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執務室の新人提督

作者:RTT
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36

「しっかし……わかンねぇなぁー」

 食堂のカウンター席で態々胡坐をかいて座りながら、江風は小さな声でそう言った。
 
「こう言っちゃなンだけどよ、そう騒ぐようなモンかねぇ、あれは」

 頬杖をつき江風はカウンターの向こう、水場で動く人影を見つつぶっきらぼうに続けた。彼女のそれは独り言ではない。相手に同意を求めている様な内容だが、実際は確認だ。自分はおかしいのだろうか、と聞いているだけである。
 確認を求められた人影、皿を洗っていた瑞穂は常日頃から穏やかな相に微笑を添えて応じた。
 
「私は、良い提督だと思いますけど……」
「そら、まぁ……良い悪いでいやぁ良いだろうけどさー」

 穏やかな、それこそ裏方に徹したほうが良いと思っている瑞穂辺りからしたら、提督は良い提督だろう。瑞穂が裏方を希望した時、提督は笑顔で頷いたのだから、瑞穂からすれば提督は良い提督だ。
 瑞穂の様に、事務方に重きを置く艦娘はそれなりにいる。艦娘も150人以上集まれば、皆が皆海上で戦えばいいという訳には行かない。人が増えれば裏方の仕事は増え、自然事務員が不足して来る。大本営に事務員の補充を願えばいいのだろうが、その事務員が鎮守府にとって害になる可能性を考慮すれば、それも最善とは言えない。補充を頼んで間者が来るようでは、負担が増えるだけだ。
 
 その結果、鎮守府を良く知り事務能力も有した即戦力となる艦娘が裏方に回される事になるのである。当然、これは当人の希望があれば、だ。やる気のない者を配置して現場の士気が下がるのは、戦場も鎮守府も同じだ。そして、今食堂で皿を洗っている瑞穂は、志願して裏方に回った艦娘である。
 勿論、有事の際には艤装を装備して海上に出るが、好んで戦場に出たいと瑞穂は思っていない。反面、椅子に胡坐をかいて座っている江風は、事務能力などさっぱりで好んで戦場にでたがる生粋の戦闘思考持ちの艦娘であった。
 
「かー……もう、さっぱりだ、江風にはさっぱりだぜ」

 江風のような艦娘にとって、この鎮守府の提督の様な、体から潮の風を感じられない男というのは少し受け入れ難い物がある。ある筈なのだ。しかし現実はどうだろう。
 彼女はゆっくりと後ろに振り返った。
 江風の視線の先には長良型の姉妹達が集まっていたテーブルがある。いた、だ。そのテーブルには今や誰も座っていない。先ほどまで置かれていた食器なども片付け終えた後だ。更に言えば、そこには提督も座っていた訳である。平々凡々とした姿で。
 
 ――あの分じゃ、あの噂も本当かどうか……。

 そう胸中で呟いた後、江風は再び長良型姉妹に意識を戻した。
 
 長良型、と言えばこの鎮守府において軽巡四天王の一人と精鋭の一水戦旗艦を擁した上に、対潜水艦戦で特に目覚しい活躍をする姉妹達だ。特に五十鈴は対空対潜を得意とする支援上手だ。自然、江風の様な前線勤務希望の艦娘から見れば実に華やかな姉妹達である。
 だというのに、そんな姉妹達が提督一人を囲んで、ただの乙女の様に顔をほころばせてころころと笑っていたのだ。つい先ほどまで。
 それが、江風には分からない。

