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大海原でつかまえて

作者:おかぴ1129
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番外編
  あなたの横顔

 先輩が行方不明になって一ヶ月が経過した。私と一緒に初詣に行ってくれた日に、私と別れた後友人の家に行った先輩は、そのままその友人と共に消息を絶った。

 先輩と一緒に初詣に行けた嬉しさで浮かれていた私は、翌日、学校で耳を疑った。

――3年生の橋立と岸田が、昨晩から家に帰ってないそうだ

 先輩は、夜遊びをするようなタイプではない。ハメを外して遊ぶようなタイプでもない。ごくごく普通の中学生だ。

 その先輩が、友人とともに消息を断った。ご両親も思い当たる節がなく、教師陣も二人の行き先にまったく見当がつかなかった。クラスメイトたちの間でも、先輩と先輩の友人の行き先や失踪した原因に、まったく思い当たる節がないと言っていた。

 周囲には、最初は思春期にありがちな保護者への反抗からくる、ちょっと長い家出だと思われていた。先輩がご両親と仲がいいことをよく知っていた私は、そんなはずはないと思っていたけれど……3日経過しても帰ってこず、一週間経過しても足取りが掴めず、二週間が経過しても、手がかりすら掴めない状況だと聞いた。

 一週間が経過した頃、私を訪ねて数人の刑事が家を訪れた。聞けば、吹奏楽部の面々が『橋立先輩のことは、秦野さんがよく知っている』と答え、警察は私なら何か知っているのではないか……と手がかりを求めてきたのだ。

「……私は何も知りません」
「そうですか。分かりました。何か思い出した事があれば、我々に知らせてください」
「はい……」

 知っていれば、私は今すぐ先輩のもとに向ってる。

 先輩は、今年の梅雨の時期ぐらいから少し変わった。梅雨時から秋口まで、先輩は毎日がとても楽しそうだった。あの時先輩は部活に打ち込んでおり、練習の時は、いつも真剣な眼差しで楽譜と指揮を見ていた。充実した練習ができている証拠だと、その時は考えていた。

 違和感を覚えたのは、先輩が部活を引退してからだ。私は、先輩が毎日楽しそうなのは部活に打ち込んで毎日が充実しているからだと思っていた。部活を引退してしまったら、少し元気がなくなるものだと思っていた。

 ところがそうではなかった。先輩は部活を引退したあとも、とても楽しそうに毎日を送っていた。明らかに笑顔が増え、放課後は毎日楽しそうに帰路についていた。何が先輩の生活を充実させているのかは分からない。だがそれが、私を含めた部活ではなかったことに、私は少なからずショックを受けていた。

 先輩がいなくなって三週間を過ぎた頃、先輩のご両親が私を訪ねてきた。お父様の方はまだそうでもなかったが、お母様の方は元気がなく憔悴しきっておられた。

「秦野さん。あなたが吹奏楽でシュウととても仲がよかったことは聞いています」
「……」
「もし、息子のことで何か知っていることがあれば……私達に教えてもらえませんか?」
「私は何も知りません……ごめんなさい……」

 私の謝罪の言葉を聞いた時のご両親の表情が、頭にこびりついて離れない。口を抑え、声が出てしまうのを必死に抑えながら涙を流すお母様の表情が目に痛く、お父様の歯ぎしりの音が、私の耳にいつまでも残響した。

「どこに行ったんだ……シュウのヤツは……」
「ヒエイちゃんもいなくなって……その上なんでシュウまで……」

 すみませんお父様お母様……私は本当に知りません……

 部活が終わり、家路に着く。私の通学路の途中には小さな神社があり、以前私は下校中、そこで何かに悩んだ先輩と出会ったことがある。秋口の、風が私の髪を揺らす程度に強い日だった。

 私はその時、先輩から妙な相談を受けた。

――もし僕が、秦野自身も知らない、
  秦野の秘密を知ってるって言ったら……聞きたい?

