想い出
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1部分:第一章
第一章
想い出
もう卒業間近だった。佐代子はそのことで頭が一杯だった。
「もう終わりかあ」
この前入学したばかりなのに。もう卒業だ。
「六年もあったと思ったのに」
一年の頃は六年生が夢みたいな存在だった。けれど気付いたらその六年生になっていてしかもそれももう終わりだ。卒業して暫くしたら中学生である。
中学生というのはもっと想像ができないものだった。それこそ本当になれるのかどうかといったものだった。まさか自分がなるとは思わなかったのだ。
「上手くやっていけるかな」
不意にそう思ったりもする。
「中学校でも皆と」
今いる小学校のメンバーとはそのまま殆ど一緒である。だがそこに他の小学校の面子も入るのだ。それがかなり気懸かりだったのである。
彼等と上手くやっていけるかどうか、不安ばかりだった。学校でも家でも同じことばかり考えていたのだ。
そのことがあまりにも心配だったのね。お母さんにも相談することにした。温かいリビングで柔らかいライトブルーのソファーに向かい合って座って話をするのだった。
「そうよねえ、早いわね」
おっとりした丸みのある顔のお母さんが佐代子の言葉に笑った。目も丸く二重でそれでいて奇麗だ。美人ではないが優しい顔をしている。髪も柔らかい。佐代子はそのお母さんに生き写しだとよく言われる。
「佐代ちゃんももうすぐ中学生なのよね」
「それで心配なの」
佐代子は困った顔でお母さんに述べるのだった。
「これからどうなるか」
「心配なのね」
「私。やっていけるかな」
その不安げな顔でお母さんに尋ねるのだった。
「中学校でも。これからも」
「そんなに心配?」
「うん」6
またこくりと頷いて答えた。
「どうなるのかって」
「心配しなくていいわ」
けれどお母さんはそんな佐代子に対して穏やかな笑みで答えるのだった。その顔には曇りがなく静かな顔で言うのだった。母親として。
「佐代ちゃんならね。大丈夫よ」
「あまりそう言われても」
「信じられないの?」
「そうじゃないけれど」
そうは言ってもその顔は晴れてはいない。その顔で俯いたままである。
「けれど」
「あのね」
お母さんはまたその佐代子に言うのだった。佐代子はその顔はよく見てはいなかった。悪く言えば自分のことだけしか考えられなくなっていたのだ。
「佐代ちゃん、小学校に入った時のこと覚えているかしら」
「小学校に」
「そうよ。あの時に」
お母さんは優しい声で佐代子に声をかける。まるで包み込むように。
「佐代ちゃんずっと不安そうだったわね」
「そうだったの」
「佐代ちゃん小さいから覚えていないでしょうけれど」
それは少し声を小さくさせた。そうして言葉を続ける。
「あの時も。凄く不安そうだったわ、これからやっていけるかなって」
「覚えていなかったわ」
佐代子はそのことを本当に覚えてはいなかった。今のことだけでとてもそこまで考えられなかったのだ。けれどお母さんは覚えていたのである。
「そんなこと」
「無理もないわ。だから佐代ちゃん小さかったから」
「御免なさい」
「謝ることはないの」
それは優しく包み込む。何処までも母親の顔と優しさで。
「悪いことじゃないし」
「そうなの」
「それにね」
お母さんはまた言う。
「人ってそうしたものなのよ」
「そうしたものって?」
佐代子は顔をあげた。お母さんの言葉に対して。
「不安や心配といつも向かい合って少しずつ先に進んでいくの」
「そうなの」
「そうよ。お母さんもそうだったし」
「お母さんも」
佐代子にとっては思いも寄らない言葉だった。佐代子にとってお母さんはとても優しくてしっかりした人だったからだ。実はお父さんよりもずっと頼りになると思っている程だ。だがお母さんはここでそのお父さんについても言うのだった。
「お父さんと結婚した時もね」
「うん」
「とても不安だったの。これから二人でやっていけるかしらって」
「何で?」
これは佐代子にはわからない言葉だった。無意識のうちに首を傾げさせる。
「結婚したのに」
「佐代ちゃんがそれをわかるのも少し先になるでしょうね」
だがお母さんはそこから先は言わないのだった。それはお母さんの気遣いだったが佐代子にはまだわからないことだった。まだわかるには佐代子は幼いからだ。
「それでもね。その時」
「何があったの?」
「お父さんが支えてくれたのよ。僕がいるから大丈夫って」
「お父さんが」
「僕でよかったら助けさせて欲しいって」
昔を見る目になっていた。その目は佐代子にもわかった。とても優しい目をしているのがとてもわかった。
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