伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚
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第十二話(下) 長い想いは結ばれて
―5月9日 午後2時 エンジュ大学附属病院 658号室―
エリカは右足の粉砕骨折と診断され、一週間程度の絶対安静及び入院を告知された。(この世界は医療が発達しているため入院期間は短め)
敵の本拠として用いられていたエンジュ大学はそっくりそのまま無事に残っており、砂かぶりになっているだけで掃除すればすぐに利用できる状態だった。
付属病院は昨日のうちに掃除を行って本日より営業を再開。野戦病院の患者たちは希望がない限りそのままこの病院に移送された。
エリカも特に反論しなかった為、この病院で入院していた。
そんなさなかレッドは総動員令解除直後からずっとエリカのそばに付き添っていた。
彼女はこの病院に移されてすぐさま足の骨をもとの配列に直す手術が行われ、その麻酔がかかったままであった。
レッドは昨日から寝ていないためうとうとしつつあった時にワタルが見舞いにやって来る。レッドは丸椅子に座っていた。
「レッド君! エリカ君の容体はどうだい?」
ワタルはかなり心配そうな様子で尋ねてきた。
「ええ。なんでも足が完全につぶれてしまったようで……。ただ皮膚やら骨なんかは足袋のおかげでどうにか残っていたため、一週間程度でどうにか退院できるとのことです」
「そうか……良かったよ。最初エリカ君を見たときは本当何事かと……」
ワタルは自分の事のようにホッと胸を撫で下ろした。
「その割にはきつく言ってませんでした?」
「戦争の真っただ中に司令官たる僕が狼狽してちゃあ仕事にならないでしょ」
ワタルは軽く笑いながら言う。
「まあ確かにそうですけど……」
「あの時ああは言ったけど心の中じゃ本当に心配してたんだよ。いやいやそれにしてもほんと足だけで済んでよかったよ……」
「あれイワークが倒れ掛かってできたものですからね……。あと数秒遅れてたらと思うと身の毛もよだちますよ」
レッドはそう昨日の事を振り返る。
「へぇイワークがねぇ……。それなら本当尚更だよ。あぁ、これお見舞いのアレンジメント。机の上にでも置いといてよ。エリカ君にはやっぱりこれが一番似合うと思うからさ」
ワタルは包みを開けて、白い器の上に色とりどりのピンク系統の花が飾られているフラワーアレンジメントをレッドに手渡す。
「へぇ……綺麗なもんですね。これいくらしたんですか?」
「確か8000円くらいだったかな」
「結構するもんなんですね」
「そうでしょ? 僕なりに一生懸命選んだんだ。本当は手術の後に来るなんて非常識なんだけどこれから色々と忙しくなるから今日くらいしかこれる機会ないと思ってね……その非礼を詫びる意味でも少々値が張ったのを買ったんだ」
「なるほど……。そうですか……ワタルさんこれから色々と大変ですものね」
「うん。記者会見やら戦争に関しての政府への証人喚問やらで忙しいのなんのって……。まったくリーグのトップも楽じゃないよ」
ワタルは肩を落としながら話す。
「そういうのってシロナさんとかに任せた方がいいんじゃ……」
「そうはいかないって。これはただの事務じゃなくて昨日までの一件の事なんだから直接は関わってない彼女に説明責任を押し付けるわけにはいかない。それにこういう重大な事はトップがいかなくちゃね」
このくらい責任感に溢れている人じゃないと理事長の職は務まらないんだろうなと思ったレッドであった。
ワタルは数秒黙したのち
「この話はいいだろう。それでエリカ君は一週間程度入院するんだっけ?」
「ええ、先ほど話したお医者さんの話によれば」
「そうか……その分旅は出来ないけど平気かい?」
「いいんですよ。パートナーがいなくちゃはじまりませんし。ただ腕が鈍るのは御免なんで近くのスリバチ山とかでも修行しようかなとか思ってます」
「ふぅん……ほんとグリーン君と戦っていたころとは大違いだね。あのころはまさに孤高を貫くって感じのスタンスだったのに」
ワタルは思い出しながら言う。
「まあポケモンたちとだけ旅するのも悪くはないんですけどね……。今はやっぱり隣にだれかしらいないとどこか寂しいです」
「はは……ごちそうさま。もうすっかり夫婦しているね。僕もいい歳だしそろそろそういう人見つけないとな……」
その後ワタルとはもう数分ほど話して帰って行った。
それから一時間後、エリカが目を覚ました。
「お、目が覚めたか……」
「あら貴方……今、何時ですか?」
「15時半くらいかな」
「だいたい四時間くらい眠っていたのですね……。あら、そこのお花は?」
エリカは机上にあるフラワーアレンジメントに気付く。
「ああ、ワタルさんがお見舞いにだって。今日くらいしか来れそうな機会がないらしくて……」
「左様ですか」
「ねえ、一つ気になってたんだけど……」
レッドは思い出したかのように尋ねる。
「はい。何です?」
「お前ってこれ何の花か分かるの?」
「まぁ……失礼ですわね。私を誰だと思っているのですか」
エリカは冗談めかした風でレッドをたしなめる。
「いや分かっちゃいるけど単に興味として」
「フフ。わかってますわよ。こちらの花は楊貴妃にエルセンブルク。いずれもチューリップの種類ですわ。あとはラナンキュラスにスイートピー、ルピナスなども使われてますわね。ピンク系統でまとめられた可愛らしいアレンジメントだと思いますわ」
エリカはすらすらとすべての花を答えてみせた。分かり切っていたこととはいえやはり華道の師範である。
「流石だな」
「いえいえ大したことありませんわ。このくらいはお花をやっていれば当然の知識ですもの」
彼女はレッドに褒められて嬉しいのかにこやかに答える。
「いやぁ凄いって。俺みたいなバカからしたらお前のそういうところ本当尊敬するもん」
「もう……あまり褒められても何もお出しできませんわよ?」
彼女は顔をほんのり赤くして言う。
レッドはそんな彼女を見てやはり情欲が湧いてくる。もうこれだけ色々と同じことを経験し苦楽を乗り越えたんだからそろそろという気持ちもある。
「エ、エリカ!」
「はい?」
彼女は急に改まった様子のレッドを見て当惑しているような表情を見せる。
「好きだよ」
「な、何を急に仰せになられるのですか……」
彼女の顔はほんのりから段々と赤みをましていく。
「だからさ……もうそろそろ」
レッドはエリカの口元に近づく。
「ま……待ってください!」
「いやもう俺……待てな」
「とにかく、私の話を聞いてください」
そうまで言われてレッドはようやく丸椅子に戻る。
「その……もう少し、もう少しだけ待っていただけないですか」
「え?」
「私、殿方とこのような事をするのが初めてですから……。心の準備が出来ていないのです」
「う……うん」
「ですから……然るべき時が来ましたら……その……えっと……」
彼女は相当に緊張しているのか冷や汗が見える。このような彼女を見るのもまたレッドにとっては幸せであった。
「わ……私のほうから……その……お誘い申し上げますわ」
「え!?」
レッドはあまりの事に彼女が何を言っているのか理解するまでに時間がかかった。
「その……”する”ことについてです」
「するって?」
「もう……私だって女性なのですよ? 察してくださいまし」
そこまで言うと彼女は布団をかぶって寝てしまった。
レッド当人にとってエリカとは大分、前と比べれば関係は良くなっているとは思っていたが正直な話想像以上である。
