ウラギリモノの英雄譚
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チケット――誘イ
里里を見送ってから、要は道場の雑巾がけを始めていた。
里里がいなくなった後に、何となく道場を眺めていたら、「ああ……この道場を使ってやれるのも、もう僕だけなのか……」というセンチメンタルな気持ちに陥った。そして、何となく雑巾がけを始めた次第である。
「いつもは里里とするから半分で済んでたけど……一人だと広いなぁ……ここ……」
要が後ろ足の筋肉を意識しながら、雑巾を掛けて走り回る。
その時、玄関のところから声が聞こえてきた。
「要くんっ。あーそーぼーっ」
女の子の声だ。
「子供かっ」
思わずツッコミを入れながら柔道場から顔を出すと、門のところに莉子が突っ立っていた。
肩のところにスポーツバッグを背負っていて、要を見つけるやこちらに手を振ってくる。
「ジャージ持って来た。運動するなら要るやろ?」
「言ってくれれば、門下生に貸し出せる道着もありましたよ」
「誰かの汗で臭いのなんて嫌やろ」
「さいですか」
ちなみに、液体消臭剤を振りまくっているので臭くはない。
心の中で反論しつつ、要が手にしていた雑巾をバケツに放り込む。
「ブーッ……」要のスマートフォンのバイブ音がした。
スマートフォンを取り出して見る。『誰その可愛い子?』と、正宗からメッセージが入っていた。
何気なく、紫雲の家の隣りにある中生の家の方を見上げる。
二階にある正宗の部屋の窓から、正宗がこちらに手を振っていた。
『俺もそっち行っていい?』続いて送信されてきたメッセージ。
返信の代わりに要は窓に向かって手を振り返した。
「要くーんっ。あーそーぼーっ」
玄関から正宗の声が聞こえた。
「二度目かっ」
ツッコミを入れて柔道場から顔を出し、来い来いと手招きする。
るんるんとした足取りで正宗が柔道場にやって来た。
柔道場には、既に持ち込んだジャージに着替えた莉子がいる。
「こんにちは〜」
道場に現れた正宗に、莉子は目をパチクリと瞬かせた。
莉子は柔道場の端に置いてあった自分のバッグからスマホを取り出すと、ツンツンと文字入力を始めた。
「ブーッ」
要の携帯電話が震える。
見ると、知らないメールアドレスからメッセージが入っていた。
開いて読み進める。
『誰? そのイケメン
緋山莉子』
件名は無題だったが、ちゃんと名前が入っていた。
「いや、何で僕のメールアドレス知ってるんですか!?」
勿論、教えた覚えはない。
「だって師匠やし」
「理由になってません」
「メールアドレスを覚えておくなんて、要くんのファンとして当然の嗜み」
「やっぱりあんたストーカーか!」
「それで、そちらのイケメンはどちら様?」
「同級生の中生 正宗(ナカオ マサムネ)」
「よろしくであります!」
正宗が背筋を伸ばして敬礼をした。
「で。こっちは緋山 莉子(ヒヤマ リコ)さん。……えっと……今日偶然知り合った」
「今日から要くんの師匠の緋山です。はじめまして」
莉子が軽やかに挨拶をする。
お互い高いコミュ力を有しているのか、莉子と正宗は談笑を始めた。
要はしばらく放っておいて、雑巾がけの続きでもしようかと思ったのだが……
「えっ。中生くんって幼稚園の頃から要くんの友達だったん!? そっかー。そうだよねー。幼馴染でもなければ、見るからに内気な要くんに、こんなフレッシュで爽やか好青年な友達がいるわけないもんねー」
「何か悪口が聞こえた!?」
要の悪口を言って、莉子が「へっへっへ」と笑みを浮かべた。
いったい何なんだこの女は……。と、要が深い溜息を吐いた。
「住所やメールアドレスは知ってたくせに、友好関係については知らないんですね」
「うん。だって私が要くんを見てる時って、基本的に背中からやったけん。携帯の中身は覗けても、隣を歩いている人の顔は分からんかったんよね」
「やっぱりストーカーか!」
「要もこんな美人のストーカーなら大歓迎だよな」
「おっ。さすがイケメンは心が広いねぇ」
「「いっえ〜い」」
莉子と正宗が三回拳をぶつけてハイタッチ。
二人の息はぴったりだった。
「ところで。あなたはいったい僕の家に何をしに来たんですか?」
「ああ、そういえば。……試験の前に、要くんにわたしの技を見てもらおう思ってたんやけど……あ、そうや」
莉子が正宗の方を向く。
「正宗くんって今度の日曜日暇?」
「暇暇。超ヒマ! 暇じゃなくても予定空ける!」
「さすがイケメンは心が広いね」
「可愛い子のお誘いなら、大歓迎だよな。要」
「何で僕に振るの?」
「「いっえ〜い」」
拳ゴッチン×3+ハイタッチ
「その下りさっきやった!」
「ここに、チケットが二枚あります。本年度のヒーロー認定試験二次試験の観戦チケットです」
「おお〜っ」
莉子がスポーツバッグからチケットを取り出す。
正宗が拍手する。
「今週末、試合観戦に行ってくれん?」
「喜んで!」
「ありがとー」
莉子が正宗にチケットを一枚手渡す。
そして、もう一枚を要の手に握らせた。
「じゃあ、今週末、二人で試合を観に来てな」
「…………え? 僕が行くんですか?」
「要くんには師匠命令。来ないと火をつける」
「何にだよ!?」
「要の恋心にさ」
「正宗はちょっと黙っててくれ」
「惜しいっ。『要くんの』ってところまでは合ってた。正解は要くんのイ……」
「いや、待って。やっぱり聞きたくないです」
「あら、そう?」
要のイ……何だろうか?
要のインスピレーションに火をつける? そんな感覚的な何かであって欲しい。
「ははは。要の家とか言い出されたらどうしようかと思ったわ」
「言うなよ正宗! 黙ってろよ!」
「ちょ、何マジになってんだよ。冗談だろ?」
冗談であれば何も問題はない。
だが、要の目の前の女は、訳の分からない理由で要の家まで来ている。
彼女の行動原理が読めない以上、この問題を冗談と思い軽く扱うことがためらわれた。
「それじゃあ、試合に来てくれるかなっ?」
「…………いいともー……」
「快く了承してくれて、師匠嬉しいよ」
「それじゃあ、今週末は三人で試合観戦だな、要!」
「違う違う。観に行くのは二人だけ。チケットも二枚しか持ってないし、わたしは当日用事があるから」
「…………ん? それはどういうことですか?」
「おっと、もうこんな時間……わたしもう帰らないと。それじゃあ、中生くん。当日はよろしくねー」
莉子がそそくさと更衣室に退散し、三秒と待たずに元の制服に着替えて出てきた。
「要くん。週末、絶対行くこと。来ないとひどいけんねっ」
捨て台詞の様にそう言い残し、莉子は嵐のように消えていった。
「え? ……どういうこと……?」
ポカーンとしていた正宗に、とりあえず現状の結論を伝えることにした。
「週末は、僕と二人でデートだな。正宗」
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