月下に咲く薔薇
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月下に咲く薔薇 9.
前書き
2013年7月2日に脱稿。2015年10月8日に修正版をアップ予約。
手にした携帯端末で、クロウはバトルキャンプに現在位置と状況を説明する。15分以内に応援が現場に到着する、との言葉に軽く胸を撫で下ろした。
「頼むぜ」
通信を切って、間近から突き刺さる熱視線に如何なる回答をしようかと考える。民間人2人が、クロウと基地のやりとりに高い関心を寄せるのは当然の成り行きだ。
つい先程まで、次元獣との断定を半信半疑のまま、異変に動じないクロウを火事場泥棒の類と疑っていたのかもしれない。幸いにも、ようやく幾らかは信じる気になったようだ。
尤も、背広の男の心情も十分理解には値する。クロウ自身、ライノダモンの全身が転移を終わらせていない奇妙さに強い違和感を覚えていた。時間がかかるにしても度を超している為だ。
大がかりな仕掛けを用意した本人が、次元獣出現の不安を煽って関係者までも外に出したがる。騙しの手法としてはあり得るもので、一応筋は通っていた。
「言っただろ? 俺は、軍の人間だって」安心させるつもりから、いつものように笑みを作る。「後は、バトルキャンプから来る部隊が対処してくれる。戦艦が来たりロボットが来たりと賑やかにはなるが、誰一人死なせないよう最善の努力をする。だから、俺達の指示には従ってくれ」
「は…、はい」
背広の男が店員には逃げるよう促すと、素早く会釈をし青年が走り去る。彼とすれ違い近づいてくる数人分の人影は、ミシェルやロックオン達のものだ。
「あんたは残るのか?」
クロウが問うと、施設関係者は精一杯の勇気で無言のまま首を縦に振った。
やや無謀に近いが、真面目で仕事熱心な日本人らしい。
「だったら、もう少し俺が付き合うぜ」
近づいて来る仲間の足音を耳で捉えながら、クロウは再び頭上の口を熱心に見上げた。
そして、改めて奇妙な事実に気づく。
大きく口を開くあの仕種は、ライノダモンが咆哮を上げる時のものだ。ブラスタのモニター越しに何度あの大口に目をやった事だろう。
地上ならば、大口と同時に耳障りな怒声が一帯の空気を震わせた。獣の咆哮と言うより金属の悲鳴に近い大音響がし、市街地のコンクリート壁を振動させ被害を更に大きくする。
だが、問題の口はこれ程近くにありながら、怒声どころか息を吐く音すら発していない。空気を動かす事もできないのか、布の装飾品は口の開閉にひらりともしなかった。
まるで、宇宙空間を跋扈している時の次元獣だ。
今の段階で、悪戯の可能性を捨てるのは早計か。
「…おっと。こいつは強烈だな」
クロウ達2人の背後に立ったミシェルが、落ち着いた様子で異形の口とその周辺を仰ぐ。
「バトルキャンプには通報済みだ。あと15分で応援が来る」と、クロウは自分の判断で行った事を仲間達に伝えた。
「こっちも、ロジャーから根堀木掘り聞かれた。向こうでも、別棟の避難誘導に協力している。その後、屋外で落ち合うつもりだったんだが…。判断がしにくいな」
ロックオンが発信を躊躇い、自らの手の中で携帯端末を弄ぶ。
「ずっと、口だけのままあの状態なのか?」首を捻るデュオに、「そもそも、本物なのか?」と扇が疑問を上積みする。
全ては、最も長い時間あの口の側にいるクロウへの質問だった。
「それで、次元獣バスターの意見は?」ミシェルが、クロウの肩書きを強調する。「真面目な話、専門家の意見が聞きたいんだ」
「専門家か。今、そいつを言われると耳が痛ぇ」お手上げである事を仄めかし、クロウは小さく息を吐いた。「俺の見立てでは、悪戯の可能性が1、本物の可能性が99。尤も、その悪戯ってのは相当高度な手段を無駄に駆使しないと無理なレベルだ」
「その根拠は?」
