101番目の哿物語
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第一章。千夜一夜物語
第一話。『対抗神話』
「なるほど」
そう答えた一之江は今にも飛びかかりそうな勢いだった。しかし、今の一之江は力を使い果たしている。昨日は『赤マント』であるスナオ・ミレニアムと戦い、、氷澄やそのロアである『ターボロリババァ』のラインと戦ったばかりだからだ。
今は『ロア』状態を解除したから何の怪我を負っていないように見えるのだが、その精神的な疲労やダメージは残っているはずだ。
そんな状態で、仮にも引き分けたスナオと戦えるとは思えないし。
ましてや、最強の『主人公』などと呼ばれる理亜と戦えるなんて思えない。
いや、例え一之江が万全な状態だったとしても、俺は戦ってほしくない。
妹のような存在である理亜と、パートナーの一之江が戦うだなんて。
そんなの、俺にとっては悪夢以外の何ものでもない。
「なあ、一之江……」
「モンジ。貴方の妹さんは我々ロアにとって最も危険な存在です。そして貴方は、そんな最も危険な存在に宣戦布告されました。ここで兄妹だから、などという情で『あいつを殺さないでくれ』なんて私に言い出したら、その瞬間に貴方を殺しますよ」
一之江はまったく俺を見ないまま、そう答える。
「いや、だがな。何も殺しあう必要はないんじゃないか?」
「殺さないで彼女を倒せるなら、私もそう言います。しかし……」
一之江は視線を理亜に向けたまま、言い放つ。
「彼女は私達を本気で消す気でいるのです。甘さは捨てなさい」
一之江は淡々と告げ。
「理亜ちゃん、さっきの話を聞く限り……どんなロアでも消すことができるのよね?」
そんな一之江の後ろから。
音央が鳴央ちゃんを支えたままの姿勢で恐る恐る尋ねる。
音央と理亜は面識がある……だけではなく、多少仲良しだった。
それこそ俺をだしにしてリビングでお茶会をするくらいの仲だったのだ。
「はい。そういう『ロア』としての能力を持っています」
「っ⁉︎」
だが、理亜はいつも音央に接するような親しみのある態度を見せなかった。
『俺の物語』である以上、音央も敵として認識している。
そんな態度だ。今の理亜なら音央を容赦なく消し去る……そんなことはしない、なんて言い切れない態度と鋭く細めた瞳で俺や一之江、音央、鳴央を見つめている。
理亜がさっき俺に告げた言葉が脳内でリピートされた。
『いずれ仲間がもっと傷ついたり、命を落としてしまったりした日には、兄さんはぜーったい立ち直れません』
あの言葉は、俺の覚悟を問うものだった。
「で、でも、そんなの……理亜ちゃん、苦しいだけじゃないっ」
音央の語調が強くなる。『ロア』とはいえ、誰かを消す力。
それはある意味殺人を犯すのと同じだからだ。
「そうですね……当然、胸も痛みますし。泣きたくなることもあります」
音央の言葉で。
理亜からようやく感情というものが読み取れた。
それは『悲しみ』、『後悔』、『怒り』、そして……。
「ですが。私はこの『終わらない千夜一夜』の『主人公』としての道を歩み。いくら犠牲が出たとしても、再び立ち上がって戦うという意志があります」
理亜が抑えていた感情。
それは。
『恐怖』。
その感情を理亜が持ち、そして……俺の前に現れたということは。
『最強の主人公』である理亜が恐れるほどの何かが起きている、ということだ。
そして。
その何かが俺に迫っているということでもある。
「っ、理亜ちゃん……」
理亜は苦しそうに声を振るわせてから、目を細めた。
今の言葉は音央への返事でありながら、俺に問い質したものでもあったんだ。
『兄さんには、私のような『覚悟』はありますか?』と。
理亜は俺になんらかの『覚悟』を持って対峙している。
なら、俺も。
『覚悟』を決めて伝えないといけない。
「さて、私の説明は以上でよろしいですか?」
あくまで淡々と。朗々と。女王が民衆に告げるように上から目線と口調で。
理亜は俺と、一之江達を見た。
「では兄さん。改めて言います。私の物語になりなさい」
理亜がその台詞を呟いたのと同時に。
「……すみません、モンジ」
信じられないことに、一之江の口から謝罪の言葉が溢れた。
「え?」
尋ねる間もなく、隣にいた一之江の姿は一瞬で消えた。
その姿を再び捉えた時には、一之江は手にナイフを持ち、それを理亜の胸に突き付けようとしていた。
「ばっ、やめ……」
止めろ、と言おうとしたその時。
「音央ちゃん、今ですっ」
