竜門珠希は『普通』になれない
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第1章:ぼっちな姫は逆ハーレムの女王になる
ヒロイン像ってつまり妄想のかたまゲフンゲフン
前書き
注意:文中、一部過激な発言や表現がございますが、これはあくまでフィクションです。すべてネタです。
その点を理解できる方のみ読み進めてください。
……やってしまった。
……つい、やってしまいました。わざとじゃないんです。
出来心で……っていうのもおかしいかもしれないんですけど。
いや本当ですって。信じてください。
――などという言い訳の一言一句が、物凄く万引きした主婦かご老齢の方に酷似しているのは気のせいではないと感じている小心者キロネックス少女、竜門珠希は高校に入学してまだ一週間と数日にして最上級生の男子を相手に喧嘩を売り、買い取られた喧嘩に無傷で勝ってしまった。
そんな珠希の耳に届くのは死刑執行を知らせる鐘の音……などではなく、ホームルームの終了と同時に私立稜陽高校の放課後の始まりを告げるチャイムの音だった。
今日はあの2年の先輩に助けられたけど、早速やっちゃった……。
放課後の気怠い解放感の中、帰る気が起きない珠希は机に突っ伏すと、窓の外に視線を送りながら心中で今日の昼食時間のことを猛省していた。
あの後――星河は我を取り戻すと、そのときの珠希の言動がヒーローみたいでかっこよかったと手放しで称賛してくれた。それはそれで怯えられたりしていないかとナーバスになっていた珠希の不安を打ち消してくれたが、ヒーローは男性がなるもので、女性がなるものはヒロインであるとはツッコめなかった。
なぜなら、あまりに星河の瞳が両方キラキラしていて、そこにヒロインというとergの攻略対象という意味しか浮かんでこない女子高生erg原画家が何か言葉を挟めるわけがないのだから。
とはいえ話は変わるが、実のところ、珠希が男に絡まれたのはこれが最初ではない。
そして、自分の身を守るためにやりすぎてしまったことも一度や二度ではない。
だが今回――いや今回も、女子の新入生から売られた喧嘩を買った最上級生たちが、その命知らずな新入生女子が幼少期に護身術を習うついでに空手を会得し、今でも懇意にしている警察官たちから柔道を仕込まれ、ともに黒帯を所持していることなど知る由もなかった。
とはいえ、鳩尾や顎や鼻といった、鍛えた大の男でも弱点となりうる箇所を正確に攻撃してみせた珠希の腕前はむしろ以前よりも磨かれていた。その原因が日々のトレーニングや手合せではなく、家の土蔵の中から整理がてら発掘した昔の格闘漫画の影響だとは誰も予想できないだろうが、やはり一子相伝の流派は無手で最強と相場が決まっている。
珠希の胸に七つの傷はないし、姓は陸奥でもないが。
――それはともかく、顔覚えられたんだよね、あたし。
これは近いうちに復讐とか闇討ちあるかもなぁ。
実のところ、復讐めいた捨て台詞を吐かれたのもこれが最初ではない。
そして、家族・親類や仲の良い女性警官らを頼ったのも一度や二度ではない。
結果的に教育・行政関係者、警察、弁護士という強大な社会的立場を持つ人たちに伝わり、今まで数名の男女が鑑別所や拘置所からの不起訴処分や家裁送致、司法の手によって鉄条網と監視カメラつきの塀の向こうへドナドナされるなどの目に遭っているのだが、それは珠希にとって何の自慢にもならないどころか、苦々しくて思い出したくもない話だ。
……やっぱ、あたしって男運とか悪いのかなぁ?
お祓いとか受けたほうがいいかな?
