月下に咲く薔薇
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月下に咲く薔薇 17.
前書き
2013年12月29日に脱稿。2015年11月6日に修正版が完成。
出撃した各機が母艦やバトルキャンプに帰還した後、各艦の艦長とロジャー、万丈、大塚、ゼロ達が、城田や21世紀警備保障の大杉と共に一室に籠もった。
非常に後味の悪い形での戦闘終了だ。パイロット達にも思うところは様々あるが、元々昼のライノダモン騒動に加え、基地内の見回りからバトルキャンプ防衛に移行し、皆が寝ずの対応をした。
当然疲労はピークに達しており、エネルギーを持て余していたシンやエイジ達の表情は精彩を欠いている。足取りの重さも手伝って、着替えに行く彼等はヘルメットの端を握ったまま泥中を歩いているかのような有様だ。
クロウの背後から、ロックオンがついてくる。
その2人を、21世紀警備保障の横沢課長補佐が呼び止めた。
「お疲れ様」足早に近づくと、「まずはゆっくりと休んでくれ」と自室に直行するよう勧める。「みんな、クロウが背負い込むんじゃないかって心配しているんだ」
「その心配は、正直俺にもある」ロックオンも同調し、愛用のハロを抱え直した。「ま、バカな考えを起こさないよう、俺達がつきっきりで見張っておくさ」
「達」の響きから、クロウは自分に纏わり付く監視の目が増えた事を悟った。ソレスタルビーイングの隻眼スナイパーは、今回デュナメスから持ち出したサブ・パイロットのハロを相部屋に持ち込むつもりでいる。
ハロは、人の頭程もある球形の自律型ロボットだ。トレミーに多数搭載され、艦の補修などを一通りこなす。少ない語彙で人間とコミュニケーションする事もでき、会話中には小さな2つの点目が規則正しく点滅する。
ロックオンがデュナメスのサポート用に使用しているハロはオレンジ色と鮮やかで、艦の修理時には他のハロを率いたりもする優れものだ。
寝ずの番が可能なおしゃべりロボットの増援。もし、クロウが独りで部屋を抜け出そうものなら、ハロは最大音量でロックオンを叩き起こすのだろう。
「頼むよ」ロックオンとハロの両方に笑いかけた後、横沢の目つきが真剣なものに変わった。「SMSもうちの社の人間も、みんな理屈では飲み込んでいるんだ。今は一度冷静になるべきだ、って。ただ、ネネさんとララミアさんにとっては、ピクシー小隊の問題という側面が大きい。さっき、ジェフリー艦長とオズマ少佐に食ってかかっていた」
「そっか…。辛いところだな。誰にとっても」
ロックオンがそう答えている間、クロウは横沢の様子に注視した。彼もまた、連れ去られた中原の上司にあたる。卑劣な敵の一手に、何も感じていない筈はないのだ。
「なら、そっちはどうなんだ?」
敢えて直球で問いかけてみる。
「勿論、うちの社にも動揺は広がってる。赤木達の間にも」横沢が、管理職でありながら皆の心中を素直に吐露した。「ただ今は、積み重なった疲労の方が大きい。僕達は夜からだけど、君達は午前中から動いてる訳だし。怖いとしたら、その後だ」
「まともに頭が回るようになった頃から、か」
たとえ大洋に日本が2つあろうと、ZEUTHとZEXISそれぞれの言う地球が異なっていようと、日本人の気質というものが別物という事はない。竜馬とタケル、葵達や扇達、勝平やキラケンには、全く同じものが秘められている。
一方で戦闘民族ゼントラーディは、昼からの疲労を克服できる程、高揚する感情の塊で肉体を支配する事に長けていた。それだけに、行動を縛られると行き場のない感情の暴走や反転に激しく翻弄されてしまう。ゼントラーディの多くは、突き上げる感情の奔流を溜める場所を持っていないのだ。
日本人とゼントラーディ。悲しみの受け止め方が、両者では大きく異なる。抱いているものは全く同じで、どちらの悲しみがより大きいという話でもない。ただ、悪戯に時間をかければ、日本人であれゼントラーディであれ、誰かの負担が限界を超えてしまう危険性は極めて高かった。