レッドはみるみると上機嫌になっていった。
その後、レッドは30分ほど病室に居たのち、修行のためスリバチ山へと向かった。
―5月11日 午後2時 同所―
この日はナツメが見舞いにやってきた。
「あら、思っていたより元気そうね」
ナツメが来た時の第一声はこれであった。
「まぁ、やられているのは足ですからね……。そこ以外はなんともありませんわ」
「それもそうね。それにしても……」
ナツメは背後を見る。ものすごい量の花束やお見舞いの数々である。宛名人は各界の著名人からジムリーダー、トレーナーまで色々である。彼女の人脈や人望の厚さがうかがえる。
「ホント、あんたって大したものよね……」
「仮にもジムリーダーですから。このくらいは当然ですわ」
「当然って……官房長官からわざわざ見舞いの品が来るなんて聞いたことないわよ。これがタマムシ大学を最年少主席で卒業したOGの力というものなのかしら」
「まぁ……そこはそうかもしれませんわね。尤も私はあまり政治家は好きじゃありませんから何とも思いませんでしたけれど」
曲がったことを嫌う彼女にとってとかく色々と噂になりやすい政治家や官僚といった人々はあまり好きになれないようだ。
「あんたらしいわね……それはそうとレッドはどうしたのよ?」
「レッドさんは腕が鈍らないようということでスリバチ山まで行って修行されていますわ。毎日夜には見舞いに来てくださいます」
「ふうん。偉いところあるのね。それで、どうなの?」
ナツメは丸椅子に座り、足を組んで尋ねる。
「どうとは?」
「レッドとのことに決まってるでしょ」
そういわれるとエリカは少し間をおいて
「フフフ。上々です。あの方のためならば何だっていたしますわ」
「そ……そう。はぁ……」
ナツメは大きくため息をつく。
「どうされました?」
「ということはもうとっくの昔にエリカはレッドとしちゃったわけね……」
それを尋ねられると彼女は顔を赤くして黙る。
「あら、まだなの?」
彼女は小さくうなずく。
「そう……」
「しかし……。私、もう決めましたわ。レッドさんに……純潔を捧げます」
彼女は目を閉じ決然とした様子で言う。
「ということは……する気はあるのね」
ナツメは心なしかがっかりとしている。
「はい」
「どうして急にそんな心変わりをしたのよ? あんたつい先月までまだその……スキンシップすら及び腰だったじゃないの」
「そうですわね……」
彼女は10秒ほどで考えをまとめ目を開く。
「ナツメさんには旅立つ前日にお教えしましたわよね……。私がレッドさんと行動を共にするのは伝説にして最強と目されているトレーナーであるレッドさんが如何な人物であるかを見極め、私の伴侶としてふさわしいかどうかを見る為だと」
「ええ」
「私も最初はそのつもりでしたし、途中まで……正確にはヤナギさんに勝つあたりまではその考えは持ったままでしたわ。恋情ではなくあくまで試すために一緒にいたと」
「うん」
「しかし……数々の試練を乗り越えてヤナギさんに勝った時のレッドさんを見て。この方とならば共に歩めると思いました……しかしそれと同時にナツメさんのいうようなふわっとした……その、恋情が湧いてきてしまったのです」
「えっ!?」
「それ以来、レッドさんを見るたびにその……演技ではなく本当にドキドキと胸が高鳴って……。それでもやはりレッドさんの求めに応じて貞操を捧げるのは抵抗がありました。そして、レッドさんがジョウトのジムを制覇して、エンジュ騒乱が起こって……、最後の日、エンジュに突入したのを覚えていらっしゃいますか?」
「勿論よ。あいにく私はあんたとは離れた場所に配置されたけれど……」
「それで、それも大詰めのときに私、オーキドにこの身を狙われたのです」
それからエリカはその時の事を簡潔に話した。
「レッドさんが私のために頭を使ってどうにか状況を打開しようと策を編み出し、見事それを成し遂げた……。これを見て私は、この方にならば……と思いましたわ。自らの命を懸けて恋人を助けるだなんて実際にできる方はそうそういるものではありませんし……。何よりも私の為にそこまでしてくれたのがたまらなく嬉しかったのです」
ナツメはそこまで聞くと、ふうと息をつき
「そういう事なのね……。少しだけレッドの事見直したわ」
「ええ、そういう事で私は近いうちにレッドさんへ……」
「そのこと、レッドは知ってるの?」
「はい、この間迫られた時に……胸中はお話しいたしました」
「そう……はあーぁ。私とは完全に終わったわけね」
エリカはそれに少しだけ目を見開いたが、すぐに元の調子に戻り
「ええ……私、そういうだらしのないことは出来ない性分ですし」
「エリカが旅に出る前からご無沙汰になってたし……。いつかはこうなるってわかってはいたけど……」
ナツメは床にうつむいている。
「しかし、恋仲ではなくともナツメさんは一番のお友達ですわ。そこは絶対に変わりませんから」
「そうね。……、うん」
そういわれてナツメは少しだけ元気を取り戻した。
「これからあと三つの地方を回るのよね……。大変だと思うけれど、レッドと二人三脚でがんばんなさいよ」
「えぇ。あの方といっしょならば如何な困難があろうと乗り越えられると思いますわ。ナツメさんもこういういい人をみつかるといいですわね」
「うっ……何よその余裕。いいのよ。私は一人のほうが性に合ってるんだから」
その後、二人のガールズトークは面会時間ぎりぎりまで続いた。
ちなみにナツメのお見舞いは紫色系統の花がそろうフラワーアレンジメントだった。
―5月12日 午後1時―
この日はミカンとアカネが見舞いにやってきた。
「久しぶりやねエリカ! 足の具合はどないな感じよ?」
アカネはいつもの通り闊達な様子でエリカを心配する。
「大分骨もくっついてきたようですし、この調子ならば21日ごろには退院できそうとの事ですわ」
「はぁ……良かったです。エリカさんが入院したって聞いたときは本当どうしたことかと……」
ミカンがホッと胸を撫で下ろす。
「せやね。何にしてもあんな大戦争やもん。もしかすれば一生もんの傷おうたかもしれんかったし足だけで済んでホンマ良かったなぁ」
アカネは丸椅子に座って、エリカの肩をたたきながら喜んだ。
「全くですわね……。そういえば、確かシジマさんが全治三か月の全身骨折でしたっけ……?」
エリカはミカンの方を向いて話す。
「はい。なんでも先頭で改造ポケモンのリングマとスパーリングを行って大怪我をしたらしくて……、一応勝ったみたいですけれど」
「ホンマ相変わらず無茶するおっちゃんやなぁ……」
「シジマさんはそういう人ですからね……。しかし、そういうなんというか熱くてある種無茶苦茶な所があるからこそ、シジマさんには人が集まるんだろうなぁとも思いました」
「あー。そういやミカンはあのおっちゃんの指導を受けてリーダーになったんやっけ。まあな。ウチもああいう豪放なところ好きやで。それにしても……」
アカネはチラッと机上を見る。
机の上には多数のフラワーアレンジメントや花束などがあった。あまりにも大量なため、机の他に大きな台にも並べられていた。
「ここは植物園かいな……。いくら草タイプのジムリーダーやからってちと極端やない?」
「あら。私は嬉しいですよ。人によって色々なお花を持ってきて頂いてますから見ててとても安らぎを覚えますし」
「ま……本人がええならええか……」
「あの……実は……」
ミカンは包みからピンクや白、黄色など色とりどりの花が押し並べられたアレンジメントを出した。
「お前もかい!」
