少女の黒歴史を乱すは人外(ブルーチェ)
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第三話:違和感の二乗
一面真っ暗に閉ざされた視界の中、しつこく見渡していた俺の眼へと、微かに光の筋が届く。そこへ向けて泳ぐ要領で手足を動かせば、徐々に徐々に進んで行けた。
そしてその光に突っ込んで行き――――
「……! ここは……」
羽の様に軽かった体が、錘でも乗っかってきたか行き成り重くなったかと思うと、目の前に綺麗な青空が広がった。
何があったのかと俺は数秒ほど思考して、すぐにその原因を思い出す。
「そうだ、突然痛みを感じて……その激痛で俺は……」
ぎっくり腰が持病である父親でもないのに、というより目立った負傷など無い体だと言うのに、どうして体を痛みが突き抜けて行ったのだろうか。
トンと思い当たる節が無い。
ふと思い返してみれば、アレだけの激痛にもかかわらず 「死ぬ」 などとは思わなかったし、体も別段支障なく動く。いっそ笑えるぐらいにだ。
気になって考え始めてしまう俺だが、しかし思い当たる節など存在しないのに、原因に思い当たる筈もない。
なら、あれはいったい何だった?
「チッ……人騒がせな……」
兎も角一度振り払うと、次に思うことは……気絶してから、どれだけ時が立ったのだろうか、とっいったありふれた事柄だった。
余り境内に時間を掛け過ぎると、家族みんなで食事がモットーな父親に鉄拳をくらう。束縛したいのか愛を注ぎたいのか分からない所業だが、一日の初っ端から痛い思いをしたのだし、すぐに二度目をくらうのは勘弁願いたい。
もちろん、間が開けば是非喰らいたい訳ではないが。
俺はサディストではないがマゾヒストでもない、だが中間と言うのも怪しい人間だ。
腕に巻いた時計を見れば、気絶してから三分しか経っておらず、絵馬も全て燃やしてしまい境内の掃除も終えたので、あとやるべき事をあえて言うならば、立ちあがって家へと向かうだけになっていた。
何か一つ忘れて居る気もするが、思い出すようなことでも無かろう。俺は未だ焔燃え上がる焼却炉―――じゃあ無く焼き場を眺めて、その言葉を頭に浮かべた。
……もし仮にだが、それなりに大事な用事だったら……ああ、笑えねぇ……
「……くあぁ……」
やはりまだ眠いか、自然と欠伸が出る。
俺は境内の裏にある自分の家へ、足を進めて行く。
朝の始まりから不幸な目に遭うとはな……ついてない事この上ないとは、正にこの事かもしれん。間にあうからいいモノを、飯もぬきなら地獄のフルコース出来上がりだな。
そんな如何でもいい考えを巡らせて、俺はゆっくり歩いて家まで辿り着き、どうも痛みが残っている気がして緩慢な動作になりつつも、玄関をくぐって靴をぬいだ。
リビングからは米のいい匂いが漂い、主菜であろう父親の好物である鮭の塩焼きだと推測できる香りも、俺の鼻をくすぐってきた。
微かにだが恐らくみそ汁も混じっている。
……推測や恐らくが混じっているのは、多少奇妙な香りが混じっているからだが、撃ちの家はそこそこ古いので、別段気にする事ではなかろう。
母親の作るご飯はとても美味しく、プロの料理人にも引けを取らない質だ。出る頻度が高い白米、鮭の塩焼き、お揚げの味噌汁ですら、毎日食べても飽きないぐらいなのだから。
だが、そんな食欲を刺激する香りと、母親の確かな実績とは裏腹に、どうも先の一件で失せたのか食欲が湧いて来ない。
取りあえずは挨拶し損ねて要らないダメージを受けないようにと、手の洗う時もリビングへ戻る時も、頭の中にたった一つの単語を繰り返し浮かべては消し、浮かべては消しを繰り返した。
「ただいま……お早う……『お袋』、『親父』」
「おう、お勤めごくろう」
「御帰りなさい、麟斗」
羆もかくやの風貌を持つ父が無愛想に労い、額の広い和風美人である母がグリルを確認し、ステンレス製の鍋に入れてある中身をかきまぜて、此方を振りむき笑顔をで向かる。
何時もと変わらない、漸く慣れ始めたそんな日常の中に、何故か俺は違和感を感じた。
母の服も背格好も、髪止めも変わっていない。
父の益荒男そのものである気迫も薄れてはいない。
家具の配置も昨日通り。
まず高い確率で寝坊してくる楓子は当然いない。
新たなモノが飾られている様子もない。
……なら、一体何を変だと感じたんだ……?
