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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  七十一 ~諸葛姉妹~

 琅邪郡から東海郡までは、ほんの数日。
 程なく、郡城が見えてきた。
「あれか」
「はっ」
 城塞都市ではあっても、そのなりはかなり小規模である。
 洛陽は言うに及ばず、ギョウや陳留とも比較にならぬであろう。
 賊の襲撃を受けたのか、城壁の所々が崩れている。
「だいぶ、やられたようですな。これでは、大規模な戦となっては一溜まりもありませんね」
 彩(張コウ)の指摘に、陳登は頭をかく。
「お恥ずかしい限りです。陶謙様が病に伏せて以来、内政は何とか我らで担ってきましたが……。軍事に通じた者がおらず、兵権のない我らが、あまり大々的に募兵を行えなかったという事もありまして」
「陳登殿。それは言い訳にしかなりませぬ。確かに軍は維持費だけでも膨大なものですが、持たずに済む訳ではない事も、貴殿ならご存じかと思いますが?」
「張コウ殿の仰る通りです。悔いても仕方がない事とは思うのですが……」
「いや、これは失礼致した。貴殿を責めるつもりはございませぬ」
「いえ、良いのです。後悔先に立たず、とはよく言ったものです」
 陳登は、遠い目をする。
「土方殿。誤解されては心外故、先に申し上げておきますが」
「うむ」
「我が主、陶謙様は決して安閑としていた訳ではありません。常に庶人の事を考え、その為に尽力してきた御方です」
「…………」
「ただ、貴殿や曹操殿、孫堅殿、馬騰殿らとは違い、根からの文官。備えが後手に回ってしまった事、武に心得のある将を招き入れずに来てしまった事は事実ですが……」
「わかっている。平和な世であれば、今少し名を残せた御仁なのであろうな」
「恐れ入ります」
 陶謙という人物、甘い一面があるのも否めぬところであろう。
 だが、韓馥のように敢えない最期を遂げる者もいる中、刺史としてこの徐州を守り通した手腕は、評価に値する。
 ……用向きの程はわからぬが、会ってみる価値は十二分にある筈だ。

 城内に入り、陶謙の寝室へと案内された。
 朱里と諸葛瑾は城下にいる親戚のところに向かい、彩と愛里(徐庶)が私に同行してきた。
「此方です」
「わかった」
 陳登と共に、部屋に入る。
「陶謙様。土方殿をお連れしました」
「そうですか。ご苦労でした」
 臥所に、小柄な老婆が一人、身体を横たえていた。
 侍女が介添えし、半身を起こす。
「このような姿で失礼します。徐州刺史の陶謙です」
「拙者は交州牧の土方にござる。此方は張コウと徐庶、同席をお願い申す」
「ええ、構いませんわ。これ、お三方に椅子を」
 侍女が、用意されていた椅子を並べていく。
 陶謙は顔を私の方へと向けた。
 どことなく気品のある顔立ちで、眼は強い意志を感じさせるものがある。
「まず、お呼び立てしたご無礼をお詫び申します」
「……は」
「それから、救援に来ていただいた事。徐州の者全てを代表してお礼を申し上げます」
 頭を下げる陶謙に、私も答礼を返す。
「ただ、曹操殿の助力なくては、こう迅速な対応は無理にござった。礼ならば、曹操殿に申されませ」
「はい、そのつもりです。既に使者を遣わしております」
「然様でござるか。ところで、我らも赴任途中。早速ではござるが、御用の向きを伺いたい」
「……そうでしたな」
 陶謙は頷き、手を払った。
 既に心得ているのだろう、侍女らが一礼して部屋を出て行く。
 陳登は残ったままだが、これも予てから打ち合わせているのだろう。
「ゴホッ、ゴホッ……」
「陶謙様」
 慌てて、陶謙の背を擦る陳登。
「ありがとう。……申し訳ありません、お見苦しい姿で」
「いえ、お気になさらず」
「……では、本題に入りましょう。御覧の通り、私はもう、長くはないでしょう」
 ……随分と、唐突だな。
 案の定、彩も愛里も、呆気に取られている。
「まだまだ、この徐州の為にやりたい事、為すべき事も多々ありますが。でももう、それも叶わぬ願いのようです」
 寿命を悟るのは、生物としての本能。
 だが、それを私に語って聞かせようと言うのか?
