大海原でつかまえて
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12.新生活スタート
「ひえーい! シュウくーん!! 起きるデスヨー!!」
昨日と同じく、金剛さんの激しいモーニングコールで僕は目を覚ました。昨日と違うところは、姉ちゃんが一緒にいるということ。
「うぁぁぁ……金剛さんおはよー……」
「ひぇぇぇ……おはようございますお姉様ー……」
「まったく……ホント、似た者夫婦デース……」
昨晩はあれから『比叡さんおかえりなさいパーティー兼比叡さん&シュウくんケッコンおめでとうパーティー』となった。鎮守府全体をひっくり返したかのような大賑わいでてんやわんやになった。途中あきつ丸さんや瑞鳳さんに
「シュウ殿は、比叡殿がピンチと聞いてえらく取り乱していたであります」
「シュウくん、“私のよりも比叡さんの玉子焼きの方が美味しい”って言ってたよ?」
などといらんことを暴露され、その度に姉ちゃんは顔を真っ赤にしたり照れてもじもじしたりと大忙しだった。あきつ丸さん、あとで工廠裏で話があります。
「ハッ。しかし本当のことを言って非難されるとは御無体でありますニヤニヤ」
いや、そんなこと思ってないでしょ。だって顔ニヤニヤしてるじゃないですか。
あと印象的だったのが加賀さん。加賀さんはパーティーの最中に僕と姉ちゃんの元にわざわざ足を運んでくれて……
「まさか人間のあなたにあれだけの事ができるとは思いませんでした。共に戦えてよかったです」
「いや……みんなのおかげです。僕はただ、みんなに守られながら飛び降りただけですから」
「それでもです。提督や岸田のような、艦娘を大切にしてくれるあなたと出会えて、比叡さんも幸せでしょう」
と言ってくれた。そんなことを言われるとぼくも恥ずかしいやら照れるやら。でも姉ちゃん見ると耳から水蒸気を吹き出して倒れていた。よほど恥ずかしいらしい。
「ひ、ひぇぇぇ……」
「すいません……姉ちゃんこんな調子で……」
「ぶふっ……こんな方ですが、あなたへの気持ちは本物ですよ。どうかお幸せに」
「はい。ありがとうございます」
「一航戦として、また共に出撃出来る日を楽しみにしています」
あとで姉ちゃんに聞いたのだが、あれは加賀さんなりの最大級の賛辞だったそうだ。一航戦……二水戦と同じく、旧日本海軍が誇る当時最強の戦闘集団。そんな人に“共に戦ってくれ”と言われるのは、確かに認められた気がしてとても嬉しい。
周囲を見ると、艦娘たち全員が大盛り上がりだ。提督と岸田は駆逐艦の子たちにちょっかいを出しては大淀さんと龍田さんに折檻され、その度に恍惚の表情で泡を吹きながら痙攣していた。金剛さんは自分の姉妹たちと一緒に姉ちゃんをからかっている。ゴーヤは潜水艦の子たちと一緒にプロレスごっこで遊んでおり、球磨は僕の頭をヘッドロックで固めた状態で乱暴に僕の頭をわしゃわしゃしている。妹の多摩さんやキソーさんも一緒だ。
「比叡がいない今のうちに、この球磨がめいっぱいなでなでするクマッ!」
「た、多摩にもなでなでさせるニャ……!」
「すまんシュウ……でもこれが球磨姉と多摩姉の愛情表現なんだと思ってくれ……」
「うん。愛情は伝わってくるんだ。伝わってくるんだけどね」
出撃時から気になっていたのだが、どうも球磨の頭の撫で方は独特で、“撫でる”というより“手のひらをぐりぐり押し付ける”と表現したほうが正しいような感じだ。おかげで球磨の頭の撫で方はとても痛く、髪がぐちゃぐちゃになる。
「どうも球磨姉はお前のことが気に入ったみたいでな。実際、今日もお前が気絶してる間ずっと“消えないなら早く起きて欲しいクマー……みんな待ってるクマ……”てえらくしょぼくれてたしな」
