ウラギリモノの英雄譚
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デシイリ――紫雲幾子ノ帰還
要は自転車を回収して、二次試験の会場を後にした。
莉子が一列に並んで前を歩いている。
徒歩の彼女と速度を合わせているのは、要が彼女と話をしたかったからだ。彼女の真意について問うためだ。
「あなたは……何者ですか」
「緋山 莉子(ヒヤマ リコ)。君の背中をずっと見ていた女の子だよ」
ストーカーみたいなことを言わないで欲しい。
「何で僕をヒーローにしたいんですか?」
「わたしなら君をヒーローにしてあげられるけんかな……。いや、違うなぁ……」
莉子が頭を掻く。
顔だけ振り返って、莉子が横目に要を見た。
「わたしが、要くんにヒーローになって欲しいけん」
彼女が何故そんなことを言うのか分からない。
自転車を押しながら歩いていた要は、何となくむず痒くなって顔を伏せた。
「前見て歩かないと、危ないですよ」
ヒーローとしての自分を必要としてくれている誰かが目の前に居る気がした。
そんなに話も弾まなかったが、言葉を交わしながら歩いている内に要の家に着いた。
「さて。着いたね。……それで、要くんはわたしの申し出を受け入れてくれるん?」
「申し出?」
「だからぁー、弟子になってくれるのかって聞いとるん!」
「ああ……」
もしかしたら、彼女の誘いに乗れば何かが変わるかもしれない。
そんな予感はしたのだが、
「すいません。やっぱり、お断りします……」
要にはまだ、出会ったばかりの彼女を全面的に信じることが出来なかった。
要の返答は、莉子にはショックだったようだ。
「あー……そっか……」
目に見えて落ち込む彼女。要はあからさまに話題を逸らした。
「ここまで付いて来て良かったんですか? 用事とか無かったんです?」
「うん。この後はちょっと要くんの家に用事があったけん」
「僕の家にどんな用事があるっていうんですか」
「お邪魔しますー。たのもーっ」
要の話を聞かずに、莉子はずかずかと要の家の玄関を開けた。
「ああ、ちょっと勝手に入らないで……って。あれ?」
そこで要がふと気付く。
「また鍵が開いてる」
先日のように、里里でも来ているのだろうか?
そう思って玄関を覗き込むと、玄関に女性サイズの革靴が並べられていた。
「っ……」
その靴には見覚えがあった。
「え? ちょっと要くん……」
要は自転車もその場に投げ出して、靴を脱ぎ散らしながら家の中へと入って行った。
踏み鳴らして廊下を進み、乱暴に台所のドアを開く。
台所に誰も居ないことを確認すると、今度は居間へのふすまを開いた。
「……」
「おや、要かい? しばらく見ない間に大きくなったねぇ」
居間にいたその人物は、要の姿を見てヘラヘラと手を振った。
「何で普通に帰って来ているんだよ。……母さん」
要に母さんと呼ばれたこの人物、紫雲 幾子(シウン イクコ)が居間で茶を飲んでいた。
幾子の見た目は、パンツルックの黒のスーツ。パッと見は、黒髪を日本人形みたいに切りそろえた十代ぐらい若い女だ。だが、こう見えて彼女は要の倍以上も生きている。
「おやおや。僕が自分の家に普通に帰ってきてはいけなかったかい? もしかして反抗期ってやつかな? 何か気に障ったかい?」
「五年間も失踪しておいて、何普通に帰ってきてるのかって聞いてるんだよ!」
「ふっ。要のツッコミは相変わらず切れが良いね」
幾子が何事もなかったかのように、茶をすする。
彼女は全く取り合う様子もなかったが、今この場所に彼女が居ることは、要にとっては重大な事件だった。
三年前、プロヒーローとして活動をしていた幾子は、とある強力な怪人の討伐に加わり、そのまま行方不明となった。
失踪から三年。生きているのかさえ危ぶまれていた彼女が、何の連絡もなくひょっこり家に帰ってきたのだ。驚かずにはいられない。
「今日まで、何してたんだよ……」
「なに。ちょっとばかり、人助けをしていただけさ」
「事件に巻き込まれてたわけじゃないんだね?」
「事件に巻き込まれるのがヒーローの仕事だろう? ただ、怪我をしていたとかいうことはないから、心配しないでおくれよ」
幾子は、机の上に置いた携帯電話を弄りながら。
「連絡の一つもしてやれず悪かったね」
と心ない謝罪の言葉を述べた。
そして幾子は携帯を耳に当て、電話を掛け始めた。