「まぁ、綺麗ですわね。これ……もしかしてミカンさんがお作りになられたのですか?」
「は、はい! 昔エリカさんから少し教わったのを基に作ってみました」
「へぇ……素人でも案外上手く作れるもんなんやな」
アカネは感心しながらアレンジメントを見る。
「ありがとうございます。あの……エリカさん。どうしてあたしが作ったってわかったんですか?」
「え? そ、それはですね……」
エリカは口籠る。
「ん? これ、もしかして……」
アカネは中央に添えられているローズピンクに彩られた花を見た。
「これバラやないの! ミカンー。これはあかんって……」
「え? どうしてですか? 菊の花がよくないというのは知っていましたけど」
「あんな、バラもバラでトゲがあるから縁起が悪いっちゅーこってお見舞いに使っちゃあかん花なの!」
「え、そ、そうだったんですか!? す、すみません、あたし。知らなくて……」
ミカンは大いに狼狽しながら立ってエリカに平謝りする。
「フフ。いいのですよ。気持ちさえ篭っていれば私は十分嬉しいですから。ただ他の方のお見舞いをなさるときは気を付けてくださいね。まぁこれは赤ではなくピンクですから見とがめる程のことはないと思いますが……」
「うう……」
ミカンの方は恥をかいたせいか顔が真っ赤である。
「ああそうなん……。ミカンもそんな固うならんでもええって……。ほら座んな。そうそう見舞いといえばウチからも……。ほい」
アカネは袋から大形の箱を紙箱を取り出す。表面には『コガネ名物お好み焼き風せんべい』と書かれている。
「あら、お菓子ですか」
「そうそう。入院中って小腹空くやろし、それ満たすのにピッタリやと思うんやけど」
「そうですわね。ありがたく頂戴いたしますわ」
アカネは横の机にせんべいの箱を置く。
「あれ、そういやレッドはどうしたん? あいつのベタ惚れっぷりやとてっきりつきっきりてついてるもんやとばかり思ってたんやけど」
「ああ、レッドさんは今スリバチ山で修行されております。日中はそこで修行して夜来てくださるのですわ」
「修行を怠らないんですね……流石です」
ミカンは感心していると共にどこかそわそわしている。
「へぇそうなん……。まったく薄情なやっちゃね、恋人がベッドで苦しんでるっちゅーのに自分は修行やなんて……」
二人の感想は正反対であった。
「いや、あたりまえじゃないですか! ポケモントレーナーたるもの常に修行は欠かせないですよ!」
ミカンが珍しく猛然と反論する。
「いや、まぁそらそうやけどな……。日中ずっとなんてちと薄情やないの? もう少し一緒に居てあげたほうが喜ぶんちゃう?」
「レッドさんは努力家なんです! だからずっと修行にあけくれ……」
「あー分かった分かった。そんなムキにならんでもええやん。落ち着きぃな」
「はぁ……はぁ」
ミカンはなれない声を出してまくしたてたせいかぜい息が出ている。
「ミカンさんの言うとおりですわ。レッドさんは人一倍努力して栄冠を勝ち取られた方です。一日、一分でも一秒でも長くポケモンと鍛錬を重ねたいのでしょう」
「はぁ……分かった。ウチが悪かったわごめんな」
アカネは深々とエリカに陳謝する。
しばしの沈黙が流れたのち
「そ、そんでなツクシとの事なんやけど」
「あら、アカネさん宜しいのですか? ミカンさんはご存じでない筈では」
「えーのえーの。この子こう見えてタイプと同じように口堅い方やもん。な?」
アカネはミカンに目くばせする。
「え……はい。まあ。あの……アカネさん、ツクシさんと何かあったのですか?」
ミカンは興味津々な体でアカネに尋ねる。
「へへん。実を言うとなー、あの戦争が終わった次の日にな。みんな帰るときに、ツクシにウチの家で晩御飯ふるまったんよ」
「へぇ……」
「そんでな……ごはん食べて、色々と話した後にな。ツクシに風呂入ること勧めたんよ」
「あれ……それってもしかしてお泊りですか?」
ミカンは漸く気付き始める。
「せやで」
「ツクシさんならあまり心配はないでしょうけど……よく泊められましたね」
「ニブチンやなー。その”心配”しとる事をさせる為にツクシを泊めたんやって」
ミカンは少々間を置いて
「え? それって……つまり」
「そ。ウチ、ツクシの事……好きやねん」
アカネは得意げに微笑みながら言った。
ミカンは大いに驚く。
「えっええええ!?」
「そんな驚くことかいな……。何、もしかしてツクシの事好いとったとか?」
アカネはニヤけながら尋ねる。
「い、いえそういう事じゃないですけど……。てっきりあたしはマツバさんとお付き合いしてるんじゃないかとばっかり思ってて」
「そんな風に思ってたんかい……。あんな、あいつはあくまで友達、というか親友やて。流石にオカルト趣味のやつと交際する気は持ち合わせておらん」
「そ……そうですか。意外……」
ミカンは余程驚きを隠せないのか、ずっと目を見開いたままだ。
「それにマツバはマツバで……おっと。え、そんなに意外やった?」
「いや、会合のときなんてずっとツクシさんの事いじってましたし、マスコット的な存在にしか思ってないんじゃないかとばかり……」
「ちゃうねん。今からして思えばあれは照れ隠しやね。ほら心理学でいうとこの反動形成っちゅーやつで好きな子こそいじってしまうとかそういう」
「なるほど……そういう事なんですね。それで、お風呂に誘って、それからどうしたんですか?」
ミカンはさらに興味ありげに尋ねる。
「うん。それでな、まぁ端的に言えばツクシと……その一緒にお風呂入ったんよ」
「えぇ!? それはまた大胆ですね……」
ミカンは顔を赤くしながら言う。エリカも同様である。
「まぁね。そこで好きやって言ってその後は……まぁ変な言い方すればこの体で迫ったんよ」
アカネは胸をたたきながら言う。
「そ……それでツクシさんはなんて言ったんですか?」
「翌朝になってやけど……OKしてくれたで。もー嬉しいのなんのって」
アカネは有頂天な様子で話した。
「ふむ……。ツクシさんもやっぱり男の子なんですね……」
エリカは意外な表情をしながら言う。
「女みたいな体しとるけどまぁその……うん、しっかりしとったよ。エリカのおかげやで。最後は愛嬌ってホンマやな」
エリカはそれを聞いて目を丸くする。
「え!?」
「えって、この前の電話で言ってくれたやないの。最後は愛嬌ですわ……って。これってつまりそういうことやろ?」
「い、いえ。私は特にそのつもりで申し上げたわけではありませんわ。その……アカネさんの笑顔というか男性を虜にする仕草というか……そういう意味合いで言ったまででその……性的魅力な観点から述べたわけではありませんわ」
エリカは慌てて訂正し、それを聞いたアカネは顔を真っ赤にした。
「えっ!? つ、つまりそれってウチの勘違いなん!? うわ、恥っずいなぁー……」
アカネは意気消沈してしまった。
「で、でもそれでツクシさんがアカネさんを好きになってくれたのなら結果オーライじゃないですか。元気出しましょうよ!」
ミカンが真っ先にアカネを励ます。
「ま、まぁせやけどな」
「そうですよ。ツクシさんは清廉で誠実なお方です。きっとアカネさんを大事にしてくれますわ」
「どっちかといえばウチが大事にする側のような気がせんでもないけどな……ま、ええか」
その後も三人の会話は続いた。
―5月13日 午前10時 スリバチ山 某所―
レッドは一人修行に勤しんでいた。
これからホウエン、シンオウ、そしてイッシュの三地方が待ち構えており、いずれも強者ぞろいであると聞いていたレッドはより力を入れて特訓をしていた。
「ピカチュウ! 雷だ!」
「ピッカ!」
