機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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71話
「何事だ!」
ハミルトン・オルセンは声を荒げながら基地司令室へと駆けこんだ。コロニー構造でも深部に作られたの部屋は薄暗く、前面に設置された巨大なモニターからの青白い光がスタッフの顔を照らしていた。
「救難信号です! ニューシドニーに入港する予定の輸送船が襲撃に遭った模様!」
「守備隊を出せ! 高々賊風情に何を―――」
言って、ハミルトンは察知した。
本当に高々賊風情ならば、輸送船の護衛部隊だけで十分対処できるはずだ。それが出来ない―――。
「敵の所属と規模は!」
「ネオ・ジオンの物と思われる艦艇が3隻、敵MS部隊は大隊規模と想定される!」
ハミルトンは息を飲んだ。そうして戦域マップに目を投じて、思案するように顎を右手で掴んだ。
ネオ・ジオンがニューエドワーズを攻撃する利点は何があるというのだ―――。
完全に無いわけではない。このコロニーで行われている兵装の実証試験には、6年後のUC.0100年のサイド3自治権放棄に関するものもある。だが、理由にしてはそれはあまりに薄弱に過ぎる。ニューエドワーズを破壊するようなことがあれば、世論はネオ・ジオンの飼い殺しを赦しはしまい。
それに、関連する兵器の実験をしているとはいえ、所詮は末端にすぎない。仮に計画を潰したいのならニューエドワーズではなくインダストリアル7を潰さなければ意味がない―――。
「司令!」
「今度は何だ!」
「ニューシドニーの警備部隊と連絡が付きません! 歓楽街でも戦闘が発生しています!」
ハミルトンは、ただ、言葉を失いながら、黒人の通信士の顔を見返した。
大画面のモニターを振り返る。投影された市街のカメラの映像には、灰色の巨人―――《リックディアス》の末広がりな脚部が映り、そうして次の瞬間には生じた爆風で映像が途絶した。
知らず、爪で皮膚を裂かんばかりに手を握りしめる。
ハミルトンはこの行為の背後に何が蠢いているのかを知っている。だからこそ、あまりにこの行為は『派手』過ぎる。
いくら連邦政府の高官とて―――。
ハミルトンは過った雑念をふり捨てるように、そのしゃがれた声を張り上げた。
※
屹立する光軸が脇を掠める。全天周囲モニターに差し込むそのメガ粒子の光を気にも留めず、エイリィは眼前の敵機目掛けてフットペダルを踏み込む。
翼の如く肩のブースターユニットを広げた漆黒の《キュベレイ》が宇宙を裂く。
量産モデルとして完成した《キュベレイ》の性能は十分すぎるほどだった。たとえファンネルが無かろうが、たとえ性能が低下していようが、その分はパイロットが補えばいい。エイリィ・ネルソンには《キュベレイ》への愛撫を通して確実に同一化するだけの技量があり、そうして性能の低下を感じさせぬ挙動を《キュベレイ》に許すだけの気遣いが在る。
一息で《百式改》に肉迫し、左腕のビームサーベルを振り下ろす。《百式改》も掬い上げるように返す刃を振り上げ、接触したメガ粒子の刃同士が日輪の如く干渉光を爆ぜさせる。防眩フィルターでも殺しきれない閃光に網膜を焼きながら、エイリィは《キュベレイ》が鳴らした接近警報と同時に敵の存在を知覚した。
エイリィから見て下方から接近する《百式改》がサーベルを抜刀する。光の刃を振り上げた《百式改》が《キュベレイ》を捉える寸前、身動ぎした《百式改》がスラストリバースをかける直後迸った光軸は、つい1秒前に《百式改》の居た場所を呑込んだ。
舌打ちと共にスロットルを開放し、スラスターを爆発させた《キュベレイ》が《百式改》を肩口から突き飛ばす。怯んだ《百式改》の胴体目掛け、ビームマシンガンのバヨネットを薙ぎ払う。Iフィールドによって収束した光の粒子はガンダリウムγと言えどもつかの間ほどの猶予も許さずに溶解させ、中のパイロットもろとも蒸発させる。
