キル=ユー
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1部分:第一章
第一章
キル=ユー
ニューヨークマンハッタン。地球で一番栄えているというこの街の中心地だ。今日も金やビジネスの話で朝も夜も大忙しだ。この街から人が消えることはない。
それは表も裏も同じことだ。表の世界でビジネスマン達が株がどうしただの石油がどうしただの離してる丁度その隣で俺みたいな悪党が黒いコーヒーを飲みながら仕事の依頼を受けている。
俺は殺し屋だ。本当の名前なんてどうでもいい。裏の世界じゃ本当の名前よりも価値のあるものがある。
それが金と腕だ。俺は殺し屋になってから本当の名前は捨てた。今じゃ人を殺してそこから貰える金で食ってる。誰にも本当のことは言うことができねえ仕事だ。俺はこの街に来る前からこの仕事をやっている。
前はシカゴにいた。そこであるファミリーに雇われて仕事をしていた。だが相手のファミリーのドンをやった後で俺の周りが騒がしくなった。それで身を隠す為にもこの街にやって来た。今じゃ名前も顔も変えてこの街に溶け込んでいる。
流石に向こうのファミリーも俺がこの街にいるってことはわかってるらしい。だが名前も顔もばれちゃいない。俺のことには誰も気付きはしない。そういう自信があった。
けれど最近妙な噂を聞いた。この街に奇妙な殺し屋が現われたらしい。何でも武器も手も一切使わない殺し屋だそうだ。
「そいつはどうやって仕事をするんだ?」
俺はある日バーでそっちの世界にも詳しいバーテンに尋ねた。このバーテン表の顔は普通に店で働いてるが裏じゃヤクでかなりもうけている。むしろそっちの方で暮らしてる位だ。俺と同じワルだ。
「聞いた話じゃな」
バーテンは剣呑な目を俺に向けて話してきた。真っ当な世界にいない奴特有の目だ。俺はその目を見ながら話を聞いた。
「声で殺すらしい」
「声で」
「それと字でな。あくまで噂だぜ」
「おいおい、何かオカルトだな」
俺はそれを聞いて思わず吹き出しちまった。
「何だ、そりゃ。呪いか?」
「あんたもそう思うかい?」
だがバーテンは真面目な顔になっていた。
「呪いだって」
「生憎俺は神様なんて信じちゃいないんでね」
バーボンをストレートであおりながら答えた。
「そっちの方も信じちゃいないさ」
「そうか。けど気をつけな」
「何がだ?」
「探してるらしいんだ」
「そいつがか」
「ああ」
「で、誰を探してるんだ?」
俺はカウンターでバーテンと向かい合っていた。今この店にいるのは俺達しかいない。俺は暗い色のスーツを暗い店の灯りに溶け込ませていた。そして真っ黒の靴を片方自分が今座っている椅子にかけさせていた。片膝をつく形で飲んでいた。
「シカゴで何年か前ファミリー同士で揉め事があったよな」
「そういやそうだったな」
俺はとぼけてみせたがよくわかっていた。何しろ俺もその中にいたからだ。
「何か片方のファミリーのドンがやられたらしいな」
俺がまともに心臓を撃ち抜いてやった。オペラハウスから出たところをズドンだ。ドンは階段を転げ落ちてそのまま地獄行きだった。すぐに俺はそっちのファミリーから睨まれてシカゴからここに高飛びする羽目になった。勲章って言えば勲章だがそれを口に出したら俺がそのドンの次に地獄に行っちまう。言いたくても言えないし飾りたくても飾れない厄介な勲章だった。
「そう、それでな」
「バラした奴を探してるんだな」
「そうらしいな。それでそいつを始末する為に」
「そのオカルトを雇ったってわけか」
「そういうことだ」
「面白い話だな」
その始末される奴が俺なのはすぐにわかった。だから余計に面白かった。思わず笑ってしまったというわけだ。
「で、だ」
「ああ」
「そのオカルトな殺し屋は何て名前なんだい?」
「名前ははっきりしない」
「へえ」
増々面白い。名前もはっきりしないとは。
「顔もな」
「何処の奴か全然わからないのか」
「シチリアの奴が雇ったってだけはわかるがね」