扇の質問に対し、クロウは左手で指を2本立て、先に数を示す。
「理由は2つ。まず1つ目は、映像なら、普通投影先の凸凹や模様は透けて見える。ところが、あの歯列の向こうにある布は、模様どころか布そのものが口の所為でまるっきり見えなくなってるだろ。口が不透明だからだ。だが、実体なのかと言えば、そうとも言い切れない。装飾用の吊り下げ照明でも、隣の布に影が作られてない。そいつが2つ目だ」
「おかしいぞ、クロウ」と、納得しきれないクランが唇を尖らせた。「今の説明は、本物である事も否定していないか? それで、どうして本物の可能性が99パーセントになるのだ?」
「実体ってのは、人形を使った悪戯の話だ。もし、そんな事をやろうものなら、側に吊り下げられている照明が影を作るだろう? そういう可能性も視野に入れてみた」
「消去法で、悪戯の可能性を排除か」ミシェルが頭上を丹念に吟味し、「確かに、投影機の類を使ってあの場所に像を結ぶのは並の工夫じゃ無理だ。必ず、布のどれかが邪魔をする」
「本物の次元獣だとしたら、いつまでも口だけってのがどうにも腑に落ちねぇって事になる」半眼のデュオが、肩を竦めた。「なるほど。こいつぁやりにくいぜ」
もし、悪質な悪戯と断定してやれば、施設関係者は安堵するだろう。脅威の度合が格段に下がる事で、営業再開の目途がつくのだから。
しかし、今はあの口を本物の次元獣の一部として対処するしかない。
ミシェルの携帯端末が鳴る。
「はい、こちらミシェル」
その場にいる者が、一斉に会話に耳を欹てた。
が、ロックオンの端末も音を立て、2人は別々の会話を始める。
先に通信を終えたのは、ミシェルだった。
「ロジャーからだ。他の2棟の避難誘導が終わって、全員が今こちらに向かっている」
扇が「この状況は、説明するより見てもらう方が早いだろう」と安堵すれば、「ああ」とミシェルが頷いた。しかし、その表情は余りにも厳しい。
「ショッピング・モールの中で異変が起きているのは、この建物だけって事らしい。俺の経験則から言えせてもらえば、インペリウムは次元獣を同じ場所に複数同時に投入して使う。もし、ライノダモンがこの建物の中に転移しかけているとして、他の次元獣は今何処にいるんだ?」
デュオ、クラン、扇、そしてクロウまでもが、通話中のロックオンについっと目をやった。全員が同時に同じ一件を思い出した為だ。
突然1輪のバラが消えた、とこぼしていたロックオンのあの話を。
「出したり消したり。今朝からそんな事が多いよな。ちょっと気にならないか?」
ミシェルの指摘を聞きながら、クロウは次第に怒りが込み上げてくる自分の内面を自覚した。悪質な悪戯なのか、或いは本物の次元獣なのか。そういった真偽の狭間で人を迷わせて喜ぶ鬼畜の存在を突然思い出したからだ。
しかも、その男には元々次元獣との繋がりがある。居心地の悪い状況の中で、その名を想起している仲間もいるのではないか。
ロックオンが通信を切って間もなく、建物の右手からまとまった数の足音が近づいて来た。ロジャーに刹那達、護衛対象だったミヅキ達に赤木や斗牙も合流している。
男達の歩調に変化はないが、琉菜や中原など主に女性達が途中で小走りをやめ、吹き抜けが近くなる程に顔をひどく歪めた。見慣れた敵といっても、相手は今尚その体の一部しかない。仰ぐ目つきの微妙加減に、彼女達の抱いた感想が現れていた。
「やだ。本当に口だけ…」
代表としてぽつりと漏らす琉菜は、とある黒い虫と同レベルの嫌悪感を滲ませている。
「みんな聞いてくれ!」ロックオンの左手が、端末を握ったまま頭上に挙げた。
人の数が随分と減って、館内で発する声は格段に通りやすくなっている。今、耳に入ってくる音といえば、館内に流れる音楽とZEXISが発する靴音や声だけだ。
「今、トレミーとマクロス・クォーターがこの建物の上空にいる。2隻の格納庫には、俺達全員の機体が収容してあるそうだ!」