サーベル越しに感じる奇妙なぞわっとした感覚に顔を顰める暇は無かった。サーベルで引き抜きながら《百式改》の胴体に蹴りを入ると同時にエイリィの身体が、殺害の意思が自分を志向していることを察知し、スラスターを焚いた。
鼓膜を刺す攻撃警報音。ディスプレイに表示されたデータを一瞥しながら全天周囲モニターを振り仰ぎ、《百式改》がビームライフルを掲げる様を鼓膜に刻む。
ビーム砲から閃光が迸る瞬間、《ジムⅢ》が別な方向に火器を向ける―――だが、その反応は遅すぎた。
突き上げるようにして屹立したメガ粒子の矢が《ジムⅢ》の右の踵を砕き、右肘を貫き、左肩の装甲を溶解し、生傷のような被弾痕を作る。猪突したMSは接触しなにシールド裏から大出力の刃を形成し、灰色の《ジムⅢ》を縦に両断した。
(ヴォルフ02、前に出すぎだ。下がれ)
「02了解。すみません」
爆光を背にした《リゲルグ》が《キュベレイ》の隣に並び、ぎょろりと単眼が睨んだ。
「手強いですね……」
温い溜息を吐く。
目標の輸送船への強襲、戦闘開始からまだ30分ほどしか経っていない。それでもエイリィの身体は確かに疲労を感じていた。
敵の輸送船であるコロンブス級3隻はともかく、サラミス級2隻が搭載する《百式改》は強敵だった。
大隊規模―――2倍近い相手にしてよく粘る。作戦の都合、すぐに撃破するわけにもいかないとはいえ―――。
(流石に重要拠点に物資を輸送する部隊の護衛、というわけか)
「全く。あちらさんも無理難題をおっしゃりますね」
(出資者というのはそういうものらしいからな。ふん、奴らめ、どうせなら守備隊全部をかっぱらうぐらいの気概を見せろというものだ)
プリセットされた音が鳴り、ディスプレイ上のレーダーに敵の増援を意味するブリップが灯る。
「どうしましょう?」
(さっきのやつらに消耗しすぎた、一旦下がろう。03、聞こえているか、下がるぞ)
(03了解した)
機体ステータスを一瞥。確かに高々30分ほど戦闘した割に、推進剤と残弾の消耗が激しかった。
了解、と声を出し、接近しつつある敵影を意識しながらフットペダルを踏み込んだ。
と、ディスプレイ上に秘匿回線のコールを示すウィンドウが立ち上がった。桿を操作し回線を開けば、マクスウェルの顔が映った。
「どうしたんです。秘匿回線なんて」言いながら、エイリィは視線を上に向ける。黒い色の《ドーベン・ウルフ》―――プルートの姿があった。
(気にしすぎなのかもしれんのだが―――今回の作戦何かきな臭さを感じる。油断はしないでくれ)
エイリィは、すぐにはわからなかった。エイリィはそもそも政治向きの頭をしていないし、興味も無かった。
だか、なんとなく彼女のフェルトセンスはそのきな臭さを朧気に捉えていた。
エイリィは、視線を上に挙げた。
「了解しました―――私の邪魔をする奴らは食い破るまで、ですよ」
にやと笑みを浮かべたエイリィは、機内の収納スペースを意識した。
※
サイド8・5バンチコロニー『ニューシドニー』。一年戦争時に戦禍に巻き込まれて破棄された小型のコロニーを農業コロニーとして再建したコロニーの景色は、見渡す限りの平原だった。
涼しい良い風が吹く。『ラケス』は柄にもなくそんな長閑なことを思いながら、小高い丘を登った。
頂上―――といってもそこまで大げさなものでもないのだが―――に登れば、向こうには機械化された巨大な工場やらなにやらが見える。
『ラケス』はそれを大した感慨も無く睥睨しながら、それとは別な方向に足を向けた。
安ければいい―――そういう観点で食事をするのは、悪いことではない。だが、それは金のない人間の観点だ。金のある人間なら良いものを食べたいと思うのは必然だ。そして、ニューエドワーズとその他サイド8に居住する人間は概してそういう類の人間が多い。
