機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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47話
墨流しの空間に、所せましと輝く星光。極東日本の伝統工芸品である漆塗りの茶碗の美しさを満たすその冥い宇宙に、整然と艦艇が立ち並んでいた。
ウォースパイト機動打撃群旗艦ウォースパイトの旗のもとに集うはクラップ級巡洋艦のソウリュウ、コーンウォール、ドーセットシャー、リシュリュー、コロンブス改級補給艦のプレアデス、プトレマイオス。ともに戦場を駆けた面々だけでなく、コロンブス改級ヒアデス、イヴェール、テロスに加え、アンティータム改級補助空母タイホウに、その雄々しき名に違わぬ勇壮な威容を気高く誇るラー・カイラム級機動戦艦ジャンヌ・ダルクの姿がある。またジオン共和国から参じたチベ級ティベ型重巡洋艦シャルンホルスト、グナイゼナウの2隻に、ニューエドワーズから参戦するアーガマ級巡洋艦エイジャックス、アレキサンドリア級重巡洋艦リーンホースの2隻。戦艦1隻、巡洋艦8隻、補助空母1隻、輸送艦4隻にも及ぶ艦隊の目指すは、深淵の宇宙の片隅に設けられた秘密の庭園―――茨の園。
旧型のアレキサンドリア級に比べ、扁平な姿のロンバルディア級は水爬虫のようだ。水爬虫の如き獰猛さと滑らかな体躯の美しさを兼ね備え、悠然と軍勢を率いる様はグランド・オールド・レディの名に相応しいものだ。
「返答は変わらず、ですか?」
ノーマルスーツを着込んだヴァンティーヌはブリッジの通信士に声をかけた。
「はい。投降する気はない、地球連邦軍とは徹底的に争う―――とのことです」
アヴァンティーヌは困惑しながら前方に視線をやった。
強化ガラスを隔て、無数に散らばる宇宙ゴミの先にぽつんとある廃棄コロニー。なんとか居住性を保っているらしいそれに、老嬢とその下に参列した精鋭たちを防げる手だてはありそうにもない筈だった。
「最後は華々しく散ろう―――そんなところでしょう。ジオン『公国』の連中は愚かしいほどに幼稚ですからね」
艦長席の隣の席に座る副官のポール・カニンガンは、酷く冷淡な声色で言った。その視線はただ、茨の園だけに注がれている。
子ども染みた嘲りもなく侮蔑するその声色には、確かにジオンを憎悪する色があった。尊敬する父を一年戦争で喪ったのだ、それも当然のことであろう。だからといってポールは敵の戦力を軽んじるようなことをする愚物でもないことをアヴァンティーヌは知っていたから、それをわざわざ咎めるようなことはしなかった。
「しかし徹底抗戦とは―――何か奇策があると考えるべきでしょうか」
「あるいは時間稼ぎか。どちらにせよ敵に戦意あり、ですね」
アヴァンティーヌは顔を引き締めた。
「今作戦に参加する全軍に告ぐ。オペレーション:シャルル・ド・ゴール発動! 全艦メガ粒子砲発射までカウント30、同時に長距離ミサイル発射後10にMS部隊を出撃!」
オペレーターと砲雷長の復唱の声の後、素早く全艦了解の報せが反射する。厳つい声の砲雷長のカウントの声の怒声が一息に緊張感を叩き上げる。
「―――5、4、3、2、1、カウント0。メガ粒子砲、発射!」
砲雷長の最後の言葉がまさに合図だった。ロンバルディア級の主砲2門を含む大出力のメガ粒子の光軸が屹立し、それに追従するように一斉に灼熱のメガ粒子が漆黒を切り裂く。MSの携行火器とは比較にもならない光の濁流は密集する宇宙ゴミを飲み込み、その先にあるであろう迎撃システムを跡形もなく消し去っていく。続いて発射された飛翔体は閃光の尾を引きながらデブリの中へと飛び込んでいき、時限式信管がその物理的持続の到達を理解すると同時に破滅的な鬼灯の華を咲かせた。
※
(スネークヘッド出撃せよ。繰り返す、スネークヘッド出撃せよ)
メガ粒子発射のカウントが0となったのを把握したガスパールは、ローカルで無線を開いた。
(オール・スネークヘッド、傾注!)