「やぁ、僕だけれど。突然の電話は気に障ったかい? ところで、今日の約束だけれど何時頃にこちらに着きそうかな? ……え? もう着いてる? なら、遠慮せずに上がっておいでよ」
「お邪魔しますー」
玄関から莉子の声。
廊下を進んで、要の背後に莉子がやって来た。
「久しぶりの親子の再会に水を指してしまわんかったかな?」
「なに。要も母を取られたぐらいで拗ねる子供ではないさ。まぁ、遠慮せず座り給え」
幾子に促されて、莉子が上座にある幾子の向かいに座った。
「要。悪いけれど客人にお茶を入れなおして来てくれないかな?」
「いえ、お構い無くー」
「若い子が遠慮するもんじゃないよ。あと、お茶菓子も一緒に頼むよ。僕も探しまわったんだけど、この家には冷凍パスタとプロテインと牛乳しか見つからなくてね」
「ああ、最近の要くんは、家ではそればっかり食べよるんですよ」
「何と。育ち盛りなのにそれはいけないな。料理は一通り教えていただろう? 何故、自炊をしなかったんだい?」
「最初は作っとったけど、だんだん面倒になったんよな」
「緋山君は、本当にうちの息子事情に詳しいね。もしかして君は息子をストーカーしてたりしないかい?」
「そんな訳ないやん。わたしは要くんのファンってだけやってー」
「ははっ、そうだったそうだった。いや、失礼。もしかして、気に障ったかい?」
そして、声を揃えて笑う二人。
すると、幾子が要の方を見た。
「……ボーっと突っ立ってしてどうしたんだい? 何か気に障ったかい?」
「知り合いなの?」
色々と言いたいことはあったが、まずそれについて聞いた。
「ああ。この三年間、僕はずっと莉子君の傍にいたんだよ」
「え? 何で?」
「ちょっと事情があってね……それより、二人はもう知り合いのかい?」
「うん、仲良しっ」
莉子は即答したが、要は首を横に振った。
「最近会ったばかりで、まだどういう人なのか混乱してる」
「うん、そうだろうね」
幾子が頷く。
「では、お茶が来たら彼女を紹介しよう。要」
「分かったよ」
要は台所に赴き、熱いお茶を用意すると居間のテーブルに並べた。
「これでいい?」
幾子の隣に要が腰を下ろす。
「うむ。……やはり誰かに淹れてもらったほうが美味しいな。さて」
お茶をすすった幾子が、顔を上げる。
「彼女は緋山 莉子(ひやま りこ)。彼女が何者か、強いて言うならそうだなぁ……僕の弟子、かな」
「弟子?」
「つまり、要や里里君の妹弟子だね。この三年間、彼女には私の技術の全てを教えこんだつもりだよ」
つまり、幾子は失踪している三年間の間、彼女の紫雲の格闘技を教え込んでいたらしい。
それで彼女は試験の折に、紫雲流の型を披露していたのか。
「妹弟子ではあるが、この三年で、僕の教えは既に要より前の段階に進んでいる。要、変身した時に異常が起こる君の体質については、克服できたかな?」
「…………」
「そうかい。大変な時期に傍に居れなくて悪かったね」
要の様子から、幾子は要の現状を察したらしい。
「ヒーロー認定試験に、期限があるのは知っているね? 要がヒーロー認定試験の二次試験に合格したのは五年前だから、君は今年ヒーロー認定試験に合格できなければ、規則上、もう二度とヒーローになることはできなくなる」
幾子が突き付けるように言う。
「年齢制限ではなく、合格後の期限があるというのも変な話だが、チャンスをモノにする技量というのもヒーローには求められる要素だからね」
分かっていたことだ。要にとって、今年は最後のチャンスだった。分かった上で、諦めた。納得していた。
「姿を消していた僕が言うことじゃないかもしれないが、君の師匠として、僕は問わないといけない。要。――本当に君は、ヒーローになれなくて良いんだね?」
ヒーローになりたくないのか? ではない。
問われているのは、なれなくていいのか。
ヒーローにはならない。要はそう答えようとした。
だが、久方ぶりに母にあったせいか、心に迷いが生じる。
「僕が師匠だから遠慮しているのかい? なりたくないなら、そう言い給え」
「だけど、僕は……」
「イエスかノーで答えてもらえるかい?」
幾子が鋭く目を細める。
「はっきり言って、この業界は綺麗なばかりじゃない。殉職者だって多い。親として言わせてもらえるなら、君が別の道を選んでくれた方が、僕はずっと安心できるよ。だから、君の気持ちを教えてくれないかい?」