「やったー!!」全員が、その場で踊り上がった。
「但し。この建物の一部に、ほんの僅かな次元の歪みがあると言ってる。急に大きくなるとまずい。俺達も、建物の外に避難するぞ」
「えー…」
歓喜の中に、ふと小さな不満の声が混じった。声の主にと次第に集まってゆく視線は、全てが中原のところで止まる。
「あの…。保冷ロッカーに、買った物を入れたままなんですけど…」
中原の足が数歩動いた。荷物との合流を望んで、そうせずにはいられなかったのだろう。
しかし、行かせる訳にはいかない。
「諦めるんだ」いつになく厳格な態度で、ロジャーが中原の手首を掴んで止めた。「君の気持ちはわかる。確かに我々は、その為に来たのだから。しかし、あのライノダモンの口が本物であるとわかった以上、我々はZEXISの一員として冷静な行動をとらなければならない」
ロジャーは殊更「ZEXISの一員として」を強調し、情に流されている中原にメンバーとしての自覚を促した。
そう。ZEXISに所属しているからこそ、黒の騎士団を癒したいと思い、また現状での冷静な行動を求められもする。たとえ後方支援要員であろうとも、彼女達が背負っている現実はクロウ達と何ら変わらない。前者の願望みにしがみつく事は許されなかった。
「…はい、わかりました」
萎れた中原が承諾し、「また何か考えようよ」と肩を撫でる谷川に慰められる。
「よし。我々も、このまま建物の外に出るぞ!」
ロジャーの手が右から左へと動き、ZEXISの全員を外へと促す。敢えて残った施設関係者も流石に諦め、足音は人数分の小走りに変わった。
「あ、車がみんな駐車場なんだけど!」突然エイジが目を見開くと、「後で大塚長官に謝りましょう」とルナマリアがエイジの背を押し忘れさせる。
長椅子や倒れた鉢植えを巧みに避けながら、クロウは1人、吹き抜けのある方向を一度だけ振り返った。
ライノダモンの足は未だ何処にも出現しておらず、全身が露わになる兆候は見られない。扇が異変に気づいた時より口の形ははっきりしているというが、騒ぎが起きてから既に30分以上が経過している。
インペリウム帝国の真意を、クロウは測りかねていた。軽い嫌がらせとしては成立するのだろうが、次元獣は、世界を焼土と化しながら要塞を移動させているインペリウムの破壊の使徒だ。死者・負傷者ゼロでクロウを安堵させ、あの鬼畜に何のメリットがある?
続きがあるのではないか。客や店員を屋外に避難させた後に起きる何かが。
外に出てみれば、周辺一帯は随分閑散としていた。平日の昼間とは思えないあの数の客達が既に遠方に集まり、整然とバスに乗り込んでいる。大型車両も手回しが良く、バスの他に軍のトラックまで縦列を組んでいる。
「凄い人なんだね、大塚長官って」
爽やかに感心する斗牙に、10人以上のパイロットが無言で首肯した。
その直後に、全員の顔が綻ぶ。組織の長が見せた働きぶりに頼もしさを覚え、戦士としての重荷が少し減ったと気がついたのだ。歯車は噛み合い、全ては健全に機能している。
上空では、マクロス・クォーターが筋状の雲に黒く艦影で縦長なHの文字を描き上げていた。
「あれ? トレミーは?」愛機を格納している母艦を探すシンに、「もっと高い所にいるのさ」とデュオが空を指しながらスメラギの意図を説明する。
「そんな…。ソレスタルビーイングだって、この世界を守っているのに」
口端を落とすシンに、琉菜がそっと近づいた。
「だから、私達だけでも覚えておくのよ。あの人達も正しい事をしているんだ、って」
「あ、ああ」
ZEXISの全員が建物からの距離を確保すると、武装した兵士が1人近づいて来た。
色々と訊かれる前に、ロジャーが「我々はZEXIS。客と店員の避難誘導を終え、今出てきたところだ」と伝える。
