか?」
ふとそう呟くと頷いてきた。どうやら人間の言葉がわかるらしい。
いぶかしんでその包みを開けると中には様々な金銀細工があった。驚いていると豹が側までやって来て服の袖を咥えて引っ張ってきた。それに顔を顰めさせていると口を離して首をぷい、と振ってきた。どうやらついて来いということらしい。
いぶかりながらも豹の後について行った。道を出てそのまま森に入って行く。やがて彼が連れて来られたのは豹の住処の穴であった。そこに入ると奥にこれまた豹が一匹いた。それは蹲っていた。
「この豹を診て欲しいのか」
自分をここまで連れて来た大きな豹に顔を向けて問うとこくりと頷く。そういうことかと思い診てみると右の前足を怪我していた。傷は深くはないがかなり膿んでいた。
ランチャラーンはそれを診てすぐに治療を施した。膿を全て出して傷口を水で洗った。それから薬を塗ってやる。それで終わりであった。
治療が終わった時には既に日が暮れていた。大きな豹は彼を連れて道まで案内する。そしてそのまま本来の道に戻って家へと帰ったのであった。振り向くと豹は何時までも彼を見送っていた。
動物でも医者が必要になる時があるのかと思いながら家で家族と食事を摂った。次の日街に出て病院に入ろうとすると何やら人が集まっていた。
ふとそこに顔を突っ込むと役人が色々と話をしていた。聞けば人殺しがあったという。
「殺されたのは盗賊だ」
ランチャラーンはそれを聞いて何だと思った。盗賊ならば殺されても文句は言えまい。そう考えていると役人はまた違うことを言ったのである。
「だがその盗賊は金細工のものを陛下の宮殿から盗んで行った。それを見つけなければならないのだ」
「金細工」
ランチャラーンはそれを聞いてふと思った。それで役人のナコンに対して声をかけたのであった。
「若し」
「おっ、あんたは」
ナコンはランチャラーンを知っていた。彼に傷を診てもらったことがあるからだ。
「ランチャラーンさんじゃないか」
「はい。金細工ですか」
「うむ、実はそれを捜しているのだが」
彼はそう述べる。ランチャラーンはそれを聞いてもしやと思った。それで彼に対して言った。
「実はですな」
「どうしたのだ?」
「その金細工ですが」
「知っているのか」
「若しかしてと思うのですが」
昨日のことを話した。そしてその金細工の細かいことまで話したのであった。すると役人の顔が見る見るうちに変わっていった。
「そう、それなのだ」
「左様ですか」
「いや、その金細工だ」
彼は言う。
「ランチャラーンさんが持っていたのか」
「左様のようで」
彼は答えた。
「では陛下にお返し致しますね」
「あいや、待たれよ」
だがここでナコンは言ってきた。
「何か」
「その金細工は豹から貰ったのであるな」
「はい、左様ですが」
その言葉に答える。
「うむ、ではその豹だな」
彼は自分の顎に手を当てて言った。見れば逞しく実に形のいい顎である。
「下手人は」
「豹が犯人だと仰るのですか」
「少なくともあんたではない」
ナコンはそれはわかっているようであった。ランチャラーンを見て述べる。
「それはわかっている」
「どうも」
「実はな」
ここでナコンは彼に対して言ってきた。
「奇妙なことにその盗賊の死骸だがな」
「何かあったのですか?」
「喉が食い千切られていた」
「喉をですか」
「そこに転がっている」
ここで後ろの躯を親指で背中越しに指差してきた。見れば人相の悪い大男が確かに喉を食い千切られて青い顔をして横たわっていた。
「医者ならばわかるな。これは人のしたことではない」
「確かに」
ランチャラーンもそれを見て頷く。彼はそれを見て述べた。
「ではやはり下手人は」
「その豹だと思うのが妥当であろう」
ナコンはそう述べる。
「どうか?」
「そうですね。では私のあの金細工は」
「豹がこの盗賊から奪ったものであろうな。まずはこれは陛下の御手許に戻る」
「それはいいことです」
「しかしだ」
ナコンはあらためて顔を深刻な顔を見せてきた。
「これだけの大男を倒した豹を放っておくとなると」
「できませんか」
「その通りだ。御主は豹の巣を知っておるな」
「ええ」
ナコンの言葉に頷く。
「存じておりますが」
「ならば案内してくれ」
彼は言った。
「それでよいな。兵隊も十人、いや二十一は連れて行くからな」
「わかりました。それでは」
「うむ」
こうしてランチャラーンはナコンと兵士達を案内してあの大きな豹のいる巣まで案内した。するとその前にその大きな豹がいた。彼はランチャラーン達を見据えてそこにいた。
「あの豹で間違いはないな」
「はい。ですが」
「どうした?」
「すぐ殺すのでしょうか」
ランチャラーンはそれがどうしても気になりナコンに尋ねた。
「やはり」
「無論そのつもりだが」
ナコンはそう答えた。
「だから兵達を連れて来たのだ」
「暫し待って頂けませんか」
だがランチャラーンはどうにもこの豹が犯人とは思えなかった。それでナコンに対してこう提案してきたのだ。
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