東方虚空伝
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第三章 [ 花 鳥 風 月 ]
五十六話 凶夜の警鐘 参
夢を見る――――
子供だったあの頃――――一番充実していたと思える、そんな日々の想い出……
お父様がいた、ムツミがいた、豊姫がいた、依姫がいた、鈴音さんがいた、あの頃の永琳はまともだった――――そして今の元凶の全て言ってもいい……アイツが居た――――
映し出される記録は今のわたしの感情などお構い無しに次々と流れていく――――記録の中のわたしは、怒っていたり笑っていたり泣いていたり……コロコロと表情を変えていく、まるで季節の移り変わりを早送りで見ているかのようだ。
でも様々な表情をしているが一貫して共通する事があった、それは――――明らかに幸せだと、充実していると伝わってくる事だ。
所詮は過去の映像……こんな事を鮮明に思い出せたからといって、今のわたしを癒せる訳でも救ってくれる訳でもない――――過去を幸せと思えば思うほど、今の自分が惨めで仕方が無い。
永琳にふざけた身体にされた挙句、理解出来ない実験に使われ何度死んだ事だろう。
いっその事、心も死んでしまえばいいのに身体と同じで幾らでも元に戻ってしまう――――まるで終わりの無い悪夢のよう……でもそれはわたしの現実だった。
この気持ちは誰にぶつければいい?
約束を破った虚空だろうか?――――あいつが全ての元凶なのだから“間違ってはいない”はず、でもそれはきっと“正しくはない”だろう。
やはり永琳なのだろうか?――――普通に考えれば当然だろう、当たり前だ。
――――でも、可笑しな事にわたしは永琳をあと一歩の所で憎み切れていない……何故なら見てしまったから、知ってしまったから。
あの時――――こんな身体にされたあの時に……
『―――――貴女と私は同じだから…………記憶に苛まれるのは辛いわよね』
一緒にするな!と突っぱねてしまえばよかった。
同じなんかじゃないと!否定してしまえばよかった。
狂気の下に隠した本音なんか口にするな見せるな!と拒絶してやればよかった。
でも心の何処かで妥協してしまった――――きっとわたしはアイツと同じくらい馬鹿なのだろう、こんな理由だけであの女を憎み切れないのだから。
何時の間にか記憶の映像は途切れ暗闇が広がっている。夢の終わり、つまりは目覚めの時だという事か……
目覚める前から億劫になるわたしの耳に記憶の中では無いアイツの声が響き、それと同時に意識は急激に覚醒へと駆り立てられていく。
『やぁ大丈夫かい?お姫様』
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
「…………んぁ……此処は……?」
目覚めた輝夜が最初に感じたものは寝心地の悪さだった。
硬い……寝床のあまりの硬さに起床早々、気分は最悪と言ってもよく輝夜は苛立たしげに自分が今寝ていた場所を手で撫で確認してみる。
硬いはずである────そこは剥き出しの岩肌なのだから、その上で横になっているのだから寝心地が悪くて当たり前だ。
視線を動かし周囲を確認してみると、床だけではなく壁や天井全てが抜き出しの岩肌だった。
壁に等間隔で置かれている蝋燭の仄かな灯りが部屋全体をうっすらと照らし出しており、目算で二十畳程の広さであるのが分かる。
ぼんやりと部屋の観察をしていた輝夜の意識は、自分が置かれている状況の異常さを漸く認識し急激に覚醒した。
「…………っ!そうだ妹紅はッ!それにあ、あの穢れはッ!それで確か……虚空が…………それから……それから……」
棚に押し込んでいた物が一度に落ちてきたかの様に、輝夜の脳内では気を失うまでの出来事が無秩序に入り乱れた。
妹紅は無事なのか?あの後どうなったのか?あの穢れは?アイツが現れたのは現実だったのか幻だったのか?自分はどうしてこんな所に居るのか?そもそも此処は何処だ?