「…今夜は眠れないな」
ぽそりと呟くロックオンに、クロウと横沢が小さく相槌を打った。
出撃中に失った水分を補給し、時間をずらしてこっそりシャワーを浴びる。上からの指示なのでまずベッドに体を預け、床に転がるハロを意識しながら目を閉じた。
もし。あの落下感が再び訪れれば、クランや中原の囚われている場所に行く事ができるのだろうか。そんな思考に傾きかけ、クロウは焦っている自分に気づく。
あの場所はまともではない。生身のまま自分を取り囲む異常な世界の見え方を知り、身を守る術を持たない中で仲間の救助を待つ事になるのだ。2人の心中など、推し量らずとも手に取るようにわかる。
「…なぁ、ロックオン」
「休んでおけ、クロウ」
会話を拒絶されるも、クロウは話し続ける事にした。月光はカーテンにより遮断され、ベッド下のルーム・ランプがぼんやりと狭い室内を照らしている。
「今のZEXISに余力があると思うか?」
ロックオンは無言だった。
「ソーラーアクエリオンの壱発逆転拳を吸収するような化け物が現れて、隊の女の子が2人も連れて行かれた。インペリウムだけでも厄介な俺達が、別の敵に食いつかれたんだ。出し惜しみしている場合じゃないって考えるのが普通だろ?」
「…それでお前は、あの嘘つき野郎と組みたいのか」
今度は、クロウが返事に窮した。
一瞬だけ目の合ったミシェルのメサイアを、ふと思い出す。
「確かに、今朝からの騒動には全部別の犯人がいた。アイムもそいつに狙われる側だったし、奴は何かを知っているんだろう。だから行くのか? 利用されるつもりで」
「何とか命までは取られないようにするさ。ブラスタもな」
ロックオンが、一拍置く。
「はぁ~。だから、お前は借金をこさえるんだ。とにかく寝ろ。いいから寝ろ。断固、絶対、何かを考えたくなっても寝ろ!!」
クロウの胸にグサリと刺さるものがあった。脇が甘いから、金を知り尽くす者に繰り返し手玉に取られてしまう。
ロックオンの言いたい事は理解していた。スメラギ達が何を思い、上気したネネ達がそれでもこの部屋には押しかけずにいる理由さえ。
覚醒したスフィア・リアクターとやらを侮ると、首都が1つ大地から消える事になる。それは、ZEXISがリモネシアで学んだ痛みを伴う教訓だった。アイムの野望とアリエティスの性能に秘められているものを読み誤った結果、大きな代償はZEXISではなく首都に住む人々の命全てで支払う事態を招いてしまったのだ。
アイムが『偽りの黒羊』のスフィア所持者であるように、現在のクロウもまた『揺れる天秤』と名付けられているスフィアの所持者となっている。未だ彼の力の源を使いこなしていないとはいえ、何処でその力を振るうかは周囲を大きく巻き込む大問題だ。
覚醒については謎が多い。ZEXISよりもスフィアに通じているZEUTHは、スフィア・リアクターの覚醒が何段階かを踏むのだと話していた。覚醒の度合いで並べるなら、魔人アサキム、アイム、ZEUTHに所属する『傷だらけの獅子』と『悲しみの乙女』の2人、そしてクロウの順になるらしい。クロウの場合、未だ覚醒の初段階、半覚醒状態にあるのだ、とも。
それでもVXから引き出す事のできるエネルギー量は以前に比べ格段に増し、SPIGOTを稼働させる攻撃はZEXISでも五指に入る強力なカードとなった。より高い覚醒レベルとやらは、おそらく時間の問題のように思う。
もしクロウがアイムと組めば、スフィアとブラスタの使い道を奴に委ねる事になる。他ならぬあのアイムに、だ。インペリウム帝国を知る者ならば、誰もが最悪の事態に等しいと警戒するのは当然だろう。
問題なのは、現時点であの青い世界へ自力で行き来する能力を持つ者がアイム1人という事だ。ZEXISの力だけでクランと中原を助け出すなど、夢のまた夢ではないか。
手を組む相手を選り好みできる程、今のZEXISに余裕があるのか?
