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大海原でつかまえて

作者:おかぴ1129
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06.重い切り札

 今回の姉ちゃん救出メンバーは、金剛さん、加賀さん、球磨さん、木曾さん、ゴーヤこと伊58さん、以上の5人だ。5人プラス僕と岸田、そして提督で、今執務室でブリーフィングを行っている。

「提督、この人員配置の根拠を教えて下さい」

 冷静な顔付きをした和風美人な空母の艦娘である加賀さんが、表情を変えずに軽く右手を挙手して言う。

「不服か?」
「不服ではありませんが、根拠が今一分かりません」
「手練の潜水艦隊が確認されている」
「確かに球磨と木曾は手練ですが、対潜水艦戦なら夕張や大淀が適任かと。空母も私ではなく隼鷹や瑞鳳の方を編成すべきでは?」

 少し前に岸田から、『うちの対潜番長は夕張だ。次点で大淀たん。キリッ』というセリフを聞いたことがある。確かに加賀さんの言っていることは筋が通るわけだが……

「今回は対潜水艦戦以外にも、複数回の戦闘が予想される。出来るだけこちらの損傷を抑える形で戦闘をこなしたい」
「つまりゴーヤと木曾、私の3人で砲撃戦前に出来るだけ頭数を減らす算段ですか」
「加えて、敵に駆逐と軽巡がいた場合はゴーヤに攻撃を集中させ、出来るだけお前たちが攻撃される頻度を減らす作戦だ」

 マジか……こんな小さな子に、敵の攻撃を集中させるってのか……?! ぼくの隣に立っているゴーヤさんと、自然と目が合う。彼女の服装がスクール水着の上からセーラー服という、とんでもなく非常識な出で立ちなことに今気付いた。

「ゴーヤさん。あんなこと言われてるけど大丈夫なの?」
「心配いらないよ。いつもやってることだから大丈夫でち」

 ヤバい。こんなちっちゃくてでちでち言ってるような子なのに、大ベテランのような安心感が半端ない。

「常日頃オリョールで鍛えてるから問題ないでち。あ、あとゴーヤのことはゴーヤでいいよ? ゴーヤもシュウって呼ぶから」
「わかった。ありがと」

 あとは、いかにも『水兵さん』て感じのセーラー服を来た球磨さんと、その球磨さんと同じセーラー服の上から軍服を羽織って、眼帯をつけている木曾さん。木曾さんは出で立ちがどことなく天龍さんと似ているが……天龍さんと違って威圧感のようなものを感じる。常にサーベルに手をかけ、鋭い目が周囲に無言のプレッシャーをかけているように見える。失礼かもしれないが、あれは仕事として人を殺したことがあるオーラだ。

「提督、俺も質問していいか?」
「ああ」
「通常、艦隊は6人編成だ。一人少ない5人で組む理由は何だ?」
「現地の比叡が参戦すれば、編成は6人だ。そこまで考えての人員だ」
「なるほどそういうことか。納得した」

 一方、その木曾さんの隣に立っているのが球磨さんだが、この面子の中でも一際戦闘行為から遠そうな人に見えるのは気のせいだろうか……マイペースの人特有の、ゆったりとした空気が球磨さんの周囲にだけ漂っているように見える……木曾さんと球磨さんの空間だけが、なにやらピリピリかつゆるゆるとした矛盾した空気が流れていた。

「……クマ?」

 ……あ、よく見たらアホ毛がぴょこぴょこ動いてる。

「それから、今回はみんなと共に特殊艇“おおたき”も出撃する」

 提督がほんの一瞬、言い辛そうな顔を浮かべたのが分かった。

「……“おおたき”には、岸田とシュウが乗船する。比叡を救出するまでの間、旗艦は“おおたき”だ」

 そう。これは僕も驚いた。確かに僕は姉ちゃん救出部隊が再度編成されるという話を聞いた時、一緒に連れて行ってもらえないか頼んでみるつもりではあった。元の世界に帰る云々の関係もあるが、姉ちゃんのピンチに手をこまねいているわけにもいかない……しかしド素人の僕が艦隊に付いて行って果たして大丈夫なのか……と言うのをためらっていた時に岸田が……