ピカチュウはズバッド10匹ほどに向かって雷を下す。
ズバッドは言うまでもなく散って行った。
「はぁ……」
しかし、やはり物足りない。
シロガネ山で最強クラスの野生のポケモンと戦っていたレッドにとってスリバチ山のポケモンはあまりにも弱すぎるのだ。
とはいえエリカが入院している手前あまり遠くまで行くわけにもいかず、ここでずっと修行をしていた。空手大王とも何度か戦ったがそれでもレッドからすれば大したことはなかった。
そんな中、背後から一人の少女の声がした。
「あの……」
レッドは背後を見た。見るとそこには浅葱色のブラウスと胸に大きなオレンジのリボン、重ね着に白のタンガリーシャツ。下にはまた浅葱色のミドル丈スカートを穿いた少女がいた。
「あれ……もしかしてミカンさん?」
「はい。お久しぶりです」
ミカンは礼儀正しく一度お辞儀をする。
「どうしてここに……あ、もしかして修行ですか?」
「え……えっと。はいそうです! あたしよく灯台の他にもここで修行しているんですよ。鋼タイプの弱点になる地面タイプのポケモンがよくいますし」
ミカンは少々焦り気味に言った。
「へー」
「あの……もし、もし良かったらでいいんですけれど」
「はい」
「これから毎日、ここで一緒に修行してくれませんか?」
ミカンは思い切った様子で言う。
「えぇ!? 毎日って俺エリカが退院するまでしかここにいませんよ?」
「そ、それでもいいんです! レッドさんのように強い人と短い間でも一緒に修行できたらあたし自身もっと強くなれると思いますし……」
ミカンの言葉に他意はなく、純粋に言っているようだ。
「そ……そうですか。別に俺としては構いませんけど……。じゃあ俺の方から一つ条件言ってもいいですか?」
「は、はい?」
ミカンは身構える。
「毎日一回、俺と手合せしてくれませんか? ここってトレーナーもポケモンもそんなに強くなくて退屈してたんですよ」
「ほ……本当ですか? 大歓迎ですよ!」
「良かったぁ。ミカンさんくらいの腕だったらこっちも油断できないし本当にありがたいです」
「もう。買い被りですよぅ」
ミカンは本当にうれしそうな様子である。
「じゃあ、よろしくお願いしますね、ミカンさん」
「は、はい。こちらこそ」
その後、エリカが退院するまでの三日間、レッドとミカンは数時間程度ではあったが共に修行をした。
レッドはミカンに最後に挑んだ時よりも格段に強くなっており、ミカンには一回も負けはしなかったものの半分以下まで減らされたことがほとんどであった。
ミカン自身ともそれなりに仲良くなり、互いに少々敬語が崩れる程度まで進展した。
―5月16日 エンジュシティ エンジュ大学前―
エリカは退院し、走るのはまだ禁止されているが日常生活に支障が無い程度の歩行が許された。
「うーん! 久々の外の空気はおいしいですわね!」
エリカは退院そうそう伸びをしながら言う。
「お前本当に大丈夫なのか? お医者さんもあまり無理な運動はするなって」
「この通り歩ければどうと言うこともありませんわ。いつまでも病床に居ては体が鈍りますし、私のことで旅をあまり遅らせるわけにもいきませんしね」
「そ……そうか。まぁそんなに元気なら大丈夫か……」
「あら、貴方エンジュも少しずつ再建が始まっているようですわ。きっと先の戦乱で都が焼き払われたときもこの方たちのご先祖様などがこうして建て直していったのでしょうね」
エンジュの街は少しずつ焼け野原から復活しつつあった。臨時で代理ジムリーダーを務めている舞妓たちの指導のもと再建が進められているのだ。
「ああ……そうだな。こうして人々が希望を持って働いてる姿は見てて悪い気はしない」
そうこう話していると、前から一人の人物がやってきた。
「やあやあエリカさん。退院おめでとう!」
奇抜な格好をした青年に二人は面くらい、エリカが尋ねる。
「あの……率爾なからお尋ねしますが、どちら様ですか?」
「あぁそうか。二人とは初めて会うんだったな。私はミナキ。マツバの古くからの友人だ。宜しく」
ミナキは深くお辞儀しながら丁寧に言う。
「あぁ……マツバさんのお話から何度か御名は伺ってますわ」
「で、そのお友達が俺たちに何のようですか」
レッドはミナキに尋ねる。
「うん。実はマツバからの最後の頼みがあってな……。これを渡そうと」
ミナキはレッドに一つの分厚い封筒を手渡す。
「これは……」
「それはマツバが先月まで徹底的に調べたロケット団及びオーキドの関与を示した書類だ」
二人はミナキのその言葉に驚く。
「本当ですか? ポケモンリーグはこれについて関知しているのでしょうか」
「マツバはこれを意見書と題してリーグに提出し、監視権を行使するよう依頼した。リーグも前向きに検討はしていたみたいだが恐らく先手を取られたんだろうな……」
ミナキは残念そうに話す。
「そんな……これを世に晒せばオーキドが関与している証拠となり得るではないですか! どうしてリーグはそれをしないのです」
「マツバもあの大学に千里眼を使えない以上決定的な証拠は掴めなかったみたいでね……。ロケット団の復活だけならこれでも十分なんだがオーキドの関与とまでいくとこれだけでは不十分。公開しても叩かれるのがオチだと思ったんだろう」
「そんな……そんなの間違っていますわ」
彼女は納得できない様子の表情である。
「それで、俺たちにこれを渡してどうしろと言うんです」
「マツバはこれでもしリーグが動かなければ君たち二人にロケット団及びオーキドを止めてくれと言っていた。君たちならば組織の都合でなく自身の良心に基づいて動くだろうから……って」
二人はそれを聞いて引き締まった表情になる。
「つまりマツバさんは御遺志として、私たちに託された……と」
「そういうことだ。これは恐らく君たちがロケット団と事を構える上で何かしらの手助けになると思ってマツバ自身が託したんだよ」
「なるほど……」
「私自身、君たちがどれ程の強さなのか今一把握仕切れていないが……あいつは冗談は言っても殊に勝負事については嘘はつかない。願わくば、マツバの最期の頼みが報われることを祈ってやまないよ。頼む」
ミナキは深く頭を下げる。
「やり遂げてみせますよ。俺自身、ロケット団が逃げてままじゃ収まりがつかないし。な」
「えぇ勿論ですわ。ミナキさん。今日はありがとうございました」
エリカも頭を下げた。ミナキは頭を上げる。
「いやいや。これなら天国のあいつも喜んでるだろうよ。それじゃあさらばだ」
ミナキはそう言うと西の方向に去っていった。
「そうなのですよね……マツバさんはお亡くなりになったのですよね……。せっかく良いお友だちになれるかと思った矢先に悲しい限りですわ」
因みにマツバの葬儀はエリカの入院中、スズの塔にて行われた。入院中の人を除いた全てのリーグ関係者が参列し、レッドも通夜に焼香だけしに行った。
他にもエンジュの市民やエンジュ大学学長やエンジュ市長をはじめとする著名人たちも参列。総計一万人以上の人々が一人の英雄の死を悼んだ。
「そうだな。マツバさんが早く成仏できるように早くロケット団もつぶさないとな」
「ええ。全くその通りですわ。ところで貴方、これからどう致します? まだ次の地方も決まっていませんしとりあえずアサギヘ行きますか?」
「いや、その前にチョウジに行きたい」
「あら、どうしてですか?」
彼女が尋ねた。
「うん。ちょっとヤナギさんに用があってさ……」
そういうわけで二人はチョウジタウンへ赴く。
ジムは留守にしており、いかりの湖へとむかった。
─同日 午後3時30分 いかりの湖─
湖に行くと釣りをしているヤナギが目に入った。
