八神家の養父切嗣
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二十六話:舞台の終わり
娘達が命を懸けた戦いをしている中、切嗣はただ眺めていることしかしなかった。
何をすればいいのか。否、何をしたいのかすら分からなかった。
ただ、与えられた枷に従うがままに拘束されていた。
目の前で奇跡を起こそうと奮闘する少女達がひたすらに眩しかった。
羨ましかった。妬ましかった。目的に向かいがむしゃらに走っていける心が。
「魂が抜けたみたいな顔をしてるわよ、あなた」
「アリアか……」
横から声をかけられて、そちらの方を向いてようやく誰かを悟る切嗣。
そんなまともな思考が働いているとは思えない姿にアリアは顔を歪ませる。
事態はハッピーエンドに向かっていると言っても過言ではない。
だというのに、この男は幸せを享受できない。幸福であることに苦痛を感じる。
自分の中で自分を罰する。その傾向が今は特に顕著に出てきている。
「初めてあなたにあった時は何があっても折れない人間だと思ったけど……その分脆かったのよね」
「ああ、僕は弱い人間だ。支えがなければ立つこともできない」
「それで今はここで立ち止まっているってわけね」
「……ああ」
弱々しく頷く切嗣。その姿からはかつての苛烈な男の面影は見られなかった。
目の前では世界の命運をかけた戦いが行われているというのに動く素振りすら見られない。
もう、自分はあの場に立つことはできなのだと完全に諦めているのだ。
自分では決して世界を救うことができないと悟ってしまったが為に。
「はやては僕に生きろと言った。死ぬことすらできない。でも、償うために生きないといけない。だというのに、何をすればいいのかが分からない」
「…………」
「ここまで生きてきたのに、生きる理由が一つしかなかった。自分のことながら笑えないよ」
衛宮切嗣は人生の全てを理想の為に賭けてきた。
そんな自己破綻した行動がとれたのはそもそも生きる理由が一つだけだったからである。
世界を救いたいと、誰かを救いたいという願いだけで生きてきた。
それを今更変えろと言われても普通は無理な話だ。
アリアもそれが分かるために何も言うことができずに沈黙したまま状況を見守るだけである。
そんな折に状況は闇の書の闇の防壁を全て砕いた状態へとなる。
「本当に壊すなんて……でも、あれだけじゃ足りない。まだ倒せない」
「辺りのもの全てを侵食するつもりだな……」
はやて達への攻撃も勢い増していく闇の書の闇。
このままではあの子達が負けてしまう。そんな考えが二人の頭をよぎる。
それと同時に切嗣の手足に力が籠る。完全に無意識での行動だった。
体と心を切り離して動くという次元すら超えて本人が全く気付くこともない行動だった。
「あなた……動けるの?」
「……え? なんで、体が動いているんだ? もう、世界を救うなんて諦めたのに……」
今にも動き出そうとしている自身の体に最も驚いたのは他ならぬ切嗣自身であった。
理想の為なら体は勝手に動いた。でも、今はその理想は砕けたはずだ。
立ち上がる気力すらない程に心は折れていたはずだ。
故にこの体が機械のように動くはずなどないというのに。
どうして体は今にも駆けださんとしているのだろうか。今の今になって。
「……ああ、そういうこと」
「なんなんだ、アリア?」
「衛宮切嗣という人間は、例え、理想が潰えようとも―――目の前で誰かが傷つくのを黙ってみていられないのよ」
目の前で困っている人がいるのなら助けたい。
目の前で誰かが傷つけられようとしているのなら体を張って守りたい。
―――目の前の誰かを助けたい。
そんな、子供が抱くような幼い心。
世界を救いたいという願いに比べれば余りにも小さくて。
理想の為に全てを犠牲にする覚悟と比べれば覚悟とも言えない程に幼稚で。
後先を考えることもない、呆れてしまうような愚かな想い。
だからこそ、理想も何もかもを失った男の心に残っていた。
衛宮切嗣の体を動かしていた本当の原動力。
「……ここで動いたら何か答えが得られるかな?」
「さあ、それはあなた次第じゃない?」
「そうだね。だとしたら……動くしかないかな」
未だに想いは定まらない。何をすればいいのかも分からない。
罪の意識だけが自身の内を占める。心がまだ動くのかと問いかける?