『シュウ、俺達も行くぞ』

 と言ってくれた。元々岸田は、身の安全を確保するためにこっちの世界に来た。それなのに、自ら危険な戦闘に突っ込んできてしまえば、こっちに来てもらった意味がない。シュウにしても、比叡救援艦隊に編成されれば、元の世界に強制送還される危険性が増す……と猛反対する提督と岸田の間でものすごい舌戦を繰り広げた末、結局提督が折れたそうだ。

「でもさ岸田。お前、船の操縦なんて出来るの?」
「心配はいらん。手は打ってある。それにお前一人にだけ、カッコイイ真似させられるかッ」

 こんな風に非常にイケメンなことを岸田は言っていたが、僕は岸田のつぶやきを聞いてしまった。

――ディフフフフ……これで金剛ちゃんに、俺のカッコイイとこ見せて……デュフフフ

 それさえなきゃカッコよかったのに……あとで金剛さんにチクってやろう。

「What? どうしたんデース?」
「いえ、後で話します」
「?」
「では他に質問がないなら、ブリーフィングは終了。夕張の作業が完了次第出撃。恐らくはあと一時間ほどで完了するだろう。それまで各自待機! 以上! 解散!!」

 皆が勢い良く返事をし、敬礼をして部屋から出て行く。僕は自分たちが乗る船の様子を見るべく、岸田と共に工廠に来た。工廠では、夕張さんが急ピッチで作業を進めていた。

「夕張さん!」
「あら! 岸田くんとシュウくん!」
「船の準備はどお?」
「進捗は試運転込みで大体70%ってとこかなー。後もう少しで準備出来るわよ。そしたら一度試運転してみて、大丈夫なようなら行けるわ!」

 ツナギにランニングシャツというちょっときわどい服装の夕張さんが、油で汚れた顔でそう答えた。準備してくれている船は、モーターボートが少し大きくなったぐらいの大きさで、ちょうど小田浦港に停泊している漁船と同じくらいの大きさだ。漁船と違うところは、小さな砲が船の前方に一つ積まれていることだろうか……こんなものを岸田は運転出来るのか……

「いや? おれが船舶免許なんか持ってるわけないじゃん」
「え?! じゃあ運転出来ないの?!」
「おう」

 そんなバカなッ?! じゃあさっき自信満々で『心配はいらん。キリッ』とか言ってたのは何だったんだよ岸田ッ!!

「あ、そうそう。岸田くんからの注文、一応形にしてみたから運転席に上がってみて!」
「よっしゃ助かる!! さすが実験兵装艦の夕張たんだ!!」

 僕の無言の抗議をよそに、岸田は夕張さんのセリフを聞いた途端にガッツポーズを見せて船の運転席に入った。僕と夕張さんも、ウキウキ顔の岸田につられて運転席に入る。運転席には通常、舵やアクセルがあるはずなのだが、この船にはそれがない。あるのは椅子とパソコンのキーボードとマウスとモニター、あと休憩用のソファーだ。

 岸田がモニターのスイッチを入れる。船に電源が入り、船体から物々しいエンジン音が聞こえ始めた。モニターにはこの船が映し出されている。

「岸田くんの希望通り、全部このキーボードとマウスで操作できるようにしたわよ。シフトキーを押せばモニターが主観モードになって、主砲の狙いがつけやすくなるわ」

 夕張さんが胸を張り、誇らしげにそう言う。岸田がキーボードのシフトキーを押すと、モニターには今主砲が向いている方向の景色が映し出され、マウスを上下左右に動かすと、それに連動して主砲が動いている。……あれ? この感じ、なんかどこかで見た覚えがあるぞ?