兵士は敬礼をし、「現場からの一般人の退去は、我々が引き継ぎました」と答え、無線で上官にロジャーの話を伝えた。
集団から5~6歩離れ、ロックオンが携帯端末にロジャーと同様の報告を始める。言うまでもなく彼の交信相手はトレミーにいるスメラギで、内容も報告だけでは終わらない。
幸い屋外は流れる音楽がない分、盗み聞きはやりやすかった。携帯端末がロックオンの手にあろうとも、スメラギの声をかなり明瞭に聞き取る事ができる。
『よくやったわね。これからみんなをマクロス・クォーターが収容するわ。あなた達も一旦、クォーターに合流してちょうだい』
「了解。で、その合流の為に、俺達は誰の迎えを待てばいいんだ?」
ロックオンが、肝心な点についてスメラギに問いかける。
『スカル小隊よ。みんなの収容中に万全を期す為、ベクター・マシン3機を対空監視につけるわ』
さらりと言い切るスメラギの声が、淡々としているからこそ不自然に聞こえるのは何故だろう。
「スカル小隊?」直感的に不安を覚えたのか、ロックオンが戸惑いぎみに繰り返す。「小型機ばっかっていう事は…」
おそらく、スメラギのプランと皆が想像しているものは同じだ。その上で、スメラギは何も否定しなかった。
『クォーターには高度を下げてもらうから。大丈夫。彼等の腕を信用して』
「おいっ! ちょっと待ってくれ! そういうレベルの心配より…!!」
しかし、無情にも通信は切れた。
凍り付いた表情のロックオンが周囲を見回すと、皆しんとしている。その上、ロジャーと会話していた兵士は逃げるように去って行く始末だ。
上空では、皆に対するロックオンの説明を待たずに、ベクター・マシンの射出が始まった。
「あれ、アポロ達じゃないのか?」アスランが上空を仰いだ直後、マクロス・クォーターから放たれた3機のメサイアが変形し、次第にその機影を大きいものへと変えてゆく。明色のクァドラン・レア2機も、発進後に降下を開始した。
「まさか…」ルナマリアがぽっかりと口を開ければ、「私達のお迎えって…」と流石のミヅキも顔色をなくす。
何故、スメラギがクロウ達の収容にスカル小隊を宛がったのかは、メサイアがガウォーク形態に変形した時、全員が合点した。飛行能力を維持したまま手首を使用する事ができるこの形態が、便利に映らない筈はない。
しかも、メサイアは全機が後席を持つ。移動効率という点から見て申し分ない、という判断なのだろう。確かにマクロス・クォーターも降下しつつあり、ベクター・マシンによる対空監視など危険度を下げるべき配慮を伺う事はできる。
とはいえ、些か大胆すぎる方法ではないのか。仮に、ZEXIS内部の信頼度を三大国家に示す狙いがあるのだとしても。
メサイアが着地すると、すぐにキャノピーが開く。
「後ろの定員は1人。他に、左右の手に1人づつだ」
アルトの仕種は、手招き一つとってもどこか優雅で美しい。
オズマも、声を張り上げた。キャノピーが開いた途端、「俺の機体に、大山女史。アルト機には中原。ルカ機には谷川に乗ってもらう。他のメンバーは全員パイロットだ。丁寧にやるから、掌空輸に当たった者は少しの間だけ我慢してくれ」と洒落た物言いで仲間達を和ませる。
勿論、非戦闘員への配慮に全員異論はない。メサイアの掌ステップを昇り21世紀警備保障の女性達3人が後席に落ち着くと、オズマ達は引き続きキャノピーを解放したまま、左右の手に1人づつ収まる様子を最後まで見届けた。
「痛くはないですか? お姉様」と気遣いながら右手でクランを、左手ではミシェルを持ち上げるネネも、素顔を晒し慎重そのものだ。
人数的に全員を一度に運ぶのは無理なので、いぶき、ミヅキ、リィル、琉菜、エィナ、ロジャー、更にはソレスタルビーイングの4人とクロウがその場に残り、メサイアのキャノピーが全て閉まるところを地上から見届ける。
「それじゃあ、マクロス・クォーターで会いましょう」