誰もが理解をしているのに。答えは、NOだ。
「なぁ」クロウは、それを声に出してみる。「時間は、敵と俺達、どっちに味方するんだろうな?」
再び、ロックオンが無視をした。眠っている様子はないので、クロウの話には耳を傾けているようだ。
「ライキャク! ライキャク!」
ベッドの下で、機械的な声がした。
2人同時に上体を起こし、「誰だ?」とロックオンがドアの向こうに呼びかける。
「…起こしたならゴメン。俺はガロード。それにティファもいる」
ティファの名に、クロウはロックオンと暗がりの中で視線を交わした。彼女には訊きたい事が幾つもある。敵に関するヒントや、何故ダブルエックスを出さなかったか、などを。
部屋を明るくし、慌てて服を着る。
ロックオンがドアを開けると、昼間会った長髪の少女がボーイフレンドと共に立っていた。
「どうした?」
ロックオンが応対に出ている間、ハロはクロウの足下で耳の位置にある2枚の蓋をパタパタと開閉している。敵ではない事に安堵して見えるのは、クロウ自身の思いが投影された結果かもしれない。
「入っていい…?」
か細い声で、少女が入室を希望した。
「ナイトと一緒なら」
立ち上がったままのクロウが笑うと、ガロードがえへへと照れながらティファに手招きをした。
少女が、クロウを見ている。部屋の奥に進み入る間、そしてベッド前に立つクロウの真正面で足を止めた時も。
落ち着きがなくなるのは、当のクロウとガロードの方だ。
「どうした? ティファちゃん。深夜にむくつけき男の部屋に入って、その熱い視線はくすぐったいぜ。俺に何か…」と言いかけ、更に驚いた。
ティファはいきなり、クロウの右手を取ったのだ。
「クロウ。あなたの中に、欠片がある」
「欠片…?」
その言葉が一体何を指すのか、尋ねるまでもなかった。心当たりなら有りまくりだ。
青い異世界で指先に痛みを感じたのは、やはり何かが皮膚を突き破ったからに違いない。そもそも白い糸の正体に好奇心が湧いただけなので、テイクアウトをする狙いなど最初から皆無だった。
欠片とは、一体何の欠片なのか。それを取り出すにはどうしたらいいのか。
クロウは次第に、診察室で医師と対峙する患者の気分になってきた。
「そうはいっても、今はまだこれといった自覚症状はないんだ。よく気づいたな」
「ニルヴァーシュが教えてくれたの」
ティファの返答に、クロウばかりかロックオンとガロードも眉を上げた。
「ニルヴァーシュが!?」
「ニルヴァーシュで響いているの。あの人達が残した音が。私は、それを聞いただけ」
「置き土産って事か。もしかしてそいつは、さっきのホワイト・アウトの時?」
クロウが少女に問いかけている間、ロックオンは内線でクリスと手短に会話し、レントンとエウレカが起きているかの確認を依頼した。
目前のティファが首肯する。
「レントンは、もう気づいている。ニルヴァーシュの異変に」
なるほど。件の機体は先程の戦闘時、確かに出撃機に含まれていた。次元獣もどきの攻撃隊に加わっている最中、ティファの言う異変が起きたのだろう。
「悪いな、もう少し訊かせてくれ。その声についてなんだが、いつから聞こえるようになったんだ?」
「みんなが戻って来た後。繋がったり切れたりして、切れている時間の方が長い。でも一瞬だけ、クロウさんの事を教えてくれた」
「今も聞こえる?」
少女が仕種で否定した。
「ニルヴァーシュの中に何かがあるのは、ティファちゃんが自分で気づいたのか?」
「そう」と、小さく首肯する。
件のニルヴァーシュは、極めて特殊な機体だ。レントン達が既に何かを察知しているというのなら、今夜のうちに彼等と会う事ができれば話は早い。
ロックオンが、受話器を手にしたまま振り返った。
「クロウ。レントンとエウレカは、今もダイグレンの格納庫だ。ニルヴァーシュに何かあったらしい」
「行くか! ダイグレンに」