いやでもまだ厄年じゃないし。
中学時代、特に親しかった親友(全員女)と一緒に4人で出かけた今年の初詣で珠希が引いた御神籤の結果は「末吉」。運勢自体は悪くはなかった。だが残る3人が揃って「大吉」を引かなければケチもつかなかったし、それから程なくして3人ともカレシができたという報告は完全に無視したのは言うまでもなく――。
そもそも男運に関しても、珠希の場合は男女問わず周囲を気後れさせるほどの美貌を持ち、無自覚に内面から「人を寄せ付けない」ほどの気品を漂わせている。気軽に声をかけてくれるのはご年配の方々かランドセルを背負う前の子どもたちくらいだ。
数ヶ月だけ通って辞めたピアノとバレエ、そして近所の知人のツテで何度か習った日本舞踊の影響があるとかないとかは関係なく、長女体質による抑圧と紙一重である自制心と遠慮と気遣いの細やかさは昨今の同年代の女子と比べると精神的に大人びた女性として映って見えてしまう。特に何歳になっても本質は変わらない馬鹿な男からすれば。
それでも本人は何かが欠如していると思い込んでいるのは、「女の劣化は14歳から」という過去に読んだコミックエッセイの台詞を真に受けているせいである。スキャモンの発達・発育曲線を参考にしても現在15歳の珠希には十分な“のびしろ”があるのだが、では14歳から女の何が劣化するのかと尋ねると、「その態度」だと兄・暁斗から即答アンド断言された。
恥じらいと遠慮の喪失、感情による自制心の無効・形骸化、集団心理への盲目的追従、同年代または異性との間にある上下格差意識、歪曲されたフェミニズムによる「男女平等」と「女性尊重」の履き違えなどなど、痛いところばかりを容赦なく抉りに抉られた挙句、トドメとばかりに「実際のところ、基本的に男はロリコンかマザコンしかいないし」と結論を勝手に出された。
しかも「結論までは求めてない」と言ったら、それが男と女の会話が噛み合わない最大の理由だと返された。事実、女の珠希は「そんなことないよ」と共感してほしくて疑問をしたつもりが、男の暁斗はその疑問を科学的・客観的事実を踏まえて解説し、結論を出しただけである。
そのうえ、仮に結婚に伴う経済的・精神的目的がお互いに足りないものを補い合うためであるとするなら、男が女に求めるのは純真と母性で、それらを持っている女性を対象とするのがロリコンとマザコンなのだと、どこかロリコンとマザコンを肯定するような発言まで飛び出す始末。じゃあ裏とか闇のJKビジネスは何なのかと尋ねたら、「あれはフェチ方面に特化した風俗」とこれまた即答・断言された。
違法ユーザーやJK愛好者もまさか声豚――でもイケメン――に批判されたくはないだろう。
要は一人の女性としてではなく、着衣――この場合、女子学生の制服――の価値がうんぬんかんぬんということらしいが、正直、引いた。ドン引きという表現が生温いレベルで。
相談相手を間違えたと思いつつも、質問の内容が内容なだけに兄に尋ねるしかなかったのだが、そこから思考を広げていくとあら不思議、なぜ紙芝居ergに学園モノが多いのか納得できる理由になってしまった。
もうこの日以降、珠希とは無縁のものになってしまった異性へのトキメキとやらだが、実は最近になって結月から借りたBL漫画の攻め役が誘い受け役の主人公に不意討ちされて普段見せない表情を見せた瞬間を描いた一コマにそれを感じたりしている。
大方の予想の範疇とはいえ、もはやツッコミは無駄である。
しかもハァハァ(AAryしたのは事実で、もちろんその攻め役とやらは紙の上にしか存在しないのだから、これでもあたしは腐ってないと言い張るこのガチオタの魂を真っ先にお祓いし、この世から一切合切未練なく成仏させるべきだった。
「……ねえ、何やってんだろあのコ」
「ああ、竜門さん? あの娘ワケわかんないし」
「てかなんかさ、近づきづらくない?」
「ああそれわかる。やけに距離置いてるっていうか」
「ちょ、おい見てみろよそこ」
「うぉ、マジであんなのリアルで初めて見た」
「信じらんね。ああなるもんなのか?」
「ちょっとお前ら黙ってろ」
優雅さや気品とは程遠い姿勢でアンニュイに浸る珠希だったが、こんなときですら周囲は珠希に一人放置プレイをさせてくれなかった。