「なあ岸田、これって……」
「おう。今おれがはまってるWorld of Warshipsと同じ操作方法にしてもらった。これならおれでも操作できるからな」

 World of Warshipsってのは、岸田が最近ちょくちょくプレイしている海戦ゲームで、僕も何度かそのプレイを見たことがある。なるほど。これなら岸田でも操縦出来そうだ。

「さすが夕張たん! 今度天ざるそばおごるよぉおおお!!」

 ひと通り操縦システムをいじり倒した後、岸田は揉み手をしながら体中をくねくねと動かし始めた。その様がなんだかキモくて仕方がない。

「ありがと! 帰ったら感想聞かせてね!」
「言う! 感想言う!! 夕張たんのためにがんばるよぉおおお!!!」

 執務室で見せるイケメンな岸田と同一人物とは思えないその様子を尻目に、僕は工廠を見回す。誰か足りないなぁと思ったら明石さんがいない。さっき金剛さんと顔を見せた時は夕張さんと一緒にスパナを振り回していたのに。

「夕張さん、明石さんはどこか行ったの?」
「ぁあ、彼女ならさっき酒保に行ったわよ? なんでも提督に頼まれてた品が届いたとかで……」

 ここで、鎮守府全体に提督の声で放送が入った。緊迫感こそ感じられないが、真剣味が伝わってくる声色だった。

『橋立シュウ、執務室に来い。繰り返す。橋立シュウ、執務室に来い。以上』
「なんだろう?」
「さぁ……?」

 岸田に目をやる。岸田はモニターとにらめっこしながらキーボードとマウスをいじるのに必死だ。よし今の内に……

「夕張さん。お願いがあるんだけど……」
「ん? なに?」
「この船の名前なんだけど……」
「一応“おおたき”って名前はついてるけど……改修もしちゃってるし、何なら新しい名前にしてもいいわよ?」
「んじゃ……ちょっとつけて欲しい名前が……」

 僕はこの船につけて欲しい名前を夕張さんに伝えた。夕張さんはサムズアップをしてくれ……

「分かったわ! じゃあその名前、船体にプリントしておくわね!!」

と約束してくれた。その約束を聞いた後、僕は運転席に岸田を残し、執務室に向かうことにした。

 出撃準備が整いつつあるためか鎮守府内はにわかに慌ただしくなっている。途中すれ違った金剛さんもとても忙しそうだった。その喧騒を尻目に、僕は執務室のドアの前まで来て、そのドアをノックする。

「提督? シュウです」
「おっ来たか! 入ってくれ!」

 ドアを開けると、コーヒーの良い香りが室内に立ち込めているのが分かった。提督が二人分のコーヒーをドリップしてくれていたのだ。

「よっ。コーヒーももうすぐ準備出来るぞ。ソファに腰掛けて待っててくれ」

 言われたとおり、僕はソファに腰掛けた。ほどなくして、提督も二人分のコーヒーを持って僕の向かいのソファに腰掛ける。

「金剛には毎度イヤな顔をされるんだが……実はおれ、コーヒー好きで結構こだわってるんだ。砂糖とミルクは好きなだけ使ってくれていいからな」

 そういってはにかんだ提督が淹れてくれたコーヒーは、確かに飲みやすくて香りがよく、とても美味しい。僕はどっちかというと甘ったるいコーヒーが好きなのだけれど、このコーヒーなら砂糖もミルクもいらないぐらい、スッキリとして飲みやすい。

「あのー……提督?」
「ん?」
「僕を呼んだ理由は?」
「んー……なんつーのかな……男同士の話がしたかったっつーか……」
「?」

 なんだろう。今一提督の答えがはっきりしない。男同士の話? どういうことだ?

「比叡、お前のうちでやっかいになってる間にさ、料理とかやった?」
「よく玉子焼き作ってくれてたなー……でも最初の頃の料理って料理っつーかクリーチャーだったんだよね……目玉焼きとか……」
「あいつ、よく目玉焼きで器用に失敗出来るよな……」
「そうだね……焼き方を聞いてみたけど、結局教えてくれなかったし」

 提督が本当に不思議そうな顔をしてそういい、僕はそれを受けてちょっと吹いてしまう。この鎮守府に来てまだ一日ちょっとだけど、なんだかこんなゆっくりとした気分で会話をしていることがすごく新鮮で、執務室内にはリラックスした心地いい空気が流れていた。時間が過ぎる毎に執務室の外は騒がしくなっており、防音設備が整っているはずの執務室からも室外の喧騒がよく聞こえる。だが外の騒がしさが逆に、執務室内の時間のゆったりさを際立たせていた。