敢えて、左手で軽くドアを指す。何故かティファが、握ったまま右手を離さなかったからだ。
「ん? どうした? ティファちゃん」
クロウが見下ろす傍で、ガロードも「何か感じるのか?」と少女の顔ではなく右手に視線を落とす。クロウの右手に重ねられた小さな白い手を、やや複雑な表情で。
少女が、今度は首を横に振った。
「ダメ。聞こえない」
「じゃあ」ガロードがティファの手を毟り取ると、握ったままドアを顎でしゃくる。「先に行ってるぜ! 後から必ず来いよ!」
少女を連れ出す少年が、疾風のように部屋から消えた。
行くのは別に構わないとして、ややぞんざいとも映るガロードの態度に、クロウは首を捻る。何か気に障る事でもやってしまったのだろうか。
「ちょっと絵になってたからな。恋する少年には、それが面白くなかったんだろう」
隻眼の親友が、片目と口でクロウを冷やかした。
「よせよ。医者と患者の関係みたいなもんじゃないか」
「理屈じゃないんだよ。理屈じゃ」
クロウに軍用コートを差し出すロックオンから、一瞬だけ笑みが消えた。
理屈ではない、か。それはクロウにも言える話だ。
自重すべきと理解をしても、異物の存在を知ったからには睡眠を投げ出してでもその正体に迫りたくなる。
ましてや、大人達が無理矢理ベッドに入っている深夜、子供が愛機の件で格納庫から出られないというのも不憫な話だ。レントン達とティファ達には、然るべき大人の付き添いが必要に決まっている。
人影の見える滑走路を横に見ながら、再び夜空の下に身を躍らせて外を走る。
このバトルキャンプで必死な一夜を過ごしている人間は、クロウ達の他にもいた。外で働く人影は、揃って前屈みになったり跪いたりと不自然に姿勢を低くしている。
先程の戦闘の跡が残る一角で、クラッシャー隊隊員とジロン達が照明を頼りに窪みの中に目を凝らしているではないか。目当てはおそらく、アリエティスが切断した敵の一部だ。
次元獣の能力を持っている植物片。当然放置は危険だし、基地内への収容にも大きなリスクを伴う。或いは、せめて発見場所の特定だけでも進めておきたいとの判断が、深夜の破片探しという難儀な作業に働いているのかもしれない。
「何か見つかれば儲けものだな」と、クロウは独りごちた。一心不乱の仲間達に背を向け、ロックオンと共にダイグレンに乗り込む。
ホランド達が月光号ごと離反して以来、ニルヴァーシュはレントンとエウレカ込みでZEXIS預かりとなった。今はダイグレンに機体を収め、スメラギやジェフリー達指揮官の指示で動いている。
格納庫には、大人と子供の背格好が3人程一カ所にまとまっていた。
「もう遅いわ。明日、もう一度調べるところから始めない?」
リーロンが上方を仰ぎ、解放されたままのニルヴァーシュのコクピットに声を張り上げて呼びかける。
しかし「ニルヴァーシュをこのままにはしておけないよ!」の一点張りで、レントンは下りる事を頑なに拒否していた。
エウレカの姿が下に無いという事は、彼女もコクピットの中か。
ニルヴァーシュとは、機械と生物の中間をゆくレントンの愛機だ。白いぬいぐるみのようなニルヴァーシュと黒いジ・エンドという同種の2体が融合し、spec2の倍以上という巨大な機体を構成している。
上半身が大きく足の細い白銀の外観は、手に持つステッキと相まって魔法世界の住民を思わせる。ステッキを武器とし、以前のようにボードを必要とせず飛行するので、余計かもしれない。
ニルヴァーシュへの指示は操縦よりも感応によるものが大きいらしく、機体そのものをガンダム搭載のビットやファンネルと解釈する事もできる。操者は専属で、少年と少女の2人組だ。
「なぁ、リーロン。話があるんだ。ニルヴァーシュの事で」