「クマクマっ」
パーティーがお開きになったあとは、各々好きなように過ごすことになった。僕はもう疲れ果ててしまったので、姉ちゃんと一緒に部屋に戻り、そのまま休んだ。
それが昨日。歯磨きしてる時に金剛さんが教えてくれたのだが、実はいつものように起こすのもけっこう戸惑ったらしい。金剛さん曰く……
「榛名がやたら“比叡お姉さまとシュウお兄さまの結婚初夜の朝ですよ?!”って言ってワタシを引き止めるから、ワタシまでドアを開けるまで妙に緊張したデース……」
とのことで……確かに……言われてみれば結婚初夜でした……
「ごぱぁ……ところで比叡? ちょっと耳を貸すデース」
「ふぁい。なんですかお姉様? しゃこしゃこ……」
金剛さんが姉ちゃんの耳元で何かをささやき、その途端に姉ちゃんが顔を真赤にしていた。
「……~~ッ?!! あ、あの……何も……」
「oh……結婚初夜のイベントはナッスィングだったデスか……」
朝っぱらからなんて会話してるんだこの二人は……聞こえなかったフリ気づかなかったフリ……
ちなみに金剛さんが意を決して踏み込んでみたところ、僕と姉ちゃんはまったく同じ寝相、まったく同じ寝顔でベッドで気持ちよさそうに寝ていたそうだ。寝返りをうつタイミングも、その後尻をボリボリかくタイミングもまったく同じで、金剛さんは僕らの寝顔を見ながら戦慄を覚えたと言っていた。
昨日のように茶化されながらみんなで朝ごはんを食べていると、提督の声で放送が入った。
『岸田とシュウは朝食後に執務室に来るように。繰り返す。岸田とシュウは朝食後に執務室に来るように。以上』
食堂のどまんなか、第六駆逐隊の面々がご飯を食べているテーブルで『ぁあッ?! また至福の時間がッ?!』という岸田の声が聞こえ、同時に『岸田くんっ。なんなら私も一緒に行ってあげるわよ?』というかわいらしい声も聞こえた。
「岸田、ずいぶんちっこい子たちと仲良くなったんだなぁ……」
「昨日のパーティーで、シュウお兄さまが、ひ、比叡お姉さまと部屋に……も、戻ったあと、岸田さんと第六駆逐隊のみんなが一緒になってけっこう楽しそうにはしゃいでらっしゃいましたからね……」
理由は分からないが、榛名さんが顔を真っ赤にしながらそんなことを教えてくれた。
「榛名ー。顔真っ赤だけどどうかしたの?」
姉ちゃんが味噌汁を飲みながら榛名さんに突っ込んでいく。榛名さんを見てると、どうも先ほどから僕と姉ちゃんと目を合わせようとしない。目が合うと慌てて視線を外す。
「おばあちゃんみたいなことを言いますケド、榛名は若いのデス」
「はぁ……?」
「思春期デス。そのうち落ち着いてくると思いマス」
……ああ、なるほど。そういえば結婚初夜がどうちゃらこうちゃらって大騒ぎしてたんだっけ榛名さん。
「ぼっ」
「変な榛名だねー……もっきゅもっきゅ」
「比叡……察してあげるのがお姉ちゃんデス」
「?」
なんというか……あれだ。別に何かがあったわけではないが、こんな風にあからさまに反応されるのはひどく恥ずかしい。金剛さんのようにあっけらかんと探りを入れてくるのもなんだか違う気がするし……今メガネを光らせながら我関せずと味噌汁を味わっている霧島さんの、その無反応っぷりが一番ありがたい。
「? お兄さま、どうかなさいました?」
「……いや。霧島さんがどれだけ頼もしいことか……つーか霧島さん、シュウでいいですよ。つーかむしろシュウでお願いします」
「はぁ……ではシュウお兄さま……でよろしいですか?」
「もうなんだっていいです……しょぼーん……」
