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月下に咲く薔薇

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月下に咲く薔薇 6.

 
前書き
2013年6月6日に脱稿しpixivにアップしたものを、2015年8月11日に加筆修正。 

 
 クロウの全感覚が、ひそひそと話すロジャーとキラのやりとりを巧みに拾い始めた。
 会議室には、未だクロウだけでなくロックオンと中原までもが残っている。果たしてネゴシエイター達は、それに気づいているのか、いないのか。
 異様に声が小さな会話は、集中力を研ぎ澄ます事に長けた人間がようやく聞き取れるレベルのものだ。もし一般人が2人の横を通ったとしても、細かな息遣いを拾うだけに終わったろう。
 ロジャーとキラは、ZEUTHとして戦いZEXISに合流したメンバー故に、仲間の能力が如何に優れているかを熟知している。その彼等が伺わせる異様に高い警戒レベル。バトルキャンプの中で2人は緊張状態にある、とクロウは確信した。
「これからどうしますか?」と、キラがロジャーに尋ねている。
「一応、無事に終わった事を彼女に伝えておこう」言うや、ネゴシエイターが早足で歩き始めた。「だが、その前に…」
 2人分の足音が、かろうじて聞き取る事のできた会話を無情にも運び去ってゆく。
「せめて後少し! もっと、もっと大きな声で頼むぜ」
 盗み聞きしているクロウとしては、もどかしさから胸中で催促の一つもせずにはいられない。但し、2人を引き留めては意味がないし、かといってこのまま行かせてしまうと、思うところがある人物から多くを掴み損ねる事になる。
 しかし、残響は弱まり、とうとう声どころか靴音さえ全く聞こえなくなってしまった。
「ふぅ」聞いた内容の曖昧さに落胆し、クロウは壁に寄りかかったまま「どうだった?」と問われる前に浅く項垂れる。
「収穫無しか」
 通路に誰もいなくなってから、ロックオンが出入り口へと移動した。安心して靴音を立て通路に顔を出す自分の行為を、些か奇妙に受け止めているのがわかる。
 仲間相手に何をしているのやら、と自身で呆れているのだろう。
「無くはないが、せいぜいが2つ3つといったところだ。話していたのはロジャーとキラ。ただ、この2人は、肝心な部分までは俺の耳に入れなかった」
「…気づかれたのかもな」
「ああ」
 クロウとて、その可能性を否定するつもりはなかった。生還率の高いパイロットは、優れた技量の他に鋭い勘をも併せ持つ。クロウの立ち聞きに気づいたからこそ、ネゴシエイター達は突然足早に去ってしまったのかもしれない。
「で、わかったのは、ロジャーとキラが密談をしてたって事だけか?」
 ロックオンの上半身だけが、通路から会議室に戻って来た。
「いや。少しだけだが、やりとりは聞いてる」クロウは、聞き取った話の全てを整理しつつ壁から背を離す。「どうやら2人は、さっきの打ち合わせの最中に何かが起きると考えて来たらしい。心配の出所は、ロジャー言うところの『彼女』。他にも用事はありそうだったが、とりあえず打ち合わせが無事に終わった、とその『彼女』に知らせに行くつもりのようだ」
「彼女?」
 鸚鵡返しに、隻眼のスナイパーが繰り返す。
 クロウとロックオンは、ほぼ同じタイミングで全く同じ1人の少女を思い浮かべた。
 栗色の長髪を一つに束ねた、ZEUTH一番の色白な美少女。体が弱く白兵戦には向かないが、ガロードと同じガンダムに搭乗し操縦以外のサポートをしている。
 アムロ達も一目置く程の高レベルなニュータイプとして覚醒しており、条件さえ整えば人心を読み、物理的な距離を無視して人の存在を感知する事さえできるという破格の能力者だ。