一時の別れを告げるキラの声。それを合図にするかのように、まずオズマ機がやんわりと上昇を始める。そして、アルト機、ルカ機、ネネとララミアのクァドラン・レアが続いた。
「流石ね。あれなら、タクシーもやれるんじゃないの?」といういぶきの感想は、最大級の褒め言葉のつもりだ。
機体と人影が小さくなってゆくと、収容されるまでそう時間はかからない。
マクロス・クォーターからSMSの機体が再び射出されると、メサイアの数は1機増えていた。先に収容されたミシェルが、愛機と共に収容を手伝う側に回ったからだ。
「今度は、女性を優先的に」とクロウ達を見比べるオズマだが、4機のメサイアに対し残った女性達は5人もいる。
「私よりも、いぶき様、ミヅキ様、琉菜様、リィル様を優先して下さい」
エィナは一歩下がってはっきりと固辞をし、他の4人にコクピットを勧める。
「じゃあ、エィナちゃんは、俺の機体の右手にどうぞ」ミシェルがガウォークのメサイアにお辞儀をさせ、仰々しくエィナを機体の右手に受け入れた。
「ありがとう、エィナ」
「ありがとう!」
いぶきやグランナイツの女性達が礼を告げる中、2回目、そして最後の搭乗が終わり、残った者達は全員がメサイアのコクピットか機体の片手に収まった。
クロウもルカ機の左手に掴まれ、メサイアの推進系が発する音に命を預ける覚悟を決める。ルカ機のコクピットにはリィルがおり、右手には刹那がいた。無表情が多い刹那だが、今の顔には早く愛機に乗りたいとの切実な思いが書いてある。
信用云々ではなく、仲間とはいえ人の操縦する機体の手に快感えるのは難しい。それがパイロットという人種だ。
『いいですか? それでは上昇します』
ルカの声がした後、機体がふわりと地上から離れた。それまで立っていた地面は縮尺の変化する航空写真と化し、空気の流れに髪が運ばれる。平服には堪える2月の冷気だが、ルカ機がしっかりと庇ってくれるので、気流をまともに受ける心配まではない。
「景色は悪くないが、やっぱり落ち着かないな」
人の機体に運ばれる事で、愛機のコクピットが無性に恋しくなる。どうやらそれは、刹那達だけの感情ではないようだ。借金返済の為に乗っているブラスタなのに、クロウもまたブラスタのコクピットをリアルに思い起こす自分を自覚する。
尤も、クロウの機体はトレミーに収容されていて、この飛行が終わってもすぐには愛機に飛び込めないのだが。
ベクター・マシンに見守られつつ、SMSの機体が次々とマクロス・クォーターに着艦してゆく。ルカ機も着艦と同時に艦内に吸い込まれ、クロウは何日かぶりにマクロス・クォーターの金属板に足をついた。
その後、トレミーに移動を希望するパイロットがメサイアの後席に座り、愛機の待つソレスタルビーイングの母艦へと移る。その状態で、収容された全員がジェフリーとスメラギの指示を待った。
ベクター・マシンも一旦着艦し、2隻のブリーフィング・ルームにパイロット達が集まる。私服のままでいる者、ノーマル・スーツで身を固めている者とそれぞれだが、全員が一様に反応するところがあった。
モニターに、件の映像が表示された時だ。映し出されているのはマクロス・クォーターが収集したあのショッピング・モールの映像とデータで、立体処理された最奥の建物を貫通している直線は、数本が一カ所だけ僅かに曲げられていた。歪みのある場所は吹き抜けの4階部分と、位置的に合致している。
先程まであの建物にいたクロウ達が、揃って総毛立つ。そんな映像でもある。
『この次元の歪みは、既に1時間以上も安定した状態にある』ジェフリー艦長の声が、クロウ達の収容中にも解析を続けていた事を告げ、『これは極めて希なケースだ』と付け加えた。『歪みは元々不安定で、解消する方向へと流れやすい。今はこうして安定している状態にあるが、これが1分、1時間後に突然ライノダモンを吐き出して消滅する可能性は高い。我々はこのまま上空に留まり、この歪みの監視を続ける。諸君は、ライノダモンの全身が出現したと同時に出撃。これを撃破してもらいたい』