そんなこんなで妙に気恥ずかしい朝食が終わった後、僕は岸田と待ち合わせして執務室に向かった。姉ちゃんに予定を聞いてみた所、別段用事はないということなので、姉ちゃんにもついてきてもらうことにした。これは、姉ちゃんには隠し事はしないという決意の表れでもある。
「ふーん……比叡もついてきたのはそういう意味か。別にその仲の良さを俺に見せつけるためではないんだな」
「アッハーッ! そんなわけないじゃないですか司令ってばぁー!!」
「いや、ずっと手を繋いでるからな。そんな意図があるのかなーと」
「言ってやれ提督!! 俺の代わりにもっと言ってやれッ!!」
「岸田、キミは黙れ。……まぁ仲がいいのはいいことだ。ケッコンもしたしな」
提督にそう言われ、隣で僕の手を握りながらも顔を真っ赤にしてもじもじする姉ちゃん。そして岸田は自身の分身である提督にすら冷たくあしらわれたことでショックを受けたのか、ミジンコのように手をパタパタ動かしながら泡を吹いていた。僕は、この人間大の微生物がなんだかだんだん哀れに思えてきて仕方なかった。
「まぁとりあえず、二人と一匹は座ってくれ」
提督にソファに座るように促され、僕と姉ちゃんとミジンコは並んでソファに座った。提督は立ち上がり、3人と一匹分のコーヒーを準備しながら話を始める。
「本来なら比叡の耳に入れるかどうかはシュウに判断させようと思ったんだが……まぁ隠し事はしたくないというのなら、一緒に聞いてもらったほうがいいだろう」
「へ? 姉ちゃんには秘密にしたほうがいいことなの?」
「いや、そういうわけではないんだ」
提督はコーヒーを入れ終わり、僕達の前に持ってきてくれた。相変わらず、提督のコーヒーはとてもよい香りがして美味しい。姉ちゃんはいつかのようにコーヒーを飲んだ途端……
「あっちゃちゃちゃ……」
と舌をやけどしていた。一方ミジンコの方は、その人間にそっくりな手を器用に使ってコーヒーを口まで運び、そのとんがった口で器用に飲んでいた。最近のミジンコは人間のようにコーヒーを楽しむらしい。
「いい加減俺をミジンコというのはやめろッ!!」
「ごめんミジンコ」
「最近のミジンコってコーヒーを飲めるってことに驚いてたんだぜ」
「うをぁぁあああああん?!!!」
ひと通り漫談を済ませたところで、提督が真面目な顔になった。
「さて、報告が一件、そして懸案事項が一件ある」
まずは報告。提督曰く、僕の世界への渡航設備があった島が、予想通り深海棲艦に奪取されていたとのことだ。姉ちゃんとあきつ丸さんが襲われたことから考えれば、すでにあの時点で敵の勢力圏内に入ってしまっていたともいえる。これで鎮守府側は向こうの世界に渡航する術が無くなってしまった。
「このままでは深海棲艦が向こうの世界に渡った場合、我々は手出しが出来なくなる。渡航設備が移転されてしまうと、こちらとしてもお手上げだ。ついては早急に取り返すべく、本日中に艦隊を派遣するつもりだ。懸案事項の話にも繋がるしな」
出撃するメンバーに関しては、姉ちゃんの救援を断念した妙高さんたちが名乗りを上げており、名誉挽回の意味を兼ねて彼女たちに任せると提督は言っていた。
「お前たちは昨日大活躍してくれたわけだし、今日からしばらくはゆっくり休むといい。戦士にも急速は必要だ」
というわけで、晴れて僕達3人プラス昨日の出撃メンバーは、全員今日はお休みということになった。本来であればここは大喜びするシーンなのだが、提督の顔はなんだか深刻で、軽はずみに喜べる雰囲気ではない。
「そして懸案事項だが……要するに今後の話だ」
僕の手を握る姉ちゃんの手が、ほんの少し強張るのが分かった。
「司令……今後の話って……シュウくんのですか?」
