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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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2話

 少年の頭蓋に蹲る脳髄。
 それが見せたノスタルジックな追憶は、数年前のジュニア・ハイ・スクール生活の、ある日の出来事の再現であった。
 教室の背後に設えられた掲示板。普段は誰も気にしない空間に、年若い生徒たちが群れている。そして少年も、遠巻きにその群衆が去るのを眺めていた。
 数分。HRも始まりそうな時間の中で、人だかりが薄れていく―――彼は、唇をかみしめて、足を踏み出した。フローリングの上を歩くと、子気味良い木製の柔らかな音が耳朶に触れる。
 少年は、疎らな人の中に、女の子を見つけた。栗色の髪の、可愛らしい女の子。誰もが振り向く容貌―――ではなかったが、童顔に大人しげな柔らかさを持つ少女。少年は、心臓を摘ままれるような緊張を持つ。握る手に、冷たい液の感触を持った。
 彼女の背後と生徒の机の間を通り、少年は己の正面にその掲示板を見た。
 なんの感情もなく、掲示板に貼られた白い紙には黒い染みが連なり、文字を作る。
 校内模試の結果を知らせる紙だった。ある者は歓迎を持って、ある者は嫌悪を持って、ある者は興味を持つことすら億劫を持って、その面前に立つことを臨む。
 少年は、従来2番目に属していた。
 彼の視線は、まず左の方へと向かう。そちらは、下位の生徒の名前を表示する箇所である―――哀しい、少年の性。ざわざわと心臓を粟立てながら、しかし、彼の眼球は、己の期待不安に反して己の名前を中々捉えない。
 心臓が強く波打つ。
 喉が渇く。
 手のひらを握る力が強くなる。
 脳みそすら拍動しそうな錯覚に襲われながら、彼の視線は真中へ、そして右へと徐々に移動し―――。
 少年は、全身の脱力と強ばりを同時に経験した。上位20番内―――19番目に、己の名前を見つけた。 
 500人を超す生徒の中で、その順位に居るということがどれほど素晴らしいことか―――未だ井の中しか、本当の意味で知らない少年にとっては、その場所を占めている筆舌に尽くしがたい栄誉なのだ。
 少年は、されどその喜びを表出しなかった。理性という名の苗床に己を埋め、乾いたくちびるを舐めた少年は、平静を装って振り返った。ポケットにつっこんだ右手で太腿に爪を立てながら、
 彼の眼が捉えたのは、より上位に位置する生徒を持て囃す群れ。あるいは、そもそも興味が無い人間たちの騒がしい声。咄嗟に視線を振った先には―――。

 はっと気が付いたクレイ・ハイデガーは、視界に入った窮屈な天上―――シャトル機内の天上を目にすると。眉間に皺を寄せた。
 厭な、思い出だ―――。
 連絡船のシートに蹲りながら、クレイは手のひらで額に滲んだ汗を拭いて、そうして重たい息を吐く。
 胆嚢からでも沁みだしてきたかのような重く濁った息。気だるげに腕に回した銀の時計に視線をやれば、2つの針はそろそろ到着時刻であることを告げていた。
 身体に纏わりついた倦怠を洗い流すようにのろのろと伸びをすると、「起きたか」と顔が覗き込んだ。
 艶のある黒い髪に、日本人らしい童顔ながらも端正な顔立ちは、誰もが振り向く―――とまでは言わずとも、女性に人気がありそうな二枚目に違いは無い。神裂攸人少尉―――名前の通りの極東アジア日本出身の男は、クレイの母校たる士官学校でも首席で卒業した天才肌である。クレイは次席。優秀でこそあれ、皆から注目を集める天才という側面は皆無に近い。
「魘されていましたよ?」
 もう一つの顔が左から覗き込む。攸人と同じ黒髪だが、女性の割にはあまり手入れがされているようには見えない。されど利発そうな顔は、17歳という幼さを感じさせない知的な女性だった。
