機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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49話
やや時間は遡る―――。
プルート・シュティルナーは、《ドーベン・ウルフ》の薄暗いコクピットの中で身体を震わせていた。
ヘルメットは付けていない。
ヘルメットを被ることは、暗示なのだ。己を生命体から、人の死に無感動な戦闘マシーンになるための、イニシエーションである。
己の為すべきこと―――敵の陽動。隊長の任務遂行のため、余計な部隊を反対側の宙域から引っ張り出さなければならない。
主機出力を最低に、ディスプレイと自分の身体が凍結しない程度に設定されており、吐息は白い衣を着込んで口から這い出していた。
常闇が沈んだ世界に視線を沈降させる。
コクピットの足元に備え付けられた収納スペースには、エイリィに貰った熊のぬいぐるみが窮屈そうに押し込められている筈だった。そもそも、そこは水分補給用のクソ不味いオレンジのドリンクやタオルなどを入れておくためのもので、30cmもある物体を収納することは想定外なのである。ちょっとだけ、熊に悪いなぁと思った。
無重力下にあってふわふわと浮く艶のある綺麗な髪の毛をヘアピンで留めていた。ヘアカバーはボロになって使えなくなってしまっており、茨の園に新品があるはずも無かった。予備くらい持ってくればなと思っても後の祭りである。
微かに機体が揺れた。廃棄され、ぼろぼろになった緑色のペガサス級強襲揚陸艦の格納庫の中でデブリが衝突することはあまりない。寄り添うようにして密集する《ザクⅢ》がちょっとだけぶつかったのだ。
MS史的に、《ドーベン・ウルフ》と《ザクⅢ》系列の機体が並んでいるのは奇妙だった。本来その2機は骨肉の争いをしたのである―――だがそれも過去のことだ。時間の経過とネオ・ジオンの赤貧は、犬猿の2機の仲を上手く取り持ったのである―――が、そもそもそんな話はプルートには全く知る由のないことであり、その「歴史的に感動的な行為」はプルートの神経が苛立たせるだけの行為だった。
(少尉―――よろしいでしょうか)
しかし、それが接触回線を求めてのものとわかると、闇雲に神経を跳ね回る不快感も鳴りを潜めた。
「どうかした?」
(いえ―――その)
煮え切らないようだ。
確か―――この《ザクⅢ》のパイロットは、実戦は初めてだったはずだ。軍属になってからは数年だが、パラオに居たままの彼に実戦経験などあるはずも無かった。腕はいい、と資料には書いてあったはずだ。
「大丈夫、なんとかなる。ニュータイプのあたしがついてるんだから」
敢えて声を明るくした―――が、無線越しの沈黙は重苦しかった。
(そうではないんです。僕―――私は貴女がそうやって素直で居るのが、そういう言葉を言わせてしまうことが辛いんです)
「どういうこと?」
(貴女みたいな子どもが戦争に手馴れていて、今年で26歳の私が実戦に初心なんです。この世界は狂ってるんですよ)
男の声は憤懣に満ち満ちていた。
誰しもが抱く不正への怒り。それを、彼は感じているのだろう。
プルート・シュティルナーの肉体年齢は16歳だ。実際の年齢はもっと若い。そんな子どもがMSなどというシステマチックな殺戮兵器を使って殺し合いを演じている―――苦く思わない大人は、軍人は、きっと居ない。
「少尉、一ついい?」
無言が肯定なのだろう。肯きを幻視したプルートは、なるべく平静の声色のままにした。
「狂気とか異常って言葉は、目の前の出来事を直視したくない人がフィルター越しに物を見る時に使うタームだよ。あんまり、気分のいい言葉じゃないよ」
(すみません―――)
「いいよ。あたしも偉そう」
自嘲気味に苦笑いをする。通信越しの男も、苦い微笑を浮かべているらしかった。
(シュティルナー少尉、最後にもう1ついいですか?)