纏まらない思考に混乱し頭を抱えて座り込んだ輝夜の背に不意に何者かが声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
この空間には自分だけだと思い込んでいた輝夜は大きく肩を震わせ恐る恐る振り返った。
そこに居たのは少し癖っ毛のある黒い短髪を持つ十二・三歳程の少年。
そしてその少年の腰辺りには、少年が着ている解れが目立つ灰色の着物を掴むように抱きついている五・六歳位の少女が居た。
腰辺りまである栗色の髪をした少女は、髪色と同じ色彩を持つ瞳で輝夜の事を不安げに見つめていたが、少年の方は朗らかな笑顔を浮かべながら、
「えー、え~と……大丈夫…ですか?」
輝夜の態度に若干の戸惑いを見せてはいるが再度気遣う様に声を掛けてくる。
輝夜は声の主の姿が少年であった事に安堵し漸く落ち着きを取り戻したが――――その少年の背後にあるモノを見てしまう。
黒い羽だ、鳥の様な羽が少年の背後に見える。それだけではなく、当初混乱していた時には気付けなかったが少女の頭部には獣の様な耳と腰辺りから同じく獣の様な尻尾が生え小さく左右に揺れていた。
それは人ならざる者の証でありそれが意味する事は、
「け、穢れッ!」
輝夜は彼等から距離を取るように座った状態のまま後退るが、直ぐに壁際到達しそれ以上下がれなかった。
そして漸く部屋の暗さに慣れた視界に映るのは少年達の後方に彼等と同じ年恰好の少年・少女達が二十人前後おり、輝夜に不安げな視線を向けていた。
「ま、待ってください!僕達は貴女に危害を加える気はありません!これっぽっちも無いです!」
輝夜の反応に驚いた少年は懸命に自分達に害意は無い事をつたえようと手振りも加えながら伝えてくる。
「嘘よッ!け、穢れは人を襲うものでしょうッ!」
「襲う者もいますけど僕達はそんな事はしません!僕達はお姉さんと一緒で捕まっているんです!」
「わたしと同じ?……どうして穢れが穢れを捕まえるよ!おかしいでしょッ!」
「え?でも人も人同士で争いますよね?妖怪も一緒ですよ?」
言い争っている内に逆に冷静さを取り戻した輝夜は何となく違和感を覚えた、もしかして考え方がズレているのは自分ではないのか?と。
事実彼女は箱入りであり世間、と言うよりは現在の地上に存在する者達の相互関係等を全く知らなかった。彼女の穢れ、妖怪に関する捉え方・考え方は自身がまだ地上に居た頃のままなのだ。
「…………とりあえず此処が何処なのか教えてもらえるかしら?」
困惑の表情を浮かべていた少年だが輝夜の言葉を聞くと何かを察したらしく自分が知る限りの現状の説明を始めた。
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少年――――名を九玲と言い、種族を烏天狗と名乗った。少年にしがみ付いている少女の名は笹螺、白狼天狗と言う種族らしい。
彼等が住んでいた集落が妖怪の集団に襲われ囚われの身になり、その襲撃の首謀者とも言うべき種族は鬼と呼ばれる者達で在った事。
当初は四十人以上捉えられていたそうだが少しずつ部屋から連れ出され帰ってきていないという。
正直此処が何処なのかは全く分からず、自分達がこの先どうなるかも分からず不安だという事。
「――――これが今僕に説明出来る全てです、すみませんあまりお役に立てなくて」
「……別にあんたが謝る事じゃないわよ……えっと……その…………説明してくれて……あ、ありがとう」
九玲に対し輝夜は不器用な謝意を示す、他者に対し感謝の言葉を口にするのは何時以来なのか輝夜自身も覚えていない。
そんな不器用な言葉にも彼は嫌な顔などせず朗らかな笑顔を浮かべていた、将来はきっと良き人格者になるだろうと輝夜は内心でそう思った。
暫しの沈黙が訪れた静寂な室内に突如奇怪な音が響き渡る。それは小さい音量であったが独特で例えるならば空っぽの袋を力任せに絞った時の様な音であった。
その音を世間ではこう呼んだ――――“腹の虫の声”と。
その音に九玲や笹螺を始めとした天狗の子供達は、今の音は一体誰のものなのか?と顔を見合わせている。そして唯一人誰とも目を合わせず膝を抱え顔を隠している人物が居た。
────輝夜である。
緊張の糸が緩んだ瞬間に鳴ってしまったのだ。決して自覚して鳴らせた訳でもなく、殆ど生理現象に近い事であるため彼女を責める事は出来はしない。
しかし場違いな感じは否めない、故に輝夜は誰とも目を合わせないようにし発生源が自分だと悟らせない慎ましい努力をしている。