1人訝しみながらも椅子を引いて座り、親父の顔を真正面に捉えた時……違和感の正体が分かった。
テーブルの上にお茶はある、親父の手元に新聞はある。
だが、肝心な先の匂いの元である『朝食』は―――無い。
(な……!? いや待て、食卓に置いていないだけで……)
俺は言い現わせぬ不安と、それにより募る焦燥に駆られながらも、台所の母の背を見る。
だが……軽く嗅ごうとも鼻孔を強く刺激してくれた、置き場の作法を間違えず並べる為に、今皿へと盛りつけられて筈の食事達の姿は―――俺の思っていたモノとは違う。
焼かれている筈の鮭は『今』グリルへ入れられ、炊き立てのご飯は『まだ』炊飯器の中で、味噌汁に至っては出汁を取り始めた『ばかり』で、味噌は開けたままで『入れられてはいない』。
朝飯は、どれひとつとしてまだ出来上がっては居ないのだ。
嘘だろう……? だってあんなに、旨そうな匂いが俺の鼻をくすぐったじゃないかよ……!?
「如何した麟斗。驚いているようだが」
「っ! ……いや、何でもない」
「そうか? 本当に何事もなかったのか?」
「ああ、何時も通りだ親父」
此方を疑ってこそいれども、しかし俺や楓子は、何時もとは言わないが見張られ、且つ品行方正な行動を取れと強制されている身。
そして父親からしてみても思い当たる事柄など無いのか、お茶を啜り新聞を読む方へと戻った。
もっと何かしらグダグダ責められるかと思えば……勿論卑しい隠し事は無いし、非行に走っている訳でもなければ、読むと馬鹿になるなど迷信にも近い理由で禁止している漫画も買っていない。
まさかとは思うがこの親父は、ギャグ漫画しか世の中には存在しないと、本気で思っているんじゃあるまいな?
生まれた時から意識がはっきりしており、赤子の時から彼等を見てきていても、未だにこの人らの考えが分かり辛くて仕方ねえ……。
実に不可解な出来事ばかり起きる所為で、朝から鎧でもかの如く体が重い。飯を食い出来るだけでも、如何にかエネルギーを補給したい所だ。
でなければ全身に掛かる精神的ながら、それでも物理的にも近い重圧の所為で、遊ぶ事は愚か机にかじりつき勉学に励むのも無理になる。
「は~いお待たせっ! 京平さん、麟斗。朝ご飯出来たわよ」
「うむ、今日も旨そうだな……麟斗、調理してくれた優子さんに、そして命をくれた生き物たちに感謝し、有りがたく頂こう」
「……うっす」
「「頂きます」」
力なく手を合わせてから、空元気も絞り出せず気迫も何も含まれない、何処か抜けた声でお決まりの文句を口にする。
幾度となく強制されて正確に “させられた” 箸使いで、焼き鮭の身をほぐしてご飯の上に載せ、そのまま口に運ぶ。
ほど良く硬く噛み締める度に甘くなる白米と、薄くは無くかと言って辛過ぎもしない、絶妙の塩加減と外カリカリ中ふっくらな鮭が、落ちた食欲を少しでも取り戻してくれる。
エネルギー補給は、これで何とかなるだろう。
―――そう言った展開になると、口に入れるまでは思っていた。
「……ん?」
「あら? どうかしたの麟斗?」
「いや……」
もういい加減にしてくれと心の中で叫びながらも、偶々『そういう場所』を選んで口に入れたのだと言い聞かせ、次は大きめの塊と共にご飯を口に運ぶ。
「あぐ……っ?」
途端に舌へと襲い来る、デンプンが作る甘みと鮭独特の風味―――――では無く、『少しだけ感じる』それらを大無しにする程、余りに単調な『辛み』と『苦み』と『甘み』、そして微かに上る不快な匂いならぬ『臭い』。
みそ汁を飲んでみれば、鮭と驚くほど似通って……否、同じとしか思えない『辛み』と、粘土の高い液状の内服薬を飲んだ様な『不快感』が喉を駆け抜ける。
お揚げはただギトギトと『しつこく』、滲み出る汁すら緩衝材にもなりはしない。
この料理に、評価と賛否の台詞の投げかけるとして……歯に衣着せねば、単純に “不味い” 。
こんなに不味かったか? お袋の飯は……?
