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魔女の足跡

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魔女の足跡

                          魔女の足跡
 かって欧州において魔女狩りという狂気が荒れ狂った。惨たらしい拷問と処刑、あまりにも異常な裁判でその汚名を残すものであるがこれは欧州においてのみ見られたものではなかった。
 新大陸、アメリカでもそれはあった。アメリカが国となる前、まだジョージ=ワシントンもいなかった頃、イギリスの植民地であった頃である。だから正確にはアメリカとなる前のアメリカでの話である。
 この時代イギリス本土においても魔女狩りが行われていた。ホプキンズという詐欺師が猛威を振るい、多くの無実の人達をその邪悪な牙で葬り去っていた。こうした輩はどの時代でもどの場所でもいるものである。それはこの新大陸においても同じであった。
 メーン州バックスポート村。話はここで起こった。この村に一人の軍人がいた。
 名をバックスという。階級は大佐である。名士であるが貪欲で残忍な男として知られておりインディアンとの戦いでは女子供ばかりを狙って殺戮し、掠奪の限りを尽くした。
「奴等はキリスト教徒ではない」
 これが彼の言い分であった。キリスト教徒でないのだから何をしてもよいのだ、それが彼の主張であった。
 だが彼はキリスト教徒であっても容赦はしなかった。不正をでっちあげて財産を掠め取ったり、民家に押し入って税の取立てだと称して掠奪を行ったりしていた。そのあまりもの非道さに軍でも彼を疎んじていたが狡猾な彼は上手く上司にゴマをすり、賄賂を贈って生き延びていた。そうした男であった。
 こうした輩が魔女狩りに目をつけない筈もなかった。当時魔女の財産は全て没収されることとなっていた。その為金持ちの未亡人が狙われることも多かった。理由はどうにでもなるのだ。ならばやった方がいい。下劣な輩ならばそう考えることである。そしてバックスは下劣さではフロンティアにおいてそう右に出る者はいない男であった。こうなればどういったことになるか、自明の理であった。
 彼は早速村の村長と議会に対して言った。この村でも魔女狩りをどんどん行おうと。
「魔女は何処にでも潜んでいるものだ」
 彼は言った。
「そしてそれを探し出して殺さなければならない。さもなければ殺されるのは我々だ」
 彼はそう言って村の者を煽ろうとした。だが村長も議会も動こうとはしなかった。
 皆わかっていたのである。バックスが何を考えているのかを。村の多くの者が彼の被害に遭っていた。財産を奪われ、中には娘を手篭めにされた者までいた。彼は女癖まで悪かったのである。しかも酒乱であり酔うと所構わず暴れ回る。軍人というよりは山賊に近い男であったのだ。皆それがわかっていたのだ。
 村長も議会もそれを断った。あれこれと理由をつけてそれをやんわりと拒否した。彼が何を欲しているか言うまでもなかったからだ。
 だがこれで諦めるような男ではなかった。村長も議会も動かないとなれば自分が動くだけだった。彼は早速動くことにした。
「魔女は顎が突き出ている」
 当時魔女に関してこう言われていた。魔女が水に浮く、という話と同じく全くの迷信であるがこう言われていたのである。
 そして同時にこう思われていた。
「魔女は老婆であることが多い」
 思われていたのである。確かな証拠なぞ何もない。何処にもないのだ。これは人々のイメージに過ぎない。童話にもある全くの空想である。一言で言うと出鱈目である。
 だがこれが当時は多くの根拠となった。少なくとも魔女狩りに関しては。何故なら真っ当と思われる聖職者によって本に書かれたからだ。その真っ当な聖職者が狂人であってもだ。
 狂人でなければ腐敗していた。当時の教会の腐敗の酷さは筆舌に尽くし難いものがある。ルターが現われたのもそれが背景にあった。彼も悪魔と罵られている。これは教会の腐敗と堕落を批判したからである。
 その本には全く根拠がないと言ってもよい。少なくともそれには空想が入っていた。むしろそれしかないと言っても過言ではない程にまで。その空想、いや妄想により多くの者が命を落とした。それが魔女狩りであった。多くの無実の人が炎に焼かれた。それが魔女狩りであった。
