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月下に咲く薔薇

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月下に咲く薔薇 11.

 
前書き
2013年7月28日に脱稿。2015年10月10日に修正版が完成。 

 
 徐々に高度を上げるマクロスクォーターを追い抜き、エクシアとブラスタは更に上方で待機しているトレミーを目指し夜間飛行を続けた。
 SMSの機体としてクォーターを母艦とするオズマ機とルカ機は、クロウ機と別れ既に着艦を終えている。
 クロウが戻るのは、スメラギ達への報告の為。一方、刹那はそのトレミーの為にエクシアをソレスタルビーイングの母艦に収容させる必要があった。つまり、パイロットとして着艦後にもう一仕事残っている事になる。
 私設武装組織ソレスタルビーイングの名を地球圏全域に刻み込んだGN粒子。ZEXISのパイロットにとってはすっかり見慣れた代物だが、驚くなかれ、母艦プトレマイオスにはその発生機関が存在しない。内蔵されているのは貯蔵・放出機構だけで、戦闘後4機のガンダムはその母艦の貯蔵部分にGN粒子を蓄える為、指定場所にガンダムを固定しなければならなかった。
 トレミーにはブラスタや他のガンダム、葵達のVBMなどを収容する為のペイロードが確保されているが、ガンダムマイスターのMSだけはその空間に収容される事はない。
 蓄えたGN粒子のみがトレミーを飛行させ、敵の攻撃から自身を防御する。その為に、母艦への帰投後にも大きな役割を担っている機体。それが、ソレスタルビーイングのガンダムだった。
 エクシアの背面から放出されるGN粒子を眺めつつ、クロウも愛機をトレミーに着艦させる。ここで、エクシアとはお別れ。ブラスタは自力で奥に進み続け、キラのストライクフリーダムガンダムが直立する横にブラスタを並べた。
 思えば、クロウ達が名無しの集まりだった頃から今まで、トレミー以外の艦をブラスタの母艦にした事はない。フリーランスであるが故に、誰と共に行動しどの艦を母艦にしても良い訳だが、クロウは敢えてトレミーをブラスタの母艦と決め、ZEXISが部隊を幾つかに分ける時も常にソレスタルビーイングと共に行動していた。
 専属メカニックのイアンが現在最もブラスタの扱いに長けている為、苦し紛れとはいえ一度自らの意志で見習い志願をした為。理由は様々だが、過去にZEXISの裏部隊としてこの艦が囮の役割を担った時、決意は固まったように思う。
 昨夜よりは疲れた顔をして、クロウは愛機を降りる。
 案の定、格納庫の出入り口では腕組みをしているロックオンが1人こちらを睨んでいた。
「無事で何より、と言ってやりたいところだが。クロウ、俺が何を飲み込んでいるのかは、わかるよな」
「ああ」と答えるより他にない。
 ロックオンが、煮え返った思いと万の言葉、拳の一撃のセットを己の中に封じ込めている事は容易に想像がついた。ここで殴り飛ばし憤怒を発散する事もできるのに、一度は拳を握った右手が親指を出し、クロウを狭い通路の奥へと誘導する。
 歩く足を止めるな、と仕草が無言で語っていた。
「ブリーフィング・ルームに直行か」
 クロウもしおらしくそれに従い、「そうだ」と答えるロックオンについて行く。
「下で何があったのかは、しっかりしゃべってくるといい。だがな、それが終わっても、お前は俺からは解放されない。しばらくはつきっきりだ。ま、再教育ってやつだな」
 クロウの顔を見ずに、先を行くロックオンが笑えない決定をさらりと伝える。まるで、軽口でも叩くかのように。
「再教育?」随分と下に見られた言葉に、クロウは渋面のまま隻眼の男の背中へと近づいた。「俺のしつけからやり直そうってのか!?」
「ああ、そうだ。…当然だろ? 見習いが勝手にバカやったんだ」
 ロックオンは、殊更「バカ」の部分を強調した。
「はは、そうきたか…」