「…ティファの事だろ」
「だよな」
「おそらく彼女の事ですよね」
 ロックオンの断定を、クロウと中原も肯定した。
「あのカラミティ・バースでこっちの多元世界に飛ばされて以降、彼女の能力も随分と働きにくくなっているって聞いたんだが」
 記憶を辿りながら話すロックオンに、「色々な力が相殺するから、とかそんな内容だったような」とクロウが付け加えた。
「ああ」
「それでも何かを感じたってのか?」
 クロウも、ティファについて聞いた話を覚えている。繊細な情報処理をするニュータイプだからこそ、様々な力が時空に働く環境下ではその能力を最高域で発揮する事が些か困難なのだ、と。
 それでもアムロやクワトロ、カミーユ達が非常に優れたパイロットとして過酷な戦場で戦果を上げる事ができるのには、全く別な理由がある。幾分か減衰した能力の使い方を、彼等は意識し変えているというのだ。
 以前にカミーユは、その手法の変更について「感じて撃つのをやめて、感じながらも操縦に力を乗せるやり方に変えた」と表現していた。勿論クロウとしては、ただ頷いてやるより他にない。鋭利なニュータイプの感覚やその使い方を説明一つで理解してやれる筈がないのだから。
 特徴として彼等ニュータイプは、次元獣やイマージュの出現などによって起きる次元の歪みを特に嫌う傾向がある。ところがZEXISが活動するこの地球は、次元獣バスターなる職業が成り立つ程次元獣の出現頻度に辟易している多元世界だ。その中でティファは、未だ「使い方を変える」途中にあるのかもしれない。
「お前は信じるか? もしそれが、あのお嬢ちゃんの感じた不安だとしたら」
 至極真面目な口調で、ロックオンが会議室に戻りながら右手でぐるりを指した。ここが異変の舞台になる筈だったと聞けば、当然ガンダムマイスターには戦士としての顔が表出する。
「そうだな」
 つられて無意識に視線を移す。と、中原の様子が視界の隅に捉えられた。
 彼女の眼差しは落ち着いているものの、知ってしまった後悔と仕事人としての顔の間で目の輝きが揺れている。即座に、しまった、と思った。
「俺だって昨夜からおかしな事の連続だ、とは思うさ。だが、折角心配してもらった打ち合わせはああして無事に終わってるし、単に誤差の範囲内ってやつじゃないのか? そういう事もあるさ」
「まぁ…、お前の言う通りではあるんだが…」
 ロックオンもまた、死角に入っていた中原の様子をようやく左の眼球で捕捉し慌てて言葉を濁す。
「行ってこいよ、扇のところに。出発までそう時間がないぞ」
 クロウが急かすと、ロックオンが頷いて見せた。
「じゃあ、1時間後にここでな」
 踵を返したのでそのまま歩き出すかと思いきや、隻眼の男がいきなり振り返る。
「中原さんも急いだ方がいい。それから、ロジャー達が秘密にしたがっているから、今の話は内緒って事でヨロシク」
「はい」
 ようやく会議室を出たスナイパーは、今度こそ戻って来なかった。
「じゃあ俺も」と歩き出すクロウの背後で、壁掛け時計に目をやった中原が「もうこんな時間!?」と両手を口に当てる。
 再度の集合まで、1時間どころかあと46分しかない。想定外の事態に時間を費やした結果だった。
「お互い、ここからは駆け足だな」
 中原と顔を見合わせてから、クロウは1人ロジャー達を追う。
 頼まれた訳ではない事は百も承知だ。しかし、中原のあの表情とロックオンが飲み込んだものを思うと、はぐらかした者の責任として詳細は掴んでおくべきと考える。
 幸い、件のロジャーはすぐに見つかった。ティファのいる場所と目星をつければ、足は自然とそちらに向く。
 ブータのいる所だ。
 端から見れば不思議な光景に映るかもしれないが、ZEXISが移動する際には何匹かの動物が行動を共にする。メンバーが連れている為で、犬1匹、ブタモグラ1匹、フェレットのようなもの数匹とおよそ軍隊とは程遠い構成を仲間として抱えている。