「……本当は、この徐州を、あなたにお任せしたかったのです。土方さん」
「陶謙殿。何の縁もない拙者に、何故そのような事を?」
「理由なら、ちゃんとあります。まず、あなたがとても『義』を重んじている事です」
「よく、ご存じですな」
「これでも、天下の趨勢は把握しておくよう、心がけているつもりですもの。そして、そのような事を仰せになる御方は、他に見当たらない事も」
「……なるほど」
「勿論、それだけが理由ではありませんよ? 武でも文でも、優れた人材を揃えている上、疲弊しきった魏郡を見事に立て直した手腕と人望。時には苛烈な事もなさるようですが、それはご自身の大事なものを守る為。違いますか?」
「拙者は武人。非情な手段も辞さぬ、それだけの事にござる」
 陶謙は、柔和な笑顔を見せる。
「こんなご時世、その方が庶人にとっても良いのでしょう。あなたの慕われ方を聞く限り」
「陶謙殿。私は素性の知れぬ者にござるぞ? 他の諸侯ならばそのような事もござらぬが」
「そうでしょうか。それに、素性が確かでないとしても、それが何の問題になりましょうか。漢の高祖、あの方も出自は農民ですよ?」
 聞く者が聞けば、咎められても仕方のない言だな。
 死を覚悟した者の強さなのであろうか。
「ならば、お伺い致す。この徐州の近隣には、曹操殿、孫堅殿、孔融殿、袁紹殿など、名の通った諸侯がおり申す。それらの方々を頼るべきではありませぬか?」
 陶謙は、静かに頭を振る。
「それは出来ませんわ」
「理由をお聞かせ願えますかな?」
「……いいでしょう。まず、曹操さんは覇気に溢れ過ぎています。庶人を大事にする姿勢はいいのですが、それはご自身の理想に沿う形での事。私の想いとはかけ離れています」
「…………」
「孫堅さんは武に優れ、それで揚州を纏め上げていますが、孫堅さんご自身に何かあれば、その支配も簡単に瓦解してしまうでしょう。それでは、庶人が安心して暮らせません。孔融さんは天下に大事を為せる人物ではありませんし、袁紹さんはまだまだ頼りありません」
 それで、私を頼るというつもりか。
「しかし、陶謙殿。拙者は既に交州牧、この徐州とは遠く離れた地に向かう身でござるぞ?」
「ええ、わかっております。……ですから、あなたにこの徐州を託せるのはまだ先の事でしょう。尤も、その頃には実力で勝ち取っていただく事になっているかも知れませんが」
「……では、拙者に何を求めておられるのですか?」
「陳登さん。お連れしなさい」
「はっ」
 陳登は一度部屋から出ると、一人の少女を連れて戻ってきた。
 歳の頃は、恐らく星と変わらぬであろう。
 背格好は疾風に近いが、もう少し華奢な印象を受ける。
山吹(やまぶき)さん、自己紹介なさい」
「はい」
 少女は私を向くと、一礼した。
「初めまして。私は糜竺、字を子仲と申します。以後、お見知り置き下さい」
「糜竺殿と申せば……この徐州の柱石。そうだな、愛里?」
「は、はい。別駕従事を務めておられる筈ですが、間違いありませんか?」
「そうです。……ふふ、私の事もご存じとは、流石ですね」
 と、彩が糜竺をしげしげと見つめているのに気付いた。
「如何致した?」
「は。……糜竺殿、相当弓馬に長けておいでと見ましたが?」
「かの張コウ様にかかっては敵いませんね。些かですが、心得ています」
 糜竺は、頭を掻いた。
 病を得ている陶謙を補佐し、かつ武勇にも長けているとは。
 ……ふむ、まだまだ優れた人材はいるものだな。
「土方さん。私がお願いしたいのは、この娘の事です」
「糜竺殿の事、とは?」
「この娘には、別駕従事を任せていますが、元々は商家の出で、資産も豊かです。これだけ有能で、かつ裕福な者がこの徐州に留まっていれば、必ず誰かの目に止まるでしょう」
「…………」
「……それが、もし山吹にとって意に沿わない人物であれば、そんな不幸な事はありません」
 糜竺は、黙って陶謙の話に聞き入っている。
 恐らくだが、予め言い含められているのであろう。
 まだ人となりを確かめた訳ではないが、これだけ陶謙に買われている人物だ。
 何の謂われもなしに、粛々と主人の命に従うだけとは思えぬ。
「それならばいっそ、あなたに託したいのですよ、土方さん。私にとっては、掛け替えのない娘を、ね」
「……糜竺殿。貴殿は、それで宜しいのか?」
