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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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53話

 (《ガンダムMk-V》、帰投しました! パイロットは両名とも無事です!)
「医療班を出しておけ! 08の生体データからして緊急の処置が必要だぞ!」
 怒声を上げたエイジャックスの艦長は、苦虫を潰したような顔をした。
 新兵が初の実戦でダウンする―――よくあること、と言ってしまえばそれだけだが、そのダメージを減らすのもまた上に立つ人間の当然の責務である。
 その他飛び交う情報を受け取っては素早く指示を出す中、艦長の視界の中で1人の動作がやけに克明に映った。
 ノーマルスーツ越しでもその人物が誰なのかは了解した。バイザー越しに見える青い目―――アヤネ・ホリンジャーの目だ。
(サイコ・インテグラルシステムの起動を確認しました。サイコミュの実証試験、開始します)
 彼女の声は至極落ち着いていた。というより、己の我を殺しきった声だった。
 艦長はそれに気づきながら、ただ眉を険しくして肯く。
 サイコ・インテグラル。立ち上がったことにすら気づかないまま、ブリッジの強化ガラスの遼遠へと視線を投げた。
 軍人になって果たして何年か。戦場にあって、その言葉は何度となく耳にした言葉だった。そして多くの場合、それは男にとってかかわりのない遠い出来事の話でしか、なかった。
 距離にして何百キロ先の出来事なのか―――艦長の網膜に幻影となって現れた少女の姿に、臓腑から苦い液がせり上がってくるのをありありと知覚した。
 時代の変遷。新しい時代の幕開け―――と、そんな陳腐な言葉で語って良いのだろうか。
「始まったか―――」
 ※
 プルートは一瞬、意識を喪った。どれだけの時間だったか、だがハッとした時には眼前にサーベルを振り上げた《ジェガン》が迫っていた。
 《ドーベン・ウルフ》がサーベルを引き抜く間もなく割って入った《ザクⅢ》が《ジェガン》と鍔ぜり合う。
 未だ漠とした感覚に戸惑い、きりきりと歯ぎしりしながら《ドーベン・ウルフ》を横に滑らせ、ロングバレルのビームライフルの銃口を遥か遙遠の《FAZZ》に重ね合わせる。
 射出されたインコムの対応に手間取ったその巨漢がプルートの殺意を感じる暇は、無かった。
 亜光速の殺戮が《FAZZ》を貫き―――爆発した。
 これで2機―――グレネードでフロントアーマーを吹き飛ばされながらも、《ジェガン》の右手腕を切り飛ばした《ザクⅢ》の姿が嫌に物理的存在として視神経を発火させる。
 こんなことは無かった。戦場に在って注意力が散漫になったことなど―――。
 操縦桿を握る手が微かに震えていた。
 プルートは困惑した。恐れなど抱いていない―――欠片ほどもそんな感情が惹起していない筈なのに、己の身体(しんたい」は確かに何かに恐怖していた。
 ―――注意力が散漫? 違う、と思った。
 形容しがたい不安を感じ、縋るように視線を彷徨わせる。
 CG補正された偽物の宇宙。その向こうに横たわる本当の蒼穹(コスモス)の、どこか。プルート・シュティルナーという存在を『吸収し写し取っている』何かが、この蒼い世界にひっそりと潜んでいるようで―――。
 16歳の小さな少女は、弱弱しく慄いた。
 ※
 頭部胴体両肩左腕右腕腰部両脚全てに襲い掛かる剣の速度は以て神速。
 胴を狙うマシンキャノンの専心は須らく絶殺。
 その全てに一対の戦斧を重ね、その度に干渉光が咲き乱れる。さながら連続して花火が咲くように日輪を迸らせ、干渉光の尾を引いた2機のMSがデブリの中を駆けていく。
 反射反応すら置き去りにし、己の直観だけで《リゲルグ》を操る。超近接戦闘はそれだけで《リゲルグ》の体躯を軋ませ、機体のダメージを蓄積させる―――だが、一瞬でも離れればその瞬間にファンネルが襲い掛かる。あるいは、ハイメガキャノンが鯱さながらに食らいつくか。どちらにせよその瞬間に己の存在が消えるのだけは間違いない。
 エイリィは大丈夫なのか。レーダーに一瞬だけ視線を走らせる暇も無く、まだ青い光点(ブリップ)が存在しているのかすらもわからない。
 袈裟切りにビームサーベルが弧を描く。メガ粒子の刃が接触し、鋭角的な光が網膜を突き刺す。マクスウェルの網膜は、しかしその見慣れた干渉光ではなく、蒼い光を鮮やかに映していた。
 漆黒の機体から溢れ出る蒼い燐光。敵意的などという次元ではない。もっと超越的形而上的畏怖を抱かせる神的な蒼い炎を熾らせ、ただ死を伝えるその様は―――。
 ざわと悪寒が首筋を舐めた。あまりにも性に合わない思考、だがそれ故に感じる敵の異様さ。