 シモンは、それらの飼い主の1人だ。彼を慕いついて回るブータは、今でこそ体は小さいが、いずれ大人がその背に跨がる事のできる四つ足の食用獣に成長するのだという。
 最近のティファはそのブータに興味があるのか、シモンの近くで見かける事が多かった。
 今はバトルキャンプの食堂にいる。そう見当をつけたクロウの勘は当たった。
 飼い主と共に朝食を済ませすっかり満ち足りたブータは、ティファの掌に乗り、最上の機嫌でブッブーッと某かを話しかけている。
 椅子に座っている少女の側に、立ったままのガロードとロジャーの姿があった。ブータの飼い主であるシモンはニア姫と共にティファの向かいに座り、かわいがられているブタモグラを優しく見守っている。
 ロジャーの唇は動いておらず、ガロードに至っては時間を持て余しやや離れた所にいる女性のボディラインを遠方から目でなぞる。
 食堂には他に、キタンとミヅキがいた。厨房の奥と盛んにやりとりするグランナイツをちらちらと見ているキタンも、やっている事はガロードと大差ない。
 いいものを見た、という顔をし上体を起こす金髪のガンメン乗りとクロウの目が合った。
 お茶目心で意味深にニッと笑って返すと、男は慌てて食堂の端からガロードに話しかける。
「ガ…、ガロード。何ならお前も飼ってみるか? ブタモグラ」
 キタンの提案は誤魔化し半分に聞こえるが、半分しか占めていない分、残りは本気の善意で出来ている。
 ティファの視線を奪い返してはどうかとの提案に、ガロードは全開で首を横に振りまくった。
「いや。俺が動物の世話なんて。自分の事ですぐいっぱいいっぱいになっちゃうから」
「もっと連れて来ればよかったかな、ブタモグラ。ブータは全然手がかからなくて、世話しやすいんだ」
 シモンとしては本気で勧めたいのか、飼いやすい部分を強調する。
「ティファさん。毎日ブータさんと、何を話しているんですか?」
 ティファの側にガロードがいるように、シモンの側にはニア姫の姿が常にある。
「色々」笑顔の絶えないニアに対し、ティファは目と口元だけの笑みでそう答えた。「今日のシモンの様子とか、みんなの様子とか。でも、時々言葉に聞こえなくなるの」
「多元世界とインペリウムの影響さ。気にする事はないさ、ティファちゃん」
 野暮を承知で、クロウは子供達の話に敢えて割り込む。そして、子供の側に立ち続けている大人に、目線で場所を移すよう提案した。
「わかった」そう呟いたロジャーが、別れ際にティファへ「大丈夫だ。あの件については、今後も私達が張り付く」と念を押して席を外す。
 咄嗟にクロウは、仲間達の表情に釘付けとなった。
 が、ロジャーの言葉からその意味を察したと思われるのは、ティファとガロードのみだ。キタンとニア姫、そしてシモンさえもが、きょとんとした顔で反応に迷う。
 クロウの前を通り過ぎるロジャーが、「来たまえ」と後に続くよう小声で囁いた。
「ああ」
 クロウはロジャーの後ろにつくと、彼は最も人通りの少ない非常階段でその歩みを止める。
 尋常ならざるやり手を相手に、遠回しな段取りを組むのは時間の浪費でしかない。そう判断したクロウは、いきなり立ち聞きした話をロジャー本人に突きつける事にした。
「ティファちゃん、なんだな。あの打ち合わせの最中に何かが起きるって心配してたのは」
「そうだ。しかし、君も知っているように何事もなく終わっただろう。この多元世界ならではの特異な環境が彼女の超感覚に干渉している。それだけの事なのだ、と私は考えている。何も心配する必要はない」
「さぁて、その火消しが本当の狙いなのか、それともあんた自身が何か不安を抱えているのか。聞いちまった俺としては、もう少し囓りついていきたいところなんだが」
「しつこいな、君にしては」