 だから殴らなかったのだ、とクロウはようやく悟る。
 見習い志願などという乱暴な話は、そもそも謎の多いソレスタルビーイングにつきまとう口実としてクロウ自身が持ち出した出任せだった。いい加減古い話の方に入ると思うが、良くも悪くも相手の中にも生き続けているらしい。
 ライノダモン絡みの騒動故、アイムがショッピング・モールに現れる可能性は最初からゼロではなかった。結果としてアイムと1人きりで会い、状況の激変にも立ち会ってしまった。そんな野良犬に、スメラギはトレーナーをつけなければと考えたのだろう。
 アイムを刺激し今件絡みでの再訪を確約させてしまったのがクロウなら、戦術予報士に無期限監視の口実を与え続けているのもクロウだ。完敗というより他にない。
「へいへい。見習いとして、安く従わせてもらいますよ、って」
「その心掛け、まさか口先だけで終わらせないよな」
「…えーっと、もう少し信用してくれると有り難いんだが」
 ロックオンが、いつになく絡んでくる。クロウは、つい後ろから右肩に手をかけた。
「どうしてそうなったのか。胸に手を当てて、よぉーっく考えてみろ」
 その右手の甲を、歩き続けながらも前を行く男の左手が抓みにかかる。
「いっ!!」
 ロックオンが摘むほんの数センチ離れたところに、アイムの残した爪の痕があった。クロウは、咄嗟にしまったと思う。
 だが、右は隻眼のロックオンにとっては死角領域。幸い、にはあたらないが、クロウの手傷を彼が発見した様子は見受けられなかった。
 元々、見られて困るという程の傷ではない。ただ、ものとしての意味合いが悪いのだ。宿敵との1対1で破れた結果、なのだから。目前にいるのが殊の外心証を害した友人なので、更につつかれたくはないとの思考が働いてしまう。
 手首をそっと引っ込め、あくまでさりげなさを装った。
「ん? どうした?」
 それでも、ロックオンはクロウが何かを取り下げた事を巧みに察知する。
 研ぎ澄まされた勘に、クロウはぎくりとした。この冴え方、もしや右目の視力を失って以降のものか。
 クロウの中で、赤い何かが掠めてすぎた。
 なるほど。その話ならば、むしろ伝えておく必要すら感じる。
「ロックオン。3本目のバラ、下の建物に出たぞ」
「本当か!?」流石に、相手の足が止まる。スナイパーが素早く振り返ると、彼の表情には隠しきれない驚きが満ちていた。「もしかして、お前宛かよ」
「そいつが結構微妙なんだ。しかも、証拠として持ち帰ろうにも、あった筈のところにない。今朝のお前の話みたいにな」
「おいおい…!」
「ルカが現場の写真を撮っているから、踏みつけた跡だけは証明できる。だが、それだけだ。問題の現場に絶好のタイミングで落ちるなんざ、出来すぎだろ。…何かあるぞ、あのバラは」一拍置いてから、クロウは立ち止まっている相手に行く先を指して見せる。「ロックオン、折角お前もブリーフィング・ルームに入るんだ。ついでに少ししゃべっていけよ」
 口調は軽いが、クロウ自身は至って本気だ。
 勿論、ロックオンもクロウの意図するところは理解している。ただ、見張りの顔から一転、事が自分にも及んでいると悟った男は、困惑げに深い溜め息をついた。
「この展開は、正直意外だったぜ。お前1人が絞られるだけかと思ってたのに、今朝の時点で俺も説明する側の人間かよ」
「そうらしいな。俺は、バラのおかげで大迷惑。あのストーカー野郎も、あんまりいい顔はしてなかった。俺達の間に邪魔者が割り込んだ、みたいな言い方をしていた…ような」
「ちょっと待てよ!」突然、ロックオンの声が裏返った。「お前は、あの嘘つき野郎の言う事を真に受けて帰って来たのか?」
「あ…」
 ぽっと呟くクロウに、ロックオンが呆れて首を左右に振る。
「下で、それだけ条件が揃っていたんだ。そもそもアイムの仕業だと疑うべきところだろうが。奴は神出鬼没だし、1本目のバラのおかげでミシェルとクランの間が気まずくなったんだぞ」
「ご尤も」