 単なる世迷言と振り切るように、一気にスロットルを上げフットペダルを踏み込む。超至近でスラスターの閃光を爆発させ、まるで人間がするように体当たりをしかける。その奇襲を、しかしまるでその攻撃が来るのをわかっていたかのようにスラスターを噴射させた《ゼータプラス》は《リゲルグ》の推力をも味方にし、わざと弾き飛ばされるように後方へと飛びのいていく。
 赫焉の瞳が嫣然と嗤う。その額に装備された巨大な砲口から屹立する大出力のメガ粒子の濁流が《リゲルグ》もろともマクスウェルの身体を飲み込んで―――。
 《ゼータプラス》が一瞬だけ身動ぎする。
 次の瞬間に、漆黒の《ゼータプラス》が居た座標目掛けて幾条もの閃光が殺到した。
                      ※

 ただ、人を狩ることが彼らの存在意義だった。
 廃棄されたコロニーの中を浸透していく人間たちの挙動には一分ほどの無駄も無かった。
 大通りを駆け抜ける際は迅速に、出会った生命体は何者であろうとも容赦なく物質存在へと還してやる。彼らが生身の人間を殺傷するのに必要な弾丸は、多くて3発だった。
 ECOSにとってこの茨の園への侵入が容易かったのは、何も敵が組み易い相手だからというわけではなく、一重にアナハイム・エレクトロニクス社から秘密裏に供与された当施設の詳細な情報があったからだ。
 彼らは何故アナハイム・エレクトロニクス社がECOSを動かしたのか、その意図など知る由も無かったし知ろうとも思わなかった。ただ、与えられた任務を遂行するために、眼前で動く生命体と、仕掛けられたトラップを完璧に処理していく。
 例外は、902部隊第1小隊第5班の面々だった。
 目標の敵施設に侵入し、着々と仕事を進める彼らは他の面々が施設の制圧に動いているのに対し、コロニー層構造へと降下していった。
 本来であれば高度なセキュリティで保護されている筈で、そうであればECOSと言えども侵入はあきらめたであろう。もちろんアナハイムから関係者を引っ張ってくればいいが、素人の引率をしながら戦闘行為が出来るほど、彼らは流麗ではなかった。
 だがそんな心配も栓のないことである。
 最後と思われる破壊された隔壁を通過し、十数mほど進んだ時だった。
 狭かった視界が一気に広がる。
 班長の准尉は、普段ならしないであろうちょっとした油断をした。アサルトライフルを抱えた腕をおろし、警戒しながら歩を進めていく。
 入口が設置されているのは2階部分にあたるのだろう。キャットウォークを伝い、向こうの壁には破壊されたエレベーターの残骸がある。
 拉げた手すりに手をかける。
 ほとんど使い物にならないであろう格納庫―――『実験場』として使われていた時は、恐らく試験兵器がずらりと肩を並べていたに違いない。だが今はその影も形も無く。ただ1機だけのMSが蹲っているだけだった。
 ワインレッドの装甲。大きさは20mのMSと比しても巨大な筈の威容は、やや離れた准尉の位置からもありありと感じ取ることが出来た。
 滅茶苦茶に殴打されたであろう頭部はもう使い物にならないのだろう。首元からだらしなく動力パイプを覗かせ、左腕は肱から先が切断されていた。腹部のビーム砲もどろどろに融解しており、堅牢美麗であったその外装も、ほとんどが拉げては塗装が剥げており、MSに明るくない准尉が見ても、明らかに鉄くずでしかないと判断できた。ただ他の人と判断に異相があるならば、それが世界一高価な鉄くずだと思っている点だ。
 アナハイムが何を思ってこれを回収したのか―――准尉は、政治に傾いた思考を戻した。
ただわかることは、この機体は後々の歴史に鮮烈な痕跡を刻むだろう、ということである。―――歴史の立会人。その威圧的な姿に素に戻っていた准尉は、ぶると身を震わせた。
 今は任務中だというのに―――気まずさ半分、ロマンチストな感傷を抱く自分に照れ半分。まだこんな感情を抱けるのだなと己の心の動きに苦笑いした准尉は、ヘルメットに内蔵された無線に声をかけた。
「SHQ、こちらエンタープライズ」
(こちらSHQ、どうした)
 ミノフスキー粒子の影響がない場での音声は驚くほどクリアで、無線越しでもオペレーターのねちゃねちゃとした声が聞こえるくらいだった。
「エンタープライズ、『ウォーターバック』確認した。これより確保する」
(SHQ了解した)
 オペレーターの声はやはり抑揚すらなかった。それに対して自分は、と目出し帽の中で自嘲気味に思った准尉は、紙媒体というアナログの地図を取り出した。タブレット端末はいざという時使用不能になる恐れがあるからだ。
 その紙上の情報を素早く読み取り、侵入経路を組み立てた班長は、行動に移す前に今一度だけ顔を上げた。
 真紅のMS―――MSN-04《サザビー》。既に朽ちたその巨躯を睥睨するでもなく見下ろした准尉は、後ろ髪引かれる思いを感じながらも、2秒後には肉で出来た精密機械へと戻っていた。 
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