 窘めるような口調だが、このネゴシエイターは、話しぶりにどうしても感情が乗ってしまう。最早、相当に重い何かを秘めている事は疑いようもなかった。
「さっき、俺が盗み聞きしていた時と、随分ニュアンスが違うじゃねぇか。あんたは、自分で思っている程仲間に上手く隠し事はできないタイプだ。そこまで頑なになると、こっちもかえって燃えてくるってもんだ。悪いな」
「…いいだろう」溜息混じりに、ロジャーは短く返答した。「だが、我々も今の状況下で彼女の超感覚にそれ程の精度はない事を承知している。前置きとして、そこは理解しておいてもらいたい」
「了解だ、ネゴシエイター」
「今ティファは、我々に待ちぼうけを食らわせたシンフォニーの実態について、独自に探りを入れようとしている。限定的な力しか発揮できないとしても、我々ZEXISの一員として力になりたい、と。そう考えての申し出だ。その彼女が今朝、バレンタイン企画の打ち合わせが何者かによって覗き見される、と感じたのだそうだ。しかも、とても不快なイメージの中で」
「覗き?」
 ロジャーの話を聞いた直後、クロウは第4会議室の一面を占める窓の事を思い出した。
 おそらくは三大国家総出で監視の目を光らせているであろうこのバトルキャンプで、構造上嫌が上にも視線を集めてしまうのが窓のある部屋だ。第4会議室に着目されても致し方ない。
 何しろ、今朝確かにZEXISメンバーの出入りはあったのだから。
「そういう事か…」
「ただ、彼女自身も単に監視の視線を膨張して受け止めた可能性はあると漏らしている。しかし、その感知をした時、彼女はとても怯えていた。白い指先が細かく震えているところを、ガロードが宥めようやく落ち着いた程だ。…あそこまで顕著な反応は珍しい。私は、そこが気になっている」
 一連の話は嘘ではなかろう。ロジャーの話を、クロウはそう受け止める事にした。
 しかも、ティファの不安はこれから現実になってしまうかもしれない。数十分後、企画の関係者が揃って市街地まで買い物に行くときている。
 ZEXISを脅威と捉える監視の目が、もしバトルキャンプから機体を降りたパイロット達がぞろぞろと外出する予定を掴んだとして。何もせず、門を通って帰る事を許すだろうか。
「増やすっきゃないな、警護役を。それも早急に」
「無論だ」ネゴシエイターも、その点を強調した。「だから、手は既に打ってある」
「…お見事」
 ロジャーのフットワークの良さに、クロウは思わず舌を巻く。
「ミス・スメラギと交渉し、ソレスタルビーイングのガンダムマイスター全員の協力を得る事になった。食料品売り場にあからさまな武闘派の登場では、不測の事態が発生した時こちらが悪役にされかねない。ZEXISの立場は微妙だ。年齢、体格は、行く先を考慮すれば自ずと限定される」
「じやあ、ティエリアも…」
 最近最も沈んでいるガンダムマイスターの名を、クロウは確認の意味を込め口にした。
「彼のようなタイプは、気晴らしというより任務だと言って外に連れ出した方がいい」
「よくわかってるじゃないか。あんたがいてくれて、助かるぜ」
 ZEUTHの要の1人に敬意を表し、クロウはロックオンに代わって礼を言う。もしこの場にあの男が居合わせていたら、きっと彼もロジャーに礼を告げずにはいられなかったろう。
「クロウ」と、今度はロジャーが真顔で改まった。「今ここで聞いた内容を誰に話そうと、それは君の自由だ。君自らが判断し、その良心に従って行動してくれたまえ。私は君を信頼している」
「ありがたいねぇ、そう言ってもらえると」そこでやめようかとも思ったが、クロウは急に若干の言葉を付け加えたくなった。「ま、悪いようにはしないさ。信じてくれるっていうのなら、尚更にな」
 徹底的に気が済んだので、クロウは自分から先に踵を回して歩き出す。