「でも、皆凄いですよ?」
「……そうなンだよなぁー」

 洗い終えた皿を水きりしながら瑞穂が微笑み、江風がうな垂れた。瑞穂が言う通り、江風達が配属された鎮守府の艦娘達は、相当に錬度が高い。少女の体を持って現世に現れたばかりの二人は他の鎮守府が如何な物であるか判然とはしていないが、それでも演習や遠征などですれ違う他の鎮守府の艦娘を見れば分かるのだ。
 動きが違うし、凄みが違う。江風自身、艦娘なりたての存在であるので己の竜骨をまだ確固たる物と出来てはないが、艦時代の彼女の艦歴が、この鎮守府に居る先任達の凄みを感じさせるのだ。
 そんな先任達が、海の男らしからぬ提督へ花に集まる蝶の様に、或いは蜂の様に寄っていくのである。江風からしたら、もうまったくの意味不明だ。
 ただし、こんな事は他では――瑞穂達以外には江風も漏らさない。
 
「川内さンもさ、時雨の姉貴もさ、超つえーさ。でもさ、ちょっとでも今みたいな事言うと、顔では笑ってるけどスゲー目で見るンだぜ?」

 尊敬に値する先任艦娘達と姉の目を思い出したのか、江風は自身を抱いてぶるりと身を震わせた。相当に恐ろしかったのだろう。そんな江風を微笑んで眺める瑞穂に、江風は尖った口を向けた。

「瑞穂は、そういうミスないのかよ?」
「そうですねー……私は、玉子巻きの作り方で瑞鳳さんと軽く口論したくらいで」
「なにそれ」

 おおよそ艦娘が口論する問題ではない。だが、こうだからこそ瑞穂が事務方に移ったとも言える。彼女は江風から見ても戦闘向きの性格ではないし、また艤装も彼女に合わせてか戦闘向けではない。食堂で玉子焼きの口論をしているほうが似合う艦娘では、確かにあった。
 
「私が提督にと玉子焼きを作ろうとしていると、まず玉子のかくはんからして違うと言われまして……」
「かくはん?」
「混ぜ方です」

 艦娘になって間もない江風でも、艤装をまとった海上戦闘はすでにお手の物だ。感覚で物事を掴むタイプである江風は、自身が少女の体である事に特に悩みもないからだろう。まず間違いなく、この少女は戦闘において今後真価を発揮していく艦娘だ。艦娘としては問題ない。
 そのくせこの江風という存在は、少女としてはポンコツだった。家事一般はさっぱりで、調理などはもう本当にさっぱりだ。食う専門で作るのはまったくなのである。
 
「その後も、焼き方はこうで、とか、提督はもっと柔らかいほうが好みだから、と言われまして……それで、その」
「口論?」
「……はい。その、私にだって作りたい玉子焼きがありますから」

 消え入りそうな声で返す瑞穂に、江風は苦い相で唇をゆがめた。江風と瑞穂は性格的に合わない。火と水、いや、名前からすれば風と水だろう。常に動き回り炎を煽るのが風なら、水は一所に留まり火を消す存在だ。ただ、共通点はある。互いに流れるというところだ。

「……そういや、リベ公は?」
「リベッチオさんでしたら、清霜さんと戦艦娘寮に遊びに行くと言っていましたよ」
「はー……あっちは順調に馴染ンでやがンなぁー」

 同じ時期に鎮守府に配属された江風と同じ駆逐艦娘はすでに無二の友人を作ったようである。ここにいない速吸にしても空母連中によくしてもらっているし、カウンター向こうに居る瑞穂も千歳や、これまた空母連中、更には食堂組や料理上手連中と仲がいい。
 それに比べて、江風は少々躓いている状態だ。
 姉妹との仲が悪いわけではないし、遠征や第一艦隊に編成されて海上にも出ている。ただ、その日常は艦娘として充実していても、江風という少女として充実していない。
 
「調理なぁー……」

 かといって、江風は瑞穂の様に調理場が似合う少女ではないと自分でも理解している。艦娘としてはすぐ確立できた江風ではあるが、少女としてはまだ不安定だ。自我はあるが自己はこれであると主張する物がないのである。
 
「自分とこの海軍の艦じゃないリベ公に、なンか先に行かれてるみたいで、おさまりが悪いンだけども、だからって似合わない事すンのもなー……」
「調理が、ですか?」
「似合うと思うか?」
「……」

