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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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24話

 サイド3。
 太陽系惑星でも生命の豊かさに満ちた星からもっとも遠くに存在するコロニー群。
 宇宙世紀0079年を、平凡な時代から歴史の濃密点にせしめた遠方の地。かつての『一年戦争』の苗床となったコロニー、と言えば、人々が抱く印象は決して快いものではあるまい。だが、サイド3と不のイメージを安易にイコールで結びつけるのは間違いとは言えないが、正しいとも言えない。仮にそうした関係のみで語る者がいるなら、宇宙に全く興味のないコチコチのアースノイドだけであろう。そうして、神裂攸人はコチコチのアースノイドでもなければ子どものころはサイド3にも訪れたことがある。それ故、背後に聞こえる酒飲みどもの賑やかさに、今更に目を丸くすることもなかった。
 サイド3の首都ズムシティの一画に佇むとある酒屋、一人カウンターに座った攸人は、ガラスのビアジャッキに並々と注がれた黒ビールを呷る。極東日本で作られるビールに比べてコクのある口当たりには馴染がないが、やはりサイド3に来たら黒ビールと相場は決まっている。既に3杯目のアルコールを腹の中に納め、ソーセージをつまみにしながら、攸人はカウンターに置いた雑誌を静かに見とめた。
 何回とページを繰ったせいですり切れた表紙は、年季を感じさせる。次々に新しい情報を乗せ、目まぐるしく人々の前を過ぎ去っていくのが雑誌というメディアの特質だとしたら、刊行から2年経ってなお 瑞々しく攸人の手許にあるものとして在るこの雑誌は、酷く奇特な存在だった。
 ぺらぺらとページを捲る。この動作を何度しただろうか―――商品としての雑誌を捲る倦怠な動作とは意を殊にする。神裂攸人にとって、この雑誌を捲るという動作は日常の世界においてなお、埋没することなく際立っているのだ。そうして、目的のページに辿りつく。それだけで前頭葉が身震いする。手先が行き場を失う。眼球の中に光が飛び散る―――。
 咽喉が乾く。潤すために、巨大なジョッキに一杯に満たされた黒い液体を流し込んだ。
「おねーさん。もー一杯くださいな」
「はいは~い」
 カウンターの向こうにいた店員に言うと、にこやかな笑みとともにジョッキにアルコールを注ぎ、素早く攸人の前に差し出した。礼と共に受け取る―――と、その店員がカウンターに肘をついてぐいと顔を寄せた。
「ねぇ、貴方ここらへんの人じゃないでしょ? 観光?」
 ヨーロッパ系だがオリエンタルな容姿。勝気な雰囲気。顔は上玉ではない―――が、悪くない。そばかすが無邪気そうだな、と”品定め”し、「わかります?」と笑みを返した。
「ここって見知った顔しかこないからね」
 あそことか、と彼女が顎をしゃくる。つられて見る―――店のフロアの一画に、バカ騒ぎする一団があった。軍服に身を包んでいるところを見ると、国防軍の連中だろう。
「軍の事情には詳しい?」
「ん? あーまぁ、ああいう団体さんがそれなりに来るからね。ちょっとだけ」
「教導に来るっていうのは?」
「そういえばそんな話を―――ってことは貴方が?」
 彼女の顔色がさっと変わるが、変化を攸人は特に気にしなかった。
「あんまし自分が連邦軍人だって言わないほうがいいよ。最近ちょっと物騒だからね」
 声を潜めた店員の女が店の奥の一団を見やる。
 フランチェスカで有名な新生サイド5に次ぐ観光サイドとして有名なサイド3だが、一方、特に軍部において近年国粋主義的な傾向が強まっている―――というのは、珍しい情報でもない。流石に観光者に対する暴行に及ぶまでに過激でこそないが、純粋な思想とは時に軽々と一線を越えてしまいがちだという事実は歴史を紐解くまでもなく了解される事実だろう。ただでさえ反感を買っている地球連邦軍、しかも戦闘において驕慢とすら言える教導隊のやり口を快く思わない軍人が、ノコノコ一人で自分たちのテリトリーに入ってきたら―――。
 わかってるよ、と頷く。『風の会』とかいう国粋主義の団体が幅を利かせている現在、深夜に単独で行動するのは危険なのだ。にも関わらず、攸人が女に喋ったのは、単にこの女は偏屈な思想のしがらみに囚われるような女じゃないという予感があったからである。そして、攸人の予感は的中していた。
「まぁ、俺んとこの隊長さんはジオンじゃちょっと有名人だから大丈夫だとは思うけどね」
「あら、そうなの?」
「軍人の間、ではね」
 ふーん、と興味ありげに相槌を打つ。軍人が多いから、そういう事情に明るいと話のタネになる―――という以上の理由があることを、攸人はなんとなく理解していた。
 ねぇ、と素っ気ない声色で彼女に声をかける。
「今夜、暇してる?」
 早くも空になったジョッキを垂らすようにして揺らしながら、ちらと一瞥する―――顔を見るまでもない、と思った。女の方も特に素気ない様子で、そしてやはり素気ない素振りだったが、確かに肯定の意の微笑を浮かべた。
