ものぐさ上等
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1部分:第一章
第一章
ものぐさ上等
江戸時代の頃のお話です。江戸におみよさんというそれはそれは面倒くさがりの女の人がいました。
このおちよさんの面倒くさがりといったら相当なものでもう周りの誰もが呆れ果ててしまう程でした。
働くことは働きますがそれもいい加減。部屋の掃除は四角い部屋を丸く、それもたまにするだけです。旦那さんと子供が自分達でしている程です。
「全くあの人にも困ったものだよ」
「全くだね」
皆そんなおみよさんを見て口々にそう言いますが当のおみよさんは平気です。それがどうしたといった態度で日々を過ごしていました。
「ああ、面倒くさいねえ」
これがおみよさんの口癖でした。何しろ起き上がるのすら面倒くさがるのです。
「何かさ、起きたら」
「早く起きて飯食え」
旦那さんの留蔵さんはそう言っておみよさんを叱ります。そしてお箸とお椀を差し出します。
「ほれ、粥だ」
「ああ、有り難いね」
おみよさんは好物のお粥を目にして笑みを浮かべます。けれどそれでも中々布団から出ようとはしません。
何と布団の中で寝そべりながら食べはじめました。まるで芋虫です。
「母ちゃん外に出なよ」
「そうだよ」
子供達も言います。けれどそんな話も聞きません。
「いいじゃないかい」
こう言うのです。
「何処で食べても同じだろ」
と。聞く気配は一向にありません。
「あのな、おみよ」
留蔵さんが呆れておみよさんに対して言います。
「そんな態度じゃ何時かバチが当たるぞ」
「バチって何だよ」
おみよさんは旦那さんの言葉に布団の中から顔を上げて尋ねます。
「食えるのかい?それ」
「馬鹿野郎」
留蔵さんはそんなことを言ったおみよさんを叱ります。
「バチつったらあれだろうが。神様か仏様が悪さする奴にお仕置きするんだよ」
「あたしゃ何も悪いことはしていないよ」
おみよさんは言います。
「何にもね」
「何もしてねえからだろうが」
留蔵さんはまた言います。
「バチが当たるとしたら」
「面倒くさい話だねえ」
それを聞くと溜息をついてきた。
「一度きりの人生だよ。だから楽して過ごしたいじゃないか」
「おめえはずっとそればっかりだな」
留蔵さんの口が尖ります。顔もうんと顰めています。
「夫婦になる前からよ」
「人なんてそうそう簡単に変わりゃしないよ」
そんなことを言っておかずの漬物を食べます。これはおみよさんが漬けたものですがやっぱり作る間も面倒くさい、面倒くさいと言っていました。漬物を漬けるだけでもそうなのです。
「違うかい?」
「おめえはちっと変われ」
着物の中で腕を組んでの言葉です。
「不信心にも程があらあ」
「何が何でも動かしたいんだね」
「おうよ」
すぐに返事を返します。
「その通りだ。悪いか」
「悪いに決まってるじゃないか」
おみよさんもやはり負けてはいません。
「あたしは動きたくないんだから」
「よくそんなんで生きていられるな」
旦那さんもかなり呆れていますがそれでも言います。
「いつもいつもよ。にしてもだ」
「何だよ」
「俺もよくおめえみてえなのと結婚したもんだ」
自分で自分に感心してしまうことしきりです。
「どうしたもんだろね」
「そりゃ決まってるじゃないかい」
おみよさんはそこで言うのです。したり顔で。
「何がだ?」
「あんたはあたしに惚れてるんだよ」
「ほお」
それを聞いた旦那さんは面白げな顔をしておみよさんを見ました。
「そうなのかよ」
「だから今でも一緒にいるんじゃないか」
「まあそうだ」
朝から感心することしきりです。何か目から鱗が落ちたような気持ちです。
「そうだよな。まあ嫌いじゃねえ」
「不満があるかい?我慢出来ない程のが」
「それはあるぜ」
旦那さんはその言葉にはすぐに言い返します。
「だからこうやって文句言って叱ってるんじゃないか」
「けれどあたしは動かないからね」
おみよさんもてこでも動こうとしません。その頑固さだけは本当に見事なものです。子供達もそんなお母さんを見て何かくすくすと笑っています。
「気が向くまで」
「気が向くまでか」
「そうさ」
そう言って食べ終えたお椀とお箸を置きました。
「ご馳走様」
「しかしよ」
旦那さんは言います。
「地震でも起こったら別だろ」
「そりゃその時は逃げるさ」
これは当然と言えば当然です。だって誰も死にたくはないのですから。これだけはおみよさんも他の人と同じなようであります。
「けれどそれ以外はね」
「寝て過ごすっていうのかよ」
「最低限のことはしてるだろ。じゃあ御前さん」
そして布団に潜り込みながら旦那さんに言います。
「そろそろ時間だよ」
「ああ、じゃあ行くか」
旦那さんはその言葉を受けて立ち上がります。子供達もです。
「おいらもそろそろ時間だから」
「ああ、寺子屋だったな」
旦那さんはそれを聞いて言います。江戸時代では寺子屋が学校になっていてそこで読み書きと算盤を習っていたのです。子供達は学校がなくてもここで勉強をしていました。
「うん、そうだよ」
「だからあたしもね」
「おう、頑張って勉強して来い」
旦那さんは子供達に優しい声で言います。
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