 だがそれにより命を落とした者がいたのも事実である。それはこの村においても同じであった。バックスは次々と目ぼしい老婆達を物色していた。この時彼は貧しい者は相手にしなかった。あくまで財産を持っている金持ちばかりを狙っていた。そして遂に生け贄を発見した。
「魔女はいる!」
 彼は叫んだ。そして一人の金持ちの未亡人を引き出して来た。
「この老婆は魔女だ!」
 彼はまた叫んだ。その未亡人はバームという老婆であった。
 村にいるごく普通の善良な老婆である。金持ちであり顎が出ているという意外は何も変わったところがない。だがバックスはそれこそが魔女の証拠だと騒ぎ立てたのである。
 彼は主張した。このバームこそ悪魔の手先であると。老婆もまた必死に釈明した。だが彼はそれを全く出鱈目なものだと否定してみせた。
「魔女は嘘をつく!」
 彼はこう主張した。彼が嘘をつくということは問題ではなかった。
「嘘に惑わされてはいけない!ここは嘘を暴くべきだ!」
 次に拷問による自供をさせようとした。魔女狩りにおける基本であった。彼はサディストでもありよくインディアンの若い娘を捕まえては惨たらしく殺していた。今回も拷問を楽しもうとしたのだ。
 だがそれは適わなかった。老婆があまりにも高齢な為牧師がそれを止めたのだ。この牧師は老婆を知っていた。だから何としても救おうとしていたのだ。
 だが彼は老婆を救えなかった。拷問から救うことはできたが裁判からは救うことができなかった。バックスは軍を率いていた。それで村そのものを魔女の村にしようと企てようとし、そして軍で村を焼き払おうとしていることに気付いたからであった。何処までも強欲で残忍な男であった。
 こうして老婆は裁判にかけられることになった。牧師が老婆を弁護しようとした。だがこれはバックスによる恫喝でできなくなってしまった。
「魔女を弁護する者もまた魔女だ!」
 これが魔女狩りであった。弁護する者の存在すら許されないのだ。そして裁判は形だけのものである。これもわかっていることであった。バックスは善良な牧師を黙らせると今度は証人達をでっちあげることにした。事前に彼等に金と脅迫を贈ることも忘れなかった。
 ある者は言った。
「バームが何やら呟くと手から血が流れた」
 と。見ればその手の平にはナイフによる切り傷があった。
 またある者は言った。
「老婆が使い魔を操っている」
 と。それは村の至るところにいる烏達であった。
 そしてまたある者が言った。
「老婆の家に巨大な人影が入るのを見た」
 と。完全な嘘であった。
 全てがこうした調子であった。しかもバックスは裁判の間中ずっと裁判官の側に席を置いていた。そしてその席から裁判官に何かと話をしていた。呆れたことに密かに金まで渡していた。
 老婆はそれを全て否定しようとした。だがバックスは証人の言ったことは全て正しいとし、老婆は嘘をついていると一方的に言うだけであった。最初からまともな裁判なぞする気はなかったのだ。しかも彼は途中から老婆の発言すら禁止してしまった。まさに魔女狩りであった。
 そして裁判は実に何事もなく進んだ。判決はもうわかっていることであった。
「火炙り」
 これしかなかった。魔女は火炙りになる。これは魔女狩りにおいて決められていることであった。それより前の拷問で命を落とす場合も多々あったが生きていてもこれである。なお無実の場合も拷問の跡は残る。これで命を失った者も多い。
 皆わかっていたことであった。これには特に驚かなかった。だが別のことで驚くこととなった。
 判決が出た直後のことである。不意に老婆が立ち上がったのだ。そして叫びはじめた。
「思い知るがいい!」
 老婆はバックスを指差して叫んだ。
「この恨み、死んでも忘れないからね」
 その声は老婆のものとは思えない程大きかった。そして顔も声も鬼気迫るものがあった。
「予言しておくよ、あんたはもうすぐ死ぬ!」
「何がどうなったんだ」
 裁判を見ていた村人達はそれを聞いて思わず色を失った。
「死ぬのは自分なのに」
「遂に狂っちまったのか」
 彼等はヒソヒソと囁く。だが老婆は狂ってはいなかった。そのまま言葉を続ける。