 もし、アイムがバトルキャンプに出入りしているなら由々しき事態だ。クロウは再び歩き始めると、報告の必要性に唇を強く引き結ぶ。
「そうそう。お前は、自分で思っているよりお人好しなんだ。その辺りのところを自覚しておかないと、これから益々奴に手玉に取られるぞ」
「冗談じゃねぇ。俺を振り回すのは借金の額だけで十分だ」
「ああ、うん。まぁ、そうなんだが。…ぶれないな、お前は」
 ロックオンが、ようやくここで笑顔を垣間見せた。
 大きく息を吸い、クロウは意識してゆっくりと吐き出す。
「いいタイミングでの忠告、ありがとよ。おかげでいい報告ができそうだ」
 ブリーフィング・ルームの入り口に、2人で立つ。
 決意の顔で中に入ると、クロウを待ちかまえていたのは、トレミー搭乗のメンバーだけでなく、モニターに映るジェフリー艦長、そしてバトルキャンプにいる筈のゼロの姿もあった。
 大塚長官、ロジャー、万丈、隼人など、ZEXIS、ZEUTHの頭脳派もクロウの話を吸い上げたいのだろうが、映像を見る限りゼロの側にはいない。その上、ブリーフィング・ルームにその身を置いているのは、スメラギ、ティエリア、ミヅキの3人だけと極端にメンバーを絞り込んである。
 スメラギはそれを、「報告を優先した結果」とした。「まず、あなたの話を聞きたいの。クロウ。下で何があったのか、まずそれを教えてちょうだい」
「ああ」
 クロウは、ブラスタのコクピットで人影を捉えたところからオズマ達がやって来るまでを時系列に説明した。アイムの言動については、特に淡々と並べるに留める。
 報告の基本だが、クロウは軍人上がりとして冷淡に事実のみを抜き出す事には長けている。ここで削り取られるのは、実験の成功を強調するアイムの様子と、手首に爪を食い込ませた感情的な何かについてだ。
 聞き手も心得たもので、アイムが絡んでいるが故に言葉への反応を制御し聞いている。指揮官の情報吸収は現象の解釈に直接影響するだけに、慎重なのはいい事だとクロウは思う。
 やはりスメラギ達も、実験と称するものが失敗に終わったとの推測を示した。決め手は、ZEXISが得たものの多さだ。
 市民の反発をZEXISに誘導する意図さえあるように仄めかしておきながら、ライノダモンの消失によってそれは実現不可能な企てと化した。犯人を取り逃がしたとはいえ、次元の歪みさえ今はなく、安全宣言も出してやれそうなこの状況からアイムが何を得るというのだろう。
 クロウが目撃した亀裂の走る歯の話も、失敗という推測を強く後押しする。
 しかし、クロウにとって想定外だったはその先だ。もし、同じ現象を再び起こす意図がアイムにあるとしたら…。
 指揮官達の脳内で、再実験の可能性とVX利用の可能性が突如結びついたのだ。
「へ?」
 最初は発想の飛躍と呆けていたクロウも、次第に仮説の説得力に顔色をなくす。
『難しいものは何一つない』まとめにかかるゼロの話を、クロウは小さく口を開いて聞いていた。『実験が失敗したと確信したアイムは、その結果を糧により良い方向へと修正すべく、VXの力を利用する事を考え始めた。自分を頼るように、か。どうやら、クロウを殺している場合ではなくなったようだな』
「そういう意味だったのか…?」
 繋がりすぎて、腑に落ちた。
 確かに再実験を行うつもりなら、条件づけの変更は必須だ。その為、ブラスタに搭載されているVXに目をつけるという発想もわからなくはない。スフィアなるものの可能性に最も精通しているのがアイムなのだから、手練手管の限りを尽くしてクロウとブラスタを自陣に引き込む算段を巡らせるのは、なるほど有りか。
「だが、それならさっきの機会を逃す手はないだろう? ブラスタは目の前、俺は奴に組み敷かれて身動き一つ取れなかったんだぜ」
「あら、組み敷かれたの?」
 隣でかくっと崩れるロックオンとは目を合わさず、クロウはスメラギの問いに小さく首肯する。