レッドはすぐに声をかける
「おお。レッドか。どうしたのだ」
「あの……一つお願いがあって」
「ほう」
ヤナギは釣竿をクーラーボックスに立てかけてレッドの方へ体を向ける。
「ヤナギさん。俺たちと、真剣勝負をしてください!」
レッドにとってフリータイプのヤナギに勝ってこそ、本当に強くなれた証なんだと信じてやまなかったのだ。
「うん?」
ヤナギは怪訝な表情になった。
「俺、あの戦争の時ヤナギさんの本当の力を見てこれを打ち破ってこそ真に強くなったと言えるんじゃないかって思ったんです。ですから、どうか」
レッドは深々と頭を下げて頼み込む。
「なるほどのう……」
ヤナギは体を湖の方向へ戻し、折りたたみ椅子に座り直す。
エリカも頭を下げる。
「私からもお願いしますわ。全国でも随一の強さを持つと噂されるヤナギさんの全力と戦ってみたいと思うのは最強を目指す者として当然ではないでしょうか」
周囲に一分ばかり沈黙が漂う。
しかし、次に出たヤナギの一言は冷徹な物だった。
「認めぬ。帰りなさい」
そう言うとヤナギは釣竿を持つ。
「そんな。どうしてですか!」
レッドが尋ねる。
「まだまだ私と戦うには力量が足りぬからだ」
「そ、そんなことないです。僕らはこの地方のジムを制覇し、ヤナギさん、貴方にも勝ったではないですか! どうしてこれでも足りないと言うのです!」
レッドはあくまでも食い下がる。
「その認識が甘いと言っておる。私はイッシュにこそ行かなかったが若い頃はこの体一つで国中を旅したのだ。まだジムバッジという概念そのものがない時代だがの。今よりも余程力のあるリーダーたちと戦い勝ち抜いて来たのだ。たかが十六のバッジで全力の私に挑むなど法螺も大概にせよ」
「グッ……」
「し、しかしそれで育ててきたヤナギさんのポケモンたちを私たちは破れたのですよ?」
「単一タイプの縛りの中で勝てたくらいで何を言うておるのだ。確かに氷タイプは私のもつ手持ちの中で有数の力を持つ精鋭ばかりよ。だがの。フリータイプにそれは遥かに及ばぬ。わざわざ特定タイプの為に策を弄しなくてよくなるからの」
そうまで言われてしまうと彼女は反論できなかった。
これまで戦ってきた中でレッドのエリカどちらの方がより活躍できたのかといえば言うまでもなくフリータイプのレッドだからだ。
「ご両人よ。どうしても全力の私に挑みたければ全国すべてのバッジを揃える事だ」
「えっ?」
「40枚のバッジを揃え、PWTにて見事ゴールドを下し、ポケモンマスターの称号を授与された暁には私もその勝負を受けよう。それまでは受けぬ」
「そうすれば、戦ってくれるんですね?」
レッドは念押しをする。
「男に二言は無い。それだけの力があれば戦う意欲があるものよ。前人未到の国を跨いだジムの制覇。しかと成し遂げてきなさい」
その後ヤナギは釣りに傾注する。
――
それから二人はヤナギのもとを離れ、いかりの湖で所在なく歩いていた。
「ポケモンマスター……か。大分先の話だな」
「目標が出来て良い限りですわ。全国を制覇した後に控える最後の敵はヤナギさんということですか」
「そういうことになるな……。はーぁ、頑張らないとな」
レッドが気合を入れ直すと、彼のポケギアが鳴り響く。
相手はウツギである。
「はい、もしもし……」
「やーやー久しぶりだね、レッド君! 色々あって遅くなったけどジョウト地方制覇、まずはおめでとう!」
ウツギは開口一番にレッドを褒めた。
「ありがとうございます」
「それでね、君たちにプレゼントしたいものがあるから是非とも研究所まで来てほしいんだ。いいよね?」
こうして、二人は研究所へと向かう。
―午後4時 ワカバタウン ウツギポケモン研究所―
二人は研究所に到着すると、ウツギのデスクまで案内されて、大いに歓迎を受けた。
「うん。二人ともよく来てくれた! ジョウト地方制覇、本当におめでとう!」
ウツギは心から嬉しそうな様子で話す。
「僕からもお祝いします」
ウツギの隣にいたツクシも同様に祝った。
「あ、あれ!? もしかしてツクシ君? 白衣姿だから誰かと思ったよ……研究所に来たんだね」
レッドは思わずそう驚く。
ツクシは白衣に身をまとい、実験の最中だったのか防護メガネをかけていた。
「あら本当。よく似合っておいでですわ」
「へへ……ありがとうございます」
ツクシは軽く一礼する。
「それはそうと、本当によくやってくれるねぇ。ホウエンに行ったゴールド君さえまだ5つというのに……。これも二人の力というものかな」
ウツギは快活な様子で話す。
「そんな事ないです。やるべきことを淡々とやったまでの事」
「右に同じですわ」
二人は決然とした様子で言った。
「本当、二人の絆の深さには妬いちゃうね! それで、二人はこれからホウエン、シンオウどっちに行くつもりなのかな?」
「あれイッシュの選択肢は……」
レッドは思わず尋ねた。
「イッシュ地方は国を跨ぐ上にあちらとは渡航制限もある。そう簡単には行けないんだよ……」
「あぁそうなんですか。俺としてはホウエンに行こうと思っています」
「へぇ……これからホウエンは暑くて大変だと思うけどいいのかい?」
ウツギは心配そうに言う。これから季節は夏に向かい、ホウエン地方は南西に位置する場所である。暑さも尚更なのだ。
「いいんです。俺、ホウエンで一つやりたいことがあるんで」
「やりたいこと?」
レッドはリュックからゴーゴーゴーグルを取り出す。
「このゴーグル、前の戦争でバンギラスと戦った時に凄く役に立ったんです」
「なるほど。だからあの場に居たリーグの軍勢の中で君だけがあれを倒せたという事か……」
「はい。ですから、これを与えてくれた人に礼を言いたいんです。これがホウエンで作られたものということはワタルさんが教えてくれましたし、あとは探すだけです」
「そういう事か……。見つかるといいね。分かった。ミシロタウンのオダマキ博士にはしっかりと君が来ることを伝えておくよ」
オーキドは話しているうちにずれてきたメガネを直しながら言う。
「いよいよホウエン地方ですか。あまり知り合いのリーダーも居ませんし、耳学問で知ったこと以外は本当に未知の土地ですわね」
「新しい発見があっていいじゃないか。ところでどうしてオダマキ博士に?」
レッドが尋ねる。
「16枚以上バッジを取得したトレーナーは新たな地方に来た暁にその地方に居る博士から御三家のいずれかを貰えることになっているのさ。そうでなくてもオダマキ博士自身も伝説の夫婦に会いたいと楽しみにしているんだよ」
ウツギはそう語る。
「もうそんな遠方にまで私たちの名前が……」
エリカの表情が少し強張る。
「イッシュ地方のアララギ博士にも君達二人の名前は届いてるみたいだからね。ヘタすれば全国で君たち二人の名前を知らない博士やジムリーダーとかはいないと思うよ」
「うっかりな事は出来ませんわね……」
彼女が続いてそうぽつりと言った。
レッドがウツギに尋ねる。
「そうですか。それじゃホウエンに着いたら?」
「カイナシティという街で船がつくから、そこから降りればオダマキ博士に会えると思うよ。ま、そういうことだから行ってらっしゃい!」
「はい!」
「あ、あとそうだ。はいこれ、餞別品のマスターボール」
そう言うとウツギは、二人に一つずつマスターボールを手渡す。
レッドは遠慮がちにこう返した。
「え?いいんですか?」
「いやー、研究用で捕獲する際に特別に仕入れることがあるんだけど、有りすぎても困るしって事で、トレーナーじゃない僕とかが持つよりレッド君やエリカさんが持っていたほうがいいと思うんだ。だからあげるよ」
