機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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36話
「馬鹿な―――MSだと!?」
オペレーターの1人が声を荒げる。『ラケス』は小さくも無ければ大きくも無い19インチの液晶画面に映し出されたダークブルーの機体が忌々しくもゴーグル状のカメラを真紅に染め上げていた。
RGZ-93EMP《リゼル》。戦闘機の主翼を想起させるバインダーを背負った機体は、確かに『ラケス』もよく知る機体だった。
「666のMSは全て待機状態だったと『メノン』は―――」
「違うな」
狼狽する部下に対し、『ラケス』は落ち着き払った様子で椅子に腰を下ろした。
「666の《リゼル》は1モデル前のフェイスタイプだがこの《リゼル》は最新型だ。この《リゼル》はコンペイトウ所属の機体だ」
苦々しく顔を歪めた部下の1人が鸚鵡返しのように呟く。丁度映像では、身を屈めた玩具のように木々を薙ぎ倒しながら身を屈めた《リゼル》の手のひらの上に乗せられる3人の人物が映っていた。
木を薙ぎ倒した件でサイド3から連邦政府に抗議が行くのだろうな、と『ラケス』は取り留めも無い思案していた。
グラスに液体を注ぐ優雅な音が耳朶を打つ。半分ほどなくなったクリスタルボトルの中身を幅の広いグラスに注いだ『エウテュプロン』は酷く平然と映像を網膜に映しているらしい。
「ジャンセン・アルーカナが無駄になったね」
手のひらの上でグラスを温めた『エウテュプロン』が奇妙な微笑を浮かべた。
「申し訳ありません。この不始末は―――」
いやいいよ、左手を上げて立ち上がりかけた『ラケス』を静止し、気品高総な男はグラスの中の琥珀色の甘い香りを楽しんでいた。
「『アリストテレス』は気長に待ってくれると言っていた。功を焦る必要はないよ」
ついにコニャックを口に含む。舌の上でその豊かな味を堪能した『エウテュプロン』は、満足そうに足を組んだ。
「それに、欲しいものが簡単に手に入ってはつらまないさ」
口に僅かに含んだアルコールを飲み込む。ごくりと鳴った咽喉元が蠢き、『エウテュプロン』は静かにグラスをテーブルの上に置いた。
再び足を組みなおす。軽く手を組んだ赤毛の男は、もの妖しい笑みを浮かべて画面に視線を磔にしていた。
※
グラスが触れ合う密やかな囁き合いの音が鼓膜を撫でる。赤いシャンパンが泡沫を湧き立たせ、暖色の蛍光灯に照らされて宝玉のようになった光が静かに微睡んでいた。
眼鏡をかけた女がワイングラスを呷る。黒髪を長く伸ばした女も、ワイングラスに入った液体を口に含んだ。舌を刺すような仄かな二酸化炭素の感触が緩んだ気分をきゅっと締めなおす。
「貴女も有名人ね?」眼鏡の女がシャンペーニュのグラスに口を付ける。グロスを乗せた艶やかな厚い唇の中に黄金の液体が流れ込み、女のウェーブのかかった豊かな金髪が揺れた。
「維持管理局を動かせるなんて本当にただの大尉?」
怪しむ視線を投げる友人に、黒髪の女は妖艶な笑みを見せた後、わざとらしく肩を竦ませた。
「本当にただの大尉だよ。ただ私の後ろにいる人物が恐ろしいというだけさ―――虎の威を借るなんとやら、とな」
未だ訝る瞳は止めなかったが、金髪の女も肩を竦めて見せた。
「財団、ね。悪いけど変ないざこざには巻き込まないでよ? 私はまっとうな軍人なんだから」
「私の奢りなんだからお前も道連れだ。この金は財団から出ているからな」
「ちょっと何よそれ? 聞いてないわよ」
あからさまに慌て顔をしたが、赤縁眼鏡の女は構わずにシャンパンの液体を飲み込んでいた。黒金のロングヘアーの女も苦笑いしながら辛口の炭酸液を下に転がした。
「もうあんたとも長いものねぇ。ティターンズ以来?」
隣の女が思い出すように斜め上あたりを眺める。
「そうか。もう10年近くか―――」
もうそんなに経っていたことことに少なからずのショックを受ける。
スペースノイド、しかもサイド3出身者という出自ながらアースノイド至上主義のティターンズへの加入が認められてからもう11年。カウンター席の隣でメインディッシュにフォークを刺しながら優雅に食事をする友人と出会ったのは0085年だった。安っぽい黄金の液が透明なグラスに注がれ、小粒の泡がゆらゆらと立ち昇っていく―――。
「彼女、元気そうね?」
口に何か入れたままのせいでもごもごと異音を立てていた。
「一緒に居た彼がカレシなわけ?」
「あぁ、そうだな」
臓腑の当りに苦いものを感じた―――が、黒髪の女はそれを表出することも無く、手首を器用に使ってワイングラスをくるくると回した。左右前後のベクトルの運動に煽られたシャンペーニュが渦を巻いていた。
かつての同僚は眉を険しくしたまま、素気なく相槌を打った。
「お前のお眼鏡には叶わないか?」
「まぁ面だけ言えば失格ね」
ぴしゃりと叩くように言う。
この同僚との付き合いはそれなりに長いが、男がらみでは妥協を知らない女だった。彼女にとっては、恋人にするならどんなに性格が良くても顔が彼女の水準以上でなければまず眼中に無価値なものとして映るのだ。
「まぁでも何か彼女にとっていいことがあるんでしょう? そもそも選んだのは彼女なんだから」
ね、と眼鏡の女が視線だけをこちらに寄越す。黒髪の女は少しだけ言葉を飲み込んだ後、ただ眼鏡の女の声に頷いた。
「―――そう、だな」
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