未だ教室に残っていた女子は誰も珠希の心境など理解してくれず――仮に最上級生に喧嘩を売って勝った話を理解してくれと言ったところで、彼女たちは困惑する他ないのだが――男子も男子で、机に挟まれてもにゅっと変形している珠希の胸を視姦している真っ最中である。
そもそも珠希は距離を取ろうとして距離を取っているのではない。初対面の人と友達になるための適切な方法というものをこの歳になってもろくに知らないだけだ。それが甚だしい問題なのだが、幼い頃から何をしなくても周囲のほうから近寄ってきてくれたのだから仕方ない。悪意のあるなしは関係なく。
どこかの漫画の誰かは「友達はなろうと思ってなるものじゃない」と言っていたようだが、距離を縮めようと最初から過剰なまで積極的に、距離を物理的に縮めてくる人間が苦手な人もいる。それこそ友達とは一方的な関係ではないのだから、相互関係を築き上げるための適切な手段や必要とする時間があるはずだ。
だが珠希の場合、できるだけ周囲の和を乱さないよう空気でいようとする長女体質に加えて小心者が顔を出した途端、一瞬にして没個性のコミュ障になってしまう。しかも特に年齢が近しい相手に限って。
そんな中――。
「珠希さんっ。途中まで一緒に帰ろ」
あれだけ珠希が獲物を追いかけるキロネックスと化したにも関わらず、何事もなかったかのように一緒に変えるお誘いをしにわざわざ隣のクラスから足を運んでくれる星河に、珠希は昼食時間に起きた件の報復に対する不安と恐怖、そしてクラス内で浮いているという孤独と寂寥感も綺麗に跡形なく吹き飛んでいくのを感じた。
もちろん、それはそれで立派な現実逃避である。
「おい竜門。お前いつまで寝てるつもりだ?」
「寝てませんー」
「だったら帰んぞ」
「んー。ちょい待って」
星河が来たとなると――案の定、ご一緒していた昴に急かされ、珠希は上体だけを軽く起こし、幼なじみ二人組のほうに振り向く。
先程まで机との間で潰れていた、立派に実った珠希のそれは机の上に乗っかり、その大きさをより強調させる結果となったが、残念なのは机に乗っかった珠希の二つのメロンが星河と昴によって視界からシャットアウトされたことだった。
「だったら早くしろ。置いてくぞ」
「今の時代、俺についてこいとかいうのは受けないと思うなぁ」
バッグや机の中を覗きこみ、忘れ物がないか確認している中、さらに急かす昴に珠希は思わず本音を漏らす。
近年の傾向として――何の? とまでは深く追及しないでほしいが――かつての「無愛想」ながらも「義理人情に厚く」、他人のために「無言実行」して「背中で語る」ようなハードボイルドでダークヒーロー気質の主人公は絶滅危惧種Ⅰにリストアップ済みである。
代わりに増殖し、巷の矮小な世界を席巻しているのは何の脈絡もなく「巻き込まれ」ながらも、「天性(または転生)」による「チートスキル」で俺tueeeじゃんと「無双(夢想ともいう)プレイ」を満喫する主人公だ。
なおそこに多種多様な属性とファンタジックな人外のヒロイン(媚や……ではなく、惚れ薬注入済み)が加わればもはや何も言うことはない。悪い意味で。
「……お前何言ってんだ? 頭大丈夫か?」
そしてこの反応が本来の、珠希の呟きに対する一般的な人間の正しい反応である……はずだ。
「………………うん。大丈夫。今聞いたことは忘れて」
「ああ。積極的にそうさせてもらう」
昴が空を読む力と理解力に長けた人で良かったと思う珠希だった。が、昴からすればこれ以上珠希の内面を深く探るととんでもないことになりそうだという自己防衛本能に従っただけにすぎなかった、という事実は知らないほうが幸せなのだろう。お互いに。
☆ ☆ ☆
「そういえば、珠希さんって何か部活しないの?」
1年C組の教室を出て昇降口に向かう途中、珠希の隣を歩く星河が何か思い出したかのようにそんなことを尋ねてきた。
「部活? 何も考えてないなぁ」
……ってか、どんな部活があるかとか知らないし。
部活に入れば多少は同級生や先輩と距離を縮められ、何かと会話のネタもできるというものの、このスポーツ万能腐女子の放課後の過ごし方の選択肢に部活入部の文字は一切出てこなかった。
これでも珠希の放課後は放課後で忙しいのだ。朝にやり残した家事をやって、原画もしくはグラフィックの仕事、夕食の支度に積みゲとアニメの消化まである。
――失礼。最後のは余計だった。