副官が声を張り上げる。多目的ディスプレイに無線通信が立ち上がり、D型の《ジェガン》で構成される第11大隊『スネークヘッド』の面々がずらりと並ぶ。
「いいか、強敵とは言いがたい敵だが油断はするな。敵には一年戦争を潜り抜けてきたベテランもいる筈だ―――《ジェガン》が性能で勝るとは言え、驕れば死につながると心せよ! 第11大隊、スネークヘッド出撃する!」
全員の威勢のいい了解の声に身体を震わせたガスパールは、己が愛機たる《スターク・ジェガン》をカタパルトに接続した。カタパルトのハッチは既に解放され、正面には黒々とした闇がのっぺりと横たわり、その先で爆光が閃く―――。
「スネーク01、《スターク・ジェガン》出撃する!」
スロットルを一気に全開に、フットペダルを勢いよく踏み込む。ぐっと屈みこんだ新鋭の勇士が鋭い視線を投げ、背に眩い閃光を爆発させる。リニアカタパルトの駆動と共に射出された《スターク・ジェガン》は、己が戦友たちが続いくのをセンサーで確認すると、一直線に進路を進める。
作戦目標はそこまで困難でもない。本丸の攻略はECOSがこなす―――MS部隊の任務はその露払いだ。
「大隊各機、兵器使用自由! 無法者どもにこの地球圏の支配者が誰なのかを教えてやれ!」
デブリが無数に漂う戦域に突入するや、ガスパールは即座にセンサーが捉えた敵影を認識した。
MSを優に上回る巨大な岩塊に磯巾着のようにへばりつくそれ―――先端にミサイルコンテナを装備した迎撃システムを捕捉した。システムそのものは旧式のものでMSよりも巨大だが、それでもセンサーの有効範囲は《スターク・ジェガン》のそれを上回る。ガスパールが察知するよりも早く機影を認識に入れた迎撃システムは、唯一且つ最も強力な火器である対MS用のミサイルを一斉に射出する。輝く尾を引いた飛翔体に対し、ガスパールは狼狽の色すら見せなかった。随伴する3機の《スターク・ジェガン》は離れることも無くメイン武装のアサルトカービンを指向、同時にトリガーを引き絞りつつ肩部のミサイルポッドを起動する。アサルトカービンから迸るぶつ切りの光軸が迫りくるミサイルを撃ち落とし、回避軌道を取る《スターク・ジェガン》を追ったミサイルのうち数発はデブリに直撃し爆散。数発は《スターク・ジェガン》の放ったミサイルと相殺した。
爆光が閃いたその間隙に、《スターク・ジェガン》は一部の迷いも無く猪突した。
光が生じていたのは僅かに1秒にも満たない。閃光の収縮とともに構えたアサルトカービンのレティクルに残りのミサイルを撃ち放たんとするひょろ長いシステムを重ね合わせ、ロックオンから秒が過ぎるより早くトリガーを引き絞った。
閃く光の矢は3条。銃身に装備された加速/偏向装置によるバースト射撃はミサイルコンテナに2条降り注ぎ、最後の一撃がその支柱を貫く。誘爆して一際大きな爆光が膨れ上がる―――ガスパールは、けたましくなったビープ音に即座に意識を上方へ移した。
センサーが捉えた機影はMS-09R-2《リック・ドムⅡ》。デブリから身を翻し、ガスパールの《スターク・ジェガン》目掛けて将にその360mmの無反動砲を―――。
鋭利な光がガスパールの網膜を刺した。そう理解したころには、コクピットに黒々とした穴をあけた《リック・ドムⅡ》の遺骸が漂っていた。
部隊支援用に砲撃戦能力を向上させたD型《ジェガン》の武装の1つ、《ストライク・ジェガン》のビームスマートガンのデータリンクを介した正確無比な砲撃が《リック・ドムⅡ》を一撃のもとに屠殺していた。
(02、敵撃破)
直属の小隊の部下の声が耳朶を打つ。視線をやれば、《スターク・ジェガン》が《ザクⅡ》の胸に数万度に達する光の剣をずぶりと突き刺し、それを引き抜いているところだった。
最初の接敵はまさに訓練通り、という風だ。ガスパールは特に感動するでもなく失望するでもなく、部下に声をかけると、《スターク・ジェガン》の進路を先へ向けた。
※
(1時の方向、あのデブリの裏に敵3)
(了解した。私と03で釣り出す。02は04の護衛継続、04は砲撃準備)
了解。声を絞り出すようにした攸人は、《リゼル》の2門のメガ・ビーム・ランチャーを構えた。