「有難うございます」
二人は深々とお辞儀をする。
「あと、何か質問でもあるかい?」
ウツギが尋ねたのでレッドは以前から気になっていたことを尋ねる。
「あの、博士。どうして一番最初にこの町に来たとき、オーキド博士の命に逆らってまでポケモンをわたさなくていいなんて言ったんですか?」
ウツギはそれに対し少し間を置いて答える。
「君たちのポケモンに対する姿勢を見ててね……その、トレーナーをやってた頃のこと思い出したんだ」
「そうだったんですか……」
「僕だって急に長年付き合ってた相棒と別れろなんていわれたらゴールド君みたいに悲しがったろうし、レッド君のように激情にも駆られていたと思う。そう考えると、どうも心が揺らいでね……」
ウツギは沈痛な表情で当時を振り返る。
「それ以外にも、エリカさんのようにポケモンリーグが、ましてやオーキド博士がこんなことを言うのかと疑問を持った。それでワカバに行くまで色々と考えて、結果、今一度オーキド博士から確たる根拠を聞き出してから……と思ったんだ。君たちの持つポケモンは大事な財産でもあるしね。結局なんだか見当のつかない返事をされて立ち消えになったけど……」
「なるほどそういうことだったんですか……」
「あれ以来オーキド博士は研究会にも顔を出さなくなって、挙げ句の果てにこの前は辞表を出すしで訳が分からなかったよ。本当、何処行ったんだか」
レッドは事の真相を話そうか迷ったが、確たる証拠もないのにオーキドを悪者にしたところで今は何の意味も無いと思い、その場は収める。
その後、二人はもう少しだけ世間話をして研究所を去った。
そして二人はいよいよホウエン地方へと向かう為にアサギシティへと飛んで行った。
―午後6時 アサギシティ―
二人は明日からの準備の為に港のあるアサギシティで休養する事にした。
「はぁアサギか。もうすっかり暗くなったな」
もう日は沈みかけており、空は大半が暗くなっている。
「もうここも四度目ですか。もう暫く来ることはないと思うとなんとも名残惜しいですわね」
エリカは少しだけセンチメンタルになっていた。
「そうだな。ジョウトの旅路もここから始まったんだよな……。そう思うとなんとなく思い出深い街かもしれない」
「ええ……」
「さてと、じゃあポケセンに……」
そうこう話していると、ミカンが親しげに話しかけてきた。
「あ、レッドさんにエリカさん!」
「お、ミカンさん」
「こんばんわ! ここに来たという事はもしかして明日ジョウトを発つんですか?」
ミカンの質問に対し、レッドは頷いて
「うん。ホウエン地方に行こうと考えてるよ」
と答えた。
「ミカンさんはあかりちゃんのお世話ですか? 精が出ますわね」
エリカが尋ねた。
「はい。一度体調崩してからどうも気がかりで……。今のところはどうにか元気ですけど」
「そうですか。健康には十分注意してくださいませね」
「それは、勿論です。それにしても……そうですか、ついこの前来られたと思ったらもう旅立ちですもんね……。時の流れは早いものです」
ミカンはしみじみとした雰囲気で言う。
「ミカンさんはホウエン地方について何か知っている事はありますか?」
「そうですね……ここと違うことと言ったら海が多いことでしょうか。ジムは3つぐらい島にあるようですよ」
「そうですか」
「海が多いか……」
「あとはこの時期からは海に関する行事も盛んになって、ミナモシティというところでは隣のトクサネシティまでの遠泳なんかかが結構なブームになってたりするんです!」
「へーえ、よく知ってるね」
レッドは素直に関心しているが、エリカが突っ込みを入れる。
「知らないんですか? ミカンさんは世界を股にかけたバックパッカーですよ?」
「へ?」
レッドは当惑したが、そんなレッドもお構いなしに、ミカンは続ける。
「この前はホウエン行き尽くしたんですよねー。ジムリーダーの方達ともそれなりに親交も深められましたし」
「そんな一面あったんだ……意外だ」
レッドは目を白黒にしている。
「今度はどこへ行くご予定ですか?」
エリカがそうミカンに尋ねる。
「うーん、シンオウなんかが興味ありますね。あ、そうそう、私の見るホウエンはあくまで一旅人からの視点ですから。レッドさんやエリカさんみたいにトレーナーからの視点で見ると結構違ったりするかもですね」
「へぇ、なるほど……、それにしても、感心するね。同い年でここまで旅するなんて」
「そんな大した事じゃないですよー。あくまで趣味ですし」
ミカンは照れながら言う。
「あの、明日はお見送りしますよ!」
「本当? 嬉しいなぁ。ミカンさんに見送られたら心置きなくジョウトを後に出来るよ」
レッドは嬉しそうに言う。
「もう。レッドさんたら……」
ミカンは少しだけ頬を赤くして言った。
「私としても嬉しい限りですわ。是非ともお願いしますね」
かくして、二人はミカンと別れた。
─午後6時40分 アサギシティ ポケモンセンター フロント─
いつもの通りチェックインを済ませると、ジョーイが荷物が届いていると話す。
「あら……恐らく私宛ですわ。貴方、先にお部屋へどうぞ」
「ん……そうか」
そう言ってレッドは階段を上がり部屋へと向かう。
―午後8時30分 同所 309号室―
この日の夕食はステーキにボンゴレ、鯖の竜田揚げにニラの胡麻和えといったラインナップだった。
「おお。今日は豪勢だな」
倹約を旨とする彼女の食卓にステーキが上がる事などレッドがこれまで旅してきた中で初めての事であった。
「ええ。今宵はジョウトに居る最後の晩ですもの。それに、私も久しぶりに台所に立ったものですからついつい奮発してしまいましたわ」
「そっか……確かにそうだよな。よーしもりもり食うか!」
ポケモンたちも共に食卓につき、豪華な食事に盛り上がりこの旅で一番賑やかな晩餐となった。
―午後9時20分―
「ふー。食った食った……」
食器もあらかた空になり、満腹となったところでエリカが尋ねる。
「あの……貴方?」
「なんだい?」
「今晩のお風呂ですけれど……私が先に入っても宜しいですか?」
彼女は思い切った様子で言う。
「え、いや別にかまわないけど……どうしたんだよ」
一番風呂は毎回レッドに譲っている彼女にしては珍しい提案であった為レッドは不思議に思っていた。
「身を清め……いえいえ、あの、たまには私が先に入ってお風呂を綺麗に掃除した状態で入ってもらおうかと」
エリカは咄嗟に思いついた風の事を言った。
「いや、別に俺はそういうのいいけど」
「貴方、今宵はジョウト最後の夜ですよ。身をより清めて明日を迎えませんか!?」
彼女は半ば必死な様子で問いかける。
「わ……分かったよ。先に入って」
そういう訳でエリカが先に入浴する。
―午後10時30分 風呂場―
エリカは40分ほど入浴した後に出て、思いつめた様子でレッドに入るよう勧めた。
レッドはピカチュウと共に風呂に入る。
感電防止のため電気袋のある頬から上はつからせないようにしている。
「はぁ……なんか今日のエリカ様子おかしいな……」
「ピカピー」
ピカチュウも同様に心配しているようだ。
「もともとなにを考えてるか読みにくい奴だったけど、今日は一段と酷いぞ……ほんとどういうことなんだろうな、ピカチュウ」
「チャー」
と、言いながらピカチュウは風呂から出ようとした。余程風呂が熱かったのだろう。
「コラコラ、ちゃんと百まで数え……」
レッドはピカチュウの肩を捉えて風呂に入らせようとする。
しかし、力が強すぎたせいか顔までつからせてしまう。お湯はあっという間に電気を通し、レッドは電気の直撃をうけた。
