異界の王女と人狼の騎士
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第七十三話
それは、まぎれもなく絶望だけしか意味しなかった……。
予想していた、予想できうることの中で最悪の結末。
今……眼前に、それがある。
「う、る、し、だ……」
俺の口からは絶望的な言葉が漏れだした。それはほとんど、うめき声にしかならなかっただろう。
そして、奴は嗤った。
―――ニヤリと。
ただ、ニヤリと。
あざ笑うかのように、見下すように。
ただ、ただ……嗤ったんだ。
真っ白な歯が暗闇に光る。そのあり得ないくらいの白さは、この暗闇の中でさえ、普通の人間でも確認出来たに違いない。
真っ赤に光る眼と、異常なまでに綺麗に揃った歯の中で、上下4本の牙が生えていることが見て取れる。
そのどちらもが人の物じゃないよな。
奴は人を襲った時の衝撃でカゴか陳列棚から転げ出たらしいサッカーボール鷲づかみにすると、それに噛みついた。
本革製のボールも奴の牙の前では無力だったようで、あっさりと裂けた。
吐瀉音。
牙で割いた部分を両手で押さえ、奴は何かを吐き出しているようだ。それが何かはこの角度からは見えないが何か固い物が当たるような金属音が聞こえてくる。
漆多は再び顔を上げてこちらを見る。
じゅっと音がするとボールから煙が上がった。熱処理で口でも塞いだのか?
ボールはパンパンにふくらんだ状態になっている。
そして、ぽん、とボールを下に落とす。
床に落ちる寸前、右脚を後へ大きく振り上げ、奴はボールを蹴った。
あたりにボールを蹴っただけとは思えない音が響く。
キックの速度はどうみても人のものとは思えない。
唸りを上げながらボールがこちらに飛んでくる。途中、あまりの回転のためかボールは起動を変え、大きく上へと浮き上がる。
そして、俺の上空に来たくらいで唐突にボールは弾けた。
俺には、破裂する瞬間がスーパースローで見える。
はじけゆくボールの中は銀色の物体で溢れていた。
それは、無数のネジや釘だった。それらが爆発の勢いで一気に飛び出して来るところだった
どういった原理でそんなことになるのか? だがしかし、その射出速度は改造したエアガンレベルであることは分かった。
ちょっとしたクレイモア地雷の爆発に匹敵する。
そして、よく見ると、釘やネジが煙を上げているんだ。
奴の吐瀉物とともに何らかの液体も含まれていたようで、それが強酸なのか、高温の液体なのかは不明だが直撃を受ければ怪我だけでは済みそうもない脅威と警告する。
それらが一気にはじけ飛んだ。
爆発は圧倒的な加速を生み、辺り一面に釘とボルトを撒き散らす。
その軌道上には王女もいた。
絶対的に危険。
本能で直感で危険を感じた時には、既に体が動き出していた。
俺は加速する。
通常の加速じゃない。
これまでの経験の中で肉体を加速する術を得た俺は、そのテストの中で加速速度を10段階に区分していた。
これまでに使った速度はレベル5までだ。
それ以上の急激な加速は肉体へのダメージが発生することが分かっている。それ以前の加速レベルでももちろん体にはダメージがあるのだけど、それを上回る回復力を俺が備えていたため支障は無かったんだ。
もちろん、肉体は損傷しているんだからそれ相応の痛みはあったんだけれど。それを越えた時どうなるかは分からなかった。
骨は折れ、肉はえぐれ、腱は断裂するんだろうか。心臓は持ちこたえるのか?