「まさか、他にも整えたい条件があるのかしら」スメラギが、クロウの全身を上から下に眺め下ろす。「忘れないで。間接的に相手を追い詰めたり搦め手を使うのは、あの男の常套手段よ。最短コースを通らないと見せかける挙動自体が、偽装である可能性もあるの」
「…これを疑ってあれを疑って。なんか、段々とややこしくなってきたな」
 顔をしかめるロックオンに、「仕方ないわよ」とミヅキがスメラギのフォローに入る。「私達はこれまで、アイムの分析を避けてたんだから。ああいう底無しの二枚舌が相手だと、土台が固められないでしょ。『謎の男』でしかないのよ、今でもね」
「ならば訊こう。不確かな情報が多いと知りながら、何故アイム・ライアードの目的は変更されたと解釈している?」以前の硬質な物言いに戻ったティエリアが、スメラギやゼロ、ジェフリー、そしてミヅキを見比べた。「それは、実験なるものの拡大解釈にも等しい。クロウ・ブルーストの命を奪う以上の価値が実験にあると言っているのと同じだ。あり得ない!」
『そうだな。今のティエリアの指摘を否定する事も、我々には難しい』それまで聞き手に徹していたジェフリーが、静かに割って入る。『我々はかつて、幾度もアイムの虚言に翻弄されてきた。言葉は事実を伝えず、真に受けた代償をZEXISのメンバー個人が戦いの中で支払った例もある。痛みを伴う経験だ。しかし、私が記憶している限りに於いても、クロウに繋がる奴の目的がブレた事はかつて一度もなかった。…諸君、今回の騒動からアイムの意図を探るには、更に多くの情報を集める必要があると私は考える』
 直後、ロックオンが挙手をした。
「その参考になるかどうかは保証できなが、俺からも少し報告したい事がある」
 いよいよバラの話に触れるのか。
 スメラギが「いいわよ」と許可すると、ロックオンは今朝クランが手にしていたバラの話から始め、2本目がアテナのナイキックに置かれていた事、そして3本目と思われるバラをクロウが踏みつけ転倒した事にも触れた。
「それって、あの真っ赤なバラの話でしょ?」
 顔を歪め、ミヅキが詳細に露骨な不快感を示す。
「いいねぇ。目撃者がいると話が早い」
 クロウが頷いて肯定すると、他のメンバーの視線がミヅキに集まった。
「ええ。実は私も見てるのよ、その花。買い出しの打ち合わせの時、第4会議室で」
 直後、何人かの小さな声と衣擦れの音がした。
 さもあろう。もし突然現れたり消えたりするバラがアイムの仕業なら、あの男は今朝バトルキャンプ内を自由にうろついていた、という事になる。当然、聞き流して良いレベルの話ではない。
「その花は今はどこに? クランが持っているのなら、マクロスクォーターの内部か」
 ティエリアがロックオンに早口で問いかけると、ロックオンはまずかったかもという顔をし、手の仕種で斜め下を指す。
「いや。クランの希望で、第4会議室に飾った」
「バトルキャンプか!?」
 ティエリアとジェフリーが、同時に目を見開く。
『すぐに、第4会議室に誰かを向かわせよう』
 自分が最も近いと悟ったゼロの反応は早かった。
 今、件のバトルキャンプから交信に加わっているのは、ゼロだけだ。華奢だが堂々とした立ち姿は惨事の前と何ら変わらず、腕を大袈裟に振り上げ一旦フレーム・アウトすると20秒程後に戻って来る。
『今、カレンと藤堂を確認に走らせた。状況は、到着し次第報告させる』
 緊急事態にもかかわらず、落ち着いた口調が頼もしい。たとえ、ゼロの正体がスメラギの推測通りに若年の男だとしても、仮面で隠しているのは憤りや動揺ではないのだとわかる。
 思えば、仲間にもその正体を明かさないゼロに、ZEXISが二つに割れかけた過去などもあったか。しかしも結果で応えるゼロと彼が醸し出す高貴さは意外にもZEXISと親和性が高く、仲間達との壁となっていた仮面にやがて誰も抵抗感を抱かなくなっていた。
 またもゼロは、結果で応えるのか。彼には最早、励ましのケーキなど不要なのかもしれない。