パイロット達は皆、やや困った様子でモニターを睨みつけている。
「その監視ってのは、いつまで続けるんだ?」
アポロが、気の抜けた声で質問した。
小さく頷く者が数人加わる。それ程、彼の問いは全員が訊きたいところではあった。
『現時点では、24時間。これを期限とします』そしてスメラギの回答は、上が期限による現実的な線引きをしている事を名言した。『次元の歪みはそこに実在し、ライノダモンも出現しかけている。確かにこれは、由々しき事態よ。だけど、永遠にここに張りつく事はできないの。おそらくはその間にもインベーダーやヘテロダイン、獣人や機械獣の襲撃が世界各地で発生し、私達の対応が求められる。今から24時間が経過してもライノダモンの全身が現れないその時は、歪みは安定していると判断し、その後の監視を大塚長官指揮下の部隊に引き継いでもらいましょう。私達ZEXISは、一旦この件から手を引きます』
一瞬、小さなざわめきが起きた。
「話はわかるんだけど、何か納得しずらいな」こういった結論に食いつくのは、大抵が赤木だ。「相手はライノダモンじゃないか。もし全身が出たら、半端な戦力じゃ太刀打ちできないだろう。バトルキャンプはすぐ近くで、俺達は24時間後もそこにいるかもしれないっていうのに」
「バトルキャンプが近いから、大塚長官に任せるんだ」例によって、冷静な青山が赤木の感情論を崩しにかかる。「24時間後もそこにいるかもしれない? いないかもしれないじゃないか。もし24時間経った後に暴れ出したとしたら、その時動けばいい。そもそもZEXISは、対処療法を優先する為に破格の戦闘力を持つ事が許されてるんだ。この24時間は、言わば例外なんだよ」
「まぁ、それはそうなんだろうけど…」
語気の弱まった赤木に、「心配ないよ」と斗牙が邪気のない笑顔を向ける。流石は天然、空気を変える魔術を誰よりも上手く使う。
「24時間後の事は、その時考えよう。監視は始めたばかりなんだし。ね、赤木さん」そしてその微笑みは、青山にも送られた。「ね」
「あ…、ああ」
青山と赤木は顔を見合わせ、尤もな言い分だと静かに鞘に収める。
『皆の気持ちはわからんでもない』赤木達の衝突を受けてか、ジェフリーが先程よりも穏やかな口調で再び話し始める。『24時間という期限は必要な措置だが、歪みが拡大、或いは消滅する時はいずれ必ず来る。与えられた時間を最大限に生かし、探してみようではないか。我々に、何ができるのかを』
「はい」
ようやく全員が承諾し、丸1日という長い上空からの監視が始まった。
「おっ。地上じゃ、投光器の準備を始めてるぞ」
監視映像を流し見ているエイジが、ジュースを飲みながら地上の変化に反応する。
冬の日照時間は短い。日没前に終えてしまうつもりなのだろう。大型のトラックが次々とショッピング・モールの横につけられ、投光器と付随する機械類が下ろされてゆく。
早いもので、日は西に傾きつつあった。映像にある作業風景も次第に長い影を帯びるようになって、その影は次第に本数を増やしてゆく。
コップの水に口をつけながらぼんやりと映像を見守っていたクロウは、ロックオンや刹那達の服装に気づいて「ずるい」と思った。いつの間にやら、ソレスタルビーイングの制服に着替えているではないか。
「元々トレミーは、俺達の艦だぜ。隊員の予備の制服も、ちゃんと積んでいるんだよ」
にっと白い歯を見せるロックオンに、「俺なんか、ボビーから借りたままだ」とクロウはこぼす。「動きを邪魔しないのはいいが、この格好でブラスタに乗るのはな」
「じゃあ、別に問題無しだろ。俺達以外の誰が見るでなし」
「なら、何でお前は着替えたんだよ」