鳴央ちゃんの悲痛な声が横から聞こえ。
「っぐ、ごめんね、理亜ちゃん!」
「音央、鳴央ちゃん⁉︎」
『神隠し』コンビが、連携して理亜目掛けて技を放っていた。
まるで、鞭のように、鋭くなった蔦が理亜を拘束しようと迫り、そして、鳴央ちゃんはじっと一之江と音央に合わせようと真面目な顔をして理亜を見つめている。
「モンジさん、ごめんなさいっ。私たちは……!」
『私たちは何があっても貴方を守りたいんです!』
…………。
ああ、解ってる。解ってるよ鳴央ちゃん。だから、そんな目をしなくていいんだ。
そんな目を潤ませて申し訳なさそうな表情をしないでくれ。
君達は、俺の物語だから。俺が下せない決断を、最良の決断を代わりにしてくれたんだ。俺も、みんなも生き残ることが出来る最善の方法を。
だから一之江が珍しく『すみません』なんて言い出し、音央が半べそになってまで攻撃を繰り出し、鳴央ちゃんは悲痛な声で叫んでいるんだろう。
これは、誰の責任でもない。
誰も予想できなかった。
一つの現実だ。
______俺の大事な物語たちと、大事な妹が戦いを始めてしまった。
もし責任があるのなら。
その責任は俺にある。
俺は一之江と出会った頃から、その可能性に目を瞑ってきた。
理亜が何かしらの『ロア』であるという可能性から。
もっと早く、理亜を調べていれば。
もっと早く対策を練っていれば。
少なくとも、俺の物語たちを巻き込むことにはならなかったはずだ。
『もし』、『たら』、『れば』なんて言い出したらキリがないが。
だが、それでも。
それでも思わずにはいられない。
「甘いわよー!」
一之江と音央の攻撃が届く前に、理亜の体は赤いマントによって消失する。
その隣にいたスナオやかなめの姿もどこにもいない。
スナオ・ミレニアムのもつ『ロア』は『赤マント』。
そう、彼女の能力は『少女を浚う』というもの。
どんな状況下であっても、その赤いマントは理亜やかなめといった『少女』を浚えるのだ。
と、そんなことを考えていると。
「くっ!」
一之江の悔しそうな声が聞こえ。
彼女の方を(姿を見ないように気をつけつつ)見ると。
一之江は今まで理亜達が立っていた柵の上に着地していた。辺りを見回している様子から理亜達の姿を見失ったようだ。
一之江の目はすっかり戦士の目で、対象を倒す以外のことを考えていない。
そんな目をしていた。
「ど、どこに消えたの?」
「気をつけて下さいっ!」
音央が放った茨の蔦も空を切り。
焦った顔をした音央と、青ざめた顔をしている鳴央ちゃんが叫んだ。
その時だった。
すっかり動揺していた俺達の耳に、理亜の静かな声が響いた。
『メリーさんの人形に襲われた人物は、その最期の瞬間に呟きました』
「つ⁉︎」
その声を聞いた瞬間。
一之江の体がビクッと跳ねた。
どこからともなく響くその声が、まるで物語を朗読するかのように。
淡々と、そして綺麗なトーンで響き渡る。
『そう。もしもこの人形が探しているのが、私ではなくて『メリーさん』なのだとしたら。
復讐の相手はメリーさん自身なのだとしたら。彼女はそう考えて______』
「あああああっ⁉︎」
理亜のその静かな声を聞いた途端。
一之江が、今まで聞いたこともないような大声を上げ、両手で体を抱きしめるようにして苦しみだした。
「一之江⁉︎」
その目は大きく見開かれ、顔面は蒼白になっている。
まさか、これがさっき理亜の言っていた『夜話』なのか⁉︎
『だから復讐にやってきた人形にこう語ったのです。「もしもし、私は______」』
「あぅ、く、ああああっ‼︎」
一之江の苦しみ方は尋常ではない。胸を抑えて、目を強く閉じ、柵に必死にしがみついている。
何が起きているのかを確認するまでもない。
『対抗神話』。
それは。
______『噂』によって、『実体化』する都市伝説である存在。『ロア』を『消滅』させる方法。
その力を理亜は一之江に向けているのだ。
「や、止めろ理亜‼︎」
おそらくだが、今理亜が語っている物語は『メリーさんの人形』を打ち消す為の対抗神話。
つまり、その続きを読まれたら……『メリーさんの人形』の物語は解決してしまう。
その意味するところは……一之江が消滅する可能性があるということだ。
「う、あ、ああああああ!」
一之江がこんなに苦しそうな声を出すなんて、今まで想像すらできなかった。
いつだって気高く、慇懃無礼で、余裕を持っている一之江が。
今は口から搾り出すような悲鳴を上げているんだ。
「止めろ理亜!」
俺の叫びもまた、悲痛な哀願になっていた。
なんでだ?