 江風の言葉に、瑞穂は顎に手を当てて少し俯いた。瑞穂は周囲をきょろきょろと見回し、他に人影がない事を確かめてから小さく声を出した。
 
「摩耶さん……実は料理お上手なんですよ?」
「うっそだろ」

 江風は目をむいて驚いた。重巡洋艦娘摩耶と言えば、この鎮守府の対空の要であり、実に面倒見のいい姉御肌の艦娘だ。江風にとってはまさに尊敬に値する艦娘である。それがまさか、と思い江風はじっと瑞穂をねめつけた。だが、瑞穂は怯えもせず目も逸らさない。となれば、それはつまり。
 
「えぇー……マジかよ」
「ここだけの話にして下さい。間宮さんや伊良湖さん、他にも料理上手な艦娘達にはよく相談されていますよ?」
「相談って」
「から揚げの美味しい揚げ方とか、スパゲティーの茹で方とか」
「ンなもん、どっちも入れて待っとけばいい奴じゃないか?」
「違いますよ、江風さん。シンプルな物ほど、奥が深いんです」
「あぁー……確かにそンなモンだよなー」

 瑞穂は料理の事を語ったが、江風の脳裏にあるのは戦闘技術だ。砲雷撃戦一つでもただ放てばいいという訳ではないからだ。
 
「あとは……」

 言いよどむ瑞穂は、ちらりと江風をみてまた悩みだす。その仕草に江風は胡坐をかいたまま腕を組み、鼻からフンス、と息を吐いて胸を張った。
 
「いや、もう言い切ってくれよ。生殺しとかちょっとスッとしねぇし。大丈夫だ。もう何がきたっておどろかねぇよ」
「あの、これは本当に秘密ですよ?」
「おう」

 瑞穂は江風に近づき、耳元で囁いた。

「摩耶さん、提督の好みとか……良く聞きに来られます」
「……」

 江風はもう何も口にせず大きく首を横に振った。また提督だ。誰も彼も提督だ。悪い人物だとは江風も思わない。しかし、どうにも分からない。歴戦の艦娘達が熱を上げる相手として見るには、提督は凡庸すぎた。江風なら、もっと颯爽とした快男児がいい。指揮能力が高く、好戦的ならなお一層良しだ。ただし、それは艦として求める指揮者の理想像だ。彼女はまだ娘の部分が構成しきれていないので、理想の異性像は作れないらしい。
 
「もうなんだ、姉貴達の趣味がわかンねー」

 肩を落として零す江風と、それを見て困ったそうで微笑む瑞穂の耳に音が届いた。食堂の扉を開ける音である。が、今現在ここに主である間宮は居ないし、扉には準備中の札をかけていた筈だ。さて、では誰が来たのだ、と二人は扉を開けた人物へ目をやった。
 
「あぁ、やっぱりここに居たんだね」

 二人の視線の先に居たのは、江風の姉であり駆逐艦娘のエースの一人、時雨であった。話していた内容が内容だけに、江風は喉を数回鳴らして調子を戻そうとしていた。瑞穂は黙って微笑むだけだ。若干、その相につらそうな物も見えるが。
 二人の様子に首をひねりながらも、時雨は足を進めて二人へと近寄ってく。
 
「あぁ、瑞穂」
「はい?」

 時雨に話しかけられたからか、瑞穂は僅かに身を硬くして時雨の言葉を待つ。
 
「提督のお昼ご飯、間宮さんに任されたんだって?」
「はい……やってみなさい、と間宮さんが」

 少ない機会であるが、提督が食堂に来た場合間宮が料理を出していた。どれほど忙しくともだ。だというのに、今日に限って瑞穂が担当を任されたのである。現状、出せる力は全て出し切ったと瑞穂は考えているが、作り手の考えを食べる人に押し付けるわけにはいかない。ゆえに、彼女は提督に何も言わなかったのだが……
 