「なに?」
また、間があった。でもそれは重力を伴った鬱としたものではなく、どこか無重力のふわふわに似ていて―――。
(そのですね―――この戦闘が終わったら、その―――食事にでも行きませんか)
やっとこさ男が出した声は、そんなものだった。もちろんその言語行為を単なる文意味でしか理解できないほど、プルートは魯鈍な精神の持ち主ではなかった。
思わず、隣接する《ザクⅢ》をモニター越しに見た。
「そういう意味?」
一応、プルートは聞き返した。
はい、と応えた男の声は、多少上ずっていた。
(パラオで見かけたときからその―――あれでして―――)
中々煮え切らない男である。呆れにも似た微笑を浮かべたプルートは、いいよ、と声を出した。
確かに、朧気に見える男の感情は歓喜の色に染まったように見えた。
「でもまずここを生き延びてから。今回は結構きつい相手がいるから」
はい、と張りのある声が返ってくる。わかっているのかわかっていないのか―――幾許か不安を感じていると、そんなプルートの心の内など露ほども知らない男は《ザクⅢ》の接触を離した。緑色の《ザクⅢ》が心なしか嬉しそうに見えるのは、気のせいではないだろう。
視線を闇に移す。
プルートは、胸がどきどきするのを確かに感じた。こういう躍動的な感情に直面したのは、3度目―――だ。
1度目はエイリィに身体を求められて、そして実際にエイリィに抱かれた時だった。彼女のしなやかな手つきは、生物的雌として成熟しつつある彼女を悦楽で水浸しにさせた。
3度目は今である。もっと純情な初心が、そのストレートな恋心に戸惑い、そして純粋に嬉しかった。
2度目―――思い出して、プルートは顔を歪めた。
もうどれくらい前だっただろう。プルート・シュティルナーがエルシー・プリムローズ・フィッツジェラルドとして活動していた時。
物理的刺激とは異なった刺激が視神経を刺激する。淀んだ時間がその記憶を現在に把持し続けていた。
ぱちぱちと爆ぜる木の欠伸。光に追いやられ、明るく照らされた粗末な闇夜。
自分と同じ栗色の髪をした男の顔が思い浮かんだ。
垂れさがった眉に、必要以上に外見に気を配ろうという感じには見えない長く伸びた髪の毛。顔立ちもパッとしないし、一目見て心奪われるような存在ではなかった。
でもなんなのだろう―――あの男と、銀髪の少女が仲睦まじげに並んで座っている様を見るのはざわざわした。端的に言って、不快だった。
プルートは、考えるのを止めることにした。今は些事に囚われている時ではない、理性で断じ、16歳の少女は外在化した形而上的神経を宇宙へと引き伸ばしていく。
ダークブルーの《ドーベン・ウルフ》が身動ぎする。その右手に保持した巨大なビームライフルをゆっくりと構える。ビームライフルとして機能させる時とは異なるグリップを握り、抱えるようにして胸部のメガ粒子砲に接続。ビームライフルの銃身が展開し、18mのMSほどの、巨大な異形の砲台と化す。
否―――元々ビームライフルという機能が副次的なのだ。《ドーベン・ウルフ》は敵の撃滅を専心する孤高の凶狼。その悪逆たる闘争本能の中枢、プルート・シュティルナーという生体ユニットに内蔵された生きたセンサーが、遥か遠方に存在するであろう獲物を、その知覚野に鮮やかに抽出した。
特に戦史に詳しくないプルートは、その敵の名がアンティータム改級という名であることなど露ほども知らなかった。ただ、補給艦に似ているという理由で狙いをつけたにすぎない。だが何も問題はない。狩りをする肉食獣が、眼前の獲物を肉の塊としか認識せずとも仕留めるのと同じように―――プルート・シュティルナーも、《ドーベン・ウルフ》のメガランチャーの有効射程距離の範囲内に獲物が入ったのを、それほど深く考えなかった。
プルートは、ヘルメットを、被った。
全身に血を巡らせた黒狼がぎらと単眼を輝かせる。随伴の《ザクⅢ》も順調に起動したのをディスプレイにて確認したプルートは、コクピットの中が温かくなるのも待たずに、メガランチャーの黒々とした口を掲げた。
メガランチャーを腹部のビーム砲に接続―――完了、問題はない。
プルートは殺戮の執行を妨げるものが何もないことを確認し、己の狙いが、過たずあの箱を繋げたようなとんまを惨殺するという認識を確かにすると、重たいトリガーを、くいっと引いた。
解放された灼熱の閃光がバレル内の加速・収束リングを駆け抜け、咆哮を上げた大出力の光が防眩フィルターでも防ぎきれないほどに膨れ上がった。