しかし現実は無情である────輝夜が何やら気配を感じゆっくりと顔を上げると、そこにはいつの間にか笹螺が立っており、
「…………お腹空いたの?」
と、無慈悲且つ率直な言葉を投げかけられた。
バレてる────そう思うと同時に輝夜の顔は羞恥で、上手く茹で上がった酢蛸と遜色ない程に赤く染まり半泣きになる。
穴があったら入りたい────とは正にこの事であろう。
輝夜の心情を知ってか知らずか、笹螺は自分の着物の袖を弄り中から何かを取り出した。
取り出した物は、牡丹が刺繍されている小さな布袋――――笹羅は袋の口を開けると中から幾つかの木の実状のモノを取り出し、それを輝夜へと差し出すと、
「…………食べる?」
と言葉をかけた。
輝夜はその得体の知れない(お嬢様育ちである為調理済み以外の食材を目にした事が皆無)木の実を恐る恐る手に取りマジマジと観察した。
それが食べられる物であるのか?と思うと同時にある疑念が湧き上がる。
彼等は自分と同じで囚われていると言った……ならばこんな木の実でも貴重な物なのではないのか?と。
「…………いいの?貴重な物なんじゃない?」
輝夜は疑問を率直に口にするが――――問われた笹螺は微かな笑顔を作りながら、
「……大丈夫“困っている時はどんな種族でも助け合わないといけない”って疾風さんが言ってた」
「ふ~ん、その疾風って奴が誰かは知らないけど良い事言うじゃない……それじゃ有り難く頂戴するわね」
輝夜は渡された数個の木の実を一息で口の中に放り込み噛み締める――――少々固さがあるのか小さく殻を砕く様な音がしていたが食べる分には苦では無かったらしく数秒後には飲み込んでいた。
「…………美味しい?」
食べ終わった後、無言になる輝夜に笹螺が不安げにそう問うと、
「………………えぇありがとう…………助かったわ……」
笑顔を浮かべそう答える輝夜を見て笹螺の顔にも満面の笑みが零れていた。
輝夜は控えめに言っても箱入りのお嬢様で世間知らずである――――我儘もそれなりに……いや結構多いのだ。
そんな彼女が目の前の少女に気を使い『あんまり美味しくなかった』と言う言葉を口に含んでいた物と共に飲み込んだのは褒めてもいい事だったろう。
しかし残念な事に彼女のその行いを評価する存在が居ない事も、今の輝夜の不運の一因である――――――――のかもしれない。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
大和の本拠地である伊勢――――そこからしばらく東に進んだある場所。
其処には岸壁を利用して作った要塞、その前面に広がる広大な森、そしてその森の先は海岸線になっており海路の出入り口とも言うべき波止場まで整備されている。
これだけの施設がそこそこ離れているとはいえ伊勢の近くに在るというのに全く関知されていなかった。
それもその筈である――――恐らく結界などの術では当代最高である『博麗結界術』、その術者が造り上げた結界石――――一つだけでも七枷の郷位なら保護・隠蔽出来る代物を四つも使っているのだから幾ら神とはいえ見抜けないのは致し方なかった。
結界石の製作者である博麗 綺羅は『人々を脅威から救う』という理念を持つ“仁義”を体現したような人物であるが、娘を人質に捕られ致し方無かったとはいえ彼の力が巨悪の手助けをしてしまっているという事実は何と言う皮肉であろうか。
そう此処が、此処こそが虚空達が血眼になって探していた――――騒動の中心である百鬼丸の本拠地であった。
七枷の郷からほぼ一直線に此処に帰還した萃香が結界を超えた先に見たのは――――岸壁の要塞の前に広がる森の彼方此方に屯する異形の集団であった。
人型・獣型・不定形……様々な種族がおり、その総数は目測でも優に百は超えている――――その光景を目の当たりにした萃香の脳裏には虚空のあの台詞が蘇る。
『君の親分の百鬼丸は熊襲と組んで大和と戦争を始める気だよ、それはもうすぐにでも』
自身が想定していた最悪の状況だと思い至り萃香は苛立たしげに舌打ちをする。
もう憂慮は無い、そう覚悟した萃香は霧となって要塞の中へと進んで行く。
要塞の中も外と大差無い程に異形が溢れており、それを確認しながら萃香が辿り着いたのは自分の仲間達が集まる広間だった。
広間の片隅では何時もの様に巨石を持ち上げ屈伸運動をしている王儀が居り、その何時も通りの彼の後ろ姿が少しだけ萃香の荒波だっていた心に安らぎを与える。
