銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二十二話 ゲルハルト・ヴィットマン
グリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレン艦橋
■ゲルハルト・ヴィットマン
目の前でヴァレンシュタイン大佐とミュラー中佐が話をしている。艦隊の編成について話し合っているようだ。ヴァレンシュタイン大佐の顔には時々笑顔も見える。良かった、本当に良かった。1ヵ月半前、僕がこの艦に来たときは笑顔なんて滅多に無かったし、たまに見せる笑顔も痛々しいような笑顔だった。
軍幼年学校の生徒だった僕に従卒にならないかと話があった時、正直に言うとあまり気乗りしなかった。友達にも従卒を勤めた子がいるけど感想はまちまちで勉強になったという友達もいたし、意地悪な貴族の士官がいて苛められたという友達もいた。僕は平民だったし苛められるかもしれないと思うと従卒が務まるか不安だった。
でも従卒を欲しがっているのがヴァレンシュタイン大佐だときいて、すぐなりますと答えた。教官からは良く両親と相談してからにしなさいと言われたけど僕の心は決まっていた。家に帰って両親に相談というよりは説得して此処へ来た。
ヴァレンシュタイン大佐は僕には憧れの人だ。士官学校在学中に帝文に合格、任官してからもミュッケンベルガー元帥の命令でサイオキシン麻薬を摘発したり、アルレスハイム星域の会戦では2倍近い敵を破っている。まだ二十歳にもなっていないのに大佐だ。今回だって艦隊の参謀長だなんてすごいと思う。軍幼年学校の先輩にはラインハルト・フォン・ミューゼル准将もいるけど准将の場合、姉が皇帝陛下の寵姫だから出世が早いみたいだ。ちょっと不公平だと思う。僕の周りもみんなそういっている。
初めてあったヴァレンシュタイン大佐は華奢で小柄な人でとても高名な軍人には見えなかった。顔立ちも女の人みたいだし十九歳って聞いてたけどもっと若く見えた。
「良く来てくれたね、よろしく頼むよ」
と言った後、ちょっと表情を曇らせて
「君にとってはあまり良い経験にはならないかもしれない。辞めたくなったら我慢せずにいってくれ、いいね」
と言って僕をびっくりさせた。
大佐が何故そんな事を言ったのかすぐにわかった。大佐だけが仕事をしていてみんな大佐を助けようとはしなかったからだ。司令官のグリンメルスハウゼン提督は七十歳を越えた老人でみんな大佐に任せきりだった。大佐の下にいる三人の参謀もほとんど仕事をしていなかった。クーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉は大佐の出した指示を嫌々やっている感じだった。
後でわかったんだけど三人ともヴァレンシュタイン大佐の先輩で、貴族出身の士官だった。大佐のことを影で”平民の癖に”とか”生意気だ”とか”元帥のお気に入りだから”とか悪口ばかり言っていた。こんな人たちが従卒を苛めるんだと思う。嫌な人たちだ。大佐に言ったら
「誰だって面白くないだろうね、私なんかが上官になったら。でもミュッケンベルガー元帥のお気に入りか……それはちょっと違うんだけどね」
といって苦笑した。
僕の聞いた話では、グリンメルスハウゼン提督が頼りにならないのでミュッケンベルガー元帥が信頼しているヴァレンシュタイン大佐を参謀長に送りこんだと聞いたけど違うんだろうか?
