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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百七十六話  深謀遠慮




帝国暦 490年 4月 9日   オーディン  ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍は後退しているようだ」
「そうですか」
養父の言葉にホッとする自分がいた。
「もっとも反乱軍にとって後退は予定の行動だろう。二個艦隊では三倍の兵力を持つアレには勝てん」
養父はソファーに坐りながらゆっくりとコーヒーを楽しんでいる。不安など微塵もないようだ。夫の軍人としての能力を心から信頼している。上司と部下として有った時に培われたものなのだろう。

羨ましいと思う。私にはそんな余裕は持てない。夫の能力を信じていないのではない。実績だって十二分にあるのは私も分かっている。でも無理をしてはいないか、危険な事をしていないかと心配してしまう。反乱軍と戦闘になったと聞けばどれほど戦力に差が有ろうとも大丈夫だろうかと思ってしまう。夫が戦場に居るという事がこれほど不安だとは……。

「反乱軍の別働隊が迫っている」
「大丈夫なのでしょうか?」
「問題は無い。こちらも別働隊が迫っている事は理解しているからな。反乱軍が合流しても戦力はエーリッヒとほぼ互角だ。遅れを取ることは無かろう、心配はいらん」
「はい」
養父がにこやかに話しかけてきたが私には“はい”と答えるのが精一杯だった。互角という言葉がどうしても引っかかってしまう。

「早ければ今月中に反乱軍は降伏するだろうな」
「今月中……」
「イゼルローン要塞が攻略されたのが大きかった。あれで反乱軍の防衛態勢が滅茶苦茶になった。反乱軍は足掻いているようだが如何にもならん。勝負有った」
養父がゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。

夫がガイエスブルク要塞を運んでイゼルローン要塞を攻略した事はオーディンでは有名な話になっている。反乱軍が敵わないと思ってイゼルローン要塞を放棄した事も。誰もが夫が反乱軍を下すと信じて疑っていない。皆にとって夫は無敗、無敵の存在になっている。でもその事が私には辛い……。

「早ければ秋には帰ってくるかもしれん。まあ遅くとも年内には戻ってくるだろう」
「はい」
「新年は皆で祝えそうだ」
「そうですね」
早く帰ってきて欲しい、と思うより年を越しても構わないから無事に帰ってきて欲しいと思った。私だけじゃない、出征している将兵の家族は皆同じ想いだろう。私には祈る事しかできない。大神オーディンの御加護があの人の上に有りますように……。



帝国暦 490年 4月 12日   ジャムシード星域  帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍イゼルローン方面軍六個艦隊はジャムシード星域に到達した。急げば十日頃には着いたんだが慌てることは無い、ゆっくり移動したから今日になった。時間を稼いだおかげで約三十時間の距離に自由惑星同盟軍七個艦隊が勢揃いしている。明日には肉眼で見る事が出来るだろう。まあ願ったり叶ったりだな。俺が恐れたのはヤン、カールセンとの戦闘中にビュコックが登場する事だった。それを避けられたんだから予定通りだ。油断はしていない。同盟軍に対しては常時偵察隊が接触を保っている。今の所同盟軍におかしな動きは無い。向こうもこちらに向かって来ている。

艦橋は緊張している。ワルトハイム、シューマッハ、抑えようとしているが興奮を抑えられずにいる。俺は戦うつもりは無いと言ったんだがな、目の前に敵を見るとそうもいかない様だ。特に今回は目の前にいるのが敵の主力だ、そして決死の覚悟で挑んでくるだろうという事も分かっている。興奮するなと言うのが無理なんだろう。落ち着いているのはヴァレリーとリューネブルクぐらいのものだ。

俺の艦隊でさえこうなんだ、ビッテンフェルト、レンネンカンプ、ケンプ、彼らの艦隊ではもっと興奮しているだろう。もしかするとミュラーの艦隊も興奮しているかもしれない。スクリーンに映った敵艦隊を見て涎でも垂らしているかもしれん。もう一度全艦隊に注意をしておいた方が良いかもしれんな。

「ワルトハイム参謀長」
「はっ」
「全艦隊に通信を。無暗に戦端を開くな、総司令部の指示に従うようにと」
「はっ」
ワルトハイムがバツの悪そうな表情をした。やっぱりな、ワルトハイムは戦いたいと思ったんだろう。残念だがそれは許さん、戦わなくても勝てる状況に有るんだ。無駄な損害を出す事は無い。それに俺はあの連中と戦いたくない。能力面で危険な男達だし感情的には結構好きな連中だ。

ワルトハイムがオペレータに指示を出すとオペレータが不思議そうな表情をしたが直ぐにちょっと気の抜けたような表情に変わった。戦わずに済むかもと思ったようだ。
「平文で打ってください」
俺が言うとワルトハイムが“宜しいのですか?”と問い掛けてきたが頷く事で答えた。