眼差しは朧げでかつてのような力強さなどどこにもない。
だが、体は動いてくれる。ほんの少しだけやりたいことは分かった。
どうせ、何もできない人生ならば、今この瞬間だけは。
―――愚かな想いに身をゆだねてもいいかもしれない。
「ピースメイカー」
『Mode Launcher.』
バインドを破りトンプソンを再起動させる。
同時にアリアのバインドも砕き、動けるようにする。
「アリア、僕が道を作る。君は凍結を頼む。封印は無理でも動きは止められるだろう」
「分かったわ。師匠としては助けたいところだし」
不思議な感覚だった。体のコンディションは最悪に近い。
構えたスコープが揺らいで見える程に狙いは定まらない。
だというのに、外すという考えが一切起きなかった。的が大きいからではない。
偽りの全能感。何を為すべきかだけで動いていた時にはなかった感覚。
後で今以上の後悔に襲われるかもしれない。折れた心が今度は擦りつぶされるかもしれない。
それでも今ここで動かないという選択を衛宮切嗣はできなかった。
「全員、闇の書の闇から離れろ」
『Stinger missile.』
目の前で誰かが苦しんでいるのだから。
どんな理由であれ、それを助けたいと願うのが衛宮切嗣なのだから。
アリアのエターナルコフィンのおかげで随分と狙いやすくなった闇の書の闇。
コアに近い部分の再生力が速いということが裏目出てその位置をさらしている。
それは争い合っていた二人の大人が力添えをしてくれた結果。
手助けをしてくれた二人には色々と言ってやりたいが今はそれどころではない。
なのは、フェイト、はやての三人は顔を見合わせて頷く。
「いくよ、フェイトちゃん。はやてちゃん」
「うん!」
「了解」
最も魔力を持つ者が可憐な少女三人というのは何とも不釣り合いな絵だがこればかりはどうしようもない。
火力という点においてはこの三人に勝る者達はまずいないのだから。
大勢の者達が息を呑んで見守る中、三人はそれぞれ魔力を籠め始める。
「いくよ、レイジングハート!」
『Starlight Breaker ex.』
「全力全開! スターライト―――」
掛け声に合わせ、自身と主が生み出した最強を誇る魔法を発動させる。
周囲に拡散されていた魔力を根こそぎ収束させていく。
集う星達、それは希望の光。咎人を滅ぼす光ではなく、未来へ繋げる道標。
絶望を撃ち抜き、奇跡を手繰り寄せる不屈の闘志。
「バルディッシュ!」
『Plasma Zamber Breaker.』
「雷光一閃! プラズマザンバー―――」
なのはの隣ではその親友たる閃光の主従が雷鳴を轟かせながら構える。
高速の儀式魔法による雷の発生。その力をザンバーフォームの刀身に蓄積させる。
さらに、フェイトとバルディッシュのカートリッジ全弾をも重ね合わせた魔力。
それを、雷光を伴った強力な砲撃として放つ。
紫電が降り注ぎ黄金の刀身に電熱で真っ赤な炎を灯らせる。
まるで、それはシグナムの魂、レヴァンティンを思わせる姿。
敵として戦いあった彼女も今は頼もしき味方。
騎士達の想いも乗せたかのような閃光の大剣。
「ごめんな……お休みなさい……」
『Ragnarök』
「響け、終焉の笛! ラグナロク―――」
口から零れるのは今から壊してしまう、何も悪いことはしていない家族への謝罪。
優しすぎる彼女はただの防衛プログラムであっても、そこに命がなくとも謝る。
その言葉が届いたのかどうか、否かは分からないがその一瞬だけ防衛プログラムの動きが緩まる。
はやてが掲げし杖に夜天の魔導書全ての魔力が集まっていく。
さらに三角のベルカの魔法陣の頂点それぞれに魔力が収束されていき、効果の異なる砲撃が生み出される。
それは、まさに世界の終焉を告げるに相応しいメロディ。
神々の黄昏が、悲しみの運命の滅びが約束された一撃。