「ああ。あと岸田もな。忘れないであげてくれ」
「ひ、ひぇええ……岸田さんごめんなさい」
「いいんだ……どうせおれなんかゾウリムシだよ……」
ついに岸田は悲しみのあまり、ミジンコから単細胞生物にまで退化してしまった。そんな生命の神秘の話は置いておいて、提督は話を続ける。
「二人共、元の世界に戻る条件っての、覚えてるか?」
忘れるはずがない。それが原因で、僕は最後まで指輪を渡すことを悩んだのだから。多分僕は、このことで一生分悩んだだろう。
「忘れるわけがないだろう」
意外なことに、岸田もゾウリムシのくせに覚えていた。ぼくはてっきり忘れてるだろうと思ったのに……ごめんゾウリムシ。単細胞生物にも記憶力という概念があったんだね。
だが、提督からここまで言われて、僕はハッとする。姉ちゃんと会えたこと、その姉ちゃんと結ばれたことに浮かれてて、大事なことを見落としていた。
「提督、改めて言うけど、僕がここに来た理由は、姉ちゃんを助けるためだ」
「だな。お前自身そう言ってたもんな」
「そして僕は、この手で姉ちゃんを助けた。そして、元の世界に帰る条件が、本当に“目的の達成”なら、僕は今、自分の世界に戻ってなきゃいけないはずだよね」
姉ちゃんの手に、さらに力がこもった。ぼくも姉ちゃんとつないでいる手に、自然と力が入る。確かに僕は、姉ちゃんを助けるためにここに来た。それならば、僕は今頃自分の世界に戻ってなければならない。姉ちゃんを助け出し、指輪を渡して傷を癒やした段階で、自分の世界に戻ってなければならないのだ。
指輪を渡すときの僕は、逆ギレと興奮で『世界に反抗した』とか意味不明なことを考えていたが、そんなわけない。もっと現実的な理由があるはずだ。
「二人とも待てよ。俺達はあきつ丸さんの帰還に巻き込まれる形でこっちの世界に来た。てことは目的云々ってのは、ひょっとしたら関係ないかもしれないじゃないか」
ゾウリムシから多細胞生物まで急激な進化を遂げたばかりの岸田が、いっちょまえにそんなことを言う。確かにそれは言えている。元々目的が云々ってのは、渡航設備を使って世界を渡った時の話だ。僕と岸田のように、巻き込まれる形で世界を渡った場合は関係ないのかもしれないが……提督が言いたいのはどうやらそこではないらしい。
「それを探るのは大切なことだが……それ以上に大切なことは、キミたちが元の世界に帰るトリガーが何なのか、今の段階ではさっぱりわからんということだ。加えて今、我々の元には向こうの世界に渡る術がない。比叡、これがどういうことか分かるか?」
姉ちゃんの手がワナワナと震える。表情は努めて冷静さを装っているが、今の姉ちゃんは、神社や僕の家のベランダ、そしてあの戦いの時に捨て身の決断をした時の、脆い表情だ。
「シュウくんたちは……突然向こうの世界に戻ることになるかもしれない……そして戻ってしまったら、私たちはシュウくんと会う事が出来ないということですね」
「その通りだ」
提督は続けて話をしてくれた。今回来たのが岸田だけであれば、まだ話は分かりやすかった。岸田は提督と鎮守府に名前をつけるぐらいに叢雲が好きだ。そして岸田本人が、こっちに来るときに叢雲に会うことを楽しみにしていた。結果としてそれは今も叶ってないわけだから、岸田が今この世界にいる理由は、『まだ叢雲に会ってないから』だというのが想像出来る。
分からないのは僕だ。僕は確かにあきつ丸さんに連れられてこの世界に来る時、『ねぇちゃんを助ける』という明確な理由があった。そして、それは達成された。ならなぜ僕はここにいる? 他の者の帰還に巻き込まれた形で世界を渡った時は例外なのか? それとも他に元の世界に戻る条件があるのか?