 本人は必死に隠しているつもりなのかもしれないが、先輩は割と思ったことが顔に出やすい。もっとも他のみんなに言わせると、それは私が先輩のことをよく見ているかららしいけど。その時も先輩は自分からは相談を打ち明けず、私が先輩の悩みを見抜いてからの独白だった。

 私はあの時、自分の気持ちを伝えたつもりだった。

『私は先輩のことを誰よりも信頼してます。だから先輩には、それがどれだけ辛い内容だとしても、話して欲しいと思います。それが先輩の言葉なら、私は受け止めます』

 だが、その言葉は先輩には届かなかったらしい。私は先輩に、私を見て欲しかった。でも先輩は……先輩の目は、私ではない、遠くにいる誰かを見ていた。私に目を向けてくれなかった。先輩は私の言葉を聞きながらも、その誰かの姿を追いかけていることが分かった。

 先輩が頭を撫でて欲しそうな顔をしたから、私は頭を撫でてあげた。きっと先輩は、その人に頭を撫でて欲しいんだ……その人に撫でられるのが好きなんだ……だから私は、私の事を見て欲しくて、無理矢理に先輩の頭を撫でた。

『多分ですけど、その人もきっと私と同じです。先輩の言葉なら、どんな言葉でもきっと受け止めてくれます』

――でも、私ではダメなんですか先輩

 私は先輩のことをよく見ている。先輩のことなら、どんなに小さなことでも気付く自信がある。先輩が追いかける人……それはきっと、コンクールで先輩を励ました人だ。先輩にお弁当を渡して元気をおすそわけし、会場で大声で先輩を勇気づけた、笑顔の眩しいあの人だ。

 親しそうに先輩の名を呼び、館内放送で直接注意をされた後も、先輩を真摯な表情で見守っていたのが私にも見えた。一目見ただけで、とても素敵な女性だということが伝わってきた。

 そして私の言葉では安心出来なかった先輩が、その女性のおかげでリラックス出来ていたことが、私にはとても辛かった。その人の真っ直ぐな眼差しが、私が大好きな先輩の眼差しとまったく同じ眼差しだったことが、私にはとても悔しかった。

 あの日の先輩のように、街灯の下で空を見上げる。あの時先輩が何に悩んでいたのかは、私は聞かされていない。でも、今回先輩が行方不明になったことと、あの日先輩が悩んでいたことは、別問題ではない気がした。

 先輩。どこに行ってしまったんですか? ご家族を……私たちを置いて、どこに行ってしまったんですか? 今どこで、何を追いかけているのですか? 誰と一緒にいるのですか?

 街灯の明かりが明滅する。あの日のように少しだけ強い風が吹き、私の髪を揺らした。冷たい風が、私の頬の熱を少しずつ奪っていく。顔が冷たく、身体が寒い。一人でいる寒さに私の身体が冷えきっていく。隣に誰もいないというのは……一人でいるということは、とても寒い。

 まだ夕方だというのに、周囲はもう暗い。1月だからか、空はもう真っ暗で星が見える。日中晴れていたせいか、今日は星の瞬きがよく見える。先輩。あなたは今、空を見ていますか? あなたが見ている星空は、私と同じ星空ですか?

 私はあなたの隣にずっといました。私はあなたの横顔が好きでした。しっかりとまっすぐに楽譜を見るその横顔が、指揮の動きを追うその眼差しが好きでした。

 知ってますか? 先輩がパートリーダーになった時、あなたの隣の席を確保するため、私は他のメンバーにお願いして、先輩の隣の席を確保したんですよ? 大好きな先輩の横顔を見ていたくて……あなたのそばで横顔を見ていたくて、必死に他のメンバーにお願いしました。先輩は私がサードにならなかったことを不思議がっていましたけど、サードよりも、あなたの隣にいられるセカンドの方が、私にとっては大切なんです。