だから、個人経営で質の良い農業という需要も、このコロニーにはある。
どこかの倉庫の前に立った『ラケス』は、その鉄製の巨大なドアを軽く叩いた。一定のリズムで叩くと、内側からも応答するようにノックが返ってくる。もう一度ノックを返したところで、重たい、軋むような音を立てながらドアがスライドした。
「同志『ラケス』、お待ちしておりました」
整備服を着込んだ年若い青年が笑みを浮かべる。肯き一つで素早く倉庫の中に入った『ラケス』は、目の前に聳然と積み上がった乾燥した牧草のブロックに気圧されるものを感じた。
「この中か?」
顔を顰めつつ、青年に一瞥をくれる。青年は『ラケス』の険しい顔つきに反して、年相応の子どもっぽさを感じさせる誇らしげな笑みを浮かべて胸を張った。
「問題ありません、整備は万全です。連邦の協力もありましたから、シルバーバレットはいつでも撃てますよ」
「ふん―――奴さんが一枚岩ではないのはグリプスの時に思い知ったが、いつまでも変わらんな」
呆れながらも『ラケス』はもう一度牧草の山を眺めた。肌を圧迫するような牧草の湿り気の籠った臭気と、微かな熱の感覚。それは果たして錯覚かそれとも―――。
「ウォースパイトとソウリュウの出航は確認しましたがエコーズの動きは掴めませんでした―――すみません」
気落ちしたように男が肩を落とす。『ラケス』は男の肩を叩くと、首を横に振った。
「流石にお偉方とはいえ、エコーズの動向はつかめまい。これの整備だけでも有難い話だ」
は、と鍔を握った男が身を縮める。
責任感のある男だ。横目でうつむく男の煤けた帽子を一瞥する。
いや、そうではないか、と再び『ラケス』は牧草の山を見上げた。元々、『我々』はそういう人間たちの集まりだったか。己のしなければならぬことが何なのかを理解し、その上で敢えてその選択をした人間たち。
気管が微かに詰まる感触がする。それは言い訳に過ぎないと理解する己の内なる何かが問いかけられ、そうして『ラケス』は顔色を変えずに、居住まいを正した。左半身に、少しだけ体重を乗せたのだ。揺れた男の体躯は、そうして安定した。
「そう言えば、御子は馬小屋で生まれたんでしたっけ?」
木を持ち直した男がぎこちなく笑みを浮かべる。
「そこは論争的らしいが。それが何だ?」
「いえ、なんだか似ているなと思いまして」
男が草の塊を見つめる。
「僕たちが将来世界を変える―――その第一歩として相応しいのかな、と」
なるほど、と男の視線の先を『ラケス』も眺める。
「だがそれは不都合だな」
「え、何故でしょうか?」
「我々が目指すのは貴族の徳に満ちた世界だ。奴隷道徳に支配された畜群どもが蔓延る世界ではないからな」
あ、と声を失った青年が俯く。ひけらかしだな、と苦笑いした『ラケス』は青年の頭をぐしゃりと掴んで乱暴に撫でると、枯草の山を登った。
頂上部に一部分ぽっかりと空いた孔を見つけるや、『ラケス』は孔にかかった梯子を使ってゆっくりとその奥へと降りていく。
少し降りたところで、今まで窮屈だった空間が俄かに広がる。梯子から手を離し、中のシートに座った『ラケス』は、素早く機体を起動させた。
(同志、聞こえていますか?)
外にいる青年からの無線通信だった。あぁ、とその他の作業を熟しながら返事を返す。
(同志の《ジェガン》のデータから大部分フィードバックしていますから、おおよその操作感覚は同じだと思います。でも機体がそもそも違いますから、細かいところは微妙にずれると思います。実際に動かしながら調整してください。同志なら出来ますよ)
「言ってくれるな」
言いながら、『ラケス』は機体ステータスに視線を走らせる。
悪くない―――いやむしろカタログスペックだけならば最高だ。連邦軍でMSのパイロットを始めてから、これほどのMSに乗ったことがあっただろうか?