そして戻ってしまったら最後。僕はこっちの世界に戻れなくなってしまう。渡航設備を持たない鎮守府からも、僕の世界に手を出すことは出来ない。仮に僕が元の世界に戻って姉ちゃんと離れてしまえば、再び姉ちゃんと会えるのはいつになるのかわからなくなる。そのまま二度と会うことなく、一生を終えることになるかもしれない。
僕の帰還に姉ちゃんを無理矢理に同行させる事は可能だ。事実、僕と岸田はあきつ丸さんの帰還に無理矢理同行する形でこっちの世界に渡ってきた。仮にこちらの艦娘たちとの交流を持ってなければ、僕は簡単にその決断を下すことが出来ただろう。消える寸前に姉ちゃんの手を握って、無理矢理に僕の世界に連れて行くという決断をしてしまっているだろう。
でも、僕はみんなと仲良くなってしまった。この鎮守府のみんなのことを知ってしまった。金剛さんや加賀さんたちと、戦いを通して心を通わせてしまった。そんな人たちと姉ちゃんを引き離すことが、今の僕には出来なかった。
「あるいは……キミの本当の目的ってのが、実は違ったりしてな」
「へ?」
「人間ってのは、表面上は『○○したいっ』て考えても、心の奥底では全然別のことを求めてたりする場合もある。ひょっとしたらキミも、表面上では『姉ちゃんを助けたい』て考えていたとしても、実は心の奥底では全然別なことを願っていたのかもしれん」
そう言うと、提督は自身のコーヒーを飲み干し、カップをタンッと勢い良くテーブルに置いた。それは思ったより勢いがあり、ぼくのカップが揺れ、中にまだ残っていたコーヒーが少しだけ零れた。
「比叡、シュウ。単刀直入に言うぞ。今シュウは、何がトリガーになって元の世界に戻るか分からん」
「シュウくん……」
「う……」
「今こうやって話をしてるこの瞬間に、突然帰ってしまうかもしれない。そしてそうなってしまえば、深海棲艦の渡航設備を取り返さない限り、お前たちはまた離れ離れだ」
「……」
「もちろん戦略的な意味合いからも、全力で深海棲艦の渡航設備を取り返す……でもいいか。二人共そのことだけは覚悟しておけ」
提督との話が終わって数時間後、奪還部隊が出撃していった。旗艦を任されたビスマルクさんが……
「ヒエイ、この前は助けることが出来ず申し訳なかったわね。でも今回は、あなたのシュウが元の世界に戻ってしまってもいいように、必ず渡航設備を取り返してくるわ!」
と姉ちゃんに言ってくれていたが、出撃してさらに数時間後、やはりすでに渡航設備は移転されていたとの通信を受けた。姉ちゃんとの約束を果たすためそのまま捜索に入ろうと主張するビスマルクさんと、帰還命令を出す提督の間で、かなりの言い争いがあったのだと、あとで那智さんが教えてくれた。
そして数日後、提督の頑張りで僕は司令部からのお墨付きをもらい、叢雲たんチュッチュ鎮守府の正式メンバーとして岸田と共に名を連ねることになった。当初、司令部は許可を出さなかったらしいのだが、提督がかなり強引な揺さぶりを司令部にかけ、無理矢理認めさせたとの話だった。
「とりあえずこれでお前も岸田と共に正式なメンバーだからな。これからは気兼ねなく鎮守府にいてくれ」
「ありがとう。でもそんな強引なことして提督は大丈夫なの?」
「俺はこの界隈でもっとも戦果を上げる叢雲たんチュッチュ提督だ。だからある程度なら無理も聞くんだよ」
「ぶふっ」
「笑うなッ!!」
「いや、だって……真面目な顔してカッコイイこと言ってるのに“叢雲たんチュッチュ”って……ブフォっ」
「岸田ぁぁああアアアアん?!!」
そんなわけで、今後僕はこの鎮守府の一員となる。とりあえず楽器が吹けるということで、艦娘のみんなの慰安と福利厚生の一環として、音楽教室でも開いてみるかと岸田と提督にアドバイスされた。鎮守府の一角を間借りして教室を開いてみることになったのだが……。
正直、不安でいっぱいだ。いつか姉ちゃんが言っていたように、提督をはじめ、ここの人たちは本当にいい人たちだ。こんな僕にも興味を持ってくれて、暖かく、楽しく接してくれる。でも僕は、この人たちの役に立てるのだろうか。日々命がけで戦う人たちの力になれるのだろうか……
そして僕と岸田は、いつの日か自分たちの世界に帰ることが出来るのだろうか。ここでの生活に不満はない。最愛の人も隣りにいる。でも自分の世界にも大切な人がいる。父さんや母さん、秦野といった、僕のことを心配してくれる人がいる。今頃みんなは心配してパニックになってやしないだろうか。せめて無事だけでもみんなに伝えたい。でもそれがいつになることやら。
このことを一度岸田と相談してみた。だが岸田はすでにある程度割り切っているようで……
「おれも元の世界が気にかかる。でも何も出来ない以上、そればっかり考えててもしょうがないだろ」