「ぎゃあああああ!!」
レッドはあまりのことに気を失ってしまった。
―――――――――――――――――――――――
─2009年 8月13日 午後3時 シオンタウン─
レッドはガラガラを成仏させた後、ポケモンタワーでのロケット団の悪事を挫く。
「怖かったな、ポケモンタワー……でもカラカラのお母さん成仏できて良かったな」
レッドはシオンタウンを宛もなくほっつき歩きながらそんな事を口にしていた。
8月の中盤。烈日は容赦なくアスファルトを照り返し、彼の不快指数をさらに上げる。
そろそろポケセンで涼もうかな等と思い始めたその時、レッドの背後からふと女性の声がした。
「フフ、お優しいのですね。レッドさん……」
「? 誰か僕の名前……」
レッドは女性の声がした後ろの方向へ振り向く。
「!?」
後ろを振り向けば日傘をさし、袴姿に黄色い着物を着た容姿端麗な少女が立っていた。レッドはその清楚で可憐な姿に一目惚れする。
帯締めに香り袋があるのか、そこから馥郁たる白檀の香りが鼻腔を刺激し、見る者を更に惚れ込ませる。
「驚かせてしまい、ごめんあそばせ。ところであなたの噂、届いておりますわよ」
「へ……!? 貴女何者なのですか?」
自分の噂を知っているとは、何事かと思ったレッドは思わず尋ねる。
「これを見ればお分かり頂けるかしら」
エリカは懐から虹色に輝くバッジを取り出した。
「ジムバッジ……ということはまさか!」
「はい、私、タマムシシティジムリーダーのエリカと申します。どうぞ、お見知りおきを」
彼女は深々とお辞儀をする。
レッドはその名前を永遠に刻み込む。
――――――――――――
レッドはエリカと初めて出会った当時の夢を見ていた。
そうだ。あの時エリカと出会って、一生懸命修行してエリカに勝ったんだ。
今からして思えばその当時から彼女には驚かされっぱなしで……そして誰よりも好きだった。
そんな事を回想していると、レッドはだんだんと意識が戻ってきた。
―2013年 5月16日 午後11時 アサギシティ ポケモンセンター 309号室―
目を覚ますと、まず大きな影が目に入った。
眩しくてすぐには判別はできなかったが、少しずつはっきりとしてくる。
「あら、お目覚めになられましたか……」
「え……エリカ!?」
そして、完全に目が覚めるとすぐ側に彼女の顔がある事に気づく。
レッドはそれに対し大きく驚く。
そして、思えば後頭部や首筋に温もりを感じる。
ここで漸くレッドはエリカに膝枕にされていることへ気が付いた。
因みに服は着せられている。恐らく彼女がやってくれたのだろう。
「全くもう……大変だったのですよ? ピカチュウが慌てて知らせてくれたから良かったものの、あと少し遅れていたら溺死されていてもおかしくなかったのですから……」
レッドはそれを聞いて、気を失う前の事を思い出した。
「あぁそっか……ピカチュウが知らせてくれたのか……よかった……」
「ええ……」
それから数秒ほど沈黙が流れる。
「なあ、エリカ……」
「はい」
「今気づいたんだけどさ……、もしかして、それって……和服?」
それだけではない。レッドはあの時印象に残っていた白檀の香りも感じていた。
帯に近いところにいるせいか猶更匂いは強くなる。
「はい。貴方が喜ばれるのではないかと思って……。お好きですものね。私のこの姿」
エリカはレッドの顔に近づきながら言う。
「そ……そうだけど……どうして」
「お忘れに……なられたのですか。私から……お誘いすると」
そう言うと、彼女は目を閉じて膝枕の姿勢のままレッドの唇にキスをする。
レッドはそれに頭中が蕩けるような感覚を覚えた。彼女の唇はとても柔らかく、とても良い花の香りが鼻腔にまで伝わった。
一分程経っただろうか。彼女は唇を離し、レッドの顔を眼を少し潤ませながら見る。彼女の頬は紅潮しており、表情は影も手伝って少し切なげだった。
「ふぅ……レッドさんの唇、とてもおいしかったですわ……」
「エリカ……」
つい昨日までは考えられなかったことが次々と起こりレッドは半ば放心状態となっていた。
「も、もう! この程度の事で上の空になってどうするのですか……これからもっと……す、凄いことをしようというのに」
彼女は精一杯虚勢を張っているが、その実声や体は微かに震えていた。
エリカが勇気を出したかのように襟に手をかけようとしたところでレッドが話しかける。
「なあ。エリカ……お前、震えてないか?」
「そ、そのような事、ありませんわ! 震えていると言うなら、これは武者震いというものです!」
「そ……そうか」
このように年長者の意地としてか、女としてのプライドか。とにかく強く出ようとする彼女の姿はレッドにとってとても愛おしく見える。
そして、このように焦っている彼女の姿を見るとエリカも緊張しているのかという安心のせいかレッドは逆に落ち着いてきた。
「なあ……ちょっと立ってみないか?」
「は……はい」
レッドとエリカは互いに立つ。
エリカの姿は夢で見たのと(日傘以外は)全く同じの着物姿であり、漂う香りまで一緒であった。
「やっぱり……同じだな」
「え?」
「ほら、一番最初にシオンタウンで会った時と」
レッドの一言にエリカはクスリと笑って
「わざと……ですわ」
「え、そうなの?」
「ええ……。一番最初に私を見たときの貴方の表情を思い出しましたら、この姿が一番貴方にとってその……情がそそるのではないかと……思いまして」
彼女は赤くなりながら話す。恥じらいのせいかレッドに目が合っていない。
レッドの中の血が滾りはじめる。
確かにそのとおりである。あの、憧れであった彼女が今、自らの物となる為にあの時と同じ姿で立っているのだ。愛おしく思わない筈が無い。
「エ……エリカ!」
レッドはエリカを思い切り抱きしめた。
今度は抵抗しない。
本当にエリカは自分を受け入れてくれたのだと思うとレッド自身にとってそれはたまらなく嬉しかった。
抱きしめていると、熱と共に激しい鼓動がレッドにわずかながら伝わる。分かっていた事だが、彼女もかなり緊張しているのだ。
「貴方……」
そうしていると、エリカの方もレッドの背中に手を添え、抱き返す。
永遠とも思えるこの時間。二人は互いの体温を十分に感じ取った。
数分して、レッドの方がエリカを離す。
「そ……それじゃあ、脱がすよ」
「いえ……私が……」
考えてみれば自分に和服の脱がせ方など分かる筈もない。レッドは即座に悔いた。
彼女はすかさず袴の紐を解き、袴を脱ぐ。よほど恥ずかしいのか、袴を脱いだ後はゆっくりと長着(上着)の襟に手をかける。
そして肩、腕へと片方ずつゆっくりと衣を外していく。
やがて彼女は素肌の上に白襦袢一枚の姿になった。
今までレッドが見た事ないほど体のラインがしっかりと現れており、清楚な着物の下に隠された肉感的な裸体がすぐそこにあった。
彼女は襦袢の襟を強く持ったまま動かない。やはりまだ躊躇しているのだろう。彼女の顔は今にも火が出そうなほどに赤くなっており、過呼吸気味なほどに呼吸を繰り返している。
「なあ、エリカ」
「も、申し訳ありません。その……殿方に……ら、裸体を晒すなど初めての事で……」
「そうじゃなくてさ……。もう一回抱きしめてもいい?」
レッド自身何枚かの服の上で感じる彼女の体ではなく、裸体同然の彼女の体をこの身にうけてみたかったのだ。
エリカは数秒だけ黙した後
「は……はい。どうぞ」
と答える。レッドは有無を言わさずすぐにもう一度抱きしめた。
その直後、レッドはすぐにある事に気づく。
「お前……もしかして、下何も穿いてないの?」
彼女はレッドに顔をそむけつつ、小さく一度頷く。
