ウラギリモノの英雄譚
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テンキ――仮面ノ怪人ノ正体
一夜が明ける。
その日は、朝から重々しい雲が青空を覆い隠しており、今にも雨が降りそうだった。
里里が出て行った後、莉子が帰ってくるかとも思ったが、結局彼女はその日の内には帰ってこなかった。
要は明け方から道場で鍛錬に励んでいた。
道場に置いたテレビから、朝のニュースが流れる。
昨日も仮面の怪人が出現したらしい。恐らく里里が呼び出しを食らったのは、これの討伐だろう。
「って、これ……家の近くじゃないか……」
出現したポイントは、要の家のかなり近くだった。
これまでとは違い、仮面の怪人はヒーローではなく小学校の体育館を襲ったらしい。体育館の凄惨な姿が、テレビに映し出される。体育館は、内側から食い破られた感じで資材を撒き散らしていた。
「人がいなかったのは幸いだな……」
だが、仮面の怪人は今回も討伐されなかったらしい。
インタビューを受けたヒーローは、「徐々に仮面の怪人が強力になっている感じがする」と答えていた。
「夜の外出は控えるかな……」
そんなことを思っていると、莉子が現れた。
「おーい、要くんやーい」
莉子が開けていた道場の入り口から顔を覗かせる。今日も、いつものジャージではなく、私服姿だった。
「いつものジャージって……人を常日頃からジャージ着てる人みたいに言わんで。平常運転時は普通の服を着てるよ」
「普通の服ってどんな服ですか?」
「うーん……こんなん?」
莉子がクルクルとその場で回ってみせる。
「それより、朝から精が出るね。どうしたん?」
「どうしたのって……何もなくても、こうしてるのは日課だったんですけどね」
ぐっと拳を握る。
「ただ、昨日のことで少し……自分の無力を思い知りましたから」
「それで改めて鍛え直しよん? そんなことせんでも、変身さえ出来れば、要くんに敵はおらんよ」
「変身は、もう出来なくてもいいんです」
「……何で?」
「ただ手の届く範囲に居る人を守れるぐらいには強くあれるなら、それで十分だって思えるようになったんです」
だったら、ヒーローになれなくたっていい。
「ようやく諦めがつきました。自分が納得できる結末を迎えられました」
既に要の気持ちに迷いはなかった。
しかし、話を聞いた莉子は顔を伏せてしまう。
もしかしたら、要の夢を応援してくれていた彼女には、今の言葉は失礼に当たったのかもしれない。
「そっか……」
莉子が顔を上げる。
「それが要くんの結末なんやね」
声は落ち着いていた。
「けど、怪人は強いよ。変身できんで本当に倒せる?」
「……何とかしますよ」
「そっか……要くんなら、何とかするんやろうね」
「せっかく応援してくれたのに、ごめんなさい」
「気にせんでいいよ。わたしは要くんにプロのヒーローになって欲しかったわけやないから」
「え? でも、僕をヒーローにするって……」
「ああ、それはプロのヒーローって意味じゃないよ。プロじゃなくたって、誰かのことは守れるし、誰かのヒーローにだってなれる」
「相変わらず莉子さんの言ってることは僕にはよく分かりません」
「分からんでもいいよ」
莉子が頷く。
「要くんは、わたしのヒーローやけん……。これからも、それでこれから先もずっと……」
思いを告げるように、莉子が言った。
それはどういう意味なのだろう。
そのことについて、要が問おうとした。
その時。
「ああ、時間切れか……」
莉子が失笑した。
「昨日さ、顔を見られた気はしてたんだよね……」
要には、その言葉の意味は分からない。
だが、聞き返すよりも早く
「――――」
鼓膜をつんざく爆発音が鳴り響いた。
爆発で道場のドアが弾け飛んだ。
「何だ!?」
そしてぶち破られたドアの向こうから、複数の足音が室内になだれ込んできた。
入り込んできたのは、各々個別のヒーロースーツに身を包んだヒーロー達だった。
「何ですか、あなた達!?」
突然のことに、要が身構える。
雪崩れ込んできたヒーローは、前面を近接で用いる武器を持ったヒーローで固め、後列に遠距離攻撃が可能なヒーローを配置する。
数は合計でおよそ二十人程度。
要は莉子を下げ、前に出た。
すると、後列に並んだヒーロー達が要に銃口を向けた。
「何のつもりですか……?」
勿論、要にヒーローに狙われるような覚えはない。
このまま撃たれたらひとたまりもないだろう。『変身』してやり過ごすかを考えて、背後に莉子がいることを思い出す。
自分だけ身を守るわけにはいかない。
「要兄さん!」