「比叡って、お前んとこでどんな目玉焼き作ってたの?」
「メタリックブルーって言うの? 黄身がなんか金属っぽい青色してて、なんかすんごい苦酸っぱい味がした」
「あー……なんか目に浮かぶわ……」
「ここでだと、姉ちゃんどんな目玉焼き焼いてたの?」
「半熟の黄身がな……なんつーかな……赤銅色っつーか焼鉄色っつーか……長年使って焼けた主砲の色って言えばいいのかな……なんかそんな感じの色してたな。ずずっ」
「あー……ありえない色のはずなのに、“姉ちゃん作”って枕詞つけただけで説得力が増すね、それ……」
「だろ? 食った時にサバの匂いがするアルミホイルみたいな味の目玉焼きなんて生まれて初めて食ったぜ……」

 僕は比叡姉ちゃんが初めてうちで作ってくれたメタリックブルーの目玉焼きとエメラルドグリーンの味噌汁の凶暴な味を思い出し、無駄に食欲を失った。提督もひどくげんなりした表情を浮かべているあたり、恐らく提督も姉ちゃんの目玉焼きを思い出しているのだろう。

「でもさー……憎めないんだよなー比叡のこと。一生懸命なのがわかるから、応援したくなるっつーか……裏表もないし……料理にしても普通に作れば美味しいのに、気合の入り過ぎで余計なことしちゃうだろ? そこがまた憎めないっつーか、かわいいっつーか……」

 突然女子会の恋話みたいなノリになってきた……思春期を感じるなぁこういう会話は……

「お前もそうだろ?」
「僕は~……よくわかんない……気がついたら好きになってた」

 実際自分の気持ちに気付いたのは、姉ちゃんが消える寸前に近かった。確かにそれまで、姉としての愛情を感じることは何回もあったし、実際いなくなると寂しくなるとは思っていたけど、ずっと一緒にいて、ずっと隣で笑っていて欲しい人だと気付いたのは、その時だ。

「そっか~……まぁ、あんな姉ちゃんとずっと一緒にいたら、そら好きになるわなぁ」

 提督はそう言って、僕を見つめながらニヤッと笑う。なんだかお風呂あがりの姉ちゃんを見てドキドキしてたこととか、膝枕されて頭を撫でられてたこととか……そういう思い出を見透かされているような気がしてなんだか恥ずかしい……

 急にドアが開き、大淀さんが入ってきた。大淀さんは縦長の15センチぐらいの大きさのダンボールの小箱を小脇に抱えており、執務室に入ると提督を見据え、落ち着き払ってこういう。

「提督、先ほど届いたそうです。明石さんから受領しました」
「了解した。準備して持ってきてくれ」

 大淀さんは『分かりました』とだけ言うと、今度は執務室の奥の扉に消えていった。あそこは昨晩、提督と岸田が大淀さんから罵倒という名のご褒美をもらっていた司令室だ。でも見てる感じだと、大淀さんそういう人に見えないんだけどなぁ……

「まぁ、な。言葉は柔らかいんだけど、大淀は一撃が重いんだよ」
「は、はぁ……」
「龍田や叢雲もいいんだが……属性をつけるとしたら叢雲は切断系で龍田は刺突系、で大淀は打撃系だな」
「いや、そんなステータス情報はいらないです」
「そうか。……いや、引くなよ」

 大淀さんが司令室から戻ってきた。その手には真っ白な化粧箱のようなものを持っている。

「漫談はここまでだ。シュウ、単刀直入に聞くぞ。お前は、比叡のことが好きか?」
「うん」
「比叡を愛しているか?」
「うん」
「例え今回は比叡に会えなくなるかもしれないとしても……それでも比叡を助けてくれるか?」
「……」