線の細い男の背にガロードが声をかけると、「あらやだ!」としなを作って腰を捻りニューハーフのメカニックがガロードとティファを見比べた。「もう、あんた達まで! 寝なきゃダメって言われてるでしょ。寝るのも仕事よ。大丈夫、明日も朝は必ず来るから」
子供達を窘めるリーロンに、クロウは近づきながら右手を上げる。
「よっ、お疲れさん。どういう感じなんだ? ニルヴァーシュは」
リーロンが一瞬、半眼になった。
「随分と早耳ね。…それとも、『揺れる天秤』としての勘かしら?」
「そんな大層なもんじゃねぇ。ティファちゃんからの話で知っただけだ」
視線を下げ、リーロンが「疲れを溜めないでね」と少女に優しく忠告する。「ガロードを心配させたくないでしょ」
「うん」と、ティファが淡く頬を染めた。
ロックオンが話を戻す。
「聞いたところによると、ニルヴァーシュに何かあったとか。で、どうなんだ?」
「レントンの話だと、ニルヴァーシュの話している事が急にわかりづらくなったんですって」
言いながら、リーロンの視線が件の機体のコクピットを指した。
「わかりづらく…?」
それはいつもの事ではないのか。クロウの他、ロックオンとガロードの脳内で用意された返答は、理性の働きによって喉の半ばで凍結される。
専属のパイロット達2人ならまだしも、クロウ達にとってニルヴァーシュの発する声は常に「モキュ」以外の何物でもなかった。多少のバリエーションはあるようだが、それでも犬や猫の鳴き声と持ち幅は大して変わらない。
レントン達2人には、その「モキュ」でニルヴァーシュの言わんとする事が理解できるという。
「私にも、いつものモキューにしか聞こえないのよ。それは仕方ないわね」そして、リーロンはタブレット端末をガロード達にも見えるようにくるりと裏返した。「一応解析してみたんだけど、ノイズの類も入ってないのよ。だけどレントンは、出撃前と違うって言うの。今の調べ方じゃお手上げね」
ティファはしばらくニルヴァーシュを見上げ、その後リーロンを見つめた。
「アムロさんを呼んで。それからνガンダムをここに」
「え…?」
ティファの言葉はいつも少なく、要望を中心に周囲に伝える。
それ以上彼女は語らなかったが、クロウ達もリーロンも想像したものは1つだった。
νガンダムに搭載されているサイコフレーム。彼女はそれを使い、思考の共有によるコミュニケーションを試みるべきと進言しているのだ。
クロウは、開いた自分の右の掌を見つめながら考えに浸る。
もし。もし体内の異物が、単なる糸の断片ではなくアイムの言う「残された者共」の仕込んだ別の何かだとしたら。ティファの言う声の主は、その正体と取り出し方について教えてくれるのだろうか。
おそらくは、ニルヴァーシュの異常という話に自分が呼ばれている理由もその辺りにある。
慌ただしく動くリーロンとνガンダムの登場を、ガロードとロックオンだけがぽかんと立ち尽くし見物していた。
「あれ? アムロさん…」
当然、レントンの反応もロックオン達と大差ない。
レントン達を驚かせたνガンダムは、ZEUTHのアムロが使用するニュータイプ専用ガンダムだ。フィンファンネルと呼ばれる可変子機を複数左身に背負っている為、左右非対称のシルエットを床に落とす。
多くのガンダムがそうであるように機体は白く、腰には件のサイコフレームを搭載していた。
感応機であるニルヴァーシュの為に、感応機のνガンダムを用意する。ここから先は、武器の使用では見る事の叶わない世界が広がりそうだ。
「そのままでいいわ、レントン。これからティファに代わるから、彼女の指示に従ってちょうだい」
用意したヘッドセットをリーロンがティファに渡すと、彼女は小さな声でゆっくりと話し始める。
「レントン。エウレカ。今から、クロウさんとニルヴァーシュをνガンダムで繋ぐの。コクピットで声を聞いて。ニルヴァーシュの声と、別な誰かの声を」
「え?」
事情の見えないレントンが、ニルヴァーシュの中でつい呆けた。