「本当は、陶謙様にずっとお仕えしていたい、それが本心です。ですが、それが叶わぬ願いなら、陶謙様の信じる道を歩みたいと思っています」
「私が、陶謙殿が見られたような人物とは限らぬぞ。それでも陶謙殿の仰せに従うと申すか?」
「はい。私は陶謙様信じる、ただそれだけの事です」
 真っ直ぐに私を見据え、糜竺はそう言い切った。
「陶謙殿」
「はい」
「……貴殿の言葉、お受け致しましょう。この徐州を預かる事は約定出来ませぬが、糜竺殿の事は、確と」
 ふう、と息を吐く陶謙。
「ありがとうございます、土方さん。これで、肩の荷が下りたわ……。良かったわね、山吹さん」
「はい。今まで、ありがとうございました、陶謙様」
 陶謙に向かい、糜竺は頭を下げた。
「そして、これから宜しくお願い致します、土方様。私の事は、山吹とお呼び下さい」
 ……いきなり、真名を預けるか。
「信頼の証、と受け取って良いのだな?」
「はい。勿論、その信頼に背くようであれば、お返しいただきますが」
「ふっ、言うな。私の事は、好きに呼ぶがいい」
「わかりました。では、歳三さま、とお呼びします」
 稟と同じようで、何か微妙に異なる呼ばれ方のようだ。
 ……それはそうと、気になる事を確かめておかねば。
「ところで陶謙殿。陳登殿、それに陳珪殿はどうされるおつもりか?」
 この徐州に取って、この二人も重要な人物である事は確かだ。
 だが、陶謙が言及したのは糜竺のみ。
「ああ、その事でしたら。陳登さん」
「は。私と父は、この地に残る事にしました。父はもう老齢ですし、私もこの徐州を離れる気はありませんので」
 やはり、決意は微塵も揺るがぬ、そんな顔をしている。
 私が、口を挟む余地もなさそうだ。
「ゴホッ、ゴホッ……」
 陶謙が、また咳き込み出した。
「陶謙殿、もうお休み下され。拙者は、これにて失礼致します」
「お呼び立てした上、何も出来ずに申し訳ありません。こんな身体でなければ、一献差し上げたいところなのですが」
「いえ、養生なさって下され。……では、御免」
 糜竺、いや山吹は陶謙と話があるというので、私は彩と愛里を伴って退出した。


 数日後、輜重隊が到着した。
 護衛してきたのが夏侯惇だったのは、少々意外であったが。
 流石に城内では陶謙の迷惑になると考え、徐州城の外で合流する事とした。
「では、確かに引き渡したからな」
「うむ、ご苦労であった。華琳にも宜しく伝えてくれ」
「ふん、貴様に言われるまでもないわ」
 相変わらずの鼻息だな。
 どうやら、荀彧同様、華琳と親しくする者には敵意を示すらしいな。
 その態度に、彩がムッとした表情を見せるが、私は目で制した。
「ところで、土方。貴様に話がある」
「ほう。聞こうか」
 夏侯淵ならまだしも、夏侯惇から話とは珍しい。
「貴様、なかなか腕が立つらしいな」
「……いや。お前などにはまず、敵うまい」
「誤魔化すな。華琳様は常々、貴様の腕前を褒めておられる。あの華琳様が、贔屓目で仰せになる筈がなかろう」
「事実を申しているまでだ。無論、私は武人。戦いは厭わぬが、将としての力量ではいろいろな者には遠く及ばぬ、そう自覚しているまでだ」
「ならば、それを確かめてくれよう。私と勝負しろ!」
 その言葉に、彩が私の前に進み出る。
「貴様、先ほどから黙って聞いておれば。無礼にも程があるぞ!」
「何だ。私は土方に言っているのだ、貴様などには用はない」
 その言葉に、彩がフン、と鼻を鳴らす。
「そうか。私では敵わぬと見て、殿に喧嘩を売るつもりか」
「な、何だと! もう一度言ってみろ!」
「ああ、何度でも言ってやるさ。殿、このような手合い、相手にされる事はありませぬぞ」
「貴様ぁ! 私を愚弄するかっ!」
「無礼な態度を取るから、相応の返しをしたまでの事。弱い奴ほど良く吼える、とは申したものだ」
 彩の挑発に、完全に激高した夏侯惇。
「貴様! そこまで大言を吐くなら、私と勝負しろ!」
「いいだろう。此処ならば余人に迷惑も及ぶまい」
 そう言って、夏侯惇は背負った大剣に手をかけた。
「待て」
「待たぬ! 邪魔をするなら、貴様も叩き斬るぞ!」
「そうではない。真剣での勝負は認められぬ。これを使え」
 私は、稽古用の木刀を二人に手渡した。
「何だこれは?」