なお、稜陽高校に存在する部活や同好会・研究会の案内や紹介はこっそり始業式の後に行われていたりする。もちろん、星河と一緒に保健室にご退場した珠希がそこで何が起きていたかなど知るわけがない。
「中学で何かやってなかったの?」
「一応美術部員だったよ。ほとんど出なかったけど」
「三年間幽霊かよ」
昴がぼそりと呟いたが、幽霊部員であったことは否定しない。
顧問の教師が厳しくなく、体育会系意識とは無縁だった美術部では珠希と同じような幽霊が先輩にも後輩にも何人もいたし、珠希も特に仲の良かった友人3人と一緒に他愛ない話をして道草を食いながらのんびり過ごしていたほうが楽しかった。その3人とはあちこちぶらついては他の部活に茶々を入れたりしたので、幽霊は幽霊でも浮遊霊の類と言えるかもしれないが。
「何か問題でもあるかな昴くん? これでも中学のときから家事全部やってたのに」
「そのうえで部活やってたの? 凄いね」
驚嘆する星河だったが、そもそも放課後も放課後で家事を取り仕切る珠希に本来、部活をやっているような暇はなかった。
ましてや、中学時代からグラフィックの技術を磨き、原画家・イラストレーターとして仕事を得るようになっていた珠希にとって、貴重な放課後に音楽室でティータイムなどしている暇はなかった。ケーキを食べ、紅茶を飲みながら――とはあっても、PCに向かっている目的はグラフィックか原画の仕事のためである。よい成果を出さなければ人としての信用問題にかかわる重要な課題だった。
第一、今日は今日で登校途中に商店街の魚屋の兄ちゃんに取り置きしてもらった桜鯛の下拵えがある。しかも切り身などではなく丸々一匹を買い取ったため、鱗も取り除かなくてはならず、捌くにも時間がかかる。
「けど、お前が美術部員ねえ」
「いちいち何か突っかかるような言い方するよね、昴くんって」
「2階からダイブする美術部員なんて俺は知らねえからな」
「え? 2階からダイブ?」
昴が言いたいのは、文化系の部活の住人(元幽霊)が2階から大型トラックの荷台に飛び降りてまでルート短縮し、上級生に絡まれていた星河を救いに行くかということだったが、その一部始終を知らない星河は首を傾げる。
「ちょ、昴くんっ?」
「あのな星河。こいつ、お前が昼飯時に絡まれているのを見て――」
「わー、わー、わーっ! それはあえて秘密のままにしとくのが義理とか人情ってやつじゃないのかなぁっ!?」
星河と昴の間に割り込み大声で両手を振り、コミカルな仕草で会話を遮ろうとする他人を寄せ付けないほどの美しさを持つ少女。
実は一皮剥けば黒帯持ちのスポーツ万能にして、特に勉強することなく偏差値70超えの頭脳の持ち主でもあるというのも驚きだが、しかして中身はergのブランド所属の父と官能小説家の母を持つアダルト産業従事者のサラブレッド、その実態は声優オタクの兄と野球バカの弟とJCコスプレイヤーの妹を持つ女子高生にして世界にも名の知られた原画家・イラストレーター【天河みすず】の正体であろうとは星河も昴も知らないことである。
「んだよ。そこは本人のために教えとくのが普通じゃね? 恩を売る的な意味でも」
「返済不可能な恩を押し売りする真似はしたくないんだよ」
仮に幼い子ども相手に1000万の価値ある品物を贈ってギブアンドテイクを要求しても、その額面に等しい対価が即座に返ってくることはほぼありえない。返ってくるにしても数十年先の話で、それほど実は珠希の気は長くなかったりする。むしろ竜門家の4人兄弟姉妹の中では最も気が短いのが珠希であるという両親の証言がある。
そもそもその両親の証言が一番疑わしいというのが親類縁者の証言である事実も添えて。
「そもそもギブアンドテイクに限らず、返済を見越して借りるもんでしょ?」
「ん、まあな。どっかの国の奴らとは違うからな」
「そこ、余計な火種撒かない。自己破産不可の有利子負債扱いにするよ? トイチで」
明記しておくと、昴の発言中に登場した「どこかの国」という名前の国を珠希は知らない。本気で知らない。意外と近い距離にあるなんて知らないし、バランサーじゃなくて法則という病に1000年前から侵され、今後1000年も呪われ続けるバランスブレイカーだなんて思ったりもしてない。
過去に出会ったある【天河みすず】ファンの中国人はマナーもよかったが、そこの国の自称【天河みすず】ファンは勝手に珠希の国籍を自国民に変えていた。いったいそれで自尊心の何が満たされるのか甚だ疑問であったが、後日ネット上で全世界の人間から盛大に草を生やされていた。