「私の家庭では和服着用時は下着を着けてはいけないしきたりなのです。ですから……」
「そ……そうか」
レッドはそれを聞いてさらに興奮を増進させる。
すると、エリカが思い切ったように小さな声で言う。
「あの……貴方……あたっています……」
「え……うわわわわわ! ごめん!」
生理現象の為仕方ないこととはいえレッドは反射ですぐさまエリカから離れる。
そんなレッドを見て、彼女はほくそ笑んで
「良いのです……。レッドさんも……男の子……ですものね。それに今日は貴方に……純潔を捧げるのですから。この程度のことで言う事もありませんでしたね」
「エリカ……」
これまでの行動や言動からなんとなく想像はついていたがエリカは処女だった。
「貴方……来て。私を……女にしてくださいまし」
エリカは潤んだ目でレッドを誘い込む。
レッドはこの一言で理性の糸が切れ、エリカに襲い掛かる。
それからのことは書くまでもない。
―――――
しかし、二人の行為はいよいよ本番に入る前に邪魔が入って中断することとなった。
邪魔が入った事で我に返って、どっと疲れがきたこともあり、そのまま二人は同じベッドで幸せに満ちた表情でジョウト最後の夜を終えた。
―5月17日 午後1時 アサギ港 出港ゲート前―
二人はいよいよジョウト最後の日を迎え、アサギ港に向かった。
港内に入ると、ミカンが待っており、二人はミカンの送別を受けている。
「もう行ってしまうんですね……」
ミカンは、儚げにそう言う。
「またいつか会えますよ。それまで良い子にしてるのよ。ミカンちゃん」
エリカは、愚図る子どもを留守番させて、お使いに行く母親を演じているかのように、いたずらっぽくミカンに言う。
「もう……子ども扱いしないでください! あたし一応15歳なんですよ?」
「15歳にしては少し身体の発育が遅れていますわね……」
エリカはミカンの体を見ながら言う。胸が俎板なのはともかくとして、典型的な幼児体型であり、身長も低めである。
「ほ……ほっといてください! あたしはこれからエリカさんみたいな大人の女の体型になるんです!」
ミカンは意地を張ってそう言う。
「ふふ……左様ですわね。この旅が終わるころにはさぞかしアカネさんやイブキさんも嫉妬するくらいのグラマラスな体型になっているのでしょう」
「そ……そうです! ミス・ジョウトに選ばれるくらいの美しい女性になってみせますよ」
ミカンは冷や汗をかきながら言った。
「へぇ……そうですか。期待していますわね」
レッドはそんな会話を穏やかな気持ちで見ていた。
「はぁ……。絶対心の中じゃそう思ってないよ……。まあいっか。ところでお二人はトイレは大丈夫ですか?」
「うーん……そうですわね。船内は混むかもしれませんし、一応今の内に行っておきますわ」
そう言ってエリカは女子トイレへと向かった。
この場はミカンとレッドの二人きりになる。
「いよいよホウエンかぁ……」
レッドは眼前に見える電光案内版を見ながら言う。
午後2時 カイナシティ行き。あと一時間で長く、いろいろな事があったジョウトともお別れなのだ。
「レッドさんにとってこの地方で一番印象に残った事はなんですか?」
ミカンはそれとなく尋ねる。
「うーん……一番は中々決められないですけど……色々な人に会って知れた事かな」
「い……色々な人って?」
ミカンはレッドに近づき興味津々な様子で尋ねる。
「何と言ってもヤナギさんが一番印象深かったかな……。初めて完膚なきまで叩きのめされたし……。とんでもなく強かった」
「そ……そうですか。そうですよね……」
ミカンはさすがに師匠に勝てるわけがないとばかりの様子である。
「でも、その一方でエリカと一緒に一生懸命どうにか頑張って勝とうともがいて、道を模索して……それでやっと勝てたときは本当に嬉しかった」
「そうですか……」
「ああ、勿論、ミカンさんにも感謝しています」
「え!? あたしにですか?」
「そうさ。正直ヤナギさんに負けたのは実力差というよりも仕方がなかったんだという思いが強かったんだけど……ミカンさんに負けて、ようやく俺は一からやり直さないといけないって自覚できたんだ」
「なるほど……」
「それを分からせてくれて今は本当に感謝している。ありがとう」
レッドはミカンに深々と頭を下げる。
ミカンは少々黙した後に
「あの……ちょっと来てください」
「え……ちょっとぉ!?」
ミカンは存外強い力で港の建物の外に出て、人気の少ない裏のところまでレッドを連れる。
「はぁ……ミカンさん。どうしたんだよ急に」
「あの……レッドさんに一つ聞いてほしいことがあるんです」
ミカンは赤くなりながら手を組んで言う。
「え、何?」
「あたし……小学校と中学校の初めの頃まで体が小さいとかでいじめられて……遂には引き篭もっちゃうダメな子だったんです」
「へぇ……」
レッドは意外な様子で聞き続ける。
「でも、引き篭もっている時にテレビでレッドさんについて特集組んでいたんですよ」
ロケット団を壊滅した上に凄まじい速さでリーグを制覇したレッドというトレーナーはマスコミの注目するところとなり、度々特集がくまれていたのだ。レッドからしてもそれは知っている事だったので聞き流す。
「それで、同い年で一生懸命頑張ってるレッドさんをみて、これじゃあいけないなって思って……そこからトレーナーたちの憧れであるジムリーダーになろうと心に決めたんです」
「そうだったんですか……」
「それからレッドさんにはずっと……憧れの気持ちで見続けていたんです。一度あたしに負けた時もあれはまぐれだと思ってて本当に勝てたとは思わなかったくらいですから。でも……この前の戦争でエリカさんを命張って守っている姿を見て……あたし……」
ミカンはそれ以来黙してしまった。
「そ……そんな。ダメだよ。俺にはエリカがいるんだから」
「分かっています。でも、この気持ちどうしても抑えられなくて……。あれ以来仕事もまともに手がつかないんです」
「そ……そこまで俺の事を……」
レッドからしたらそのことは予想外のことである。
「ですから……叶わない想いならばせめて思い出に……」
ミカンはレッドにそっと抱き着いて、踵を上げ、すかさずキスをした。
エリカと比べれば素朴な味わいだったが、そこがまたそそるものがある。
「ミカンさん……」
「えへへ……ファーストキス……あげちゃいました。ありがとう。これで……区切りができました」
そういうとミカンはレッドに背を向ける。
「ごめんなさい……俺、エリカを裏切れないから……ミカンさんの気持ちには応えられなくて」
「いいんです……。これで全て……おしまい。エリカさんには、宜しく伝えておいてください。あと、全国制覇への旅……頑張ってくださいね」
最後は涙声になりながらミカンはその場を走り去って行った。
ミカンが去った場所には三つほど丸く湿った跡が残っている。そして、物陰には一つの影があった。
―午後1時45分 同所 埠頭―
二人は乗船時刻が来たため、船に向かっていた。
「さてと、いよいよか……気張っていこう」
「ええ……左様ですわね」
エリカは少し元気がなさそうだった。
「ん? どうした?」
「何でもありませんわ。行きましょう」
それと同時に少し不機嫌な様子である。要領を得ないまま二人はカイナシティ行きの船に乗ったのだ。
こうして、ジョウトを離れ、夫婦の活躍は南国の島へと舞台を移すのである――
―第十二話(下) 長い想いは結ばれて 終―
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