どうして?
なぜ?
理亜がこんなことを。
いや、とっくに理由は解っている。
一之江が先にしかけたから。
理亜はそれに応じただけ。
正当防衛。
襲われたから、危険な対象を排除する。
それは当たり前の考え方だが、だが……それでも。
それでも、俺は認めたくない。
あんなに優しい理亜が容赦も躊躇いもなく、一之江を消そうとしているなんて。
『……ふむ』
そんな俺の声が届いたのか、どこからともなく響いてきた理亜の声は、夜話を読むのを止めてくれた。
助かった、と、ホッとしたのも束の間。
『兄さんにとって、一之江さんがどれほど大事なのかは解りました。では次は……』
「つ、次だと⁉︎」
(おいおい、何の冗談だよ⁉︎
これは夢か? 夢なら覚めてくれ!)
理亜は夜話を読むのを止めたわけではなかった。
ただ、読む対象を変えただけだ。
俺にさらなる絶望を与える為に。
「や、止めて、理亜ちゃん! 見せしめなら、ロアである私がなるから‼︎」
と、愕然とする俺を他所に音央が虚空に向かって叫び。
「音央ちゃん⁉︎」
俺以上に驚きの声を上げて鳴央ちゃんが叫んだ。
音央だって、鳴央ちゃんだってさっきの戦いで傷ついているのに。
それでも頑張って、踏ん張って立っているのに。
音央も、鳴央ちゃんもお互いがお互いを支えあって辛うじて立っているのに。
それなのに。
「元々あたしはいない存在だもの。こういう時は、ハーフロアのあんたたちより、あたしがそういう目に遭うべきだと思うの」
「そ、そんなの、いけませんっ‼︎」
「ふざけんなよ、音央!」
音央の決意に、鳴央ちゃんと俺は断固反対する。
「ロアであるからとか、ハーフロアだからとか、そんなの関係ない。誰かを犠牲にして勝つなんてそんなこと認められない!」
俺は声を張り上げて抗議したが。
『いいでしょう、音央さん。次は貴女です』
俺が音央に言い終わるのと同時に、理亜の声は容赦のない一言を告げた。
そして。
『______妖精の森に攫われた少女が帰ってきた時、そこには暖かな食事と、優しい両親がいました。だから、その少女は______自分が妖精であることを伏せようと思ったのです』
「ひぅっ⁉︎」
理亜の声が聞こえたその瞬間。
音央は小さな悲鳴を上げた。
『ですが、その夜ご飯を食べた時。そこにあるのが強い愛であり、そしてその愛は自分に向けられたものではないと知った彼女は、自分の正体を______自分という存在が消えてしまうことも厭わずに告げようとしたのです。「すみません、私は______」』
「やっ、あ、あたしの体がっ⁉︎」
「いやあっ、音央ちゃんっ⁉︎」
音央を見ると、その体が薄っすらと……薄く、透明になり始めていた。
隣にいる鳴央ちゃんが慌てて抱き締めるものの、その体はまるで空気に溶け込むかのように、じわりじわりと色を失っていく。
「や、止めてくれ理亜‼︎」
『兄さん、では、私の物語になる決心をしてくれましたか?』
理亜の声はやはりその続きを語ることはなく、俺に尋ねてきた。いいところで止めることで、その力を見せつけるかのように。
なんて少女だ。
こんな能力、反則なんじゃないか?