 初めてお見舞いをした日、私は先輩の頭を撫でました。その時に気が付きました。先輩、私はあなたの横顔が好きです。でもその横顔は、あの人を見つめているんですよね。あの、目の前のものをまっすぐ真剣に見つめる、私が大好きなその眼差しは、あの人に向けられた眼差しなんですよね。あの人と同じ眼差しなんですよね。

 あの日先輩は、涙を流さず泣いてましたよね。先輩とその人は、もう結ばれることはないのだろうと思いました。だから私は、その人の代わりになります。その人の代わりに、私が先輩の頭を撫でてあげます。その人の代わりに、私が先輩を抱きしめます。その人が先輩を愛せないというのなら、私が代わりに先輩を愛します。

 だから、私にもう横顔を見せないで下さい。すごく好きな横顔だけど……大好きな眼差しだけど……私に、その横顔を見せないで下さい。私を見て下さい。私に顔を向けて下さい。

 お願いです。その人を追い続けないで下さい。追いかけることで、自分の心を傷つけないで下さい。私でよければ、何度でも先輩の頭を撫でます。私なら、いつでも先輩を抱きしめます。だからお願いです。私に、あなたの隣にいさせて下さい。その人の代わりでいいから、私を愛して下さい。

 でも先輩は、それでも私に横顔を見せ続けた上、今はその横顔すら見せてくれなくなった。

 これは、業を煮やした私が少しでも先輩の気を引きたくて『超絶鈍感クソ野郎』と言い出した罰なのだろうか……一緒に初詣に行き、個室で一緒に甘酒を楽しんだ日にいなくなったのは、そのあてつけなのだろうか。

 私には分からない。自意識過剰と言われればそうなのかもしれない。だがそれでも、私ではない誰かを見つめる横顔すら見せてくれなくなった先輩を思い出す度に私は、これは自分の咎だと思わずにはられなかった。

「姉さん、まだ神社に来ていたんですか」

 聞き慣れた声が聞こえ、私は声がした方を振り向いた。そこにいたのは、小学生ぐらいの背丈で、私と同じ長い黒髪の、パッチリとして意思の強い目をした少女だ。先輩が行方不明になってしばらく経った頃にこの神社で私と出会い、私の家族が保護したその少女は、自らの名を『朝潮』と名乗った。

「あ、うん……どうしたの?」
「いつもの時間にご帰宅されなかったもので。お母様が心配されて、私に周辺を見てくるようにと」
「そっか」
「はい」

 この子は、私のことを『姉さん』と呼び慕ってくれる。髪型もポニーにすれば私そっくりだし、どことなく顔も似ていて、不思議と私と相性のいい子だ。

「姉さん」
「ん?」
「ちょっとしゃがんでくれますか?」

 歩くのを止め、私は朝潮に言われたとおりにしゃがんだ。その途端、朝潮が私の頭を撫でた。

「……?」
「姉さん、とても辛そうでしたから」
「……」
「私ではお力になれそうもないので……せめて何かの励みにと」

 真面目な顔で私の頭を撫でる朝潮の撫で方はとてもぎこちなく、でも私への心遣いが伝わってくる撫で方だった。

「……んーん。朝潮ちゃん、ありがとう」
「いえ。このようなことでしか感謝を表すことか出来ず……私でよければ、いつでも姉さんのお力になりますから!」

 一生懸命にそう答える朝潮の姿に、先輩に対して『私が代わりになります』と訴える自分の姿がかぶった。私達は、容姿だけでなく性格も似ているのかも知れない。

「……プッ」
「?」
「いや、私たちは似てるなーと思って」
「姉さんと私が……ですか?」
「うん」

 私は朝潮の手を取り、家路を急いだ。今日の夕飯のメニューは何だろう……朝潮ちゃんの身体からスパイスの香りが漂ってくるあたり、今日はカレーなのかな……

 先輩。帰ってきて下さい。あなたの帰りを待つ人が大勢いるんです。その人たちのために、早く帰ってきて下さい。横顔でもいいから、私に見せて下さい。

 あなたの隣にいないと……私はとても寒いのです。

終わり 
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