不思議か? 敵は当然こちらの通信を傍受する筈だ。戦意が乏しい、まともに戦うか怪しいと判断するだろう。さて、同盟軍は如何するかな? 遮二無二戦闘を仕掛けて来るか、それとも俺達を放置してメルカッツの艦隊を迎え撃つためにハイネセン方面に向かうか……。敵を迷わせるだけでもこちらが優位だ。ビュコックは如何するだろう? 俺ならハイネセンに戻るが……。リューネブルクがニヤッと笑うのが視界に入った。性格悪いぞ、お前。上司の心を読まないのも困るが読み過ぎるのも問題だ。



宇宙暦 799年 4月 12日  同盟軍総旗艦リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



「総参謀長、帝国軍は時間稼ぎをするつもりの様だ」
「はい」
オペレータが帝国軍の通信を傍受した。内容を聞いたビュコック司令長官の表情は渋い。予測された事だが帝国軍はやはり時間稼ぎをしようとしている。おそらくは別働隊によるハイネセン攻略を容易にするためだろう。

「通信は平文で打たれていたそうです。わざとでしょう、こちらに知らせる為だと思います」
「焦らせるためかね?」
「はい」
「厭らしい事をする、それだけ手強いのだろうが……。友人には持ちたくないタイプだな、総参謀長」
こんな時では有るが吹き出してしまった。司令長官も笑っている。良い司令長官だ。同盟軍の不幸はもっと早い時期にこの老人を司令長官に持てなかった事だろう。

本当は帝国軍がヤン提督、カールセン提督と戦っているところに参戦したかった。だが帝国軍もその辺りは理解している。かなり厳しい攻撃を二人に対して行ったようだ。ヤン提督は已むを得ず戦闘を打ち切って後退せざるを得なかった。そんな同盟軍を帝国軍は急追しなかった。おそらくはこちらを合流させるためだ。

各個撃破は用兵の常道だ。ヴァレンシュタイン元帥がそれを知らない筈は無い。それなのに敢えてそれをしないのは何故か? 戦うつもりが無いからだろう。今の通信もそれを裏付けている。帝国軍は明らかに時間稼ぎをしようとしている。別働隊のハイネセン攻略を待っているのだ。

「如何なさいますか? 閣下」
「帝国軍を無理矢理戦いに引き摺り込む。そのためにここに来たのだ。それに現状でハイネセンに戻ろうとすれば帝国軍に後ろから攻撃されるだろう、ヴァレンシュタイン元帥の思う壺だ。ここで迷っては意味が無い。」
きっぱりとした口調だった。言葉通りビュコック司令長官に迷いはない。

「では急がなければなりませんな」
「そうだ、前進して帝国軍と交戦する。兵力はこちらの方が多い、恐れる事無く戦えと命じてくれ」
「はっ」
オペレータに指示を出すと艦橋の空気が震えるほどに緊張が走った。一戦して帝国軍を、ヴァレンシュタイン元帥を撃破する、そしてハイネセンに戻り帝国軍の別動隊を叩く。そこに同盟の命運を賭けるのだ。



帝国暦 490年 4月 13日   ジャムシード星域  帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



うんざりだな。物事は大体において望む方には進まない。同盟軍が進撃を速めてこっちに向かってきている。なんでこっちに来るかな、普通は首都を守るだろう。俺はラインハルトじゃないんだ。そして皇帝フリードリヒ四世は傀儡じゃない。俺を斃しても帝国軍の敗北には繋がらないし帝国軍は引き揚げない。そんな事は帝国人なら皆知ってるぞ。

既に第一級臨戦態勢は発動した。おかげで総旗艦ロキの艦橋は嫌になるほど興奮している。興奮するな、少し落ち着いてくれ。
「反乱軍との距離、百光秒」
オペレータが押し殺した声で同盟軍が近付いた事を報告した。あー、テンション上がらん。

「全艦隊に命令、現状の距離を維持、後退せよ」
「はっ。全艦隊に命令、現状の距離を維持、後退せよ」
俺の命令をヴァレリーが復唱した。それを受けてオペレータが各艦隊に命令を出す。ややあって艦隊が後退を始めた。

「反乱軍、速度を上げました! 接近してきます!」
オペレータの報告が艦橋に響く。艦橋の空気がザワッとした。戦いたがっている……。ヴァレリーが俺を見た、俺が頷くとヴァレリーも頷いた。
「現状の距離を維持、後退速度を上げよ」
良いぞ、ヴァレリーは落ち着いている。いや、やはり同盟軍とは戦いたくないのかな。しかし妙な話だ、司令長官と副官が敵と戦いたがっていない。こんな事は帝国の歴史の中でも初めてだろう。