言っておくと、喰えない訳ではない。ちゃんと食べられる。
更に言うなら口に入れる前に限り、各々の香り “だけ” なら心地よいものだ。
食べること自体は可能だが……少なくともこれを進んで食べたいとは、普通思わない。
「……」
だが目の前の親父は、強面を分かりやすく美味そうに歪め、本気で妻に感謝していると言った、優しさを感じる微笑でお袋を見ている。
この人野生動物を思わせる殺気を放ち、そこらのプロレスラーでも叶わない体躯を持つにも拘らず、お袋に頭が上がらない。
だからといって、何も進言しないかと言えば当然そうでは無く、塩加減が濃い時は普通に注意していたし、デザートも出させるのを止めさせてしまう時がそれなりにあった。
親父はこの飯が本当に美味しいと思っている、もしくは感じているのだ。
要するに、俺の舌が可笑しいのだろうか……?
「すまんお袋、今日は一杯で止める」
「え? ………どうしたの麟斗、そんな遠慮しなくてもいいのよ?」
「食欲が無いんだよ……でも、出された分はちゃんと食べる」
「当然だ……ズズ……残すなど罰当たりな行為、優子さんにも失礼だ」
茶をすすりながら親父が念を押すよう言ってくる。信用が無いのかそれとも一々注意せねば気が済まないのか。
まあ、どちらだろうとも……もう慣れたが。
どうにも進まない箸を緩慢な動作で行ったり来たりさせ、ご飯一杯を半分ほど食べ終えた頃、俺の心境とは全く逆な元気の良さで、ドアが勢いよくバタン! と開いた。
「お早うパパママ兄者!」
「……おう」
「あらあら、今日はちゃんと起きられたのね。えらいわ楓子」
「一度二度では駄目だ、何時もこの時間ぐらいに起きなさい」
「は~い☆」
遅刻に寝坊の常習犯な楓子が、何故だか今日は普通に起きてきた。
……相変わらず頭にガンガンと響く、超を三つ付けても足りないうるせぇ声だ。
正直に言ってこいつが黙っている所など―――譲歩して“大人しくしている所”に変えて考えても、少なくとも俺の記憶には覚えが無い。
中一ぐらいからそれはもう喧しく、家でも外でもしょっちゅう騒いでいやがる。
大袈裟なポーズで大仰な音を立てて椅子に座り、お袋が運んでくるご飯を今か今かと嬉しそうに首を左右に傾け、鼻歌を歌いながら待っていた。
「はい、いっぱい食べてね」
「うふふ~……いっただっきまーす!」
満面の笑みで白米を口へかっ込み、骨を取られて後は齧り付くだけの鮭を、遠慮なく大口を開けて皮ごと食い、お茶代わりなのか揚げのみそ汁を飲む。
実に美味しそうな笑顔だ。
これで本格的に、この飯をまずいと感じているのは、この家でたった俺一人だと言う事になる。
……やはり、今朝の唐突な痛撃が関わっている……?