灰色の《ゼータプラス》と白と橙色の《リゼル》が先陣を駆ける。まるで棒切れが岩に突き刺さっている―――そんな想像を惹起させるレーダーシステムを狙うように直進した2機が巨大な岩塊を過ぎた瞬間、メガ粒子が屹立した。その砲撃を平然と交わしつつも、たじろぐように挙動を取った2機はそこで後退。その2機に釣られるようにして岩影から身を晒したその敵目掛け、攸人はトリガーを引き絞った。
メガ・ビーム・ランチャーから吐き出された大出力の光の濁流は《ガザD》を丸々飲み込み、もう1機の《ガザD》の下半身を蒸発させた。死んでいない―――《ガザD》のパイロットの塵ほどの安堵は、即座に数千度の光の中へと溶けた。02―――エレアの《ゼータプラス》のスマートガンは、無慈悲なまでに精妙な砲撃で《ガザD》のコクピットを撃ちぬき、倦んだ恒星のような火球が膨れ上がった。
(全くこれでは我々が居る意味はないな)
多目的ディスプレイに通信ウィンドウが立ち上がると、共和国軍のパイロットは呆れたような戸惑ったような、されどどこか安堵を滲ませた顔をしていた。
ジオン共和国国防軍は前線へと出向いている部隊もあるが、各試験部隊の護衛が主な任務だった。本来であれば護衛である国防軍が敵を漸減させ、残った敵で装備の試験―――となるはずだったのだが、何分《リゼル》の完成度の高さは予想より上だったというわけだ。加えて元々本格的に量産されている《ゼータプラス》に、そのパイロットであるフェニクスとエレアの操縦技術は芸術の域と言ってよい。視界の遥か先では、《ゼータプラス》が《ガザC》の右腕を撃ちぬき、怯んだ隙に直上から猛禽の如く強襲した《リゼル》がその刃で《ガザC》の上半身と下半身にお別れの挨拶をさせていた。爆発。ぼん―――。
攸人は不意にコクピットが揺れたことに動揺したが、すぐに鼓膜を揺らしたエレアの声で接触回線と理解した。
(大丈夫だよ。初の実戦で撃墜2は凄いんだから)
曰く「お肌の触れ合い」。確かにそれは音声だけだったが、こちらを確かに見る《ゼータプラス》の視線の向こうに感じるエレアの眼差しを感じて、攸人は我知らず安堵感を覚えていた。
攸人はニュータイプだのにとんと興味は無い。だが、クレイが言うにはニュータイプは人の死に過敏らしい―――だとしたら、むしろこの殺し合いに対して少女は心を痛めている筈だ。
2人。攸人が確実にこの手で殺めた人間の、今のところの数―――。
自分の手が震えているのを感じ、バイタルデータに表示された自分の身体データが明らかに緊張状態であることをも理解した黒髪の青年は、戦闘中であるにも関わらずきつく目を瞑った。
大義なんてない。正義すら感じていない。それでも攸人はこの手で、人を殺した―――。
クレイの顔が脳裏をよぎる。
目元に力を込める。無理やり視界を開けた攸人は、前進の指示に従い、フットペダルを踏み込む。 ディフェンサーβユニットを装備した《リゼル》がスラスターを唸らせ、巨大な装備を背負った蒼が宇宙を横切った。
※
アーガマ級巡洋艦エイジャックス格納庫。MS8機を収容可能な巨大な格納庫には、未だに4機のMSが並んでいた。
真紅の《ガンダムMk-V》のコクピットの中、微かな音も発さずにシートに身を埋めたクレイは、その静的な様子と裏腹にぐるぐると思考を働かせていた。
今は、《リゼル》の試験運用が実施されている。《ガンダムMk-V》の装備するN-B.R.Dの実戦試験は、第一小隊の面々が帰還してから行われる。それまで、クレイは確かに安全なのだ。
嘘だ。もし何かのきっかけでエイジャックスの機関部に対艦ミサイルでも飛び込めば、誘爆に巻き込まれて確実に死ぬ。ビーム砲が格納庫に殺到しても―――。
ぶるぶると全身が震える。大丈夫だ、と何度言いかけても有機的に浸透し合った内的持続のどこかに黒い塊が潜んでいた。後頭部に腫瘍でも凝り固まってしまったかのような奇妙な違和感を伴った漠とした鋭利な不安―――。
(そういや俺が初陣の時は)多目的ディスプレイにクセノフォンの通信ウィンドウが立ち上がった。(出撃前にクソもションベンも漏らしちまったなぁ)
(ちょっと小隊長? 汚い話はやめてくださいよ)
ジゼルが大げさに眉宇をきつく締める。
(なんだよジゼルだってはじめはビショビショになっただろ?)
(セクハラですよそれ! 帰ってきたらセクハラ相談センターにでも言ってやりますからね。最近ニューエドワーズの基地にも出来たんですよ?)
