真田十勇士
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巻ノ二十八 屋敷その六
「ですから」
「話の出来る方らしいがな。しかしな」
「どうしても上田をと言われるのなら」
「徳川家に入れというのはな」
「退けますな」
「そうする」
昌幸はここでは強い言葉だった。
「それはな」
「ですな、それでは」
「我等は羽柴家につく」
このこともだ、昌幸は言った。
「羽柴家にもそう話しておる」
「人を送り」
「その通りじゃ、しかしな」
「その羽柴家は」
「先がわからぬ家じゃ」
「ですな、筑前殿にお子がおられませぬし」
「ご一門も少ないから」
そうした懸念材料があるからだというのだ。
「どうしてもじゃ」
「今はよくとも」
「先が危うい、今は弟殿がおられるが」
「秀長殿が」
秀吉の弟であり彼をよく支えていると評判の者だ。この人物がいるからこそ秀吉も充分に働けるとまで言われている。
「あの方に若しものことがあれば」
「秀吉殿だけとなり」
「やはり危うくなる」
「弱みのある家ですな」
「弱みのない家なぞないが」
それでもとも言う昌幸だった。
「あの家は筑前殿だけで終わる恐れがある」
「その先が読みにくいので」
「先の先を読んで動くなら」
それならばとだ、昌幸は難しい顔で言うのだった。
「もう一つあてを作っておくか」
「次の天下人になりそうな家があれば」
「その家ともつながりを持っておきたいのう」
「ではその家は」
「徳川家じゃな」
昌幸はこの家の名を出した。
「これから戦になるやも知れぬが」
「家康殿ですか」
「そうじゃ、御主も見てきたな」
「はい、その領国も」
「村も町も栄えておるな」
「決して派手ではないですが」
上方t違ってだ、みらびやかなものではない。
だがそれでもだ、彼は家臣達と共に確かに見たのだ。
「よく治められており」
「それでじゃな」
「はい、民は笑顔です」
「しかも戦にも強い」
「家康殿の人徳もあり」
「あの家は大きくなる」
こう言うのだった。
「そして羽柴家の次の家になろう」
「だからですか」
「次はな」
「徳川家やも知れませぬか」
秀吉の後はというのだ。
「だからですか」
「徳川家ともつながりを持っておきたいな」
「では戦になろうとも」
「その後でじゃ」
戦になり真田家が生き残った後でというのだ。
「つながりを持ちたい」
「それではです」
ここでだ、信之が言って来た。
「徳川家にはです」
「うむ、御主をな」
「畏まりました、それでは」
「頼むぞ、羽柴家には御主じゃ」
幸村にも言うのだった。
「御主を行かせる」
「そして真田家は生き残る」
「天下がどうなろうともな」
昌幸は息子達に話すのだった、そうした話そをしながら政をしつつ戦の備えも進めていた。上田は静かであったがその中でも戦の用意をしていた。
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