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第三章
「あまり間に受けたらあかんかもな」
「北朝鮮の話は」
「祭りの出店かてさくらおるっていうし」
「さくら?」
「あれや、店の親父とぐるになってわざと景品当てたりする奴や」
さくらと聞いても首を傾げさせる一樹にだ、先輩は説明した。
「金もろたりしてな」
「それで実際にやってみたら」
「射的とか金魚すくいとか全然やろ」
「当たらんし捕まりません」
「輪投げでもな」
夜店の景品は手に入らない様に出来ているというのだ、出店の親父にしてもこうしたことは考えているのだ、よくも悪くも。
「一見してよく当たる様でもや」
「それはそのさくらの芝居ですか」
「それで人騙して店の遊びさせてな」
「儲けるんですね」
「そういうこっちゃ。北朝鮮の話もな」
そうしたさくらがというのだ。
「おるかもな」
「何か色々あるかも知れないんですね」
「とにかくあんまりにもええ話には裏がある」
「そのことに気をつけないといけないですね」
「そう思うで、俺は」
「わかりました」
一樹は先輩の言葉に頷いた、だが新聞も学者も政治家もだ。多くの者が北朝鮮は素晴らしい国だ地上の楽園だと言っていた。
それで帰国事業というものも大々的に行われてきた、しかし。
一太郎は家でだ、女房の晶子に言っていた。一樹もその話を聞いた。丁渡飯時でコロッケに着けものと味噌汁がおかずだった。
「おい、金さんの弟さんな」
「去年よね」
「あっちに帰ったやろ」
「北朝鮮にね」
「何かおかしいわ」
「おかしいって?」
「出られないらしいんや」
ソースをたっぷりとかけたコロッケで飯を食べながらの言葉だ。
「北朝鮮からな」
「お金がないとか?」
「あそこ金必要ないって言うてたやろ」
「そういえばそうね」
「それにや」
「それに?」
「歯磨き粉とか石鹸とか欲しいって金さんに手紙送ってきてるらしいで」
こうもだ、女房に言うのだった。
「色々とな」
「石鹸とか?」
「そんなん書いてるらしいで」
「あそこそんなんいらんのとちゃうん?」
首を傾げさせてだ、晶子は漬けものを食べつつ夫に言葉を返した。
「もう何でも一杯あるさかい」
「それで身一つで言ってええって言ってるな」
「そうちゃうん?」
「そういうことになってるな、けれどな」
「金さんの弟さんはやねんな」
「そう手紙で書いて色々送って欲しいって言ってきてるらしいわ」
「おかしな話やね」
晶子もここまで聞いて言った。
「それはまた」
「ほんまやな、けどな」
「北朝鮮からそう言うてきてるんやな」
「手紙でな。あそこどんなことなっとるんやろうな」
「それがわからんな」
「ほんまやな」
こうしたことを話していた、そしてだった。
一樹もその話を聞いてだ、首を傾げさせつつ思った。新聞や学者の言っていることがおかしいのではと思いながら。
一樹は中学を卒業して高校に入ってだ。高校を卒業してだった。
地元の工場に就職した。彼が二十代の頃世の中は学生運動の真っ最中だった。
東大で暴れる彼等を職場の昼休みにテレビで観てだ、工場長が茶を飲みながらこんなことを言ったのを聞いた。
「アホちゃうか」
「この連中東大生ですけど」
「それでもアホやろ」
こう一樹に返した。
「アホやないと暴れるか」
「何か色々言うてますけど」
「難しいこと言うとるだけや」
一言だった。
「この連中はな」
「難しいことをですか」
「そや、何が革命で赤軍で革マルやねん」
彼等の言っていることをだ、工場長は忌々しげに言った。粗末な休憩場所で弁当の後の茶を飲みながらの言葉だ。
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