「ちょ待て! トイチの有利子負債とか、お前実は金の亡者か?」
「家事を取り仕切る者としては当然の知識だよ」
「なら預貯金関連に留めとけ」
仮に珠希の言うとおりそれが当然なら、旦那の給料からろくな貯蓄を生み出せないこの世の専業主婦()は立つ瀬がない。珠希が持っていない法令遵守の精神に基づけば、法が定める最低賃金の支払いさえ守られているのであれば、家計が赤くならないようにするのが家事を取り仕切る者としての役目。譲歩したところでATMにも管理維持費に電気代というコストがかかるのだから、ATMの吐き出す安月給に文句を言うのはお門違いだ。何を頑張ったかもわからない自分へのご褒美よりも、そんな自分を頑張って支えているものへのご褒美のほうが先ではないだろうか。
なお「有利子負債」に関しては検索、検索ぅ。
「あはははは……。昴がここまで振り回されるのも珍しいね」
「んだよ星河。そんなに面白いかよ」
「そういう昴を僕はあんまり知らないからね。でも珠希さん、もしかして昴の扱い方に慣れてきた?」
「扱い方とか知りたくもないかなぁ。特に有利子負債抱えた人とか」
「おい待てや金の亡者……って、債権者俺なの!? 星河じゃねえの?」
「だからあのとき言ったはずじゃん。『それじゃお願い』って」
「あれはそういう意味だったのかよ!」
明らかに不機嫌ですと眉根を寄せて口を尖らせる昴に対し、新しい発見ができてどこか嬉しそうな幼なじみの少年は珠希にも話題を振る。だが、星河も初めてかと思うほど昔からの冷血系秀才幼なじみを振り回す美少女は、まったく悪びれる様子もなく金の亡者っぷりを見せるだけだった。
そもそもどうあがいても金の亡者とお金の問題で議論しても勝てるわけがない。彼らにとって金は命よりも重く、法や理性より優先され、思想や理想論よりも価値があるのだ。
ちなみに、該当する珠希の台詞を要約しなかった場合、「それじゃ(これは昴くんの有利子負債扱いにするから、支払いのほうはぜひお菓子かジュースで)お願い」となる。
「んー。ほんと昴と珠希さんって仲いいよね」
「「どこが(だよ)!?」」
星河の突飛な一言に、珠希と昴の台詞がハモった。
「――くっ」
「……ちっ」
まさかこんなテンプレを自分がやってしまうとは思っていなかった珠希は苦い顔で昴を軽く睨むが、一方の昴も珠希と同じ面持ちで小さく舌打ちをしていた。
「ほら二人とも、そういうところそっくりだよ?」
「「いや今のは違う!!」」
ハモってしまった。またしても、昴と。
「いやいやありえない。マジありえない」
「クソ。なんでこんなのと……」
「何よ」
「何だよ」
ぐぬぬぬぬ……、とでも唸り始めそうなほど真正面から睨み合う珠希と昴だったが、まったく同じ反応をする古くからの幼なじみと高校生活で初めてできた異性の友人の様子を見て、星河は星河で傍目から笑っているだけだった。
「……で、改めて昴。何か部活に――」
「入らねえ。興味もねえ」
「じゃあ珠希さんは――」
「あたしもパス」
「ふ、二人とも迷いなく即答するね……」
普段から無愛想な表情をさらに無愛想にして答える昴に、もうこの話はやめにしようという手振りも交えて答える珠希。星河を大切に思う割に星河の気持ちは無視かとツッコミたくなる冷たい反応をするのもそっくりだ。
「そういう星河はどうなんだよ?」
「僕は……文化系の、体力使わなさそうなやつならいいかなぁって思ってるんだけど」
「っつーと、美術部?」
「なんでそこで元美術部員(幽霊)を見て言うかなぁ?」
せっかく下火になったというのに、まだ残っている揮発性の油に火を近づけようとする昴に、中学時代は美術部員だった浮遊霊は威嚇気味の牽制を込めて尋ねる。
「珠希さんが入ってくれるならそれもいいかな」
「あたしを基準にされてもねぇ……」
「嫌なのか?」
「そういうわけじゃないんだけどさ――」
実のところ、今に至るまで珠希を指導した教師たちは、誰しも彼女を基準にものを考えてはいけないと感じたことがある。万が一、珠希をスタンダードモデルにしようものなら周囲の子たちはほぼ間違いなく劣等感に苛まれるからである。
裏を返せばそれだけ珠希は当時から飛び抜けていた。学業も、運動も、家事能力も、それ以外の技術や知識も教えた途端にすぐ自分のものにし、しかもそこから発展させてしまう天性の素質の持ち主だった。