『ブレイカーッ!!』
三人による最大攻撃の同時発射。
空間そのものを揺るがすかのような振動が見守る者達の体を震わせる。
波が荒立ち、雷が暗闇を照らす。三人の攻撃が交じり合い赤とも青とも黄色とも言えるようなエネルギーの柱が闇の書の闇を中心に天に昇る。
そして、耳をつんざくような音を立てて爆発を起こす。
だが、その爆炎は不思議なことに虹色を浮かべ、成功を祝福しているかのようだった。
「本体コア……捕まえた!」
その成功に背中を押されるようにシャマルも旅の鏡でコアの摘出に成功する。
かつては共に主を守るために戦ってきた者達が争い合うという現実に少し胸が痛むシャマル。
しかしながら、主の幸せこそ防衛プログラムも望むことだと思い直し、声を上げる。
後は、これを転移させれば自分達にできることは終わりなのだ。
「強制転移……目標は軌道上!」
「いくよっ!」
ユーノとアルフが闇の書の闇に逃げられないように転移魔法陣で挟み込む。
その間にもコアは再生を続ける。このチャンスを逃せば恐らくは二度と封印できないだろう。
だからこそ、魔力と想いをありったけ籠めて三人は叫ぶ。ただの二文字を。
『転送ーッ!』
巨大な虹色の転送陣が現れ、コアの転送を開始する。
ここから先はアースラで指揮を執っているリンディの仕事だ。
転送されながらも再生を続ける相手を倒すために完璧なタイミングで。
完璧な威力で、アルカンシェルを放つ。
「アルカンシェル、発射!」
最終ブロックを解除するキーを接続したことで三重の魔法陣が砲口に展開される。
そして、青白い極光が闇の書の闇目がけて襲い掛かる。
撃ち出された魔力弾そのものにはそこまでの威力はない。
しかし、着弾後一定時間の経過によって空間歪曲と反応消滅が発生する。
その効果範囲は発動地点を中心に百数十キロに及び、対象を跡形もなく殲滅させる。
かつての闇の書事件の時にもクライドと戦艦、そして闇の書事葬った武装。
それこそが、アルカンシェル。
「お願い…!」
必ず滅ぼせるように、悲しみの連鎖を断てるように、天国の夫に祈るリンディ。
空間歪曲と反応消滅がコアを中心にして起き始める。
宇宙という何も存在しない空間であるにも関わらず、巨大な音を幻聴してしまうかのような爆発が起きる。
様々な魔力光が辺りを明るく照らし出し幾重にも広がる光の輪が作り出される。
最後に赤い一筋の閃光を放ち完全に反応は消える。
「コア……完全消滅。再生反応―――ありません!」
エイミィの嬉しさを押し殺し切れていない声がアースラ内部に響き渡る。
だが、リンディは冷静に警戒態勢を維持するように告げ、監視を続けるように言う。
その指示を受けて肩を撫でおろしながらエイミィは地上のなのは達に作戦成功の連絡を送る。
その吉報を受けて喜び合う子供達に、ホッと息をつく大人組。
そんな中、切嗣は一人夢でも見ているかのような表情で降り注ぐ白雪を見つめるのだった。
「奇跡は……結局起きたのか。世界は救われたのか……」
その声には嬉しさというものが感じられなかった。
望んでいた結末のはずだった。かつて夢見た理想のはずだった。
だというのに、喜べない。勿論、世界が救われたという結果にではない。
完膚なきまでに己の今までの行いを否定してしまったからである。
犠牲にしてきた者達にはどのような顔をして詫びればいいのかも分からない。
ただ、世界は救われたという結果だけがそこにあった。
「そう言えば、本当の意味で世界が救われるのを見るのは初めてだな」
衛宮切嗣は世界が救われた瞬間など見たことがなかった。
彼がやってきたことは滅びにつながる全ての可能性を排除することだけだ。
結果的には救われたのかもしれないがその後にどうなったかなど知らない。
思えば、この道を歩いてきて本当に嬉しいと思ったことなどあっただろうか。