大佐の忙しさは半端じゃなかった。艦隊の物資補給の手続きから訓練計画の作成、各分艦隊からの苦情、要求の処理、総司令部との打ち合わせや事務連絡等、一日が二十四時間だけでは足りないくらいだった。実際休息はタンクベッドで一日二時間の睡眠だけで、あのまま行ったら体を壊していただろう。従卒の僕も付き合おうとしたんだけど、大佐は許してくれなかった。
「こんな馬鹿なことはしなくていい」
「でも大佐はしています」
「仕方ないね、馬鹿なんだから」
そう言って終わりだった。
あの頃良く大佐が言っていたのは副参謀長のミュラー中佐のことだった。
「もうすぐナイトハルトがくるな~。彼にも貧乏くじを引かせてしまった、怒るだろうな」
と辛そうに言っているので、つい好奇心で聞いてしまった。
「ナイトハルトというのはどなたですか」
「ナイトハルト・ミュラー中佐。この艦隊の副参謀長だ。私が彼を副参謀長にと頼んだんだ」
「親しいのですか」
「士官学校の同期生でね。信頼できる人間だよ」
と大佐が言うので
「それなら大丈夫ですよ、大佐の事を怒ったりしませんよ」
と生意気にも言ってしまった。大佐はどう答えていいかわからないようだった。
ミュラー中佐が来たのは、僕が従卒になってから八日目のことだった。すぐ二人は参謀長室に入って打ち合わせを始めた。僕は飲み物を運んだけど二人とも落ち着いた感じで喧嘩とかはしてないようだった。しばらくして参謀長室から出てきた時、ヴァレンシュタイン大佐もミュラー中佐も笑顔を見せていた。よかった、ミュラー中佐は大佐の言うとおり信頼できる人だったみたいだ。
実際それからのミュラー中佐はヴァレンシュタイン大佐を助けて八面六臂の活躍だった。なによりこれまでヴァレンシュタイン大佐が艦橋からいなくなるとすぐ怠けていたクーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉がミュラー中佐がいるので怠けられなくなった。嫌々でも仕事をしてくれれば少しでも助かる。ヴァレンシュタイン大佐とミュラー中佐は交代でタンクベッド睡眠を取りながら出兵の準備を整えた。一週間前、艦隊訓練も終了し訓練の総評も昨日で終わった。イゼルローンへ向けての出航は四日後だ。
打ち合わせが終わったらしい。ヴァレンシュタイン大佐は自室に戻るようだ。久しぶりにゆっくり休むのだろう。ミュラー中佐は宿直だ。いい機会だからミュラー中佐に話を聞いてみよう。
「ミュラー中佐、今いいですか」
「何かなゲルハルト」
ミュラー中佐は穏やかな人柄だ。何処と無くヴァレンシュタイン大佐に似ているけど親友だから似るのかな。
「ミュラー中佐はヴァレンシュタイン大佐と親しいですけど、大佐は士官学校ではどんな生徒だったんでしょう?」
「どんなって、なぜそんな事を聞くのかな」
「こんな事を言うと怒られるかもしれませんが、大佐は何かぜんぜん軍人らしくありませんし……」
そう言うとミュラー中佐はおかしそうに答えてくれた。
「そうだね、確かに軍人らしくはないな。私が見てもそう思う。エーリッヒは編入生でね、私が親しくなったのは一年の終わりの頃だったな。但しそれ以前から関心は有ったよ。あの容貌だろう、それに歳は確か十二歳だ、なんとも可愛らしい士官候補生でね。あれで腕白とか乱暴とかだったら違ったんだが、エーリッヒは授業が終わるといつも図書室で勉強するか本を読んでいたから本当は女なんじゃないかって皆言っていたよ」
なんとなくわかる気がする。大佐に言ったら怒られそうだ。
「からかったりしたんですか」
「まさか! 君は知らないだろうけどエーリッヒは怒ると怖いんだ」
中佐はちょっとおどけた感じで言った。
「大佐を怒らせたんですか」
「怒らせたのは私じゃないけどね、もう少しで殴りあいになる所だったよ」
そう言いながらも、中佐は懐かしそうだ。
「大佐は兵站科を専攻したって聞きましたけど……」
「本当は戦略科にも行けたんだ、成績は良かったからね。私よりも良かったよ。教官達も戦略科へ行く事を薦めていた。ただ本人が行きたがらなかった。体が弱かったから作戦参謀とかは無理だと言ってね。帝文にも合格したから軍務省の官房局や法務局へも行けたんだけど、本人が兵站統括部への配属を希望した。出世には興味が無かったんだと思う」
「どうして出世に興味が無かったんでしょう」
「……さあどうしてかな。色々有るからね」
中佐は何か知ってるみたいだったけど話してはくれなかった。
「君は明日から自宅へ戻るんだったね。両親とゆっくりしてきなさい」
「はい」
質問の時間は終わりだった。僕はミュラー中佐に御礼を言って自室に戻った。
僕は明日から二日間自宅に帰る事を許されている。出兵前に悔いの無いようにという事だ。大丈夫、僕が戦死するとは思えない。あの二人がいるなら何の心配も要らないと思う。だから胸を張って両親に会いに行こう。そして此処に戻ってくる。きっと二人は優しく僕を迎えてくれるはずだ。僕はもうグリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレンの一員なのだから……。
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