「王儀、勇儀は何処だい?」
実体化すると同時に王儀の背に萃香は言葉をかけ、王儀は巨石を持ち上げた姿勢のまま振り返る。
「あ!萃香さん帰ったんすね!……ってその怪我どうしたんすかッ!」
「気にしなくていいよ……それで勇儀は?」
「…………あぁ帰ったのかい萃香、お帰り」
怪我の心配をしてくる王儀をいなしつつ萃香は勇儀へと歩みより、
「一体どんな状況なんだよ?」
と、短く問い質す。
流石付き合いが長い勇儀は萃香の質問の意図をすぐさま理解し、
「……意図は分からないんだが百鬼丸の奴が招集をかけたらしくてね、昨日今日でこの有様さ――――まるで戦争でも始まりそうな気配だよ」
勇儀は肩を竦めながらそう答える。彼女もキナ臭さを感じてはいるのだが、それ以上は流石に理解出来ていない。
「あの野郎、本当に何考えてやがんだか……あぁッ!腹が立つッ!」
王儀のそんな怒りを含んだ叫びが広間に木霊す中、
「…………百鬼丸は奥だよね」
萃香はそんな事を口にし、それに勇儀達が答えるよりも速く彼女は霧となってその場から消えていた。
萃香の“仲間を救いたい”という気持ちは実に正しい――――それを間違いだという者もいないだろう。
しかし彼女は一つだけ間違えた、それは――――――――責任を一人で背負い込んでしまった事だ。
その姿は凛々しくもあるが、この時の彼女はもっと手段を選ぶべきだったのだ。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
要塞の最奥に位置する広大な石の空間――――その中央にまるで王の座の様に据え置かれた椅子に足を組み、肘掛けに頬杖を突きながら百鬼丸は思案に耽ったいた。
自分以外の気配が無いその部屋に突如として霧が集まり一人の鬼の少女が現れると同時に、百鬼丸は思考を止め気だるげに声を掛ける。
「一体何の用だ萃香?俺は忙しいんだよ」
「…………大和と戦争するからか」
萃香の言葉に一瞬だけ百鬼丸に驚きの表情が起こる――――が、すぐに薄ら笑いを浮かべ、
「へぇ~一体誰に聞いたんだ?――――まぁいい、分かってんなら準備しときなッ!派手な戦になるぜッ!」
遊びに燥ぐ子供の様に楽しそうに声を上げる百鬼丸とは対照的に、萃香の表情は冷め切っていた。
「…………今すぐ止めな百鬼丸」
「……ああぁ?」
萃香の言葉に百鬼丸は笑みを消し、射抜く様に鋭い眼光を彼女に向けるが――――萃香もまた向けられた眼差しを押し返すかのように睨み返した。
「大和と事を構えれば間違い無く仲間が死ぬ、今ならまだ間に合う――――馬鹿な考えを捨てな百鬼丸」
萃香の切実とも言える訴えに当の百鬼丸は実に詰まらない、と言った表情を作っていた――――例えるならば下らない喜劇を延々と見せられた後の様な顔だ。
「…………萃香よぉ――――お前は馬鹿か?弱ぇ奴は死ぬ、そんなもんは当たり前だろうが!それになこの組織の、お前等の頭領は誰だ?――――俺だろうがッ!長の命令に一々逆らってんじゃねぇよッ!」
「…………頭領なら仲間を第一に考えるもんじゃないのか?」
萃香は顔を伏せ表情を隠しながら尚も百鬼丸へと訴えるが、
「頭領が第一に考えるのは――――自分のやりたい事に決まってんだろうがッ!お前等は俺の命令に従ってりゃいいんだよッ!」
と、彼女の意見を無情に切り捨てる。
「…………そうか――――それなら」
顔を伏せたまま呟いた萃香のその言葉は囁きの様な声量で――――氷の様な冷たさを宿していた。
そして、次の瞬間――――――――
一瞬にして間合いを詰めた萃香の容赦無い右拳が、椅子に踏ん反り返っていた百鬼丸の顔面へと突き刺さり――――椅子を粉砕しながら百鬼丸を壁へと叩き付けた。
「もういいッ!アンタに預けてある長の称号返してもらうよッ!」
烈気を放ち、殺意を込めた宣誓をする萃香――――対照に百鬼丸は陥没した壁から身を乗り出し口元の血を拭いながら――――嬉しそうな笑いを浮かべる。
「クハハッ!ハーハハハハハハハッ!全くこっちは忙しいっていうのになッ!でも嬉しいぜ萃香!漸くその気になってくれてよッ!いいぜ相手してやる!かかって来なッ!」
「百鬼丸ゥゥゥゥッ!!」
放たれた矢の如き勢いで放たれる萃香の拳の一撃と、それを迎え撃つ形で振るわれた百鬼丸の拳がぶつかり合い――――まるで大瀑布が起こったかの様な衝撃が要塞を激しく震わせた。
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