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幽霊と弥三郎

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2部分:第二章


第二章

「その方、どうして逆さまなのじゃ」
 彼はそれについて聞いてきた。
「幽霊なのはわかったが」
「実はこれにも深い訳があるのです」
 女は弥三郎を見上げてさめざめと述べた。その青白い顔が実に悲しげであった。
「実は夫と妾に殺された時にです」
「うむ」
 その話を聞くことにした。どうやら事情があるとわかったからだ。
「私は絞め殺されてしまいまして」
「それはよくあるじゃろ」
 それで逆さになるとは思えなかった。別の事情であろうと思った。
「はい、無論それが理由ではありません」
「ではどうしてじゃ」
「ここの川上に逆さまに埋められてしまったのです。こうして頭から」
「そうした事情じゃったのか」
 話を聞いてようやく納得がいった。聞けば実に妙な事情ではあった。
「はい、どうやら怨念を被らないようにと考えたようでして」
 女は悲しい顔で語る。
「実際にこれではあまりにも不便で。何も出来ない有り様です」
「そうじゃろうな」
 弥三郎はその話を聞いて納得したように頷いた。人とは普通に立って動くものである。それが逆さまになっていては何事もやりにくいものだ。彼は夫とその妾のしたことに妙に納得した。
 だがそれを許せるわけではなかった。彼はそれを聞いて怒りがふつふつと沸くのを感じた。それは雨の中でも燃え上がるものであった。
「しかし」
 彼は怒りを含んだ声で述べた。
「その亭主と妾は許せぬな」
「お侍様もそう思われますか」
「左様じゃ」
 彼は答えた。
「織田家においては悪は許されぬ」
「左様でございますよね」
 これは信長が常に言っていることである。
「そなた、恨みを晴らしたいか」
 そう言ったうえで女に問う。
「殺された恨み。どうじゃ」
「殺されてそれを恨みに思わない者がいましょうか」
 女はかえってそう問い返してきた。
「無論私も同じです。ですがあの二人はそれを見越して私をこうしたのです」
「そうであったな」
 話は戻った。逆さまにされた話である。
「左様です。川も満足に渡れない有り様で」
「何もかもが辛いというのか」
「それで力を貸して頂ける方を待っていたのですが」
「それがわしか」
「はい」
 その言葉にこくりと頷いてきた。
「駄目でしょうか」
「いや」
 それを断る弥三郎ではなかった。彼は織田家の中でも有名な武辺者であった。主である信長をはじめとして傾奇者が多い織田家である。彼等は武辺であることを誇りにしていたがこの弥三郎はその中でもとりわけその名を知られた男であったのだ。その彼が断らない筈がなかった。
「聞けばこれは悪だ、悪は討たなければならん」
「それでは」
「うむ、その頼み喜んで引き受けよう」
「かたじけのうございます」
「それでじゃ」
 弥三郎は話を受けたうえでまた女に問うた。
「わしがその亭主と妾を成敗すればよいのか」
「いえ」
 だが女はそうではないと言ってきた。
「まずはですね」
「うむ」
「川を渡らなければ話にならないのです」
「川をか」
「はい、何分亭主も妾も向こうにおりますので」
「ああ、そうじゃったな」
 弥三郎はその話を聞いて頷いた。先程からの話ではそうなる。言われてそれを思い出した。
「それではまずは川を渡るか」
「はい、渡し守りに会いに行くぞ」
「畏まりました」
 こうして弥三郎は歩いて、女は逆さまになったまま宙を浮かんで渡し守りの家に向かう。そして扉を叩いて呼ぶとその渡し守りが眠い目をこすって出て来た。
「はい。川ですか?」
「そうじゃ。少し頼みたいのだが」
「はあ。それで一体どなたを」
「わしとな」
「弥三郎様と」
 この二人は顔見知りである。何度も行き来しているうちにそうなったのである。
「この女じゃ」
「女・・・・・・」
 渡し守りはそれを受けて弥三郎の後ろに目をやった。そしてその青白く恐ろしい形相が下から見据えているのを見てあっという間に気を失ってその場に倒れてしまった。
「どうしたのでしょう」
「御主の姿を見たせいじゃな」
 彼にはすぐに合点がいった。それで女に対して述べた。
「やはり私が幽霊だからですか」
「まあ無理もないな」
 正直こう述べるしかなかった。
「幽霊でさえ恐ろしいというのにそうして逆さまになっていればな」
「そうなりますか」
「それはわかるじゃろう」
 女に顔を向けて言った。
「御主もついこの前まで生きておったのじゃからな」
「ええ、まあ」
 女は弥三郎を見上げてしょげた声で答えた。
「いささか残念ですが」
「仕方のないことじゃ。しかし」
 彼はここで気絶してしまった渡し守りを見た。
「これではとても船を操ることはできぬな」
「どう致しましょうか」
「何、困ることはない」
 だが弥三郎はそう言って女を安心させてきた。肝心の渡し守りが倒れてしまったというのに彼は落ち着いた様子であった。

 
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