旱魃
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3部分:第三章
第三章
「それではだ」
「すぐにその墓に行き」
「調べるのだな」
「そうだ」
こう彼にも言う。
「それでいいな」
「そうだな。それが一番だ」
彼も同じ考えであった。とにかく調べないことにはどうしようもない。彼等は将軍にこのことを上奏したうえで許可を受けた。それから墓場に向かった。
墓場の近くにあった寺で坊主に話を聞くと。坊主は奇妙なことを左衛門達に話した。
「そういえばですな」
「何かあるのか」
「はい、この前にです」
坊主は左衛門達に言う。
「一人若い白拍子が死にまして」
「白拍子がか」
「はい」
白拍子とは所謂芸姑である。時として春を売ることもあった。平安時代からあるものである。
「それで葬ったのですが」
「その白拍子だが」
左衛門はさらに彼に問うた。
「歳の頃は幾つだったか」
「確か十七か八だったかと」
「間違いないな」
「はい」
坊主はこの問いにも答えた。
「若くて美しい娘であったというのに。残念なことです」
「間違いないな」
「そうだな」
左衛門は話を聞いていた同僚達の言葉に頷いた。
「してじゃ」
「ええ」
「その娘の墓は何処じゃ」
「はい、こちらです」
案内されたのはその坊主の言う通り墓場であった。一つの卒塔婆がそこに立っていた。
「ここか」
「左様です」
暑い日差しの中で答えてきた。昼だがそれにしても暑い。旱魃がここでも感じられた。
「そうか。まだこの世に未練があると見える」
「それではですね」
坊主がここで提案してきた。
「もう一度。念入りに供養しましょうか」
「うむ、頼む」
左衛門が彼等を代表して坊主に頼んだ。
「この世にまだ出て来るというのは。やはりな」
「そうですね。それでは」
こうして供養がはじまった。念入りなそれは夕刻まで続いた。
夕刻でもまだ暑さは続く。彼等は墓場で汗だくになって立ち続けていた。しかしそれもようやくといった感じで終わった。坊主が遂に読経を終えたのである。
「これで」
「うむ、かたじけない」
彼のすぐ後ろにいた左衛門は振り向いてきた彼の言葉に応えて頷いた。
「これで。終わったな」
「はい。間違いなく」
「では。礼を渡そう」
そう言って懐に手を入れた時だった。
不意に雨が降りだした。それまで雲一つなかったというのにだ。
空は夜の様に真っ暗となり雨が滝の様に降り注ぐ。皆それを受けて驚いて顔をあげて雨を見上げた。
「これは一体!?」
「急に降るとは」
「どういうことだ、これは」
左衛門も何が起こったのかわかりかねて声をあげる。
「急に降るなどと」
「これはおそらく」
ここでまた坊主が一同に言ってきた。
「娘の魂が成仏したせいでしょう」
「?待て」
左衛門も他の同僚達もこの言葉には目を顰めさせずにはいられなかった。
「何故娘が成仏したことで雨が降るのだ?」
「おかしいではないか」
「これがおかしくはないのです」
しかし坊主はそれでも彼等に対して言うのであった。
「唐である話ですが」
「うむ」
この時代は明であるが昔から中国をこう呼ぶことが多い。
「浮かばれぬ霊が旱魃を引き起こすことがあるのです」
「そうだったのか」
「はい。それでその霊を成仏させると」
「雨が降るというのか」
「そういうことです。いや、唐だけのことだと思っていました」
坊主もまさか日本で同じようなことがあるとは思っていなかったようである。それで意外といった顔を彼も作って上を見上げそれで雨を受けていた。
「それがこうして。いやはや」
「そうなのか。だが恐ろしいものだな」
当然ながら左衛門も雨を受けている。彼もまた上を見上げ顔で雨を受けていた。
「人の霊が旱魃まで起こしていたとはな」
「大したことはないようで大したことがあるものです」
坊主はこうも彼に話した。
「人というものは」
「そうだな」
左衛門は彼の言葉を受けて上を見上げたまま頷いた。雨は激しく降り続いている。
「それがわかったような気がする」
「そうだな」
「全くだ」
同僚達もそれに頷く。これはにわかには信じられない話であるが実際に歴史に残っている話である。都で旱魃が起こりそれはある霊を鎮めて終わった。人の魂というものは常に何らかの形で人の世に影響していくものであるということであろうか。
旱魃 完
2008・1・20
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