ティファが続ける。
「νガンダムのサイコフレームが起動している間だけ、レントン達とニルヴァーシュを繋いでくれるの。もう一度話ができるようになるわ」
得たりと確信し、クロウはにやりとした。
「そいつは、全員を並列に繋げる事もできるんだろ? だったら、別な誰かの声ってのは、俺が優先的に聞き取っておく。元々、俺絡みの相手だろうからな」
ティファが、小さく頷く。
「で、俺は何をどうすればいいんだ?」
当事者の1人として、クロウは手持ち無沙汰である事を申告した。
「それなら、俺も同じ質問がしたい」ロックオンが、右手の親指で自らを指す。「俺とガロードに出来る事はないのか?」
少女は瞬考した後、右手を差し出しながら「ガロード」、「ロックオンさん」と言いつつ左の掌を開いて招いた。「私達と一緒に祈って。思いが伝わりますように、って」
「よっしゃ!」とすぐに手を繋ぐガロードに対し、ロックオンは躊躇しまずガロードに視線でお伺いを立てる。
対するガロードは、きょとんとした様子で「俺じゃくなて、ティファ」と手を繋ぐよう急かした。
内心苦笑いで子供心を迎えつつ、ロックオンもティファと手を繋ぐ。
「リーロンさんも」少女が呼びかけリーロンの協力を求めれば、痩身の男性が「じゃあ私は」と空いている左手を少女の左肩に優しく置いた。
間近になったロックオンの顔に、リーロンが軽くウインクをする。
「俺の手も空いてるぞ」敢えて右の掌をひらひらとさせるクロウに、ニュータイプの少女が「クロウさんは、ニルヴァーシュに触って」と、目線で機体への道を作る。
「それだけでいいのか?」
ティファが、首を横に振った。
「自分の中に別な誰かがいる。その思いを知りたい、って。強く、強くそう念じて。ニルヴァーシュとクロウさんが同じ事をすると、アムロさんと私達の力でもっとはっきり浮かび上がってくる」
つまり、クロウの体内にある異物は思考力を持っているという事になる。些か、ぞっとしない話だ。
加えて、突然駆り出されたにしてはアムロが妙に冷静なところも気になってしまう。ティファだけでなく彼もまた、一層上にある異質な現状がよく見えているようだ。
彼等を頼りにすれば、連れ去られた2人を救う事ができるのかもしれない。あのアイムなどと手を組まなくても。
ZEXISの総力。知らぬうちに侮っていたのは、隊の一員であるクロウ自身か。
「急げ、クロウ」アムロが時間を気にしている。「疲れているのはわかるが、もし種の類なら後々厄介だ。この1回で正体を暴くつもりでやってくれ」
「了解だ」
ティファ達4人の視線を背中に感じつつ、クロウは跪いているニルヴァーシュの膝上に触れた。硬い装甲は、掌を冷やす程冷たくなっている。
格納庫の奥が、機械音で再び賑やかになった。ここはダイグレンの中だから、リーロンの指示で修理を行っている者達が手元に集中しているのだろう。
彼等には、隊として最優先の役割が任されている。νガンダムには気づいていながら、こちらの問題からは自らを切り離している様子だ。
今すべき事。それが、隊という集団の中で個を動かしている。
立ったまま、ティファが目を閉じた。
「始めて下さい」
「よし。全員で念じるんだ! 強く!!」
アムロの声に合わせ、仁王立ちするνガンダムが次第に金色の光の粒を全身にまとってゆく。
色違いのGN粒子にも見えるが、太陽炉から放出されるGN粒子とは異なり、この粒は炉から放射状に放たれたりはしない。もっと緩やかな動きをし、粒子の量も少なかった。
戦闘ではない為、アムロが抑えているのだろうか。
天井の高いダイグレンの格納庫で、黄金の光の粒が流れて進む。ティファ達を巻き込みながら、ニルヴァーシュとクロウをνガンダムと繋ぐべく小さく小さく円を描いて。
直後、青白く輝く星が1つ、ニルヴァーシュとクロウの足下に現れた。星は小さく歪な丸を成し、更に周囲にある筈の格納庫壁面を消滅させて星々の海を大胆に出現させる。