「決まってるだろ」と言いかけて、ロックオンはすごすごと退散する。
仲間と遅い昼食をとり、日没後も監視を続ける。
しかし、一向に変化は起こらず、投光器が照らす建物の外観が白く浮かび上がってもクロウ達は出撃する事ができなかった。
館内への電気供給は中断しているのか、ズームをかけても1階の窓面は暗く、昼の賑わいをその光景から想像する事は難しい。
クロウは、ちらりと映像を見てから目を閉じた。考えろ、考えるんだ、と自身に言い聞かせる。次元獣バスターとして、今の自分に何ができるのかを。
それが結果として、あの鬼畜の野望を砕く事になればまんざらでもない。
「ちょっと1時間ばかり仕事熱心になってもいいか?」
突然立ち上がるとクロウはロックオンにそう告げ、格納庫に急ぎブラスタを起動させる。
『クロウ! 何を始めるつもりなの?』
問いつめるスメラギに、「ヒントを探しに下りるだけだ。何ができるのかを見つけるヒント、ってやつをな」と正直に答え、半ば強引に発進許可を取り付ける。
「クロウ・ブルースト、ブラスタ。発進する」
機体射出時のGが消失すると、クロウは機体の高度を下げ、緩やかに地上への降下にかかる。途中マクロス・クォーターを掠めたが、皆クロウよりは行儀が良いようだ。
直線で形取られた白銀の人型兵器が、左手に盾を構え足を下に向けた姿勢で降下する。照らすのは月ばかりで、単機のブラスタを青い月光が淡く照らしてくれる。こんな夜でなければ、なかなか味のある絵だと感じ入る事もあったろう。
しかし今は、平時ではない。
ただ1機地上を目指すZEXISの機体に、下でも頓着しはしない筈だ。そう考え着地したが、実際に迎えの1人も出て来なかった。
地上の監視要員は、昼間客達を車両で送り出した場所まで下がり遠方からの活動に留めている。時刻は、午後7時11分。日本のサラリーマンなら、仕事や買い物に精力的な時間帯だ。ところが、この一帯だけは既に深夜の様相を呈している。
しかも、投光器の物々しさが異様な雰囲気を醸し出していた。時間の流れは止まっているのに、不気味さが半端ではない。
「ん?」
モニターの端で、何かが動いた。大きさとしては人間のサイズだが、何より気になったのは建物の中に入って行ったように見えた事だ。
スメラギ達に報告するか。いや、事実確認の方を優先すべきだろう。
瞬考の末、クロウはブラスタを下り、見たように思う人影を追って建物の中に入った。手動のドアを押し開け、昼に訪れたフロアに再び足を踏み入れる。
と、そこでクロウは聞いた。確かに靴音が聞こえる。1人分の足音だ。
しかもそれは、あの吹き抜けの方に向かってやしないか?
辺りは薄暗く、投光器の光が透過する窓の他には明るい場所がない。これでは誰と対面しても、相手の顔など判別できないとクロウが眉をひそめた時。
声がした。
「おや、これは嬉しい事もあるものです」
嫌悪感から鳥肌が立った。聞き覚えのある声だけに、嫌悪から静かな怒りが呼び起こされ、握る拳に力が集まる。
クロウは、声の主の名を呼ぶ事が嫌だった。
辺りの暗さに目が慣れてくると、男の体格をした人間がクロウの正面に立っているのだと気づく。
その男は、嗤っていた。薄い陰影が、張り付いた笑顔の下にあるものを暴き立てるが如くに浮かび上がらせている。
つい目を反らし上を見ると、ライノダモンの口があった。淡く青い光を放つ醜悪な口が尚も激しく暴れ、白い歯の存在だけを暗がりの中で強く主張する。正に、怪物の所行だ。
しかし、次元獣の口もこの男に比べたら愛嬌のあるものにさえ見えてしまう。
「アイム…」クロウは最初、その一言を絞り出すのが精一杯だった。「やっぱりてめぇの仕業なのか。この悪戯紛いのライノダモンは」
- 10.に続く -
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