 あいつもナンパの一つや二つ、すればいいのに―――カウンターに置いた雑誌を意識した。別に顔も悪いわけじゃない。自分から喋る質じゃないのは確かだが、聞き上手でもあるし。そして、クレイの要求水準の低さを鑑みれば、偏屈な選り好みさえしなければ1人や2人抱けると思うのだが。
「普段からそうやって軽いワケ?」
「いいや? 適当な女は抱かないよ」
「そういう言い方が軽いっていうんじゃない?」
「そんなことは無いよ」
 言いかけ、背後の声が攸人の声を遮った。思わず振り返ると、攸人の目当ての人間と目が合う。よ、と挨拶するように手を上げた金髪の女性。
「ユートはこんな顔してタラシじゃないからね。結構純真だよ」
「お知り合い?」
 まぁね。攸人の隣に腰掛けた彼女―――エイリィ・ネルソンは、言いながら懐かしい笑みを浮かべていた。
                         ※
「あぁもう、あいつらなんなのよ!」
 激しくジョッキを打ち付ける音が店内に響く。ぎょっとした観光客らしい客が振り返る素振りにすら苛々する。いつものことですから、と宥める店員の姿には業腹だが、見境なく暴れるつもりはない。趙琳霞はいつもの席に座りながら、もう一杯の酒を、大声で要求した。
「まぁまぁそう怒鳴らないで」
「あぁ!? いつアタシが怒鳴ったよ!?」
 隣に座っていた同僚の鳩尾めがけて右のストレートをぶっ放す。ぐえ、と悲鳴を上げながら崩れ落ちていく仕事仲間が「今だろ…」となんだかよくわからない言葉を残したが、特に気にしない気にしない。
 腹いせにつまみのカルパスをむしゃむしゃと喰う―――いつも通りの不味さだ。サイド3の飯の不味さは慣れなければ苦痛でしかない。『タイガーバウム』に住んでいる連中は羨ましい限りだ。あそこの飯は例外的に旨い。
「まぁムカつくってのはわかるけど。そんなに言うほどか? 元々負けて当然みたいな相手だろうに」
 もう一人、テーブルを挟んで正面に座る同僚が皿に山盛りになったフライド・ポテトを口に運ぶ同僚がぼそぼそと喋る。さしてアルコールを摂取していない癖に泥酔したように顔を真っ赤にしている。酔うと喋らなくなる質の男だった。
 こういう向上心の無さに腹が立つ―――が、ジオン共和国の国防軍なんてこんなもんだ、と言ってしまえばそうなのだ。『風の会』の会員ではないMSパイロットの志気の低さ―――まぁ、と並々と注がれた白ビールを胃の中に押し込みながら、思う。一部の、というより、少なくない気違いとすら呼べる愛国者どものようにトチ狂うよりはマシだ。
 ジオン共和国に住む人間として、ネオ・ジオンを信奉したいという気持ちが琳霞には理解不能だった。0083年のデラーズ紛争、0088年の第一次ネオ・ジオン抗争、そして続く第二次ネオ・ジオン抗争。今更腐った精子ほどの価値もないジオン公国の理念とやらのせいで、どれだけ酷い目にあってきたのか―――早々と飲み干すや否や、盛大にテーブルにジョッキを叩き付け、もう一杯を先ほどよりもさらにデカい声で要求した。今日は苛々が多すぎる。
 ふん、と鼻を鳴らしながらフライド・ポテトを口に放り込む。合成タンパクはクソ不味いが、野菜類―――特に芋は旨い。ただちょっと味気が薄すぎやしないか、というのは不服だが。
「あたしは別に負けたことが嫌なんじゃないわよ―――まぁ負けたのもアレだけど」
「んじゃあなんだよ?」
 特に話に興味があるわけではない―――半ば条件反射的に会話を続けているであろう男に今更不服は抱かない。
「嫌いなの」
「あ?」
「嫌いな奴がいるの、あの部隊に!」
 思い出すだけで業腹だった。ちょうどビールを運んできた店員からひったくるようにしてジョッキを受け取り、液体を浴びるようにして胃の中に流し込んでいく。もう酔いが回りすぎて何を飲んでいるのかもわからないが、取りあえずアルコールを摂取できればそれでいいのだ。
「知り合い?」
「は! あんなの知り合いだったらと思うだけでぞっとするわよ」
 事実。
 知り合いと呼ぶほどの間柄ではない。因縁の相手―――そんな名称が精々の相手だ。おそらくそんな琳霞の様子からそれとなく悟ったのであろう、同僚は興味がなさそうに曖昧に呻くだけだった。
 そう―――因縁だ。あいつはそんなこと、欠片も思っていないに違いない。涼しい顔をして、あたしを足蹴にしたあいつ―――。理性的でないのは重々承知。一方的な憎悪の感情であることは猶更了解している。だが、人は理性なんかで縛られない生き物なのだ。神だかなんだか知らないが、そんなものはとうの昔に死んでいる。人は獣と同じで、人はヒトなのだ。
 なんでもいい。適当にテーブルの上にある皿から何かとって口に運ぶ。味はよくわからないが、不味くないから揚げ芋だろう。油っぽいし。・
 ぼそりと。その名を、呟いた。
「あ? 何?」
「何でもなぁい!」
 ようやく鳩尾への一撃から復帰した同僚の鳩尾へ、もう一度宙を舞った琳霞の握りこぶしが吸い込まれていく。「あ、お前また…!?」という悲鳴の滓を残して沈んでいく同僚に一瞥もくれず、苦い顔をしながらカリカリに焼けたソーセージを加える。
 クレイ・ハイデガー…。
 その名前を、胸の中で呟いて。 
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