亜光速の暴虐的な閃光が屹立する。進路上の全てを光の内に食らい尽くした灼熱の濁流は、突き上げる形でアンティータム改級補助空母の胴体を貫いた。秒ほどの拮抗もなくタイホウの装甲を溶解させ、その砲撃はちょうどMSの格納庫を貫き、補給のために帰還していた《ネモⅢ》の中隊を一撃の元に蒸発させていった。
悲劇、あるいは喜劇はそこからだった。
本来格納庫に被弾した程度で艦船は沈まない。元々がらんどうの空間を、ただビームが掠めただけだからだ―――だが、タイホウはMS6機を搭載し、さらに《FAZZ》のために大量にミサイルやらなにやらを積んでいたのが仇となった。MS本体あるいは火器が爆破。連鎖的に機関部まで誘爆したタイホウは、内側から膨れ上がった劫初の炎に飲み込まれ、倦怠感を満たしたオレンジ色のオリオン座α星ベテルギウスそのままの姿と化した。
放出された閃光が収束していく。光が霧散し、不意に鼓膜を刺した甲高い音と立ち上がったダメージコントロールのウィンドウにプルートは舌打ちした。
一撃。ただ一撃砲撃しただけで、ディスプレイに表示された機体のステータス上のメガランチャーの表示に赤い光が灯っていた。
これだから互換性のない武装は困る―――独り言ちて、プルートはさっさと胴体から切り離し、メガランチャーを破棄した。
「窯に火はくべたな―――出るよ! 全機、兵器使用自由!」
獲物を食い散らかした《ドーベン・ウルフ》が人工の地を蹴る。
素早くペガサス級強襲揚陸艦の格納庫から身を乗り出す。砲撃地点にちんたら留まっているのは間抜けのすることだ。
後続の《ザクⅢ》3機も素早く格納庫から這い出す。腰にマウントしたビームライフルを装備し、3機の荒武者を従えた獰猛な獣が艦隊へと猪突した。
※
「―――やったか」
聳立したビーム砲の切っ先に巨大な爆破を認めたマクスウェルは、破壊されたコロニーの外壁の裏から自分の部下の功績を見とめた。
作戦は順調だ―――後は、自分が上手くやれれば作戦は完了。残るは戦域からの離脱のみ。
マクスウェルは幾許かの不安を抱えながら、主機の出力を上げた。
ほとんど暗がりの全天周囲モニターが点灯し、CG補正された死に至る世界を投影する。
(行きましょうか)
ディスプレイにエイリィの通信ウィンドウが立ち上がる。死体安置所のように冷たく、ただハムノイズだけが響いている―――視線を横に流せば、ダークグリーンの《ズサ》が3機にエイリィの《リゲルグ》が1機、単眼を妖しく輝かせていた。
《リゲルグ》、という名前に対し、そのシルエットは異様だった。
巨大なユニットを背負ったその姿は、MSという流麗な戦闘システムに比してあまりにも不恰好だった。ただ《ズサ》の大型ブースターユニットを無理やりつなげて機動性を上げようという短絡的な発想のそれは、もちろんその勇敢な浅慮の代償に、劣悪極まりない操縦性を保証している。。
「全機、傾注!」
通信ウィンドウに、部下の顔が鈴のように連なる。
「無理はするなと言える敵ではない。だが諸君らの尽力があれば達成し得るのも確かだ―――勇敢さと無謀さを取り違えるな。いいな?」
力強い了解の応答に僅かに頷く。
「全機、兵器使用自由! 突撃に―――移れ!」
操縦桿を強く軽く握り、スロットルを全開に叩き込み、スラスターを爆発させた《リゲルグ》が漆黒を切り裂く。
センサーが《ジムⅢ》の小隊を捉えたのと、眼下にその姿を見つけたのはほぼ同時だった。察知した《ジムⅢ》がビームライフルを構えるより早く右腕に保持したアサルトライフルを指向、コンタクト後秒をも待たずにトリガーを引く。ぶつ切りに迸った閃光は黒い《ジムⅢ》の頭部を撃ちぬき、右腕のビームライフルを破壊し、コクピットの装甲を溶解させる。隊長機の《ジムⅢ》を屠殺するのも気にも留めず、速度をそのままにシールド裏から光の剣を発振し、接触様に後尾に居た《ジムⅢ》を肩口から脇腹にかけて一刀のもとに両断する。赤熱化した金属の血飛沫をまき散らした《ジムⅢ》の隣のもう一機の《ジムⅢ》が戸惑うその一瞬に肉迫した《ズサ》が光軸の火箭を張る。《ジムⅢ》がなんとか躱しながらも怯んだ隙に、懐目掛けて突撃したエイリィの《リゲルグ》が両刃のビームトライデントを発振、コクピットに深々と突き立てる。コクピット目掛けて殺到した数千度の光はそのままパイロットを目視不可能な砂粒へと還元し、遺骸と化した《ジムⅢ》が沈黙する―――。
惨殺にかかった時間は15秒と無かった。
《ジムⅢ》からトライデントを引き抜いた《リゲルグ》が悠然と丐眄する。
―――展開した部隊の中で、確かに目標が居るのはこの周辺の宙域だ。
サーベルの発振を抑え、マクスウェルは遥か向こうに鋭い視線を投げた。
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