「いつもと味が違うから、多分瑞穂さんだなぁ、って提督が言ってたよ」
「……そう、ですか……味が」

 時雨の言葉を悪い方に捉えたのだろう。瑞穂は睫毛を震わせて俯いた。間宮に比肩するほどの物は作れないと彼女自身理解していたが、それでも悲しい物は悲しいのだ。
 
「おいしかったからまたお願いってさ」
「あ――……はい、次はもっと頑張ります」

 一転、ほっとした相で胸を撫で下ろす瑞穂に、時雨も笑顔でうんうんと頷いた。そんな二人をみながら、江風は居心地の悪さを感じていた。時雨と瑞穂に挟まれている上に、話題が先ほどまで口にしていた提督の事だからだ。
 
「あぁそうそう江風」
「……なンだよ、時雨姉貴」

 ばつの悪さからか、胡坐のまま頬杖をついて少々反抗的な口調で江風は返した。そんな江風を暖かいまなざしでみつめて、時雨は肩をすくめた。勿論、提督の真似である。
 
「おめでとう」
「……はぁ?」
「明日江風を第一艦隊の旗艦において海上作戦を展開するってさ?」
「……」

 時雨のその言葉に、江風は目を何度も瞬かせた。次いで、自身の頬を抓り結構な勢いで頭部を叩いた。当然、自身の、だ。
 
「っつてぇええええええええええーーーー!」
「いや、何をしているんだよ、江風?」
「時雨の姉貴、時雨の姉貴! それ本当か!?」

 目じりに涙をためたまま、椅子から突如立ち上がり江風は時雨の肩を掴んだ。もうこのまま時雨を抱きしめてしまいそうなテンションである。
 
「嘘じゃないよな!? マジだよな!?」
「本当だよ。執務室にいた提督が、僕の前で初霜と大淀に言ってたから、確定だし、僕がこうして報告役任されたんだから、信じなよ、っていうか江風痛い」

 時雨の言葉の途中から、江風は時雨を抱きしめていた。ぶるぶると震えながらだ。
 この鎮守府において、第一艦隊の編成に組み込まれる事は珍しい事ではない。周囲はベテラン達で、提督からしても安心して新人を任せられるからだ。
 ただし、旗艦となればまた違ってくる。第一旗艦山城がその座を引くのは、限定海域で戦艦をだせない時や、初霜が指揮を任された時、そして一部の艦娘が任された時だけだ。
 
 この鎮守府に配属になって日の浅い江風でも知っている。いや、江風だからこそしっている。高い錬度の艦娘が多いこの鎮守府の情報通、青葉に話を聞いていたからだ。強くなるための努力を厭わないのは、彼女の長所である。当然、その話の中でそれぞれの武勇伝に近い物も耳にした。
 その中で、江風にとって二番目に興味を惹いたのはある話だった。
 かつての旗艦経験艦娘達の話だ。吹雪、初霜、時雨、初雪、綾波、浜風、神通、矢矧、球磨、大井、北上、青葉、妙高、高雄、利根、鈴谷、摩耶、足柄、羽黒、金剛、比叡、扶桑、伊勢、大和、赤城、加賀、鳳翔――と、他にもまだ居るが江風の知る限り第一旗艦を務めた艦娘は、皆この鎮守府で一廉の艦娘である。

 その中に自身が入ったのだ。その喜びは一入だ。
 ちなみに、一番彼女の興味を惹いた話と言えば――
 
「あの提督、本当に見る目があるンじゃねぇか!」
「……見る目、ですか?」

 子供の様に喜ぶ妹をあやす時雨に、瑞穂は首を傾げた。瑞穂は知らない話であるから、不思議に思うのは仕方のない事であった。
 
「そういう噂があるんだよ。僕らの提督は、艦娘の事をよく見て、僕ら以上に知ってるって噂が」
「そんな噂があるんですか……」

 驚いた、と正直に語る相で零す瑞穂に、時雨に抱きついたまま江風が言った。
 
「うちの提督って良い奴だよな!」
「はい、私もそう思いますよ」

 まるで妹を見るような目で微笑み、瑞穂は江風に返した。 
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