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赤い靴

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4部分:第四章


第四章

「はい」
「御前空手やっていたな」
「ええ、まあ」
 松本のその問いに答える。しかも有段者である。
「足狙え」
「足ですか」
「ああ。狙えるか?」
 何とか相手の攻撃をかわしながら金田にまた問う。
「こいつの足をな」
「そうですね。見たところ」
 それに応えて不審者の足を見る。見れば。
「ガラ空きですね。それじゃあ」
「よし、やれ」
 聞いてすぐにであった。仕掛けるように指示を出した。
「いいな」
「了解っ」
 金田はそれを聞いてすぐに動いた。思いきり身を屈めると左足を軸にして右足で払った。それは完璧なまでに相手の両足をすくいこかしたのであった。
 これが決め手であった。不審者は倒れ込んだ。松本はそれを見てすぐに宙に浮いた彼の右手を蹴り飛ばした。それでその刃物を弾き飛ばしたのである。
「よし、今だ!」
「はい!」
 二人はまた動いた。そうしてまだ暴れる不審者を二人がかりで羽交い絞めにしてそこから抑えた。こうして何とか逮捕したのであった。
 この事件のことは新聞にもなった。犯人は所謂変質者という存在であり常日頃から奇怪な行動が多く周囲から奇怪な目で見られていた。そうした人物であったので赤い靴を履いた少女を襲うのも有り得る話であった。警察側の取調べではそういう結論に至ったのである。
 警察の中、とりわけ神奈川県警の中では二人は英雄になった。ところが。二人はあまり面白くなかった。それには理由があった。
「何でですかね」
 刑事課の部屋の中で金田は実に不機嫌な顔をして松本と向かい合って話をしていた。
「こうなったのは」
「仕方ないな」
 見れば松本も同じ顔をしている。その顔で金田と話をしていた。
「俺達警察は警察だ」
「ええ」
 憮然として松本の言葉に頷く。椅子に馬乗りになってそれで松本と向かい合って話をしているのだ。
「弁護士じゃないんだ」
「そうですね。こっちは検事です」
 かなりアバウトというか専門外ですらあるがこうなる。
「弁護士はね。違いますからね」
「俺達は別に敵とは思っちゃいないんだがな」
 ケースバイケースである。そういうことだ。
「向こうは違う」
「警察は敵、ですか」
「権力が敵だ」
 ぶしつけな調子の言葉だった。実に醒めた調子だ。
「そういうことなんだよ、あいつ等にとってはな」
「権力ですか。そんなの一つじゃないでしょ」
「あいつ等にとっちゃ権力は一つなんだよ」
 ぶしつけな言葉が続く。
「国家権力ってやつだけだ」
「乱暴ですね、何か」
 若い金田にとってはそうとしか思えない言葉であった。それを隠しもしない。
「自分達はそうじゃないんですかね」
「違うらしいな、あいつ等の頭の中じゃ」
「マスコミ使って自分達の正義をかざして」
 金田の言葉の調子は松本とは違う。しかしシニカルなのは変わりがない。
「それで犯人庇うふりして自分達のやりたいようにやるっていうのはね。権力者のすることですね」
「人権っていうのは強いんだよ」
 松本のぶしつけな言葉は変わらない。ここでもだ。
「それこそ法律よりもな」
「法律よりもですか」
「人権はな。何よりも大事だそうだな」
 松本の声に今度はシニカルさが加わった。
「だから奴等は必死に頑張るんだよ」
「そうですか。それじゃあ」
 ここで金田はあらためて思うのだった。彼にとっては実に不愉快なことを。
「被害者、あの女の子の人権はどうなるんですか?」
「あの娘のか」
「助かったからよかったようなものの。一歩間違えていればそれこそ」
「あのな」
 松本は金田のその言葉に対して反論してきた。
「はい!?」
「大事なのは加害者の人権なんだよ」
 もうシニカルという卵の薄殻を被せることなくダイレクトな感情を出しての言葉になっていた。忌々しげなものと憎々しげなものを同時に見せて話す。
「死んだ人間の、被害に遭った人間のはどうでもいいんだよ」
「おかしな話ですね」
「それが人権派の人権ってやつだ」
 その忌々しげなものと憎々しげなものを同時に見せて語る。
「わかったな。まああいつの裁判は」
「どうなりますかね」
 話の焦点がそこに移る。その『人権派』とやらの主戦場に対して。
「頭がおかしいってなれば無罪になるな」
「無罪ですか」
「他にも理由は色々とあるさ」
 そう感情を露わにした言葉を続ける。
「それで無罪になるかもな」
「洒落になりませんね。キチガイが無罪放免ですか」
「それも世の中ってやつさ」
 言葉にまた別の色が加わった。達観という色が。
「嫌な話だけれどな」
「まあ真っ当な裁判になればいいですけれどね」
 金田は自分の言葉を全く信じてはいなかった。だからこそその言葉の響きも実に空虚なものになっていた。しかしそれも気にはしていなかった。
「祈るだけ祈りますよ」
「そうだな。じゃあ今は引き上げるか」
「何処行きますか?」
「駅前のあそこへ行こうか」
「あそこですか」
 二人の行き着けの居酒屋である。チェーン店であり横浜にも何軒もあるのだ。彼等はその中の一軒に入ってよく飲んでいるのである。
「あそこでいいだろ」
「そうですね。とりあえず俺達の仕事は終わったし」
「それを祝おうな」
「わかりました」
 そう言葉を交えさせてから仕事場を後にした。なおこの赤い靴を狙った不審者の裁判は加害者が自律精神失調の状態にありその他にも様々な理由が後付されて結果として無罪になった。そして無罪になったその加害者が今度は本当に殺人事件を起こしたのは無罪判決から僅か一週間後のことであった。今度も赤い靴の女の子を狙っての犯行であった。その時も結局また人権派がああだこうだと言い出したのもまた松本達の予想通りであった。だが人が一人殺されたのは事実である。それだけは否定しようのない事実である。松本と金田が逮捕したその異常者が無罪となり放たれてすぐに人を殺したことは。


赤い靴   完


                   2008・3・1
 
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