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雲は遠くて

作者:いっぺい
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91章 モーツァルトを師匠と感じる信也

91章 モーツァルトを師匠と感じる信也

 9月6日、日曜日、午後3時ころ。午後からは雨のぱらつく曇り空である。

 川口信也のマンションでは、信也と美結と利奈が、リビングで(くつろ)いでいる。

 信也は、ここから歩いて2分の近くに、もう1つマンションを借りていて、そこで寝起きをしている。

「きょうみたいな雨じゃなくて、良かったよね、しん(信)ちゃん」

「えっ、なんのこと?利奈ちゃん」

「この前の世田谷の花火大会のことよ!」

 そう言って、わけもなく利奈は明るく笑う。
利奈は、1997年3月21日生まれの18歳、早瀬田(わせだ)大学1年。

「やっぱり、東京の花火大会よね。スケールも大きいし、どこか洗練されているわ!」

 そう言うのは、美結だった。美結は、1993年4月16日生まれ、22歳。
芸能事務所のクリエーションで、タレントとして順調に仕事をしている。
去年の夏の、ファースト写真集も、ファンには人気であった。
クリエーションは、信也と仲のいい新井竜太郎が副社長を務めるエターナルの子会社である。

「わたしは、山梨の韮崎(にらさき)や、石和(いさわ)の花火も好きなんだけどね」

 利奈がそう言った。

「利奈ちゃんたら、もう、ホームシックなんじゃないの?」と言う美結。

「違うわよ、そんなんじゃなくって、どこの花火も、花火はみんな、きれいってことよ!」

 利奈が、心外ぎみに、ちょっと、ふくれる。
ひのきのローリビングテーブル(座卓)を(かこ)んで、3人は笑った。
 
 信也は、モーツァルトの文庫本を読んでいる。

 信也は、1990年、2月23日生まれ、25歳。
早瀬田大学を卒業後、山梨県の実家の近くの会社に就職する。
しかし、親友の森川純に呼ばれ、現在は、東京・下北沢のモリカワで、課長をしている。
モリカワ傘下のモリカワ・ミュージックに所属の、
ロックバンド、クラッシュビートのメンバーとして、作詞作曲もする、活躍している。

・・・モーツァルトって、おれにとっては、師匠(ししょう)のような芸術家だと思うよ。
この人って、知れば知るほど、人に愛される音楽を作り続けたという意味でも、
ポップス作りの天才といえるわけで・・・

・・・おれに、1791年、35歳の短い生涯、626曲を作曲した、
モーツァルトとの出会いを作ってくれたのは、いま思えば、美樹ちゃんなんだよなぁ・・・

・・・美樹ちゃんが、「しんちゃんは、高い声が出るんだもの!
ミュージック・ファン・クラブの、早瀬田合唱サークルで、テノールが不足しているんだって。
しんちゃん、応援に、ちょっと参加してくれると、わたし、うれしいんだけど。
わたしも、友だちに誘われて、ちょっと応援で、参加しているのよ。一緒にやろうよ。
わたしの大好きな、モーツァルトの歌とかも多くて、とても楽しいのよ」
とか、おれに言うもんだから、美樹ちゃんに()れているわけで、
合唱サークルに入ったんだよね・・・

・・・歌の指導の先生が、本格的で勉強になったし、美樹ちゃんのそばにいられるだけで、
正直、おれは幸せだったし。あっはは。バカだよな、おれって、いつも・・・

・・・それにしても、合唱サークルで、モーツァルトの未完の大作の『レクイエム』を歌ったのだけど、
自分で歌ってみて、この歌って、ロックだよ!って、おれはつくづく感じたんだよなぁ。
モーツァルトって、ロックンローラー、そのものじゃないいか!ってね!
だから、それ以来、モーツァルトは、おれの師匠なのさ。あっはは・・・

≪死の床にあって、ショパンはこういったという、
「わたしが死んだならば、本当の音楽を鳴らしてほしい。
モーツァルトの『レクイエム』のような!」と。≫

≪「音楽はどんな恐るべきことを語るにしても、耳を満足させ、
どこまでも音楽でなければならないのですから」。
(中略)
このモーツァルトの手紙の一節には重要なことが語られています。
つまり、「音楽は美しくなければならない」という信条を、モーツァルトは告白した。≫

 信也が読む、講談社学術文庫の吉田秀和著作『モーツァルト』には、
73ページや200ページには、そう書かれてある。

・・・そうかぁ。おれが感じるようなことを、『ピアノの詩人」と呼ばれる、
ショパンも感じていたのかぁ・・・

「お兄ちゃん、ビールのつまみにもなる、クラムチャウダーができたわ!」

「おっ、うまそう!ありがとうね、利奈ちゃん!」

 姉妹には、ときには子供っぽいとかも言われる信也だが、
優しく頼りがいのある兄貴らしく、美結と利奈に微笑(ほほえ)んだ。

≪つづく≫ --- 91章 おわり ---
 
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