しかしそんなことを考えていたら、間に合わない。
恐らくは最大出力だ。
猛烈な加速感を感じながら俺は走る。
周囲の風景がほとんど停止して見えている。
途中にあった大型の冷蔵庫を右手で掴むと、そのまま一気に王女の側まで駆け寄り、急停止する。
ゴキリという鈍い音と、激しい痛みが両足に走る。
しかしそんなことは無視だ。
冷蔵庫を盾のように立てかけ、王女を庇うようにして抱きしめる。
金属片が俺たちの周囲に降り落ちてきたのはほぼ同時だった。
破裂音、炸裂音、破壊音。
金属が金属にめり込む音、跳ね返る音。床に突き刺さる音。硝子が割れる音。
金属と金属、金属とプラスチック、金属とコンクリート、金属と木。
あらゆるものがぶつかり合い、破壊される音が土砂降りのようにあたりに一斉に響く。
嵐はすぐに去り、俺は王女の無事を確認する。
起きあがると、冷蔵庫をどける。
大きな音を立てて、冷蔵庫がフロアに倒れ込む。
冷蔵庫の表面は破壊の凄まじさを見せつけている。表面は鋭利なもので滅多差しにされた粘土細工のようにボロボロになっていた。一部はドアを貫通している。
「危なかったなあ」
俺は辺りを見回し呆然とする。
周囲にあった家電コーナー製品は完全にスクラップになっていた。あまりの酷い有様で、この店が営業再開するのには少し時間がかかるんだろうな。
「シュウ、お前大丈夫なのか? 」
珍しく王女が心配そうな声を上げる。
ふと見ると俺の右足首が妙な角度に曲がっていて、白いものが皮膚を突き破ってきている。
あの速度で走ってきて急停止かけたから体が保たなかったんだな。
「ちょ、ちょっと待ってね」
そう言って、両手で足首を掴みまっすぐに補正しようとする。で、両手をみてまた驚いた。
右足首を押さえてるその右手も指が5本ともあり得ない方向にへし曲がっているし、骨も出てたりする。強引に冷蔵庫を掴んで走ったから予想通り折れたんだ。
まあ千切れてなかったんで結果オーライだ。ただし見た瞬間、激痛が襲ってきてるけどね。
我慢してまずはは左手で折れ曲がった右手の指を一本づつ伸ばしていく。暫く押さえてると皮膚も接合し、動かすときちんと折れ曲がる。5本とも回復するのを確認したら今度は両手で間接じゃない場所で直角に曲がっている足首を引っ張って伸ばし、骨と骨がきちんとくっつくように調整する。暫く押さえているとくっつくはず。さすがに足はなかなか接着されないみたいだ。
「だいぶ酷いの? 」
心配そうに聞いてくる王女。なんだか顔が青ざめている。俺の怪我の様子が見ててショックだったのか、それとも寄生根から受けたダメージがまだ回復してないのか?
ごめんね、気持ち悪い映像を見せてしまって。申し訳ない。でもこれ、我慢してるけど実際折れてるんだから痛みは凄いんだよ。とか心の中で言い訳をしてみる。
「うん、なんとか外見は治ったようだよ。……でも、まだ全開にはできそうもないな。ちょっとなれるまでは怖くて動かせないかも」
そう言って、漆多がいた場所を見やる。
しかし、そこにはすでにアイツの姿は無かった。
この負傷した状態の俺なら殺れるチャンスと思えるのに……。
どうしてだ?
……余裕ってわけか?
「まあ、この状態で本当に戦いになったら、勝敗はどうなったか分からない。こちらにとっては幸運だったということだ。良い方に考えないといけないよな」
俺は誰とはなくつぶやいた。
次は恐らく本気の戦いになるだろう。その時はどちらかがどちらかを殺す事になるんだろう。
まったくもって、うんざりとさせられる運命。
逃れられない運命。
絶対不可避。
俺は、親友を裏切り彼の恋人に横恋慕し、危機にある親友の恋人を守ることさえできず、さらには俺への復讐を誓った親友を俺の大義のために殺す……。
俺は大きくため息をつくしかなかった。
「シュウ? 」
俺は王女と話しかけられて我に返った。
「どうかしたのか? 」
「あのね、もう動けるかしら? 」
「うん、大丈夫と思うけど、……何かあるの」
「まさか知らないとは思ってなかったから黙ってたんだけど、ね」
「はいはい」
と、気軽に俺。
「寄生根がここから去った以上、ここに張られた結界は自然消滅していく。それはどういうことか分かってる? 」
といって王女は外を指さす。
「あ! 」
彼女の言ったことに衝撃が走る。
大気が変質していくのが明らかに感じられた。
張りつめていたものが変質していく。
はじまりは緩やかだがその崩壊は次第に加速している。硝子が割れるような、何かが崩れるような音さえも聞こえてくる。
結界が崩壊していくのだ。
窓から見える景色に驚愕する。
細かく硝子が割れていくように外に張り巡らされた黒い暗幕がゆっくりゆっくり崩れ落ちて行っている光景が見えたのだった。
「やばい、結界が消えたら停止されていたすべての警備システムが復旧する。そうなったらまじヤバイじゃん」
「今頃気付いたの? 知っててぼーっとしてると思ったんだけど」
「やばいやばい、姫、逃げるよ。警備カメラに写ったらさすがにまじーよ」
「当然でしょう? 」
「もっと早く行ってくれよ」
肩をすくめる王女を抱きかかえると、俺は一気に走ったんだった。
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