床に足をつけている筈なのに、五感を狂わせ浮遊感で弄ぶ。まるで落下後の青い異世界が再現されてゆくような錯覚に陥った。
しかし周囲を染める色は、濃紺といより限りなく黒に近い。あの青の世界ではなく、あまくでアムロが支配する感覚飛翔の結果なのだろう。
アムロとティファ達が呼びかけているのがわかる。人間の思考を、少しでも光や音に近づけようと。
遠くで、ニルヴァーシュとレントン達の声も聞こえた。言葉は不明瞭で、断片的に「大丈夫」だの「ある」だのと何物かについての会話をしているところまでは伝わってくる。
νガンダムの中にいるアムロ、ニルヴァーシュとレントン達、そして生身のクロウとティファ達だけが、先程までと同じ姿勢で宇宙を漂っていた。
格納庫から一部の人間だけが抜き取られたかのような光景だ。
サイコフレームとやらが人間に知覚させる無境界世界。正直なところ、これ程のものとは思わなかった。肉体と物質の境界が取り払われ、人の感情や思考をそこここに存在していると直接感じる事ができる。
しかし、全員の意識が混然一体となるのではなく、あくまで「自分」は最も濃密で浮いている場所に存在する。
なるほど、この中ならば。
ティファに言われた事を思い出し、クロウも自身の内なる存在を意識した。
何かがある。ではなく、誰かがいる、と。
一体何者なのか。伝えたい事はあるか。そう望んだ時、青白い星の声を聞いた。
『…を止めて下さい。…を止めて下さい』
聞こえてくる声の印象では、若い女性のものらしい。
「おいおい。誰を止めろって?」
相手もわからない中で、クロウはつい衝動から問いかけた。
『…を止めて下さい。私も花たちも、既に彼の一部です。私達では、どうする事もできません』
「誰だ? あんたは」
クロウは、質問を変えた。
『100の中の1。私がこちらに来ている間だけ、彼は向こうで眠っています』
「あー。言っている事はわからないが、何とか同じ言葉は通じそうだな」
『それも今だけです。彼とあのロボットが、私達を繋いでくれていますから。ああ、彼女を守ったのは正解でした。こちらで力になってくれる能力者。彼は目障りに感じていますが、きっとこの方がいいのです。彼のやり方では、全てを壊してしまうだけでしょうから』
「俺達はさっき、仲間を2人連れて行かれた。あんたの言う彼の仕業、と俺は見ている。いきなりで悪いが、あの異世界に行く方法について詳しく聞かせてくれ」
声は、一度沈黙した。
そして先程よりも小さな声で、『今は無理です』と萎れた答えが返ってくる。『彼が、もう眠りたいと言っています』
また「彼」かと、クロウは眉を寄せた。どうやらアムロの事ではなさそうだが、過激そうな仲間が「彼」なら彼女の言う眠りたい誰かも「彼」呼びにする。
「もしかしてニルヴァーシュの事か?」
『にる……?』
女性の声は、機体名を繰り返そうとすると何故かそこで消えてしまった。
「ああ、俺が触っているロボットの事だ」
『ええ、そうです』
「さっき誰かを止めてくれと言っていたが、正直なところ、俺の中にも何かを入れられて機嫌の方は最低ランクだ。いきなり自分本位な依頼をされても、即答はできない。そういうもんだろ? 相手の気持ちってのは大切にしようぜ」
『…では、印を残してゆきましょう』
「印?」
『使い方は、いずれわ…りま…』
返答する声が、急激に遠のいてゆく。会話の継続が難しくなってきたとクロウは悟った。
咄嗟に、「頼む! これは答えて帰ってくれ!」と無理矢理ねじ込みにかかる。「俺とニルヴァーシュの中にあるのは、種か何かか? 芽が出る条件って何だ?」
『芽は…』
「深刻な問題だろ!? 朝、飯を食ってる時に、仲間の前で俺の鼻や口から枝葉が出てくりゃ大騒動だ!!」
『ふっ…!』