(小隊長は前にもホリンジャー中尉にセクハラをして呼び出されていましたね)
オーウェンは表情筋をぴくりとも動かさなかった。
(なんだよ、俺が色情魔みたいな言い方は。つーか中尉の時だってちょっと下ネタを言っただけでだな)
(違うんですか?)
(アウト)
どうやら負けのようだ。唸り声を上げたクセノフォンは、慌てて話題を変えるように咳払いをした。
(まぁションベン漏らそうがクソを漏らそうがそんなの普通だからな。気にしなくていい)
(いや気にするところそこじゃないでしょ―――)
ジト目でクセノフォンを睨んだジゼルは、顔色を柔らかくした。
(国防軍の護衛もある、ブリンガー隊長もオーウェンも私も居るんだから。早々滅多なことが無ければ大丈夫)
わずかな声しか出なかった。それでもなんとか肯く。
気遣われている。安堵と一抹の心残りを覚えた―――最初から何でも上手くできるわけはないのだ、という理屈は理解している。今までだって、最初から上手く行ったものなど1つも無かった。できるかわからないという不安を抱え、失敗して恥をかき―――そして努力で克服してきたのだ。クレイが最初から他者より優れていたこと出来事などほとんどなかった。
それでも、クレイは何か新しい出来事の度に不安を抱え続けていて―――。
―――そういえば攸人は大丈夫だろうか。初めて『弱さ』を見せた彼は、しっかり闘えているだろうか―――?
(第一小隊帰投。カタパルト上の整備兵は退避しろ、繰り返す、カタパルト上の整備兵は退避しろ)
アヤネの無線が示し合わせたように耳朶を打つ。数分かの後、カタパルトに降り立った漆黒の《ゼータプラス》がその主脚で格納庫へと向かう。
アーガマ級のカタパルトは2つ。もう一方のカタパルトに《リゼル》2機と、黒い《ゼータプラス》と灰色の《ゼータプラス》が着艦したらしい―――。
いよいよ次だ。理解し、一度身体を震わせる。
黒い《ゼータプラス》が視界を横切る。居心地の悪さを感じる―――。
ごちゃごちゃと浸透し合った内的持続に混乱しながら、クレイはフェニクスが乗っているであろう灰色の《ゼータプラス》を眺める―――。
今更に、ディスプレイに通信ウィンドウが開いたことにクレイはぎょっとした。部(ロ)隊内(―カル)での通信は常に開きっぱなしにしていた筈―――。
秘匿回線のナンバーは02。機内カメラの映像も無く、サウンドオンリーの文字だけがクレイをしげしげと眺めていた。
しばし無音。どこかその弛緩したような緊張感を感じていると、ぼそりと聞こえるか聞こえないかぐらいの声が微かに鼓膜を震わせる。
―――大丈夫だから。安心して―――
思わず顔を上げる。壁際に身を寄せた黒い《ゼータプラス》の周りには何人もの整備兵が群がっており、黒々とした神像は沈黙の衣を身にまとっているばかりだ。
―――僅かに、《ゼータプラス》の頭部ユニットが動いたように、感じた。《ゼータプラス》の赫いカメラユニットとエレアのガーネットの瞳が重なり、クレイは慌てて目を逸らした。
まだエレアと面と向かって話をしていない。それ故の引け目と、何故か彼女はクレイの内面を全て理解した上で許してくれたのではないかという妄想と、それに伴う不気味な安堵感を感じていた。
(第二小隊出撃準備せよ。繰り返す、第二小隊出撃準備せよ)
アヤネの声がざくりと鼓膜を破る。ぎゅっとスティックを握りこみ、脇に備え付けられたN-B.R.Dの計器が正常であることも確認する。
何も問題はない。クレイを引き留める要因は、どこにも無かった。
第一カタパルトにクセノフォンとオーウェンの《FAZZ》が向かい、第二カタパルトへカーキとダークグリーンの《ガンダムMk-V》が向かう。クレイはオートパイロットで己の《ガンダムMk-V》を前進させ、ジゼルの後に続いた。
(じゃ、お先に―――07、《ガンダムMk-V》行きます!)
リニアカタパルトに乗せられ、砲弾さながらに真空に飛び出していく。その姿を追いながら、クレイは《ガンダムMk-V》が戻ってきたリニアカタパルトの上に足を乗せ、ぐいと屈折するのを把握した。
スロットルを開き、フットペダルを踏み込む。
(08、《ガンダムMk-V》、ブラスト・オフ!)
リニアカタパルトが起動する。前方から圧し掛かってくる負荷Gに抗うように身体を乗り出し、《ガンダムMk-V》と連動したクレイの身体が闇の中へと飛び出していく。
秘匿回線のウィンドウは、もう閉じられていた。
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