「わかるのはそれだけっと」
「ああ。他は何もわかりゃしねえ」
シチリアの奴が雇ったからってその雇われた奴がシチリアの系列の奴だとは限らない。これは俺にもこいつにも常識だった。この世界色々な奴がいる。チャイニーズもいればアフリカンもいる。ヒスパニックもいる。俺が今一つ好かない今だにお高くとまったワスプもいる。他にも色々といる。このアメリカって国がそうであるようにその裏の社会も同じだ。色々な奴がいて動いている。
「何もな」
「話聞いてりゃケルトとかチャイナっぽいけどな」
「そりゃ完全にオカルトだろ」
バーテンの言葉にそう返した。
「アイリッシュもチャイニーズも実際はそんなことしねえよ」
「そうなんかね」
これは実際にわかっていた。ここにいるチャイニーズの連中の仕事もしたことがある。やることはシチリアや他の連中と大して違いがない。もっとも根城になってるチャイナ=タウンは複雑に入り組んでいて何が何処にあるのかそうそうわかることが出来ない場所になっているだけだ。そこがシチリアの奴等と違っていた。
「そうさ。ついでに言えばナポリの奴等もな」
「あんたそっちにも顔が効くのか」
「好きで繋がり作ったわけじゃねえけどな」
雇われた関係だ。シチリアの連中がマフィアでナポリの連中がカモラだ。あのシカゴの暗黒街の帝王アル=カポネは実はナポリの出身でカモラの系列だ。本当はマフィアのドンになれる立場じゃなかった。駆け出しからかなりの地位になるまで頼りになる兄貴分がいたからああなれた。そうでなきゃ幾ら実力があっても外様がドンになれる筈もない。
「変わりゃしねえよ。どっちにしろワルはワルだ」
「そうなのかい」
「俺もあんたもな」
そう言ってバーテンに顔を向けた。
「お互い表じゃいい顔をしてるがな。裏はどうかね」
「それはお互いもう知ってることじゃないのかね」
「へっ」
その言葉に口を歪ませて笑ってやった。そして酒を口に入れる。最後の一杯だった。
「じゃあその命を狙われてる間抜けの運命が見物だな」
「何でもその殺し屋はしくじったことがないらしい」
これを聞いても特に驚くことはなかった。こっちの世界じゃそうした宣伝文句はありきたりだ。俺もそういう看板を立てて生きている。こっちの世界じゃ失敗はなかったことになる。それには理由がある。とんでもないヘマはそのまま手前を棺桶に案内するパスポートになるからだ。
「絶対にな。標的はどんなことがあっても始末する」
「その間抜けはもう命運が決まってるってか」
「そういうことになるな。まだ飲むかい?」
「いや、もういい」
今日はかなり飲んだ。ここで収めておくことにした。
「何だ、早いな」
「ここの酒が美味かったんでな。よく酔えたと」
「それはどうも」
「今度は特別のカクテルが欲しいな」
「何を飲みたいんだい?」
「ブラッディ=マリーを」
俺は思わせぶりに笑ってこう言った。言いながら席を立つ。
「それもとびきりのトマトを使ってな」
「あんたトマトはいけるのかい?」
「先祖が先祖だからな」
イタリアから来た奴等がトマトが苦手とあっちゃ話にならないというわけだ。
「大丈夫さ」
「それは毎度」
「あんたもビールの他にそうしたカクテルはどうだい?」
「俺にとっちゃビールは魂の味なんだよ」
「魂のか」
「そうさ。祖先のさ」
こいつはドイツ系だ。第一次大戦の時ドイツ系への偏見が強まってそれへの嫌がらせの為に禁酒法が成立した。他にもピューリタリズムがどうとか複雑な話があるらしいがどっちにしろドイツ系への嫌がらせで禁酒法が成立したのは事実だ。自由の国やそんなことを言っていてもこんな馬鹿な話もある。要するに敵の血が入ってる奴が憎かっただけだ。そのビール業者を狙い撃ちにしたのがこの法律だ。で、こいつはそれを根に持っていると言いたいのだが実は単にビールが好きなだけだ。適当に理屈をつけてるだけだ。
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