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怖いもの

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3部分:第三章


第三章

「じゃあ雪隠とかか」
「そこはいいな」
 熊もそれに頷いてきた。
「しっかりしてるしな」
「そのまま慌てて下に落ちるんじゃねえぞ」
「それで糞まみれになってな」
「ああ、それだけはな」
 地震を怖れる彼もそれは笑って返していた。
「そうしたら今度は糞が怖くなっちまうよ」
「ははは、臭くなっちまうしな」
「そうだよな」
「だから雪隠だけは勘弁だぜ」
 その男は苦笑いを浮かべながら言った。また花札をはじめている。
「他の場所にしとくさ」
「そうか」
「まあ地震がなければそれに越したことはないけれどな」
「そうだな。けれどそうは上手くはいかないのが」
「世の中ってやつか」
「残念だけれどな」
 そう言いながら花札をする。今度もまた熊の勝ちであった。
 それで金が彼のところに集まる。小銭を集めながら別の男に尋ねてきた。
「で、御前の怖いものは何だ?」
「俺は雷だ」
 彼はぶるってそう述べた。
「あれだけはいけねえ。音を聴くだけで身体がすくんじまう」
「そんなにか」
「ああ。雷獣っているだろ」
 空想上の動物である。雷と共に落ちてくると言われている。
「あれを絵とかで見ただけで思い出しちまうんだ」
「そりゃまた徹底してるな」
 熊は小銭を財布の中に入れながら応えた。
「そんなに嫌いか」
「嫌いっていうよりは怖いんだよ」
 本当に少し身体を震わせて答える。
「今だって話をするだけで駄目なんだ」
「ほお。じゃあ今鳴ったらどうだい?」
「夢に見ちまうな」
 そう答えた。
「だからな。雷だけは駄目なんだ」
「わかったよ。じゃあこの話は止めだ」
「済まないな」
「それでだ」 
 最後の一人がここで口を開いた。
「俺は親父が怖かったな」
「そうかい。おっと」
 それが出たところで熊も周りの者もあることに気付いた。
「さっき火事の話が出たしよ」
「これで地震、雷、火事、親父が揃ったな」
「そうだな。縁起が悪いぜ」
 流石にこれで縁起がいいと言えるものではなかった。皆笑いながら述べる。
「まあこれで縁起をつけるとするか」
「全くだぜ」
 そう言いながら酒を楽しむ。ここでふと中の一人が熊に尋ねた。
「それでな熊さん」
「何だ?」
「熊さんの怖いものは何だい?」
 さっきの話をそのまま熊に振ってきたのだ。
「俺のか?」
「ああ。何かあるか?」
「俺達は言ったんだ。熊さんだってよ」
「俺に怖いものか」
 だが熊は杯を手に不敵に笑うだけであった。右の膝を立てて飲むその姿勢が実に粋だ。
「あると思うか?」
「さてな」
「けれど熊さんも人間だ。何か一つあるんじゃないか?」
「そうだよ。あるんなら教えてくれよ。酒に免じてさ」
「まあ酒がなくても別にいいんだ」
 熊はまずはそう述べた。
「俺は隠し事はしない。いいな」
「ああ」
 一同その言葉にはまずは頷いた。
「それでだ」
 そう前置きしたうえで語りはじめた。
「そんなものはねえな」
「おっ!?」
「大きく出たねえ、また」
 仲間達はそれを聞いて面白そうに述べた。
「だって本当だからな。さっき出て来たものはどれも怖くとも何ともねえんだ」
 自信たっぷりといった様子でそう述べる。
「喧嘩も負けたことがねえ。強いて言うならこの酒と鉄火巻きが怖いな」
「だから飲んで食って始末しちまうってわけだな」
「ははは、そういうことだ」
 と落語から話を取って言う。
「それだけだな、怖いのは」
「凄いねえ、その肝っ玉」
「こりゃ熊さんに適う奴はいないってわけだな」
「おう、そういうことさ。それでだ」
 熊はいささか調子に乗ってそのまま話をしてきた。ところが。

 
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