 提督はこちらをまっすぐに見据えていた。

 これはさすがに答えに詰まった。たとえ自ら行くつもりであったとしても、やはり言葉で『会えないかもしれない』と確認されると不安にはなる。

 もし提督が岸田並のイケメンだとすれば、本当は僕を出撃させたくなかったはずだ。僕の手で直接姉ちゃんを救わせたくなかったはずだ。そうすれば、姉ちゃんが助かった後、ぼくが向こうの世界に戻る可能性が低くなる。僕は助けてないのだから。

 にも関わらず、僕は出撃を許された。ひょっとすると、姉ちゃんを助けるための最後のファクターが僕なのかもしれない。だとすれば、僕が出撃することで姉ちゃんを助けることができる。でも僕は、姉ちゃんと会うことが出来ない。

 僕が答えを出すのに手間取っている間、提督は僕をずっと見守ってくれていた。その表情には、即答できないことへの怒りやイライラはない。

「分かった。即答されるより、逆に比叡を大切に思ってくれていることが伝わった。……大淀」
「はい。橋立様、こちらを……」

 大淀さんが僕の隣に立ってその手に持った化粧箱と、一枚の書類を僕の前に置いた。その純白の化粧箱はとても上等な作りで、ひと目で中身が特別な品だと言うことが分かる。

「それが今回の作戦の最後の切り札になる。箱を開けて、中の物を取り出せ」

 提督にそう促され、言われるままに箱を開けて中を覗いた。中にはワインレッドの小箱がひとつ、クッションに包まれて入っている。それを取り出して手に持つと、ずっしりとした重みが感じられた。

 小箱を手に取る。その途端、ほんの少しだけ小箱が光った気がした。僕の心臓がバクバクと鳴り出し、緊張していることが自覚出来た。

「開けてみろ」

 言われたとおり、小箱を開ける。中に入っていたのは、一つの指輪だった。

「それは本来、俺達のような鎮守府を預かる提督と、その鎮守府に所属する艦娘にしか持つことを許されないものだ。そして艦娘にとっては戦闘能力を劇的に向上させる艤装の一種にして、提督との深い絆の証でもある。岸田から聞いたことがあるかもしれんが、ケッコンカッコカリというやつだ」

 そういえば岸田が前に、姉ちゃんに指輪を渡そうとしたら拒否されたって言ってたな……

「正直、提督ではないお前と比叡の間で、ケッコンカッコカリが成立するかどうか俺には分からん。成立したとして、それがちゃんと機能するかどうかも未知数だ。だが賭けてみる価値はある。その指輪を比叡にはめてやれば、今比叡が負っている傷は全快する。あとは補給さえ出来れば、比叡は全力で戦えるようになる。……そしてキミは、恐らく指輪を渡した瞬間、元の世界に戻ることになるだろう」

 そうか。だから提督は、さっきあんな質問をしてきたのか。

「そしてもちろん、比叡にとってもお前にとっても、その指輪はそれ以上の意味合いを持つ絆になるはずだ。お前が元の世界に戻ってしまう兼ね合いもある。だからギリギリまで考えて、はめるときはよく考えてはめてやれ」
「確かに……ケッコンだもんね……僕が姉ちゃんにはめてあげても大丈夫なのかな……」
「こんなケースは過去に前例がないから、正直どうなるかは分からん。だがそのケースを手に持った瞬間から、その指輪はお前の指輪だ。だから、もし渡さなければ、その指輪は意味がないものになる。その時はこっそりと海にでも捨ててしまえ」

 こんな大切なもの、そんな風に捨ててしまっていいのだろうか……

「構わない。その指輪は提督や艦娘たちにとって、それだけ重い物だ。ましてやお前と比叡は事情が違う。“渡さない”というのも立派な決断だ。だから渡せないとしても、誰もお前を責めないし、俺が責めさせない。だからよく考えてくれ」

 真剣な眼差しでまっすぐにこちらを見つめそう語る提督の姿が、どことなく岸田とかぶった。普段は今一頼りなくて、時々哺乳類から無脊椎動物や生ける屍に退化するけど、しめるところはきっちりしめる誠実な男。それが岸田であり、この叢雲たんチュッチュ提督なのだろう。