「助かるわ」スメラギが礼を告げ、改めて皆に向き直る。「三大国家に隙を見せまいと、大塚長官はよく動いてくれているわ。勿論、昨夜からの私達だって。…それでも、アイムの侵入を防ぐ事ができないとしたら。悔しいけれどお手上げね」
「…なんてこった」
 黒の騎士団からの報告も気にはなるが、最大の問題は神出鬼没なアイムに対しバトルキャンプが無力である事だ。クロウから漏れた焦燥の呟きに、何人かの唸り声が続いた。
「ちっちゃい子の一人歩きとか、危険じゃない? 基地の中も外と同じだって教えないといけないわね」
 ミヅキの提案に、スメラギが力強く首肯する。
「ギミー達には、当分の間集団で行動してもらいましょう。ワッ太や勝平達には悪いけど、パイロットとはいえ彼等の扱いもギミー達と全く同じに」
『私も同感だ』と、映像のジェフリーが賛同する。
「そして、クロウ」
「俺は、そのお子様達のガードか?」
「いいえ」
 妙ににっこりと微笑むスメラギに、クロウは多少の違和感を覚えた。違和感? 違う、嫌な予感だ。
「クロウ。あなたには当面、ロックオンと2人で常時行動して欲しいの。多少窮屈かもしれないけれど、我慢して」
 ぷっと吹き出すミヅキをわざと無視し、クロウは「努力目標でもいいか」と不貞腐れながら肩を落とす。
「あら、もう1人ガードを増やしてもいいのよ。子供達だって我慢するのに、いい大人がわがままを言わないで。それにあなただって、同じ敵から二度も組み敷かれたくはないでしょ?」
 口調は穏やかなのに、内容が露骨な脅しを含む。
 もし断ろうものなら、スメラギは本気で見張りの増員を決断するだろう。困難な戦場を、先読みによって支配する戦術予報士。クロウの幼稚な抵抗など、何手先まで封じられているかわかったものではない。
「いや、じゃなくて。いい。わかった! ロックオン1人ってところで手を打とう」
「大丈夫よ、いつまでもという訳ではないから」
「了解!」
 妙に弾んでいるロックオン・トレーナーの声に項垂れ、『そうか』と呟くゼロの声に耳を立てる。
『今朝使用したという第4会議室だが、確認が取れた』
「残ってるか?」
 ロックオンが、映像のゼロに身を乗り出した。
 彼は、クランから花を預かり会議室に飾った本人だ。おそらくは、この中で最も報告に関心を寄せている人間にあたるだろう。
 そのロックオンに、ゼロは『残っているという表現が適当ならば』と意味深長な前置きをする。『これが、その会議室の写真だ』
 ゼロを映している画面が2つに分割され、彼の下に1枚の静止画像が追加される。
 全員が注視すると、明らかにバラが置かれているとわかるデクスが2つあった。ロックオンが飾ったバラは花瓶に差した状態でそのまま残っている。花は意図的に追加されているのだ。
 1輪づつ置かれたバラは、いずれも最前列のデスク上にあった。
「おい! この2つの席って…!」
 クロウが喚くと、ロックオンとミヅキも言わんとする事を察してくれた。
 ミヅキが「クランの席と」の名を出せば、ロックオンは「中島さんの座っていた席じゃないか!?」と後を継ぐ。
 クロウも、2人の着席位置は最前列の窓側に廊下側と記憶していた。まさか、クランと中原の座っていた場所にバラを残して帰ろうとは。
「…何でこの2人なんだ!?」
 クロウのみならず、ロックオンやミヅキ、そしてスメラギ達も、花を受け取った5人の顔を思い浮かべ、共通項の無さに閉口する。
 ミシェル、アテナ、クロウ、そしてクランと中原。買い出し部隊に加わっていないアテナや、男性のミシェルやクロウなど、何かに共通する部分を探そうにも、必ず誰かが外れてしまう。
 ただ。
 照明が点灯しただけの会議室に、バラは文字通り花を添えていた。白い壁と天井、窓を隠す淡緑の調光ブラインドに白いデスク。機能を優先し病院の待合いにも似た味気なさを持つ室内に、ぽつりと鮮やかな赤を添える花が3本も加わっている。
 それだけで、写真から受ける印象は激変した。凄惨な市街地の光景や空さえ焦がす炎を見慣れてしまうと、写真に映る室内は尚の事安息を与える光景として受け止めてしまう。真っ赤なバラがそっと置かれているだけの写真から、人の悪意や痕跡が映っていると、どうして未見の侵入者に憤る事ができよう。