「相手は必死ですな」
「そうですね、でもこっちも必死ですよ」
俺が答えるとリューネブルクが笑い出した。“それは良いですな”なんて言っている。冗談だと思っているのかな、俺は本気だぞ。宇宙の統一がかかった一戦なんだ。本気で逃げるし逃げる事を恥とも思わん。正々堂々なんてのはスポーツだけで沢山だ! これは戦争だ、勝つ事が重要なのであって戦う事が重要なのではないのだから。



帝国暦 490年 4月 13日   バーミリオン星域  メルカッツ艦隊旗艦ネルトリンゲン ベルンハルト・フォン・シュナイダー



「閣下、バーミリオン星域です」
メルカッツ閣下がスクリーンに映るバーミリオン星域を見詰めながら“うむ”と頷いた。
「帝国軍がこの辺りまで進出するのは初めての事だ。……バーラト星域まではあとどのくらいかな?」
「五日程と想定しています」
「そうか、五日か」
閣下は人生の大半を反乱軍との戦争に費やしてきた。その反乱軍の最後の日が近付いている、感慨深いものが有るのだろう。

フェザーン方面軍は当初十三個艦隊で編成されていた。だがフェザーン攻略後は第一軍、シュムーデ、リンテレン、ルックナー、ルーディッゲの四個艦隊が分離した。そしてガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーを補給基地とするためにルッツ、ワーレン艦隊がウルヴァシーに留まっている。現在、フェザーン方面軍は七個艦隊でハイネセン攻略に向かっている。

「シリーユナガルに寄ってからハイネセン……。一週間といったところかな、中佐」
「はい」
シリーユナガルはバーラト星系第六惑星だ。そこで我々はハイネセンを守るアルテミスの首飾りを攻略する材料を調達する。アルテミスの首飾りは瞬時に砕け散る筈だ。

「問題は反乱軍の邪魔が入らないかですが……」
メルカッツ閣下が軽く笑みを浮かべた。
「シュタインホフ統帥本部総長によれば反乱軍はジャムシード星域で司令長官と対峙しているそうだ。こちらに来るような余裕は有るまい」
「はい」
反乱軍の動向を閣下は全く心配していない。閣下のヴァレンシュタイン司令長官への信頼は大きい。そして司令長官もメルカッツ閣下を信頼している。そうでなければ十三個艦隊も預ける事は無い筈だ。

「心配かな、シュナイダー中佐」
「心配はしておりません。ただ順調過ぎて……、戦いらしい戦いもしておりませんし……」
何て言って良いのだろう? 困惑して口籠るとメルカッツ閣下が珍しく笑い声を上げた。

「現実味が無いかな」
「そうです、なんと言うか現実味が有りません。碌に戦っていないのに反乱軍は敗北目前です。百五十年続いた戦争がこんな形で終わるなんて……、不思議な気分です」
閣下がウンウンと頷いている。
「まあ気持ちは分かる。私も似た様な事を感じているからな」
そう言うと閣下がまた笑い声を上げた。

「やはりシャンタウ星域の会戦が大きかったのでしょうか?」
閣下が私に視線を向けた。
「確かにあれは大きかった。だがそれ以上にフェザーンを反乱軍に委ねた事が大きかったと私は思っている」
「フェザーン、ですか……」
メルカッツ閣下が私を見ながら頷いた。

「得たものは守らなければならん。フェザーンを得た所為で反乱軍は少ない兵力を更に二分せざるを得なかった」
「……」
「本来少ない兵力は集中して使わなければならんがそれが出来なかったのだ。だから効果的な防衛戦も出来なかった。我々は碌に戦っていないのではない、正確には反乱軍が戦う事が出来なかったのだと見るべきだ」
「なるほど」

フェザーンが中立であれば反乱軍は戦力をイゼルローン方面に集中できた。要塞は失ってもイゼルローン回廊の出口付近での迎撃は可能だっただろう。或いは反乱軍領域奥深くに誘い込んでの決戦も可能だった筈だ。その全てがフェザーンを得た事で崩れた。

「あの当時は反乱軍にフェザーンを渡す事に随分と驚いたが今考えてみれば恐るべき深謀遠慮だったな」
メルカッツ閣下が嘆息を漏らした。閣下が私を見た。厳しい眼だった。
「シュナイダー中佐、もう少しだ、もう少しで宇宙から戦争が無くなる。だから最後まで気を抜かずに戦う事だ」
「はっ」
私が答えると閣下が軽く頷いた。眼は厳しいままだった。油断するなと眼が言っていた。



 
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