女性が笑った。少なくとも、クロウにはそのように感じられた。
後に続くのは、あの心地よい響きの音だ。決まり事から成る音の羅列には聞こえないのに、弾ける音楽は連なりとしても耳に良い。
喜びのようなものをクロウに伝え、声はそれを最後に全く聞こえなくなった。
消えてゆく星々と宇宙の代わりに、硬質な艦内の壁面がクロウの視界に蘇ってくる。どうやら、繋がりとかいうものは断たれたらしい。
νガンダムから発せられる光の粒も、いつの間にやら消滅していた。
図らずも、最後に行ったクロウとのやりとりは彼女を爆笑の余韻と共に帰した事になる。
「…笑い事じゃないだろ、当事者にとっては」
赤面し愚痴りはするが、彼女の様子から種ではないとの結論に至った。取り敢えず、その1点だけは信じておく事にする。
遠巻きにしていたロックオンが、「お疲れさん」と労いながらクロウに近づき肩を叩いてくれた。
レントンとエウレカには、リーロンがコクピットから下りるよう声を張り上げている。
何か得るものでもあったのか、今度は「はい」と素直に返事をしレントンはエウレカと共に機外に下りた。
少年達の姿を見て、思い出す。そういえば女性の声と会話している間、ニルヴァーシュとレントン達の思考は余り多くクロウの中に流れ込んでは来なかった。今日のアムロの使い方だと、より深く繋がりたいと願っている者のコミュニケーションを仲立ちするだけなのかもしれない。
その方が良かった。古代の軍師でもあるまいに、2組の成す全く別な会話を同時にこなせる程、レントンもクロウも思考と体力の余裕がない。何しろ、戦闘後と夜更かしの組み合わせを抱え込んでいるのだから。
向こうの会話も気にはなるが、まずロックオンに「今の、お前にも聞こえたか?」と人差し指で金粉の散布を指で円状に描く。
「ま、まぁな」口を妙な形に歪めつつ、ガンダムマイスターが曖昧に答えた。「お前の言ってる事だけは少し聞き取ったぜ。特に最後のやつ。…鼻や口から、何だって?」
にっと白い歯列を見せ馬鹿にするロックオンに、慌ててクロウは掴みかかる。
「そこだけ聞いてたのか? おい…、ちょっと。それはないだろ!? 忘れてくれ!! すぐに!!」
しかも、突き刺さる視線に振り返れば、瞬時に顔を背けたガロードとリーロンが堪えきれずに肩を震わせている。
「…今度やる時には、是非とも耳栓付きにしてもらいたいぜ」
「それって意味ないよ。声じゃないんだから」と、ガロードが先にティファと顔を見合わせてからこちらを向いた。
「まぁまぁ。レントンとお前の体験談は明日聞くとして…」
ロックオンが何かを言いかけ、顔を強ばらせる。
「何だ? あれは」
突然、ティファの足下が明るくなった。
「ティファーッ!!」
ガロードが、少女の手を引き咄嗟にその場から飛び退く。
それでも同じ場所は、ぼんやりと光り続けていた。
ガロードの絶叫に驚いたのか、機体の修理を手伝っていた雅人達も集まってくる。
身構えたレントンが強く握るのは、エウレカの小さな手だ。
直前までティファの立っていた場所を、人の輪が囲む。
その輪の中心に、歪な青白い光の盆が出来上がった。
直径は、およそ5センチ。スポットライトの産物か反射の悪戯と受け止めたいところだが、生憎それを証明する光源は格納庫に1つも存在しない。
「ただ光ってるだけか」獣戦機隊の雅人が膝を突き、しげしげと覗き込みつつ光の盆の端を指でなぞった。「何だか月みたいだな。ほら、ここに兎がいる」
雅人の言う兎とは、月の表面に人の目が見つける濃淡の悪戯だ。確かに、兎と見えなくもない。
「そういえば」と、レントンが顔を上げる。「ゆうべから、陰月の光がいつにも増して弱くないか? 時々、月が1つしかないように見えるんだ」
- 18.に続く -
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