と言っていた。だが同時に
「シュウと違って、俺はまだ“叢雲に会う”っていう明確なトリガーがあるから、気楽なだけかもしれないけどな。……どっちにしろ、俺はお前に最後まで付き合う覚悟だから」
とも言ってくれた。どうやら岸田は、僕が鎮守府にいる以上、僕とともにこの場に残り続けてくれるらしい。やだなにこのイケメン……
今後のことを考えながら、鎮守府備え付けの大浴場から上がる。鎮守府から支給された寝間着に身を包み、酒保でラムネを購入した。明日からは、僕も純白の制服に身を包み、叢雲たんチュッチュ鎮守府所属音楽隊隊長としての日々を始めることになる。本格的にこちらでの生活がスタートするのだ。僕はこっちの世界の生活に溶け込めるだろうか。みんなの足を引っ張らず、みんなの役に立てるだろうか。
ラムネを飲んでいたら、窓から綺麗な満月が見えた。あまりに綺麗な月だったので、お風呂でほてった身体を冷やすのも兼ねて、僕は中庭に出る。確かに季節は僕の世界と変わらず冬だが、さっきまでお風呂に入ってたせいもあって、冷たい外気が心地よい。
「シュウくん」
声が聞こえたので振り返ったら、お風呂あがりの姉ちゃんがいた。僕の家でお風呂に入った後と同じように、ほっぺたをほんのり赤くして、体中から湯気を出して、目はトロンとしていた。
「やっ。姉ちゃん」
「シュウくんもちょうど今上がったとこ?」
「いや、でも少し前にだよ」
姉ちゃんが僕の前に立ち、ちょっとだけ眉間にシワを寄せて顔を近づけてきた。顔近い顔近い……
「んん? シュウくん、背、伸びた?」
「そうかな?」
「うん。私がシュウくんちに行ってた時は、もうちょっと顔が近かったような……んー……やっぱり遠いなー……」
姉ちゃんがそう言いながら、さらに顔を近づけてくる。ほんのりシャンプーの香りをさせるのは反則だぞ姉ちゃん……。
「反則か~……しょぼーん……」
「ま、まぁ、伸びたのかもね」
目に見えて落ち込んだ後、僕の隣に立って一緒に月を眺める。
「綺麗な月だね」
「うん」
こうやって肩を並べてみると、確かに僕は背が伸びたのかも知れない。前は僕と姉ちゃんの肩の位置はほぼ同じ高さだったけど、今は僕のほうが少し高い。
「……シュウくん」
「ん?」
「悩み事?」
姉ちゃんはするどいなぁ……隠し事が出来ないや。さすがは僕の嫁……って言えばいいのかな?
「うん」
「明日からのこと?」
「うん。……ちゃんとこっちでやってけるのかなーって。みんな僕を喜んで迎え入れてくれてるけど……命がけで戦うみんなの役に立てるのかなーって」
岸田は提督の素質がある。今は相談役として、正式に提督と共にこの鎮守府の運営に関わりはじめた。おかげで資材の運用効率がかなり改善されたと聞いている。そのおかげで、なぜかは知らないけど空母勢……特に赤城さんの機嫌が最近いいと聞いた。岸田は結果を出している。
一方の僕はどうだろう。みんなに甘えているだけではないだろうか……僕はみんなの役に立てるだろうか……。
「そっかー……私達、やっぱり似た者夫婦なのかな」
「へ? なんで?」
「私もね。シュウくんの家にお世話になった時、似たようなことで悩んでたから」
そう言えば、姉ちゃんは僕の家に来てまだ間もない頃、色々思いつめてハニービーンズでアルバイトとかしてたっけ。
「うん。今でも覚えてるよ! “ご一緒に! ポテトは!! いかがですか?!”」
「いや、今はいいです……」
「そっかー……しょぼーん……」
あの日々が懐かしい。あの後確か姉ちゃん、店長にクビを言い渡されて、カツラを強奪して一緒に逃げたんだよね。
「ひぇええ?! じ、時効だよシュウくん!!」
途端に両手でわちゃわちゃおたおたしはじめる姉ちゃん。やっぱりゲームのグラフィックと違って、くるくると表情がよく変わる目の前の姉ちゃんは、本当に魅力的で素敵だ。
ひと通りわちゃわちゃし終わった後、姉ちゃんは優しく微笑み、一緒に月を眺めながら、手をつないでくれた。
「シュウくん、さっきお風呂でね。加賀さんと一緒だったんだよ」
「うん」
「でね、“今度、シュウくんが金管楽器の音楽教室開くんですよー”って言ったの」
「なんか加賀さん、そういうのに興味なさそうだなぁ……」
「逆だよ! 加賀さん、なんて言ったと思う?」
「へ? ……んー、わかんない」
――私も演歌を嗜んでるし、話が合いそうだわ。
今度シュウとセッションしてみたいわね。さすがに気分が高揚します。
意外だ。あのクールな人が演歌を嗜んでいるとは……そういえば執務室のジュークボックスに『加賀岬』って演歌の曲がセットされてたことを思い出した。まさかね……。
「あとね。第六駆逐隊の子たちは分かる?」
「うん」
「あの暁ちゃんがね」
――私は今度からシュウくんの楽器教室に通うことにするわ!