だがその分乗りやすいというわけではない。この機体が所詮は試作機ですらない実験機なのは『ラケス』の知る所だ。そうして、実験機ということはそれだけ乗り心地は最悪であるということを意味する。性能が高かろうが、それを十二分に引き出せるかは全く別問題で、担い手と器の止揚が無ければただ宇宙を漂うガラクタと同義の存在になるに過ぎない。なまじの性能の高さはむしろ操作性の悪化の呼び水となり、振り回されるだけになる可能性とて、ある。
『ラケス』は薄く目を閉じた。そうして、アームレイカーに手を重ね、曲面の感触に触れた。
まだ1年しか経っていない―――そのことに、『ラケス』は奇妙な感覚を覚えた。
第二次ネオ・ジオン抗争。
あの時、自分はその光景を遠くで見ていることしかできなかった。
虹色の燐光の果てに燃え尽きる『ガンダム』。あの機体が、あの巨大な岩塊を押し返したのだ。
ガンダム―――――。
口にしてみればただの1単語でしかない。伝説でしかなかった存在など、所詮凡人の『ラケス』の人生には終ぞ関係のない存在だったはずだった。
なんの因果か、それが今は己の手の中に在る。あの伝説の力、神威の存在を、今は自分が振るい、歴史を変える―――。
所詮は何かの諸権力の《戦略=ゲーム》に従って、踊らされているに過ぎないのだろう。この機体とて、反財団関係の連邦政府高官の指図が無ければ手に入ることは無かった。そしたサナリィからも、連邦からも供与があるのだ。
「同志、今から立ち上がる。退避しろ」
服を外に脱ぎ捨て、コクピットの中にあったノーマルスーツを着込んだ『ラケス』は、己が乗機―――愛機が完全に稼働し得るところまで作業を終えると、外にいる筈であろう男に声をかけた。了解の復唱が返り、倉庫の屋外に出た通信が入ると、『ラケス』はそのMSを徐々に立ち上がらせた。
上に乗っていた牧草の山が崩壊し、ぎらと煌めく2つの瞳が中から覗く。そのまま倉庫の屋根のトタンを破壊しながら悠然と立ち上がったMSは、流麗な体躯を鮮緑の大地に確かな足取りで立ちあがらせた。
背部の2枚のウィングバインダーは、その大翼をゆったりと休める禽の如くであった。鷹の目を想起させる鋭利な視線はどことも知れぬ場所を射抜く。その翼に目つき、そしてその白と黒で覆われた外観は、さながら大鷲もかくやといった様子だ。
即座に機体ステータスを確認。問題は何一つないことを確認し、整備兵の男もここでスラスターを使っても問題ない距離まで離れているのを確認すると、『ラケス』は操縦桿を握る力を強くし、薄く目を閉じた。
躊躇―――ある。決して理想や情熱という言葉だけでは消せない、直観的な道徳意識。己の内に存在する法廷の検閲官のリアルな体験。
だが、その躊躇の感情に従うわけにはもういかない。その見果てぬ夢は、『ラケス』一人のものではないから―――。
ゆっくりと開眼する。歯をきつく食いしばり、握った操縦桿を操作し、意思を満たした器が翼を屹立させる。
スロットルを開放し、フットペダルを押し込むと同時に爆発的なスラスター光を迸った。宇宙と異なり、重力を受けるコロニーの中では相応の重さがある。それでもその猛禽は重力など知らぬとばかりに、悠然とした素振りで蒼穹へと飛翔した。
身体にかかる負荷を感じながら、ガスパールの視線は眼下の大地、のんびりと草を食む牧羊の群れを一瞥した。群れを成して食事をする彼ら彼女らを眺れば、ふとガスパールは気づいた。
柵に覆われた牧草地の中、群れから離れてぽつねんと青々とした草を食む一頭の羊が、いた。
だが、それも玉響の出来事だった。すぐに視線を戻したガスパールは、数十km先にあるコロニーのドッグを真っ直ぐに見据える。慣れない重力の感覚に操作を手こずりながら、ガスパールは常に抱き続けた疑念が惹起するのを感じた。
あの男は、どう思うのだろう。
ふらつく機体、揺らぐ視線の中、その遥かに先に栗色の髪の男の姿が過った。
―――過った感傷は、燃え盛る蒼い閃垙の中に焼かれていった。
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