「また後で会おうぜ」
「扇とロックオンを捜しに行くのか?」
「いや。そっちはあいつが上手くやる筈だ。ちょっくら俺は、コーヒーでも差し入れてくる。ゆうべやり損なっちまったんでな」
「そうか」
 ロジャーは、それ以上は訊かなかった。或いは、それがティエリアの為だと察したのかもしれない。
 自販機の前を素通りしかけて引き返し、缶コーヒーを1つ買う。熱いその缶を軍用コートのポケットに入れ、クロウはティエリアに宛がわれている部屋を目指した。
 最近のティエリアの心中を察し、スメラギはティエリアを1人にさせている事が多い。時間が必要だと判断したソレスタルビーイングの仲間達もそれに同意し、ここバトルキャンプではティエリアが1人部屋を、刹那とアレルヤ、ロックオンとクロウが2人部屋を使っていた。
 なるべくさりげなく渡してやろうかと考えていると、やけにきつい表情をしたティエリアが変装用の私服姿で自室のドアを開ける。
「おっ、ティエリア。おはようさん。コーヒーでもどうだ?」
「…善意ではあるまい。いくら欲しい?」
 何故か、いきなり金の話になった。足早に近寄り、少年の眼前にコーヒー缶を差し出しただけだというのに。
「こいつは俺の奢りさ。俺達だけの警護じゃ人手が足らなくなったんでな。いきなり助っ人を頼まれたお前さんに、俺からの詫びって事で」
「それは理由になっていない」ティエリアが、半端な説明をぴしゃりと拒絶する。「しかも、20人以上で市街地に行くだと? それが何を招くのか、わかっているのか!?」
「ああ、勿論だ」ここは一番締めてかかりたいと、クロウもティエリアの目を見てしっかりと返す。「だが、やるっきゃないのさ。仲間の為だ。で、今回お前さんにも引き受けてもらわないと困る役割がある」
「…ロックオンは?」
「今、あと1人仲間を増やすってんで、扇の説得に行ってる。その後みんなでお出かけだ。来るだろ?」
「行くしかあるまい。それが、ミス・スメラギの判断だというのなら」
「飯は?」
「まだだ」
「なら、余計飲んどいた方がいい。砂糖入りだから、頭がスキッとするぞ」半ば強引に缶コーヒーを渡し、クロウは「軽く済ませる気があるなら、そうしろ。時間と場所の事は聞いてるか?」と声をかけながらも背を向ける。
 今は、そっけないくらいの態度の方がティエリアの負担が低かろう。
「ああ、必ず行く」
「当てにしてるぜ」
 そのまま振り返らずに、クロウは傷心の少年と別れた。
 自分を責めるばかりの彼も、軋む心を引きずりながら何とか立ち上がろうとしている。
 扇の方はどうなっているのだろうか。ロックオンの意気込みを信用しつつ、塞いでいたティエリアにしてやれる事は全てしたと自らを納得させる。
 全く、これだから暇だといけない。うっかり充実感などを感じてしまうではないか。

            * * *

 一方、クロウと別れたロックオンは、黒の騎士団に宛がわれた部屋の幾つかを訪ねて回り、最終的にはダイグレンの中で目当ての姿を発見する。
 愛機の無頼を見上げていた扇は、ガンダムマイスターに呼び止められた後、話を黙って最後まで聞いていた。
「無理にとは言わない」注釈を付けて逃げ道を用意してやった後、ロックオンは説得に乗り出す。「だが、俺はあんたの立場を少しはわかっているつもりだ。黒の騎士団の中にあるものを最初に払拭するのは、サブ・リーダーであるあんたの役割だと思わないか?」
「ロックオン…」
「そりゃあ、ゼロは黒の騎士団の中心だ。ゼロのカリスマと戦術を抜きにしては語れないものも多いんだろう。だが、そのゼロも今は何かから抜けだそうとしてもがいてる。あんたにも色々あるんだろうが、黒の騎士団はゼロだけで支えてる訳じゃない。こういう時の歩き出し方を、仲間のみんなに示してやれるんじゃないのか。扇要という男なら、な」