理亜が一人いれば、どんなロアだって退治できてしまう。
そのくらい圧倒的な力だ。
まさに一騎当千。
『最強の主人公』にふさわしい能力だ。
それはまるで、物語の『英雄』とか『勇者』が持つ力。
あ、いや。女の子だから、『聖女』や『女神』だな。
俺の『百物語』とはまさしく格が違う。
そう。本当は……本当は、俺なんて要らないんじゃ______。
「も、モンジ……のまれたら……ただじゃおきませんよ……」
柵の上から聞こえてきた一之江の声にハッとする。
そうだ。俺は一体何の為に。誰の為に『主人公』になったんだ?
何で『百物語』の『主人公』になったんだ?
塞ぎこむ為か?
絶望する為か?
投げ出す為か?
______違うだろ、遠山金次!
大切な物語を……仲間を守る為、その為に俺は『主人公』になったんだ!
何より……俺は『あの日』誓ったんだ。
初めてDフォンで一之江を呼び出した日。
一緒のベッドで添い寝したあの日。
俺は誓ったんだ!
『大事な物語にする為に、頑張る』って……。
武偵憲章2条。依頼人との契約は絶対守れ。
俺は約束した。一之江を消させたりしないと。
「そうか。そうだったね。一之江。
もう、大丈夫だ。俺は諦めないから」
武偵憲章10条。諦めるな。武偵は決して諦めるな。
「そ、そうです、モンジさんっ! 諦めないで下さいっ! 私たちは、モンジさんだから、モンジさんの物語になりたいって思ったんです」
鳴央ちゃんも必死に叫んでくれた。
そんな彼女らの『想い』を聞いた以上。
諦められるかよー‼︎
理亜と戦う決意は固まった。
だが。
次の瞬間。
『______こういう話があるんです。境山で発生した『神隠し』について。新聞に載っていたんだけど、あれは家に帰っても帰ってこない親に向けて、自分がいなくなったことを心配して欲しいと願った子が流した全くのウソで______実際、その女の子は______』
「や……やああああ⁉︎」
理亜の声が聞こえた途端、鳴央ちゃんは大きな声を上げて苦しみだした。
「な、なんだよ、その話は⁉︎」
全くのウソ。デタラメだ!
本当の『神隠し』は、鳴央ちゃんが音央を生き延びさせたいが為に、多くの罪を犯して頑張っていた話だったはずだ。
それなのに、理亜が語った夜話は全くのウソだった。
だが、ウソであっても、鳴央ちゃんは胸を抑えて苦しんでいる。
______『対抗神話』。
より多くの人が信じるであろう、都市伝説の解決方法。
理亜は、それを完璧に、完全に使いこなしている。
______噂を、コントロール出来るくらいに。
「止めろ! もう、止めてくれ!
この通りだ!」
俺はすぐに日本人伝統の謝罪方法。
土下座をした。
柵の上で苦しみ続ける一之江。
姿が消えかけてる音央。
悲鳴を上げる鳴央ちゃん。
彼女らがこれ以上苦しむ姿は見たくない。
「お願いだ、理亜っ! この三人を苦しめるのを、止めてくれ、頼む……!」
どこにいるのかは解らない。おそらく、スナオちゃんによって『攫われた』先の空間からその『夜話』を続ける理亜に声をかける。
理亜が止めるまで、俺は頭をアスファルトにガンガンと打ちつけた。
頭から血が流れたが、そんなことは気にならない。
アスファルトが削られ、周りに飛び散るが気にならなかった。
ただ、ただ愚直にもそうすることしか出来なかった。
だって。
俺は理亜に、可愛い女の子に手を上げたりなんてできないのだから。
『はふぅ』
理亜の困ったような、呆れたような溜息がどこからともなく聞こえる。
『______ご理解いただけましたか、兄さん。いかに『ロア』というものが曖昧で、儚く、些細なことで消滅の危険に陥ってしまう存在であるのかを。そして、兄さんは彼女たちを守ることなんて出来ないということを』
俺には一之江たちを守れない。
今までの理亜の行動が。
それを思い知らせる為だとしたら、それは最適な方法だ。
俺はただただそれを実感してしまう。
敗北でもない、諦めでもない。
理亜は、俺が彼女たちを失った時に何も出来なくなることを見越して、その事実を知らしめただけだ。
だから、ここにあるのは現実だ。
相手に対して、頭を下げることしか出来ない。
そんな現実を痛感させられた。
そして、そんな俺に理亜は告げた。
『______『千の夜話』______今宵はここまでにいたします』
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