「俺がどれだけ残酷なことを頼んでいるか分かっているつもりだ。本来なら、お前は鎮守府で待機してもらうべき人間だ。そうすれば比叡と共に過ごせる可能性もある。それなのに、お前にこんなことを頼んでしまってすまない……」

 最後に提督はそうしめくくり、帽子を脱いで僕に頭を下げた。こういうところは、岸田の分身だと納得出来る感じだ。姿形は似てなくとも、中身は岸田とそう変わらないんだなぁと実感出来た。

 しかし大変なものを預かってしまった。これは僕にとっても姉ちゃんにとっても、とても重い代物だ。男性が女性の左手の薬指に指輪をはめてあげることの意味を、僕はよく知っている。『ずっと二人で生きていこう』という誓いの証が、この指輪だ。

 もし、ただ渡すだけなのであれば、僕はここまでこの指輪に重量を感じることはなかったのかもしれない。でも、ひょっとしたら僕はこの指輪を渡すことで、元の世界に戻ってしまうかもしれない。
 
 こちらの世界と僕の世界をつなぐ渡航設備は、姉ちゃんとあきつ丸さんが襲われた時点で、すでに敵の手に落ちたと考えるべきだ。とすれば、元の世界に戻ってしまえば、二度と姉ちゃんと会うチャンスはないかもしれない。今回が姉ちゃんに会う、最初で最後のチャンスなのかもしれない。

 逆に言えば、この指輪に頼らなくてはならないほどに、姉ちゃんは今追い詰められているともいえる。いくら手練で相手はさほど強くなかったとしても、長い時間何度も何度も休みなく攻撃されていれば、いずれ体力も消耗し、倒れ伏してしまうだろう。

 姉ちゃんが一人で戦い始めて、すでに相当な時間が経過している。強さという意味でもみんなの信頼を得ている姉ちゃんが簡単に倒れるということはないだろうが、それでもこの指輪が必要になると予想されるほど、今の姉ちゃんは追い詰められているはずだ。でなければ、提督が指輪を僕に託すなんてことはしないだろう。

 答えがまとまらない。出発するまで……せめて姉ちゃんのいる海域に到着するまでには、答えを出しておかなければ……。

 不意に、提督の机の上にある通信機がピーピーと音を立てた。提督が立ち上がり、自身の席に戻って通信機のマイクを手に取る。

「まさか姉ちゃん?!」
「いや、これは夕張からだ」

 僕は姉ちゃんからの非常通信ではないことにいささか安堵し、ホッと胸をなでおろした。提督はマイクに向かって話し始めている。

「夕張か。準備は出来たか?」
「提督、回収作業及び試運転完了しました。特殊艇“おおたき”改め“てれたびーず”いつでも発進出来ます!」
「てれたびーず? なんだそのふざけた名前は……まいっか。了解した。夕張おつかれ! あとで間宮で天そばとアイスをおごろう」
「やった! 岸田くんがおごってくれる分と合わせて2回ッ!! 提督、ありがとうございます!! それでは比叡さんの分の補給資材を積んでおきますね!!」

 プツッという音と共に通信が途絶えた。提督が冷ややかな目で僕を見る。やっぱ船の名前を勝手に変えちゃダメだったのかな……?

「……キミか?」
「何が?」
「あの特殊艇のふざけた名前だよッ!」

 で名前を変えること自体はOKだったのか。よかったよかった。……しかしふざけた名前とは失礼なッ!! 姉ちゃんを迎えに行く船にこれほどふさわしい名前はないぞッ!!

「んなわけあるかーッ!! 岸田といいシュウといい……まったくどいつもこいつもけったいな名前をつけやがる……」

 困ったように頭をバリバリと掻いた提督は、そのままの体勢で通信機のスイッチをひねる。途端に鎮守府内にチャイムが鳴り響き、提督の館内放送が始まった。

『第二次比叡救出作戦に参加するメンバーは、ただちに港に集合。15分後に出撃する!!』

 姉ちゃん。あと少しだ。あと少し持ちこたえてくれ。僕達が助けに行くから。
  
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