「決まっているだろう。互いの得物とは違うが、これならば条件も同じだ」
 ブンブンと、木刀を振り回す夏侯惇。
「軽いな。これでは力が入らんぞ」
「全く、文句ばかり垂れる奴だ。曹操殿も、さぞ苦労されている事であろうな」
「な、何っ!」
 凄い形相で、夏侯惇は彩を睨み付けた。
「手に馴染んだ得物でなければ、私には及ばぬ事に気付いたか。無礼を詫びれば、許してやらん事もないぞ」
「なめるな! 華琳様随一の武たる私が、たかが得物ごときで貴様などに後れは取らん!」
「よし、その言葉、二言はないな?」
「くどい!」
 すっかり、彩の思惑に載せられる夏侯惇。
 ……華琳が、常日頃から頭を悩ませる訳だ。

 間合いを取り、両者が対峙する。
 審判は、愛里に任せる事とした。
「勝敗は、どちらかが降参するか、得物を失った時点で良いな?」
「はっ!」
「いいだろう! だが、私には降参などあり得んぞ!」
「よし。では愛里」
「はい。両者、前へ」
 愛里の合図で、二人は進み出る。
「始め!」
「はぁぁぁぁぁっ!」
 まず、夏侯惇から仕掛け始めた。
 カン、と甲高い音がして、木刀が合う。
「流石、馬鹿力だけはあるようだな」
「ほざけ!」
「えいっ!」
 力を込め、彩が夏侯惇を押し返す。
「馬鹿力は、貴様も同じではないか!」
「これでも武人、鍛えているからな。だが、貴様のようにただの脳筋ではないぞ?」
「誰が単純で馬鹿力しかない脳筋か!」
「……いや、そこまで言ってないが」
「煩い!」
 大上段に振りかぶった夏侯惇が、彩に襲いかかる。
 本人が軽い、と言い切るだけあり、夏侯惇にしてみれば、頑丈な木刀も紙の如しなのであろう。
 だが、彩とて一流の武人。
 巧みに全てを受け止め、受け流していく。
「どうしたどうした! 受けてばかりでは私には勝てんぞ!」
「そうかな?」
 彩は、涼しい顔で答える。
 ……いや、決して遊んでいる訳ではないのであろうが。
 あまりに落ち着き払っているので、余裕綽々と見えてしまう。
「貴様! 真剣にやらんかぁ!」
 夏侯惇にもそう見えたらしく、ますます激高する。
「そうか。なら、こちらから行くぞ!」
 そう言い放ち、彩は木刀を構えた。
「だぁっ!」
「はぁっ!」
 そして、何合か打ち合ったであろうか。
「はっ!」
 彩の一撃を受け止めた夏侯惇。
 ……次の瞬間、表情が凍り付いた。
「な、何っ?」
 手にした木刀が、根元からポキリと折れてしまったのだ、無理もなかろう。
「そこまで! 勝者は彩さんです!」
 愛里の声が響いた。
「ば、馬鹿な! これは何かの間違いだ!」
「おや? 夏侯惇ともあろう人物が、最初に決めた決まり事も守らぬつもりか?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
 歯がみをして悔しがる夏侯惇。
「殿。終わりましたぞ」
「うむ。夏侯惇、もう気は済んだであろう?」
「……敗北を認めないつもりですか? 曹操様が知ったら、お怒りになりますよ?」
 愛里の言葉に、夏侯惇はがっくりと肩を落とす。
「わ、わかった……。私の負けだ」
 その手から、折れた木刀が力なく、落ちた。

「彩、良くやったな」
「いえ。さほどの事はありませぬ」
 その夜。
 臥所で、彩と共に過ごした。
「いや、あの夏侯惇相手に一歩も退かず、更に勝利を得るとはな」
「……ありがとうございます」
 嬉しげな彩。
「……だが」
「……は?」
 その髪を梳りながら、
「木刀に仕込みを入れるとは、な」
「……気付いておられましたか」
「当然だ。あの木刀は、そんなに簡単には折れぬ。第一、折れた箇所があまりにも真っ直ぐだったぞ」
「殿には敵いませぬな。申し訳ございません」
 彩は苦笑する。
「いや、良い。だが、何時の間にあのような事を?」
「は。実は、朱里の知恵を借りたのです。挑発して、気を私に逸らせたのは確かに私ですが」
「ふっ、そういう事か」
「……殿。失望されましたか?」
「案ずるでない。勝利の為には、時に手段を選んではならぬ。それは、私も同感だ」
「はい」
 彩が、身体を寄せてきた。
 その温もりを感じながら、私は眼を閉じる。 
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