「…これは、かつてない状況ね」スメラギも腕を組み、流石に策を講じあぐねた。「そうね、ゼロ。…取り敢えず、その会議室を立ち入り禁止にして、子供達が入れないようにしてくれるかしら」
『その処置なら終えている。見張りは藤堂に人選を任せたので、既に2人立てている時刻だ』
「仕事が早い。流石じゃないの」
 ミヅキも、ゼロの手際と落ち着きに以前の冴えを感じ取った様子だった。
 頭の回転は早く、あくまで舞台に立つ演技者のように他者と接し、真の感情を読み取らせないしたたかな指揮官。それが、ZEXISのメンバーが記憶しているゼロだ。
 そこに、女性オペレーターの声が入り、ジェフリーが『うむ』と頷く声が入る。
『今、地上で測定したデータとクォーターで集積したものの照合作業が終了した』
「それで?」結果に興味津々のクロウは、ジェフリーを相手に結果の報告を急かす。
『平野部の標準値と同程度にまで下がった出現確率は、今も上がる様子がない。空間として安定し続けているのだ。アイムの言う実験とやらの影響はなくなったと考えていいだろう。我々SMSとしては、ZEXISによる24時間の監視は必要なくなったものと考える。以上だ』
「…にしちゃあ、後味が悪いな」
 素直に喜ぶ事ができないクロウに、ジェフリーが『新たな問題が生まれたのだから、致し方ない』と即答する。『しかし、民間人が次元獣の脅威から解放されたと確認する事はできたのだ。後は我々の中だけで対処できると思えば、これも一つの前進だ』
「確かにそうね」スメラギが、腕組みを解いて姿勢を正す。「後は、地上にいる監視部隊に観測結果を報告したら、私達の任務は完了。戻るわよ、件のバトルキャンプに」
 拠点への帰還を宣言されながらも、皆の表情はかえって固くなる。ジェフリー艦長の言う通り、バトルキャンプへの帰還と新たな戦いに臨む、は、この場合意味が同じなのだから。
「ロックオンとクロウは、これで終わりよ。お疲れ様」
 スメラギの言葉に開放感を得、クロウは凄まじい疲労感を背負ってブリーフィング・ルームを後にする。
 結局、アイムの思惑を計りかね、奴に対しバトルキャンプが如何に無防備であるかを確認しただけの会議だったように思う。
「さて、どうする?」
 揃って中途半端な気分を抱え、通路に立ち尽くし次の行動を考えた。
「まぁ、俺としては」と言うなり、ロックオンが矢庭にクロウの右手を両手で掴み眼前で爪痕を確認する。「さっき右手を引っ込めた理由を、押さえさせてもらおうか」
「よせよ、わざわざ見るなって」
 敗北の痕跡を照明の下に晒され、クロウは浅い傷から目を背ける。しかし、冷やかしとは思えない程、ロックオンの表情は恐ろしかった。
 友人の左目は、傷自体ではなくもっと遠く、いや別の何かを見透かそうとしているようだ。
「ロックオン…」
「なぁクロウ。アイムの野郎は、何の実験をやってたんだろうな」
 実験の内容そのものに話が及び、クロウは至って月並みな回答を思い浮かべる。
「まぁ、普通に考えれば、今の奴にはまだ出来ない事なんだろうよ」
「それって何だ? ショッピング・モールを選んだ理由ってのもわからねぇ」
「何だ、って訊かれても…」続く言葉が出てこない。
 実験とやらの件については後手、バトルキャンプでは苦手な守りを固めなければならない。あらゆる手は尽くすとしても、全員の意識に昇ったのは、譲る訳にはいかない最低ラインの目標だ。
「せめて、再実験は阻止しないとな」
「ああ」クロウは、神妙に頷く。
 今後の為の英気を養うべく、クロウはロックオンと共に食堂へと向かう。
 トレミーとマクロスクォーターが帰還の途についたのは、その直後だった。


              - 12.に続く -
 
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