 今回クレイと攸人が配属されることになった部隊設立に関わった、海軍戦技研究所、通称サナリィ。そこから出向することになった新鋭のエンジニアであるモニカ・アッカーソンがおずおずと言った様子で白い手触りの良いタオルを差し出すのを受け取ると、感謝の言葉を返しながら顔を拭った。滲んだ脂汗を綺麗さっぱり拭き取る―――思ったより汗をかいていた。
「なんだよ、女に振られる夢でも見たのかよ?」
「彼女いない歴=年齢故にその推測は蓋然性があるが違う」
 肩を竦めて見せながら、攸人のからかいを軽くいなす。もちろん、攸人とそれなりの付き合いだから当然知っている―――知っていてやっている。ちなみに、23年間の人生の中で振られたのは4回。あと7年で魔法が使えるようになるが、いっそそれを目指そうかという悟りの境地を開き始めている今日この頃だった。
「なんでお前は彼女出来ないんだろうな」
 至極素直な疑問らしく、攸人が首を傾げる。素直、というのがまたいやらしいところだ。この神裂攸人という男は、真剣にそれがわかっていないらしい。
「知ってたらもう居るよ」
「でもお前気配りとかできるし優しいし要素はあると思うんだがなぁ」
「優しいだけの男は便利屋ってだけで恋愛対象にならないってよ。良いお友だち」
 ぼすん、とシートに背中を預ける。考えるだけで不毛極まりない話だ。
 しぶしぶ腕組みしながら、感慨深げに、そして落胆の色をありありと表出しながら言う。そんなもんか、と納得したしたような納得できていないような面持ちで隣のシートに身を埋めた攸人も、腕組みして何事か思案する。
「モニカはどう思う」
 クレイの右に―――要するに攸人から見て隣の隣に座るモニカは、攸人の振りには即答しかねるように首を傾げた。悩んでいる間の数秒は静かなもの―――クレイと攸人、モニカが搭乗するこのシャトルは軍用でこそあるが、今回わざわざサイド2からサイド8『ニューエドワーズ』向けに出発した船で、200人を収容する連絡船の中は、がらんとしたものだった。
「私はそういうのに疎くて……」
 困ったような、照れたような複雑な苦笑いを浮かべる。17歳にしてサナリィに就職し、エンジニアとして新鋭部隊に配備される才媛。容姿も飾ったところは無いけれど、十分に端麗な容貌とも居てもおかしくないと思うけれど。横目でモニカを眺めながら、クレイはなんとなくシートの座り心地が悪いことに苛々していた。
「私って自分の話を始めると際限がなくて……つい色々喋り過ぎちゃうんですよね」
 苦笑いはそのままに、後頭部を掻きながら言うモニカの声色は少し哀しさがある。自分の話―――趣味だろうか。それなら覚えがあると思ったクレイは大きくうなずく。
「すみません、私はそういう話には力にはなれませんで」
「いやまぁ、別にたいした問題じゃないですよ」
 頭を下げるモニカに対して、クレイは慌てて制止する。地球連邦政府への軍事出資を始め、サナリィが連邦政府から得ている信頼は厚い。あまり相手の機嫌を損ねるのは、地球連邦軍としては居心地が悪いことだという理由もあるし、またクレイは他人に謝られるのに慣れていなかった。
「女の子ってのも、よくわかんねーもんだな」
 眉間にしわを寄せ、随分思案した後の攸人の感想はそれだった。彼女持ちだったくせによく言うよ―――というのは、モテない男の僻みでしかないか。居住まいを変えながら、クレイは尻のポケットに刺さっているボールペンを抜いて、右足のポケットに指しなおした。
(こちら『ウェンディ』、ニューエドワーズ』からのお出迎えだ)