後列のヒーローから、声が上がった。
すぐに里里の声だと気が付く。
「里里さん、いるんですか?」
「今すぐそこから離れて!」
「うちの道場に何があったって言うんですか」
里里の声が聞こえても、要は緊張を解くことが出来なかった。
背後で要を狙う後列のヒーロー達から、今にも引き金を引いてしまいそうな雰囲気がひしひしと感じられたからだ。
「とりあえず、言うとおりにしましょう」
背後にいた莉子の手を取る。
「何やってるの兄さん! 早く!」
「ちょっと待って下さい。全然意味が分からない! どういうことか説明して下さい」
「だから――!」
里里が苛立たしげな声を上げる。
「要くん……師匠として最後に教えてあげられることがあった」
すると、背後の莉子が要の手を振り払った。
何やってるんですか。突然の訳がわからない展開に、要が苛立たしげな視線を莉子に向ける。
「怪人がどれだけ恐ろしい存在なのかを教えてあげるよ」
ニッコリと、莉子が笑う。
莉子の手に真っ白な仮面。この無機質な仮面には見覚えが合った。
先日、要を襲った仮面の怪人が身に着けていた物だ。
莉子はその仮面を自らに被せ。
「バイバイ」
そう告げた。
莉子がどこからとも無く取り出した、真っ白なコートを羽織る。
「――その女が、仮面の怪人なんだよ!」
里里の声が響く。
あの日出会った仮面の怪人が、そこにいた。
「撃つぞぉ!」
しびれを切らした後列のヒーローの一人が、引き金を引いた。
要の背後に立っていた莉子に向けられて放たれた弾丸は、真っ直ぐに要を目掛けて飛来して。
「ぐちゃり」と。
莉子の白いコートから飛び出した触手が、その弾丸を受け止めた。
「え……?」
めまぐるしい展開に思考停止におちいった要の足に触手が巻きつく。
そして触手はヒーロー達目掛けて、要の体を投げ捨てた。
要の体が射線から外れる。
同時に、後列のヒーロー達が一斉に引き金を引いた。
銃口が火を吹いて、無数の個性の弾丸が仮面の怪人――莉子に飛来する。
弾丸はコートを引き裂き、ほとんどが莉子に当たった。
「うっ……つぁ、うぁあ……」
莉子が苦しげなうめき声を上げる。
破れたコートの下に、蠢く触手が見える。
要は前列に居たヒーロー達に抱えられて、体制を持ち直していた。
「君は下がりなさい」
ヒーローに命令されるが、要はふらふらとした足取りで、前に出る。
要には何が起こったのか理解が出来ない。だが、莉子が撃たれていた。
何故だ? 彼女が仮面の怪人だったからだ。
「やめて下さい……」
訴えるが、ヒーロー達に要に取り合う余裕などなかった。
前列のヒーロー達が斬りかかる。殴りかかる。襲いかかる。
「くはっ」
仮面の下から笑うような音。
莉子の触手は近付いてきたヒーローを薙ぎ、離れて攻撃する後列のヒーロー達にまで伸びていく。
「クソっ。情報よりずっと強いじゃないか……!」
前列のヒーロー達は、後列に襲いかかろうとする触手を防ぐ。
だが、瞬く間に隊列は崩壊した。
それだけ、仮面の怪人は強かった。
要には、ただ見ていることしか出来なかった。
「何してるんですか……?」
莉子の周囲に目には見えない禍々しい気配が収束していく。
目の前で、彼女が異形に変貌していく。
「つァア……!」
異形と化した莉子が奇声を上げ、触手を前につきだした。
たったそれだけのことで、幾人ものヒーローがなぎ倒される。
「は……? 嘘だろ……」
「嘘やないよ」
仮面の向こうから莉子の声がする。
「要くんはわたしを倒せる?」
瞬く間にやられてしまったヒーロー達の体が転がっていく。
「ねぇ、要くん……こういう場合、ヒーローやったら何するんかな?」
動いているヒーローはもういない。
皆、痛みに身悶えしながら地に伏していた。
弱々しく膝をついていた里里を、莉子の触手が持ち上げた。
「うっ……」
回復が追いついていない里里は、動き出すことが出来ない。
「この子は預かっていく。要くん、初めて会ったあの場所で待ってるよ……」
里里を取り返さなければ。そう思った。
だが、要は頭の中で考えるばかりで、動き出すことができない。
莉子が仮面の怪人だった現実を、心が受け入れられなかった。
「ヒーローだったら、どうすればいいか分かるよね?」
それだけ言い残し、莉子が跳躍する。
ヒーローの上を飛び越えて、開け放たれた入り口から莉子が去っていく。
要はただそれを呆然と見送ることしかできなかった。
いつの間にか、外では雨が降っていた。
濁りきった空に、莉子が消えていく。
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