「あんたの墓を踏み付けてやる。そしてその足跡を永遠に残しておいてやるからね」
 老婆はさらに叫んだ。
「あんたの悪事を皆が何時までも覚えているように。きっと踏んでやる」
「お、おい」
 バックスは震える手で兵士達に命じた。
「裁判は終わった。さっさと連れて行け」
「は、はい」
 その兵士達も顔を白くさせていた。だが命令に従い老婆を左右から掴んだ。そしてそのまま老婆の家へと向かう。
「これにて閉廷とする」
 裁判官は最後に言った。彼も顔を白くさせていた。バックスも。そして村人達も同じであった。皆今の老婆の言葉に恐怖で真っ青になっていた。そして何か恐ろしいことが起こるのを予感していた。
 処刑は翌朝行われた。だがそれを見物に来る者は誰もいなかった。この時代死刑といえば一つの大きなショーであり処刑される囚人の周りには人だかりができ、売店等も出る程であった。だがこの時ばかりは違っていた。村人達は誰も出ようとはせず、バックスですら家に閉じ篭もっていた。だが処刑される老婆の声だけが村に響いた。
「覚えておいで!」
 これが老婆の最後の言葉であった。怨みと憎しみに満ちた言葉であった。それが朝の村に響いた。それは何時までも人々の耳に残っていた。
 それからバックスは程なくして異常な行動を示すようになった。酒に溺れ、常にあらぬところを見て叫んでいた。
「来るな!来るな!」
 彼は虚空を見てそう叫ぶのだった。
「御前は死んだのだ!さっさとあの世に行け!」
 そして銃を撃つ。だがそこには誰もいない。
「死ね!さっさと死ね!」
 部下達がそれを制しても暴れてどうにもならなかった。
「御前は魔女なのだ!それがわかっていないのか!」
 そして日に日に憔悴していった。最後には立っていることも出来なくなり床に伏すようになった。だがそこでも彼は呻き続けていた。
「あいつが、あいつが・・・・・・」
 昼も夜も呻き続ける。そしてもがいていた。それを誰も止めることはできなかった。やがて顔が紫になっていき、苦悶の表情が貼り付いていた。だが最後に彼は言った。
「わしの墓はとびきり高価な大理石で作れ」
 今までの悪事で溜めた金をそれに注ぎ込んだのだ。
「魔女の足跡なぞ決してつかないようにな」
 そう言うとベッドから転げ落ちて死んだ。白目を剥き、口からドス黒い舌と涎を垂らして。まるで首を絞められたかの様に無気味な顔色で死んでいた。見るも無残な最後であった。
 墓は遺言通り大理石で作られた。だが墓に来るのは牧師だけであり村の者はおろか家族ですらも墓に参ろうとはしなかった。これが悪行の報いであろうか。
 牧師とても気が進まなかった。だが彼は神に仕える者としての責務において墓に参っていた。そしてある日それを見たのであった。
「これは」
 それを見た牧師の顔が暗くなった。
 墓を見る。そこに妙な染みがあったのだ。
 ドス黒い染みである。それは小さいがはっきりとした形になっていた。
 足跡である。牧師はそれがどうしてついたのか何処となくわかった。
「お婆さんが」
 彼は裁判での最後の老婆の言葉を思い出した。彼女は確かに今復讐を果たしたのであった。
 その足跡は遺族により削られて消された。だが次の日にはまた浮かび出ていた。
「何度削っても無駄でしょう」
 牧師は遺族に対してこう述べた。
「これは。お婆さんの復讐なのですから」
「復讐」
「はい」
 彼は答えた。
「あの時の言葉のままです」
 そう言いながらバックスの墓を見下ろした。
「御自身の無念さと怨みを伝える為に」
 その足跡はあるのである。何が起こったのかを永遠に残す為に。
「消えはしません。これはこのまま置いておきましょう」
「はい」
 遺族も諦めた。そして牧師の言葉に従った。
「何が起こったのかを。後の世に知らしめる為に」
 牧師は小さい声でこう言った。
「我々の愚かな行いを」
 これが最後の言葉であった。なおこの足跡は今でも残っている。魔女狩りという愚かな行為の証の一つとして。何時までも何時までも。


魔女の足跡   完


                                     2006・2・19 
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