食事の不味さの所為で考えごとをしていると箸が止まり、親父から「食べるならさっさと食べてしまえ」と言いたげな、常人基準なら射殺す視線と表せる眼光で、此方を遠慮なしに睨みつけて来た。
愛する妻の食事に対し良い感情をいだかず、寧ろソレを蔑ろにされているのだから、怒りがこみ上げてもしょうがないとは思う。
……だがそんな事を思う前に、相手の気持ちを考えて欲しい。この父親は躾は兎も角、各物事に対して自分基準が多い為、それから大きく外れていれば強制しないと気が済まないのだ。
また睨んでやがる……そんなんに俺の心内を知りたいか?
なら俺の舌とアンタの舌を取り変えてみればいい。そうすれば俺の苦心の理由も分かるってもんだ。
「……御馳走様」
お茶でさえ『苦く』て『青臭く』て『渋い』と、三連チャンならぬ三連コンボででもう存在しない食欲を、追い打ちとばかりに新たなる味覚でガリガリ削ってきた。
この後どれだけ無理強いされても、もう何も食えやしねぇ。
俺は大きく深い溜息を吐く。
「あ、ひょとひょと! もっへ兄ひゃん!」
肩に重いモノを感じながら、ドアノブを握ってリビングを出て行こうとすると、楓子が後ろから声を掛けてきた。
つーか……食いながら喋るなっての、アホウが。
汚ねぇなぁ……。
「例のアレ忘れてないよね? ファミレスで待ってるからね!」
「……?」
例のアレ? 一体何の事だ?
記憶の中を探ってみるも、予想外に次ぐ予想外の連続で何に対し悩んでいたかも、そして楓子が何を言っているかも思い出せず、終始頭を書きながら二階に上がるまで、俺は何も思いつかなかった。
そう、二階に上がるまで……。
目の前にある、現実ではまず着ない衣装の数々を見るまでは。
「ああそうか、コスプレの……」
思い出してから早速浮かんできた感情は…… “行きたくねぇ” という怠惰且つ無気力なモノだった。
これで仮に元気があったとしても、コスプレなんてやりたくは無いんだが……というよりも、何時の間に楓子の頼みを承諾した事になっているんだ。
先の物言いは明らかに此方とあちらで合意がかわされたような言い方だった。
まさかとは思うが、たった一回のだんまりがそこまで思考を都合よく改竄させた、切っ掛けになった訳じゃあるまいな……?
そんな事は無いと自分に言い聞かせ、机の上に置いてあったノートを見やれば、次に思い出すのは火にくべたノートの事である。
「……中身、なんて書いていたっけか……」
確か能力だけ書いてあり、楓子がよくやるような―――どこの一言一句を切り取っても、自分の考えを少しも伝えられてすらいない、そんな物語モドキな文字の羅列では無かった。
一度気にするとどうにも思い出したくなり必死に記憶をたどる。
……結果は、無駄に終わったが。
「はぁ……まあ良いか、大したことでもない」
誰にともなく呟いてから机の上の時計へと、視線の向かう先を変える。
今日の予定は何も無く、かと言って理子とは出会いたくなく、境内での俺の仕事は掃除と絵馬の焼納ぐらい。
行うべき仕事も、やるべき用事も、ことごとく存在していなかった。
「だからと言ってコスプレはなぁ……」
前世の冷たい生活とは、比べ物にならないぐらい刺激があり、そして温かい今の生活。されど、何処か所ではない苦しさも感じる生活。
そこにやっと慣れ始めてきた自分はどれだけ捻くれているのかと、苦笑して窓の外を見やる。
丁度タイミングよく、小鳥が横切っていった光景が目に入り、俺はほのぼのした心境で目を細めるのだった。
もうこの時から、ほのぼのなどしていられない状況に、既に陥っていたと言うのに。
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