いつも、救えなかった人々の存在に嘆いてきた。
口では多くの人を救ったのだと言ってきたが、犠牲の大きさに救ったという人々にすら目を向けることができなかった。
「……あ、あの」
「その……」
「なんだい? 高町……いや、なのはちゃんにフェイトちゃん」
ボンヤリと考え事をしていたところになのはとフェイトに声をかけられ首を傾げる。
はやては少し遠くから見守るだけで何故か近づいてくる気配がない。
不思議だったが、気にするほどの気力も残っていないので思考を放棄する。
「その……私達がやったことははやてちゃんが言ったように無謀でした」
「結果的に全てが救われた。……結果だけが全てだ。今回は君達が正しかった」
「でも、手を貸してくれなかったら危なかったですし」
「だから―――」
なのはとフェイトが交互に反省するかのように語り掛けてくる。
だが、切嗣にとってはそんなことはどうでもよかった。
結果だけが全てだ。碌でもない敗者に憐れみをかけられる方が惨めだ。
いや、ある意味では当然の報いなのだろうと、そう思った時だった。
二人が全く予想だにしていなかった言葉を言ったのだ。
『ありがとうございました』
満面の、打算など何もない嘘偽りのない本物の笑顔と言葉。
対して切嗣は何を言われたのか理解できないといった表情で惚ける。
言葉が理解できなかったわけではない。
何故言われたのか、どうして自分にその言葉が使われたのかが理解できなかったのだ。
「な、なにを言っているんだい?」
震える声で尋ねる。こんな綺麗な、余りにも美しく過ぎる言葉は自分には相応しくない。
そんな想いが零れ落ちるようだった。
だが、少女二人はそんなことなどお構いなしに、気づくこともなく続ける。
『助けてくれて、ありがとうございました』
二人は、ただ当たり前に自分達を助けてくれたことにお礼を言っているだけだ。
だが、切嗣にとっては青天の霹靂だった。こんな言葉を言われると思っていなかった。
はやてを騙しているときに言われたものとも違う。
自分の意志で動き、言われた短い言葉。たったそれだけ。
助けてもらったという感謝の言葉。
ただ、それだけなのに切嗣の心はどうしようもなく―――満たされていた。
嬉しかった。以前に比べれば余りにも小さな行動。
それなのに、今までで一番の喜びが心を占めた。
「ああ……そうだったのか」
簡単なことだった。結局、衛宮切嗣は誰かを助けたいという願い以外は抱けないのだ。
だが、それでいいのだ。何も変える必要などない。
今も昔もこの想いに従って歩き続ければよかったのだ。
殺すという選択ではできなかった。だけど、こんなにも簡単に人を笑顔にすることができた。
これこそが、衛宮切嗣の本当に行うべき、否、行いたかったことではないのか。
「そうか……僕は―――」
自身の想いを口にしようと切嗣がした瞬間、それを遮る一際大きな拍手が聞こえてくる。
誰もが音の出所を見る。そこにはある人間のホログラムが映し出されていた。
その人間はただ拍手をし、惜しみのない賛辞を彼らに送っている。
【ブラボー! いやぁ、今宵の喜劇は素晴らしかったよ。まあ、私としては悲劇も見たかったがね、くくく!】
ホログラム越しだというのに尚映える特徴的な紫の髪。
賢者のような知的さを含みながらも、狂気を体現したかのような黄金の瞳。
賛辞を送っているというのに見る者の背筋を凍りつかせる道化の仮面のような、異形の笑み。
新たな絶望の奈落へと誘うような、歪んだ悪魔の笑み。
その名前を、顔を、切嗣は忘れることなどできない。
「スカリエッティ…ッ!」
【くく、しばらくぶりかな。衛宮切嗣】
舞台の終わりに賛辞を贈るのはいつだって観客だ。
後書き
完結したら別ルートを書く予定。
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