だって、一人前のレディーなら楽器ぐらい出来て当然よね!!
あの暁って子は、いつも口癖のように“一人前のレディー”って言ってるけど、何かこだわりでもあるのだろうか……
「あとは、那智さんがこの前言ってたんだけど……」
――シュウはトロンボーンが吹けるらしいな。ジャズは吹けるのか?
生演奏を聞きながらの達磨は最高だ。楽しみだな。
そういやこの前会った時に妙にジャズについて聞いてきてたな……ジャズかー……レパートリーにないから練習しとこうかな。……達磨ってなんだ?
「みんなね。シュウくんの楽器教室を楽しみにしてるんだよ」
姉ちゃんは、そう言いながら、ちょっとだけ背伸びして僕の頭を撫でてくれた。……姉ちゃん、今このタイミングで僕の頭を撫でるのは反則です。
「へ? なんで?」
「なんでも」
ぼくは頭を撫で終わった姉ちゃんと手を繋ぎ、腕をからませた。姉ちゃんもそんな僕にくっつき、僕達はお互いに寄り添った。こんな日が来るとは思わなかった。初詣の願いが叶うだけじゃなく、こうして寄り添える日が来るだなんて、思ってもみなかった。
「寒いね。部屋に戻ろっかシュウくん」
「うん。そうだね」
とりあえず、僕はいつ元の世界に戻ってしまうのか分からない。ひょっとすると、今この瞬間、姉ちゃんの目の前から消えてしまうかもしれない。でも、少なくともその最後の瞬間まで、この鎮守府で出来る限りのことをして行こうと決意した。
元の世界のことが心配にならないわけではない。父さんや母さん、秦野に対する郷愁の気持ちももちろんある。でも、姉ちゃんと離れたくないという気持ちも本物だ。ならば、せめてこちらの世界にいる間は、姉ちゃんと共に、この鎮守府で頑張っていこうと思った。
確かにこの世界に父さんと母さんはいない。秦野も同じ空の下にはいない。でも僕の隣には、最愛の人がいる。時々人間以外に退化するけど、いざというときは頼もしい友人もいる。ならば、この世界で覚悟を決めて生きていくのもいいかも知れない。みんなが僕を受け入れてくれるのであれば、僕もこっちの世界で生きていくことを決意してもいいのかもしれない。
僕は、恐らくは姉ちゃんが以前に辿った道と、同じ道を辿ろうとしていた。かつて姉ちゃんが僕の世界にいたとき、姉ちゃんは『もう帰れなくてもいい』『このままこの世界で生きていこう』と決意したと言っていた。きっとその時の姉ちゃんと同じ決意を自分がしようとしていることが、僕にはちょっと嬉しかった。
「姉ちゃん」
「ん? なーに?」
「ずっと隣にいてね。僕のこと、しっかり捕まえててね」
僕にこう言われた姉ちゃんは、ほんのりほっぺたを赤くしながら、お日様の笑顔を向けて少しだけ照れくさそうにこう言った。
「シュウくんも、お姉ちゃんの隣にずっといてね。あの時みたいに、お姉ちゃんの事しっかり捕まえててね」
僕に笑顔を向ける姉ちゃんの後ろには、キレイな月が輝いていた。その周囲には、キレイな星がまたたいていた。おかげで姉ちゃんは、今まで見たどの姉ちゃんよりも美しく見えた。
離さないよ。その覚悟で指輪を渡したんだから。自分の嫁の手は、絶対に離さない。
終わり。
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