そんな周囲の心境の機微すら察した当の珠希は、何にでもなれるということは、同時にそこに向かって努力している誰かを簡単に蹴落とせることでもあることを自覚してしまっていた。
小学2年の頃だったろうか、休み時間に威張り散らすバスケ部所属の6年生のお兄さんたち相手に完全アウェー で無双してしまったことが自覚への発端だった。傍目からすると、体格も技術も上であるはずの小6男子たちが、小2の少女一人にいいようにあしらわれてしまったのである。
とはいえ、周囲が観客に回る中、ダブルチームを股抜きで掻い潜り、1人はアンクルブレイクかまして抜き去り、ゴール裏に逃げながら残る2人がかりのブロックをダブルクラッチでかわしてシュートを決める小学2年生の少女は間違いなく天才だろう。
そんな将来のオリンピック候補生が夏も冬も某同人誌即売会会場通い皆勤賞とか冗談でも笑えないが。
一方、小学校生活最終学年を迎えていた彼らはというと、小学2年生に好き放題やられた屈辱からバスケのレベルをさらに上げ、最終的に県大会準優勝を獲得したものの、一人で彼らに敗北の味を叩き込んだ当時小2の少女は逆に冷めてしまった。
特に何かを頑張ったわけでもない。何か特別なことをしたわけでもない。珠希が『普通』にできることを周囲の子は『普通』にできない。ただそれだけだった。
「なんていうか、やる気が出ないかも。自主的にとかだと」
「そっか。それじゃしょうがないよね」
性格的にも強引に誘ってくるタイプではない星河は残念そうに呟いたが、珠希の発言は真っ赤な嘘である。
今年クラスメートになった女子たちが珠希の言動に距離を置いていると感じるのも無理はないと珠希も本当は自覚している。自分がちょっと本気を出せば周囲の人たちはあっけないほど簡単に潰れ、平々凡々な一般人のカテゴリに埋没していくのだ。
何でもできる、何にでもなれる、というのはそれ自体が一種の権力で、その対象に媚を売るか距離を取るかしないと周囲は自身のアイデンティティを維持できなくなる。誰も珠希ではなく、珠希にはなれない。仮に珠希に近づくことはできても、本気を出した珠希の先は誰も歩けない。だから珠希は自分の本気や全力といったものに蓋をした。これも競争と淘汰を捨て、協調性と調和を求めたこの国の教育の賜物だ。精一杯の皮肉を込めて。
中学時代は――特に中3のときのクラスメートは男子も女子も何でもできる珠希を逆にネタにして笑ってくれるような人たちで助かったが、そんな人たちがこの学校にいるとは限らない。
だが原画・イラストレーターの世界は違う。三者三様の嗜好や時代背景などを受けての傾向で多種多様な“頂点”が存在する。アスリートらが目指す世界一や最強といった“唯一無二の答え”が存在しない。【天河みすず】の絵柄は海外受けするほどの人気があるものの、それを嫌う人もいるように。そんな人たちにも認められるよう、受け入れられるように技術を研鑽するほうが珠希にとってはよほど難しい。
「……けどよ、今思い出したら星河も竜門も部活紹介って見てないよな?」
「部活紹介?」
「何よそれ?」
ふと昴が思い出したのは始業式当日、式の後にあった、この稜陽高校にある部活動や同好会・研究会の自己紹介イベントである。その日、式の最中にブッ倒れた星河と、星河の介抱で巻き込まれる形で退場してしまった珠希は当然一切合切を見ていないし、知らなかった。
「なあ竜門。お前、この後暇か?」
「……暇っていうほど暇じゃないけど、時間は作れるよ」
「どうせなら一通り見ていくか?」
そうは言うものの、本音は「一通り見せたい」のだろう。高校まで一緒のところに通う病弱な幼なじみのために。
それが始業式の緊張でブッ倒れようと他人から露骨に気遣われるのを好ましく思わない星河の要求を叶えるための口実なのだと即座に理解した長女体質は、スマホを操作する手を止め、素直に空気を読んで昴の望みどおりの答えを返した。
「――別に、あたしは構わないけど」
帰り道、桜鯛の回収忘れないようにしよう。そう頭の片隅で思いながら。
後書き
結婚は人生の墓場……というか、死刑宣告だと思う(気団・鬼女板を見ながら)
異論は許す
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