そして幾子は要に問うた。
「要――君はどうなりたいんだい?」
「…………」
怒られているわけでもないのに、責められているような気分だった。
きっと自分の気持に嘘を吐いている。そう思ってしまう後ろめたさがあるから、要は怒られていると感じてしまっているのだろう。
「僕は、ヒーローにはなれないよ……」
「…………」
要の返答に、幾子は頷きもせず、首を振りもせず、テーブルの上のお茶をズッと啜った。
「なれるなら……なるのかい?」
聞かれて胸がドキリとする。
「君がそうなってしまったのは、僕の身勝手のせいも在る。本当なら、君が大変な時期に、僕は君の傍に居てあげるべきだった」
「僕の体質は誰のせいでもない。医者にも行ったんだ。原因は精神的なストレスによるものだって言われた」
要がこうなってしまったのは、誰のせいでもない。
要の心が弱かった。その結果だ。
「…………」
幾子が茶を口に含む。
「やはり茶菓子が欲しいね……凄く甘い奴が」
湯のみを置く。
「要。彼女を見給え」
突然、幾子が莉子の方を向いた。
二人に見つめられた莉子が緊張して背筋を伸ばす。
「どう思う?」
「どうって?」
「君の目から見て、彼女は君より強いと思うかい?」
質問されて要は戸惑う。
莉子の技術については知っている。実戦も見たが、自分と比較するとなると分からなかった。それぐらい、要は自分がどこにいるのか分からなかった。
「……分からない」
「そうか。先刻も告げた通り、彼女は君よりも僕の教えを体得している。……要、教えてもらいなさい」
「え? それって……格闘技を彼女に習えってこと?」
「彼女なら、もしかしたら君をヒーローに出来るかもしれない」
「いや、無理だよ」
要は首を振る。
「言っただろ。僕の体質は精神的なものだって。誰かがどうこう出来るのじゃないんだ」
「分かっている。分かった上で彼女に教えてもらったらどうかと提案しているんだよ。格闘技の訓練は、ずっと続けてきたんだろう?」
「だけど、……それなら、母さんが教えてくれたって結果は変わらないじゃないか」
そう言うと、幾子は困ったような顔をした。
「悪いね、要。僕はまだ仕事をやり残してきてしまっているんだ。またすぐにここを発たないといけない」
「……」
幾子は仕事で家を空けることが多かった。
幼いころは、自分を置いて赤の他人のところに行く母を見送るのが嫌だった記憶もある。
今回もそういうことなのだろう。
「同じ申し出を、もう彼女から受けてるんだ。弟子になれって」
「そうだったのかい? ……莉子君、面識のない人間がいきなりそんな申し入れをしたら、警戒されただろう」
「えへへ、断られた」
莉子が頭をかく。
「そうか。それで……もし、うちの息子が心変わりしたら……」
「その時は、勿論喜んで教えるよ」
「そうかい。ありがとう」
幾子が要の方を向いた。
「では、要。今日から君は彼女の弟子だ。頑張り給え」
「何を勝手に決めてるんだよ!」
「気に障ったかい? 師匠命令だ。頑張り給え」
「頑張れって……母さん!」
「よろしくね、要くん」
待ってくれ。勝手に話を進めないで欲しい。と、要が訴える。
しかし、
「最終試験日までの二週間でいい。彼女に教えを請うんだ。師匠の命令は絶対だよ。諦め給え」
と、幾子に一蹴されてしまった。
「確かに、彼女に教えを請うたところで、要が次の試験に絶対合格が出来るとは限らない。……いや、はっきり言って望み薄だ。君が試験を受けるまでに体質が治るなんてことは、絶対にないだろう」
幾子の言葉に嘘は感じられない。
「それでも、彼女はきっと要をヒーローにしてくれる」
プロのヒーローでも在る、母幾子がそう断言する。
要の、莉子を見る目が変わった。
だけど、胸の中の迷いが消えない。
ヒーローになんかなれないんだ。なれないなら、ならない。
これはもう、要の決定だった。
「莉子くん」
「は、はい」
「悪いね、僕の息子はどうも頭で考えすぎるところがあってね……こんな息子だけど、よろしく頼むよ」
「あの、僕の意思は……?」
「はっは。師匠命令だと言っただろう?」
弟子にとって、師匠の命令は絶対である。
こうして、要は莉子の弟子にされてしまった。
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