 少し呆けた表情をし、扇は見ていた。片目となったロックオンの、その真面目な顔つきを。
「俺は…」言おうか言うまいか迷ってから、敢えて扇に話して聞かせる。「俺は、ティエリアが必ず立ち直るって信じている。あいつも今は打ちのめされて自分の殻に籠もってはいるが、それでチャンスを逃した時、ガンダムマイスターとして後悔する事もあいつはきっと自覚している。だってお笑いだろう? 悲願を果たすつもりでいたのに、いざ自分に痛みが襲って来た時、その痛みに目が眩んで立ち止まったままだの、よそ見だのとか」
 相槌すらつく事ができず、扇が棒立ちしたままソレスタルビーイングの話を聞いている。
「なぁ、扇。俺は思うんだが、力が足りないから今痛みがあるんじゃない。力を持つに相応しい心の強さが足らないから、無駄に自分を責めるんだ。違うか?」
 ごくりと唾を飲む音がした。やがて、扇の唇が震えつつも動く。
「俺は…、俺は、ソレスタルビーイングと出会えた事、そしてロックオン・ストラトスという要の男とこうして話ができた事に感謝したい」
「おいおい、要はお前だろ?」
「いや、俺は。…そうだな。今は、名の通りの役割を果たそう。ゼロが自力で立ち直るまで」
「ま、今はそれでいいか」どうしてもゼロの存在に依存してしまう扇の気質を、今指摘するのは得策ではない。風を入れ替えるべく、とにかく企画に加わる気になったのだ。その辺りのところだけを尊重しておこうと、ロックオンは考える。「このまま一緒に来るか? 買い出し前の集合場所は、第4会議室だ」
「いや、後から行く。一応、ゼロと玉城には俺の居場所を常時伝えておく事にしているんだ」
「なら、待ってるぜ」
「ああ。必ず行く」
 扇を無頼の前に残し、ロックオンは1人ダイグレンの格納庫を出ようとした。
 が、長髪の人影が突然右から現れ、しまったと数歩後じさる。
 右目が失明して以来、意識して音をしっかりと拾うようにしていたのだが、格納庫という場所柄、靴音のような小さな音は整備音にかき消されつい聞き取り損ねてしまう。
「失礼!」
 交錯直前に互いが相手を発見し、2人は半端な角度で対面する。
「いや、私も考え事をしながら歩いていた。済まない」
 ロックオンを先に行かせようとしているのは、アテナだった。ZEUTH所属の軍属パイロットで、本当か嘘かあの桂木桂の娘だと聞いている。
 顔立ちは母親似らしく、父親と娘、流石にそっくりという程ではない。
「お先にどうぞ」と一歩退いて場所を譲る。「但し、考え事をしながら歩くのはやめた方がいいな」
 もし怪我をしようものなら、ミシェルやピエールの見舞い合戦になるから。そう思うも口には出さず、アテナを先に行かせるロックオンは、ふと目の端に止まったものを見て、妙な胸騒ぎを覚えた。
「ちょっと待った!」慌てて女性の背中に呼びかけ、アテナが右手で弄んでいるものを覗き込んで息を止める。
「ああ、これか?」時に男性のような口調で話すアテナが、余り興味がなさそうに1輪のバラをガンダムマイスターに差し出した。「先程、ナイキックのコクピットで発見したものだ。誰かの悪戯だと思うのだが、欲しいのならやろう」
「いや…。そうじゃなくって」
 言葉がすぐに出てこない。男にプレゼントした後は、女だと? 一体誰が、何をしたくて花の贈り物などを始めたのか。
 ロックオンの眼前にあるのは、既視感に彩られた見惚れる程に美しい真っ赤なバラだった。棘付き、しかも花の放つ怪しさといい、クランが持っていたものと余りにも酷似している。
 偶然と片付けていい筈がなかった。
 確かにいる。これまでの想像とは異なる何者かが、このバトルキャンプの中に。


              - 7.に続く -
 
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