 館内放送―――といっても3人向けの極私的な放送が耳朶を打る。40代の半ばほどの機長の声の声色は、どこか嬉々としたものだ。出向前は不機嫌そうな顔をしていたのになぁと四角形のスピーカーを眺めていると、モニカが「見てください!」と甲高い声を張り上げた。彼女の隣にある窓の向こうには、冷え冷えとした黒の世界―――生命の存在を頑なに拒否する永久の宇宙が広がり、その中に満ちる恒星の煌めき。気が遠くなるほど彼方に存在する恒星の光とは異なる、青白く揺らめく光が目に入る。宇宙という空間のせいで相対距離が掴みにくいが、モニカ越しに眺めた窓の中に、クレイの視線はそれを認めた。 一見すれば戦闘機のようにも見えたが、後部に位置するスラスターユニットはどう見てもMSの脚部だ―――可変機構を備えた、TMSらしい。
「Zタイプ……じゃないな。なんだ?」
 身を乗り出した攸人がクレイを見下ろす。
 かつてのグリプス戦役時代に開発されたMSZ-006《ゼータガンダム》は、第3世代機でも優秀な機体だったと言われる。エゥーゴやカラバに量産モデルが多数配備されたのは有名な話で、エゥーゴが地球連邦軍に再編成された折に地球連邦軍でも正式採用された機体だ。正確にはMSZ-006A1から連なる量産モデルは、現在でも地球連邦軍の主力機だ。
 窓の向こうで、連絡船と相対速度をぴったり合わせて優雅に飛行する、白と橙のツートンで塗られた可変機の外見は、Zタイプの機体にしてはずんぐりしている印象があった。
「《ZⅡ》……いや、《ZⅢ》じゃないですか? 『ニューエドワーズ』で試験をしているって言っていましたし」
「あんなにごつかったかな。もっとこじんまりしてたような」
「強襲・砲撃戦仕様の強化モジュールがあるってあったからそれを装備してるのかもな」
 そうだっけ、と視線を外に投げながら首を傾げる攸人。事前配布された資料にきちんと書いてあっただろうとは思ったが、神裂攸人という男は案外―――というか結構おざなりな性格をしていた。
 まるで空を泳ぐかのように悠然と飛ぶ白亜の機体を雁首揃えて眺めていると、その機体に、もう1機の機影が並ぶ。今度は平べったい外見から、すぐにZタイプの機体だと知れ、「こっちは《ゼータプラス》か」と攸人が身を乗り出して呟いた。
 3人でその機体を眺めていると、ウェブライダー形態の《ゼータプラス》が瞬き一つで可変し、四肢を備えた人型に変身する。ティターンズが開発したRX-178《ガンダムMk-Ⅱ》より正式に実装されたムーバブルフレームが成せる技だ。ガンダムタイプ特有の、並列したデュアルアイを鮮烈に閃かせた《ゼータプラス》がバーニアを焚き、白亜の機体の上部に移動すると、牽引グリップを握り込む―――可変機に可変機がまたがるというなんとも奇妙な光景だった。
 ライフルを腰にマウントすると、その凛然とした瞳がこちらを見とめる。
 その赤い眼差しがクレイを突き刺す―――見られた。3人を全体として見るのではなく、正確にクレイ1人を見定めたような錯覚を、覚えた。
 無論そんなはずはないのだろう、自意識過剰なのかなと思っていると、窓の向こうで灰色の《ゼータプラス》が右のメインアームをゆらゆらと振る。人間が挨拶をするかのようなその動作がやけに人間臭い。その上愛嬌があるのが反則的だった。思わずけらけらと笑いだす攸人につられ、モニカとクレイも頬を緩めた。数秒ほどその人間味あふれる動作をした《ゼータプラス》が牽引グリップを離し、これまた一瞬で可変すると、白亜の機体と共にスラスター光を迸らせ、連絡船の先を進んでいく。
(あと1時間でニューエドワーズだ。お客さんら、シートベルトをしててくれよ)
 機長からの砕けた声の無線が入る。シートから離れていた攸人とクレイは安物っぽくところどころ剥げているシートに腰を下ろすと、これからを思案し、また談笑しあった。
 第666特務戦技評価試験隊、通称『ゲシュペンスト』。攸人とクレイが所属することになるであろう、幽霊(ゴースト)の名を冠する部隊への期待と展望、そして幾ばくかの不安を湛えた3人を腹に収めた白い連絡船ウェンディは、問題もなくサイド6コロニー『ニューエドワーズ』へと向かった。 
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